↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/11

D3:

 それが起きたのはあまりに唐突だった。

 あまりに唐突だったそれが起きたせいで俺は。

「大丈夫か疾風! 怪我はないか!?」

 両膝をコゲ茶色の土に深く埋めながら四つん這いになり、震えている疾風にそんな声をかけるハメになったのである。彼女は現実逃避的に安堵したような表情で

「あー怖かった怖かったてっきり窓ガラスぶち破って飛び降りたのかと思ったさハハハハ」

「仰るとおりだよ疾風さん! 現実からクロスカウンター気味に目を逸らしてねぇでとっとと逃げるぞ!」

 自分がついさっきまでいた場所、校舎三階の割れた窓、そこから空に昇る白煙を振り返ろうとしている疾風を引っ張り起こしてそのまま駆け出した。

 俺達はそう、三階から飛び降りたのだ。


 生物学の試験は予定通りなら午前中二回目の試験として開始されるはずだった。

 今から考えれば本当にマヌケなことをやっていたと言わざるを得ないが、俺と疾風は保健室を離れた後、再びお行儀良く着席して試験を受けようとしていたのである――あの状況下で。

 俺達が戻ってくると教室は午前中一回目の試験を繰り返すような雰囲気で、他のクラスメイト達は既に着席し、机の上に筆記用具と学生証のみを置いて待機していた。

 正直なところ、一回目と同じようにすればまたやり過ごせるのではと言う、甘い考えがあった。

 正直なところ、進級に関わる試験なので万一の万一に備えて受けておこうと言う、馬鹿な考えがあった。

 しかしどちらかと言えば後者の馬鹿な考えであったと悟ったのは、両面白紙と言う奇妙な問題用紙と答案用紙がクラスに行き渡たり、試験開始の本鈴が鳴った直後、教室の前後にあるそれぞれの入り口から、催涙弾のようなものが投げ込まれた時だった。

 破裂音と同時にクラスが白煙で覆われ、それを引き金としてついにと言うべきか、クラスメイト達が狂乱したのだ。

 起きた事態以上に、その被害者達が尋常でないのは明白で、さながら白霧となった中で響き渡るべき声は悲鳴やパニックのはずなのに、聞こえてきたのは怒声に唸り声、ついで暴力の音。想像されるのは殴る蹴る割る裂く引っ掻く噛みつく。おおよそ人間とは思えない野蛮な行為。

 まさに五里霧中の阿鼻叫喚――その中で。

 やはり奇跡的にまともと言って良かったのは俺と疾風だけで、微かに視界が戻って来た時、お互い机の下に入ってしゃがみ込み、手で鼻口を抑えている事に気付いた。

 言うまでも無くそれは防災訓練でやる緊急避難姿勢であり、つまり現状起きている事は災害の域なのだと、俺も疾風も本能的に感じていたのだ。

 ならば次にとるべき行動は、脱出――しかし。

 俺達の席は入り口から最も遠い列。

 周りで響いている暴力音から察するに、いまや災害の一番の元凶が催涙弾ではなく、それの被害者達が成り代わっている事は間違いない。しかしとにかくこの雰囲気、彼らが『どうぞどうぞ』と出入り口に辿り着かせてくれるとは思えない。

 疾風は一方、静かだが明らかにパニックになっていた。

 大きく開いた目は何時発狂して暴れ出してもおかしくないような様子なのだがしかし、彼女は今この瞬間今この精神状態にフタをするように、自分の口に手を当てて必死に耐えて押し殺していて――そこへ、しゃがみ込む俺達の間にグシャリと湿り気のあるものが倒れた。目をやる。

 顔中に噛み傷や引っ掻き傷のあるクラスメイトが仰向けになっていた。

 ソイツが黄ばんだ目で疾風を睨んで唸り声をあげる。

 弾かれたように疾風は飛び上がって机の下に頭を打ちつけ、そのショックで伏せると額を床に打ち付け、さらにそのショックでピンと背筋を伸ばして頭を机の下に打ち付――無意味なループに突入し始めた彼女をグイと引き寄せた。

