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後編・天使墜落

 一晩経過して、鏡に映った自分の顔に更に泣きたくなる。

 目元はむくんでるし、頬もいつにもまして腫れぼったくて丸い。

 こんなんじゃミシェルにあわせる顔がない。

 自己嫌悪で死にたくなった。どうしていつまでも私って子供っぽいんだろう。

 それでものろのろとベッドから這い出してミシェルの作ってくれたメイドドレスに着替える。

 その後も色々作ってくれたけど、これが一番動きやすいのだ。

 白いエプロンをつけて、鏡の中の自分に言い聞かせる。


「…しっかりしなくちゃ」


 家事は私の仕事なんだから。

 元々はミシェルと二人でやっていたけど、彼は将来に向けての大事な仕事中なんだから、ひとりで頑張らなくちゃ。

 朝食を作るために台所へと向かう。裏口から井戸で水を汲もうと外に出ると、そこにはミシェルが立っていた。


「おはよう、うさぎさん」


 真っ赤に泣きはらした目を揶揄されたのだと気付いて、怒りと羞恥で顔が赤くなる。


「水、くんどいたから」

「…ありがと…」

「それと…言い訳させて」

「何の?」 

 俯いたまま、取りつく島のない言い方になった。だって、彼とどう接していいか分からない。

「だから…昨日のあれは笑いそうになったんじゃなくて…」

「もういい。無理しないで。自分でだっておかしい事を言ったってわかってるもの」

 私が彼に対してドキドキするくらい、自分も少しは色っぽくなれたらいいかなって思っただけ。そんなの無理だって分かってるのに。

「おバカ! あれは…あれは、興奮して鼻血吹きそうになったのを堪えたの!」

 無理矢理私の顔を上向かせて、ミシェルは怒った様に言った。

「あんたが、いきなりあんまり可愛い事