 もう我慢の限界を突破してビービー泣いてる疾風。

「何でボク頭ボコボコに殴られたんですか殴られたんですか!?!?」

「オメェが全部自分でやってました安心しろ!!」

 その頭を擦りつつ、彼女に飛び掛り損ねて机の脚に噛み付いてるソイツの後頭部に蹴りを一つお見舞いして二次被害を防止。

 すまんな根岸。

 よく知らないそのクラスメイト根岸に一言謝り疾風に告げる。

「逃げるぞ疾風!」

「逃げるってどこにさ!? 教室の扉まで絶望的に果てしないよ!」

「扉がだめなら窓から出れば良いじゃない!」

「アントワネット!?」

 言うが早いか俺は疾風の腕を引っつかみ、机下から這い出て素早く立ち上がった。

 そして光景を目の当たりにした。


 共 食 い 


 二人で絶叫しながら窓をぶち割り、浮遊感。直後に全身で重力と風を感じ――衝撃、息の詰まるような鈍痛。土の香り。

 眼の前で軽く火花は散ったが、しかしどうやら生きている、二人とも。俺の席は窓際なので、校舎のすぐ傍に花壇があるのは知っていたのだが、もちろん飛び降りたのはそれを見越しての事――ではなく、突発的どころか条件反射的で、とりあえず園芸部には心の底から感謝謝罪。

「大丈夫か疾風! 怪我はないか!?」


 兎にも角にもそうして俺達は、今この状況に至った訳なのだ。


 疾風を連れて正門目指して一心不乱の一目散。グランド中央、全力疾走横断中。

「皆が追って来てるよ清十郎! 窓から続々飛び降りてきてる!」

「振り返るな疾風! 一心不乱に駆け抜けろ!」

「スゴい! 一回半捻りで根岸君が着地した!」

「くそアイツ帰宅部だってのに!」

「密かに鍛えてたんだね!」

「密かに鍛えて辿り着ける域なのかそれ!」

 背後に迫ってくる足音。振り返れない恐怖。振り返ってはいけない恐怖。坂道をダンダンダンと駆け下りて、その途中、ある言葉が脳裏を過ぎって急遽目的地を変更。

「疾風こっちだ!」

 グイと真横に向きを変え、二人で飛び込み扉を閉めて流れるように施錠する。一拍遅れて扉を乱暴に叩く音。俺達は飛び退いた――危なかった、そして。

 食堂である。

 当然ながら誰もいない。

「清十郎お腹すいてたんだね!?」

「そこまで俺は食べ物に卑しくない!」

「ボクがお腹すきました!」

「正直で宜しい!」

 そんなことを半ば喚くように言いながら俺達は、急場しのぎの隠れ場を探す。

「テーブルの下は!?」

「小学生ですか疾風さん!?」

 乱暴に扉を叩く音。もう時間がない。すぐ目に付いたのは調理室。分厚い扉は籠城には打ってつけ。しかし関係者以外立ち入り禁止のここは常に施錠されていて

「上窓が割れてるよ清十郎!」

 見れば確かに、比較的大きく設けられたそこがギザギザと割れていた。この大きさ、俺は無理でも疾風ならくぐれるはずだ。 

 近くの適当な椅子を引っ掴み、その脚で窓枠に沿って擦る様にしてガラス破片を落とす。これで触っても大丈夫だ。

「お前ここから中に入れ!」

 言いながらその椅子を扉の近くへ踏み台として置いた。すると疾風は目に涙を溜めて

「清十郎の分までボクは生きるよ!」

「あっさり見殺すね!?」

「あれ? ボクだけ入……あ! なるほど! そうか! 閃いたよ! ボクが上窓から中に入って鍵を開けて、その後で清十郎を入れて鍵をすればいいんだ!」

「よく出来ました! もう俺が閃いてるからねバカ! ていうか外で暴れてる根岸がそろそろ侵入してくるから早くして!」

「分かったけど清十郎後ろ向いてて!」

「なんで!?」

 言えば赤面して

「……ボクのが丸見――」 

「オメェのパンツに興味ねぇ! ていうかマジ根岸の腕が扉のガラス破ってヒラヒラしててスゲー怖いから!」

「やっぱり鍛えてたんだね根岸君!」

「鍛え過ぎて爆発しろ! だがそんな事はどうでもいい!さっさと急げ陸上部!」

 言えば疾風は椅子に飛び乗り窓枠に手を掛けてサっと身体を中に入れようと

「お帰りなさいませ御主人様」

 の声と共に開かれた扉に押された疾風が椅子から転落してそのまま俺に飛び膝蹴りを放っ――ブフ――転倒。

 上半身だけを起こして頬を抑え、 俺の上でマウントポジションしてるバカに

「なんでフライングニー決めたよ!?」

「深夜2時は地上波でもプロレスやってて」

「なんでフライングニー決めたよ!?」

「ごめんなさい急に扉が開いて」 

「なんで扉開いたよ!? え、開いた!?」

 見れば憑神麗が立っていた。

 入口扉がゾッとするほど派手な音を立ててそれを振り返る前に、彼女が俺と疾風を中に引っ張り込み、すぐさま施錠。ガキンという頼もしく重々しい音の後、雪崩れ込むような大量の足音に阿鼻叫喚の唸り声。扉に衝撃。

 金属製の分厚い扉は人がこじ開けようとして出来るものではないが、三階から一回半捻りで飛び降りるような輩相手にも同じ事が言えるかどうかは分らない。そんな一角の不安により俺と疾風と憑神は、押し競マンジュウのように扉を背中で押さえつける。

 背中を伝う尋常ではない衝撃。扉一枚隔てたその向こうで、もはや肉食獣と化したクラスメイト達が黄ばんだ目で俺達を狙っているのかと思うと、背筋がゾクゾクとして笑いと涙が込み上げてきた。

「随分とファンが多いのですね先輩方! 人気に嫉妬いたしますわ!」

「冗談言うな帰宅部の俺がこんなにモテるわけねーだろ! コイツら全員疾風のファンだよ!」

「えへへへ悪い気はしないなボク」

「多少は気分を害せよバカ!」

「って二人とも上ー!!」

 疾風の絶叫に目をあげれば扉の上窓から無数の腕が侵入し、俺らを取って喰わんと蠢いて――マジ怖いんですが! そこで疾風が扉から離れたのでどこへ逃げるんだこの裏切り者と思いきや、吊るしてあるフライパンの一つを掴み、助走をつけて

「フライパンすとらいく!」

 そのまんま過ぎる掛け声と共に一番伸びてきている手の甲へパコーン! とストライク。短い悲鳴と共に一本が引っ込んだ。そのまま疾風はもぐら叩きの如く軽快に「変態!」「痴漢!」「詐欺師!」「ペテン師!」「インテル!」「ハイッテル」「レッドキャベツ!」と謎の掛け声と共にパコンパコンと撃沈していった。しかしそれでも引っ込むそばから別の腕が次々に出てくるのでキリがない。扉を必死で押さえつけながらも憑神は、頭上で暴れている腕を睨みつけて

「まるで強引に入れた中指をかき混ぜるかのようなこの動き、しつこい上にいやらしいですわね!」

「オメェの発想がいやらしいわ!」

「とにかく私も応戦しますわ!」

 言うが早いか憑神もその場を離れ、扉の衝撃が倍化――いやいやこれマジ破られるぞハハハ! と何故か笑い出しそうになったところで彼女が持ってきたのは調味料のビンが大量に入った箱。それをテーブルの上に置くと凄まじい速度で全ての蓋を開け、それらを両手の指の間に挟み込み、ニヤリ。

「それでは参りますわマエストロ憑神麗による毎日の食卓のためのスパイス協奏曲」

 という謎の曲名を発してから扉に駆け寄って「お召し上がりなさいませ!」と腕を乱舞。『サパパパ』という調味料を振りかけたにしては恐ろしく過剰な音の後、外は悲鳴と咳き込むような音で溢れかえって腕が一斉に引っ込んだ。僅かな粉末を被っただけで俺も疾風も猛烈な粘膜の刺激で涙と共にゲッホッホ!

「好機ですわ」

 と憑神はビンの中蓋までも外し、今尚ムセてる俺を踏み台(踏み台!)にして上窓を覗き込み、今度はニコリ。

「七味タバスコ塩コショウにブラックペッパーねりワサビ。夢のコラボどころじゃありませんわねフフフ。喰らえよ」

 可愛らしく言ってから『サバー』と全てのビンを誰かに注いだ模様――絶叫。外で乱闘が始まり、扉の衝撃は収まった。

「ターゲットを変更したようですわね。一時しのぎにはなりそうですが、次はどうしますか先輩?」

「まずは俺の背中から降りようかこの縞パン」

 トンと身軽に着地する憑神。一方疾風は泣きながらソーセージを喰っていた。

「この火事場で何やってんのアホ毛抜きますよ!?」

「急にお腹すいちゃって」

「私もフランクフルトが食べたいですわね、先輩の」

「この火事場で何言ってんのメガネ没収しますよ!?」

 再び扉に衝撃、弾かれたように三人で扉を抑える。

「くそ! マジで一時シノギじゃねーかどうすんだ! 他に出口は――」

 見渡せば水場の上に大きな窓があった。

 調理室は山の急斜面に面しているのでそこから外に出てもその先には行けない。つまり正門の方に向かうか校舎の方に向かうかしか出来ないのだが、安易に出て見つかれば取り囲まれて試合終了だ。つまり何時までもここに立て篭もっている訳には行かないのと同じ理由で、今すぐここから出るわけにも行かない。

「何時か迫られる選択だと思っていましたが、それは今かも知れないですね。あくまでも彼らを人間扱いするのか、あるいはそれ以外のものと見なして対処するのか」

 何時にない真剣な表情で憑神がそう言った。

「今抑えているこの扉が破られたら、恐らく私達は殺されます」

 ――私達は殺されます。

 口に出して言われてゾっとした。

「ガス調理台、サラダ油、乾燥した衣類、予備用ガスタンク」

 憑神の小さく震える声は扉を抑えてるせいなのか、あるいはそうではないのか。

「設備や材料は、一通り揃っています。調理用タイマーを使って時限式にすれば、私達が窓から逃げる時間は稼ぐ事も出来ます」

 チラっと彼女が目をやった先、調理台の下の収納スペースの開いた扉。そこに大きな鉛色のガスタンクが数本、鈍く光っていた。

「……やりますか?」

 憑神が俺の目を見た。

「正気で言ってるのかそれ?」

「変な事言いますね先輩」

 俺の問いに即答してから彼女は自嘲するような笑みを浮かべた。

「もはやこの世界で正気じゃないのは私達の方なんですから」

「無茶だし無理ダメだよ。レイ」

 とはソーセージくわえつつも小さな全身を使って必死に扉を抑えている疾風。話はしっかり聞いていたようだ。

「時限式にするって言ったけどさ、調理用タイマーには自動で火を消す機能はあっても自動で火をつける機能はないよ」

 料理をしない俺にはその辺りの機能はよく分からないけどえ~っとつまりは……とその意味を理解しようとする前に憑神が突然扉を離れて調理台のガス栓を目一杯開いた。

「オイ憑神なにや――」

「先輩!!」

 悲鳴に近いような声に制止させられ、何か重たい間が生まれる。

「今まで有難うございました。これが言いたくて、私は先輩を食堂に呼んだんです」

 そして唐突過ぎて、そのセリフの意味が俺には分からない。

「保健室にいた時は意識が朦朧としてて、”食堂”って言うつもりが”おうおう”なんて言っちゃいましたけど、伝わってたみたいで良かったです。何て言うか、お礼だけは言っておかないとって、そう思っていたので」

 俺は眉を潜めたがしかし、彼女は続ける。

「ここで静かに先輩を待ちながら、何時自分が分からなくなるんだろうって、すっごく怖かったんです。もしかしたら私が正気のうちには来ないかもって。そう思うと、本当に……。だから何時でも喉をつけるように、包丁のあるここを、調理室を選んだんです」

「憑神、お前は何を言って」

「今更私から言わなくても!」

 彼女が大声で遮る。

「もう保健室で分かってたと思うんですけどね。……皆と同じなんです、私も」


 狂犬病に、感染してるんです。


 ――そう言った。

 調理台に両手をつく彼女の肩が、背中が、小さく震えている。

「今はたぶん、あの時に先生が打った注射のせいで一時的に鎮静化してるだけだと思います。でもそれも、何時きれるか分かりません。いいえ、次の瞬間、私は自分を失って先輩達を襲うかも知れません。だから、私は、稲峰先輩や吉岡先輩と一緒に扉の内側にいるべきなんじゃなくて、本当は――」

 あそこの皆と同じ、扉の外側にいるべきなんです。

 彼女はそう言った。 

 ガキリ、という何かの折れる音が扉からした。しかし俺も疾風も憑神から、彼女から目を離す事が出来なかった。その手が着火スイッチに触れているのだ。

「……五分後にその扉を開けて、これを押します。先輩達が窓から出た後、精一杯彼らを引きつけます。どうか逃げて下さい」

 一方的過ぎて、急過ぎて、俺の思考はショック状態のままもたついていた。どんな言葉を彼女にはかけるべきなのか――それが分らない。

「自分で言ってて、怖くないのレイ?」

 疾風の声に、フフフと憑神が、額に手を当てて笑った。首を左右に振る。

「そんなの怖いに決まってるじゃないですか。ものすごく怖いですよバカな事言わないで下さい。でもそれ以上に私」

 振り向いて、顔を向けた。

「吉岡先輩に嫌われるの、イヤなんです」

 それは笑っているのか泣いているのか判然としない、しかし悲痛な表情だった。

「私が何時か何もかも分からなくなって、先輩を襲ってしまうのかと思うと、それが堪え切れないぐらい怖くって、どうしようもないぐらいイヤなんです」

 そして瞳から涙がこぼれ始めた。

「こんなこと言うのって、すっごく恥ずかしいんですけどね、でもこれが最期なので、言います。聞き苦しいと思いますけど、断末魔か何かだと思って諦めて聞いて下さい。先輩が昨日、食堂で私の事を友達だって言ってくれましたよね。あれ、たまらなく嬉しかったです」


 ――そんな言い方やめようよ憑神。吉岡清十郎はお前を友達だと思っているんだから。


「ウソでも冗談でも良いんです。あんな事言ってくれた人って本当に、本当に生まれて初めてでしたから。……私が変な格好してたり、変な趣味持ってたり、変な性格してるのも、皆の気を引きたくて、友達になって欲しくてやってたんです。でもそれは気味悪がられるばかりで、気持ち悪がられるばかりで、空回りしかしてなくて……。私も途中で気付いてました。でもいつの間にかすごくヒネくれてしまってて、意味の分からない意地を張るようになってて、今日の今日まで続けちゃいました。そしたらとうとう本当に一人になってて、残ったのは痛いメンヘラ女だけでした。それが私です。でもそんな私にあまりにフツーに接してくれた人が、先輩だったんです」

 エックという嗚咽の音。頬を伝う涙が、床にキラキラと滴る。

「正直私の方がヒキました。なんでこんなヤツにまともに話しかけてくれるんだろうって。ヒクぐらいに嬉しかったです。でもそれが信じられなくて、確かめたくて思いっきり、分厚い本で先輩の顔を殴りました。信じられないですよね。後輩がいきなり先輩の顔をモノで殴るんですよ。でもどうしてそれを普通に怒ってから、以後も普通に接してくれたんですか。おかしなヤツだと思ってドンビキして――」

 コツン――と俺は、憑神の頭を叩いた。彼女はそのまま泣き続けていた。

「何をそんな必死になってるのか知らんが、俺や疾風、それに小早川先輩の友人を悪く言うのはそこまでにしとこうな……おっと!」

 その場に崩れてしまいそうだったので、咄嗟に抱き止めた。良い匂いがした。

 これは知ってる。

 今日感じられた数少ない日常の匂いだ。何時ものお昼時、隣から仄かに香る、甘い香りだ。

 そんな辺りに微かな日常を感じながら、啜り泣いている彼女の頭を、ポンポンと撫でる。

「……狂犬病か。なるほどな。これがフィクションならそういうフラグは立ちまくってたよな。生物学の授業内容にしろ、厚遇の裏に隠れた閉鎖的な舞台設定にしろ、バッググラウンドにいる如何にもって感じの如月衛生科学研究所にしろだ。昨日今日の流れだってそうだ。謎の飛行物体、通信の異常、クラスメイトの異常。出来過ぎだ。確かにここまでお膳立てが済んでたら、そりゃそういうの疑いたくなるよな。黒幕はもちろん、研究所のボス辺りが妥当だよな。如月先生も相当怪しいし。でもさ、憑神」

 俺は彼女の泣き腫らした眼をしっかりと見た。

「そう簡単に逃げるなって」

 そしてそう続けた。

「こいつは現実だ。紛れも無い現実。知ってるよな? 事実は小説よりも奇なり。そう簡単に納得のいく、スッキリとした展開に物事は運ばない。これは現実だからだ。憑神、狂犬病に逃げ込むな。安易な解答を用意し、享受するな。今後の展開は誰にも分からない。お前がどうなるのか、俺がどうなるのか、ここが、世界がどうなるのか分からない。だから今は分かる事と出来る事を精一杯しろ。今はそれしか出来ないけど、だからこそそれが今すべき事なんだよ」

 ポンと両肩に手を置く。

「しかしまずはお前の用意した弱気で安易な解答を今ここで論破してやる。いいか?」

 俺は自信たっぷりという具合にニヤリと笑った。彼女が頷いた――よしよし。

「狂犬病患者があんな快活に動けるわけないだろ」

 言いながらと扉の方に向き直って部屋の外で暴れているであろうクラスメイト達をビシっと指差した。これぞ論より証拠。憑神もクラスメイト達も狂犬病患者であるはずがないのだ。しかしまぁなんというか。


 ドアがフルオープンしていた。


 俺達は漏れなく固まった。

 全員が、黄色く濁った目でガン見していた。

 何故か、調味料のビンが顔に張り付いた根岸もいた。

「せ、せ、清十郎。ど、ど、ど、どうするの……」

 さっきから疾風さんが沈黙していた理由は、間違いなくこれだった。シグナルぐらい送れし。

「落ち着け疾風。目を、逸らすな。目を、逸らさずに、少しずつ、後退しろ。あと憑神、どさくさに紛れてさっきから触ってる、俺の股間から手をどけろ」

「ぐすん、ここは私が死守致しますわ」

「局部的過ぎるだろ防衛拠点が」

「局部的に隠れますか、私の中に」

 バカを言いながらも少しずつ、少しずつ、後ずさり。目を逸らさず後ずさり――カタン。と、疾風が床のフライパンをカカトで蹴った、瞬間、洪水の如くクラスメイトがなだれ込んで来て俺達は泣き笑いながら忍者の如く水場に飛びあがり無意識的なレディファーストで疾風と憑神を先に出していたらめでたく俺のスボンの裾が掴まれて

「あぁ!?」

 と言う間に無数の腕によって巻き戻すよう外から調理室に引き込まれ

「清十郎!」「先輩!」

 俺の両手が疾風と憑神に掴まれてまさかの綱引きが始まった。普通であれば女子二人に対してクリチャー多数なので向こうの圧勝なのだが、向こうは踏ん張りも連携もないので哀しいかな良い感じに拮抗している。

「レイ! オーエスの掛け声で引いて!」

「了解しましたわ!」

「「せーの!」」

 で両手に力が籠って

「オーエス!」「Oh……yes!」

「こんな時にやらしくボケるなよゴスロリ!」

「あははははは!」

「こんな時にツボにハマってんじゃねーよアホ毛!」

 ズルズルズルと向こう側に引っ張られて――ヤバイヤバイこれまじシャレになってねーぞ! と見れば窓から蠢く腕に紛れて調味料ビンを顔につけた根岸が顔を出して来――いつまで接続してんだよオメェ! と突っ込もうとしたがその手に着火器具(ハンディーファイヤー)が握られてるのを見つけて一瞬にして血の気が引いた。あろうことか根岸、真っ青になってる俺にそれをこれ見よがしに突きつけながら「ヘイヘイヘイヘーイ!」とスイッチを押そうとしたりしなかったりと何故かノリノリだったこれは本気でやばいかもしれない! 調理室の中は憑神が目一杯ガス栓を捻っているし窓を開けて適度に外気も取り込んでいるから……。

「おい憑神! もしお前があのまま着火してたらどうなっていた!?」

 彼女は笑ってる疾風(まだ笑ってるのかよ!)と必死の様子で俺を引っ張りながら

「超科学部部長として自信たっぷりにお答え致しますが食堂がきったねー花火となって」

「ウソだと言ってくれ憑神さんや! 今それを根岸が何故かノリノリノリで打ち上げようとしている!」

「根岸先輩?……ああ、私が目に七味を注いだ先輩ですわね!」

「オメェ相当に鬼だなあんなもの誤って微量入っても地獄なのにダイレクトショッ――ああ!?」

 急に向こうが連携を始めたので一気に形勢が傾いた。根岸の謎のリズムによって連携を始めたのだ――気味悪い連中だなお前らクソー! ズルズルと調理室に近付いて

「もういい手を離せ二人とも!! さっさと逃げろ!」

「諦めるのが早いですわ私に名案があります!」

「言うだけ言ってみろ!」

「先輩ズボン脱いでください!」

「はいぃ!?」

「稲峰先輩しばらく頼みます!」

 言うが早いか憑神は手を離し、その手を疾風が笑いながら(いい加減笑うのやめろ俺までもらい笑いしそうなんだよボケ!)俺の両手を掴んだ。憑神は素早く俺のズボンのベルトに手をかけて俺よりもスムーズにカチャリと外して

「シミュレーション通りですわ!」

「何のシミュレーションですか!?」

 次の瞬間ズルルと一気にズボンが脱げてまるで引っこ抜かれた大根のように俺は疾風に引っ張り出された。

「きゃ!」

 と彼女が短い悲鳴を上げたときには既に時遅し。食堂裏で下半身下着一枚の野郎が倒れた女子高生を押さえ込んでいると言う構図が完成――どう見ても変態です本当に有難うございました。

「後はこれでトランクスを脱がせば完成ですわね」

「オメェのゴールはどこよ!?」

「フフフ観念しろよ清吉」

「オメェは狂犬病よりヒドい何かに感染している間違いない!」

 バカを言いながらも立ち上がり、俺と疾風と憑神は正門に向かって駆け出した。

「あー!」

「どうした疾風!?」

「清十郎のズボン取り合ってるよ!」

「意味分からないけど振り返ってる暇はねーぞ!」

「許せませんわアイツラまじ殺す!」

「オメェが殺意を覚える意味も分からない!」

 下半身スースしながら風を切って食堂裏を抜けて正門が見えてきた――と思った瞬間、鼓膜を破かないばかりの爆音、衝撃波と地鳴り。

 何が起きたのか振り返らなくても明らかで、しかしそれでも三人で振り返る。

 坂に飛び散った瓦礫。

 半壊した食堂。

 立ち上る黒煙。

 煌々と揺らめく炎。

 そして

 ――そこから駆け出してくる、クラスメイト達。

 全力疾走のフォームは四足の四つん這いで、速度はまさに脱兎。

 どう考えても異常で、どう考えても逃げられなかった。

 下半身下着一枚の俺は二人を庇うように無意味な構えを取る。

 それで何が出来るのか――恐らく何も出来ない。

 それで何が変わるのか――恐らく何も変らない。

 ただ

 今できる事がすべきことだと偉そうに言った手前、それしか俺に取る得る選択肢がなかった。

 迫って来るかつてのクラスメイト達。

 黄色い目、剥きだした犬歯、獣のような速度と姿勢。

 異常と終焉の象徴。

 流石に終わりかと――――


 唐突に、それが目の前に降って来た。


 俺達とクラスメイト達の間に降ってきたそれは、目前まで迫っていた獣と化した彼らの最前列を一撫でで叩き伏せ、後続は圧して立ち止らせた。

 食堂のガス爆発さえ手傷を追わなかった彼らをやすやすに止めた。

 初めて見るようで、見え覚えもあるそれ――その姿。

 正しい表現がどうかは分からないが、敢えて形容するなら猫耳が二つヒョコリと生えたその頭より流れるような黒髪を、細く白いしかし強靭な腕でサラリと流し

「この上なく楽しいな。血湧き肉躍るとは良く言ったものだよこの感覚。園田美雪いとことの喧嘩までとはいかないが、それで不平を言っては罰が当たる」

 桃色の二尺袖を着付けた彼女は、手にした白刃を煌めかせながらそう言って、俺達に振り返った。

 琥珀に入った三日月型の黒い亀裂。そんなような瞳。まるで猫。まるで肉食獣。そんな目で俺を見据えながら

「良い立ち位置だ吉岡」

 ニコリと彼女は笑った。

「男をあげたニャ」

 にぃ、と鋭い牙がのぞいた。



 マタタビすとらいく 体験版-ネコネコすとらいく 了 

 本編へつづく。

  

 


 


どうも花粉症に喘いでいる無一文です^^


え~っと「俺たちの戦いは今始まったばかりだ!」的に終わってしまいましたが

もちろんまだまだ続きます。

作品の目標はホラーとコメディの融合点。

グロは出来るだけ省きつつそういうものを作れたらと思っています。

とりあえず一段落したので、しばらくまた桜花シリーズへ戻ろうと思います。

それではまた、近々(?)御会いいたしましょう^^!


常日頃無一文


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。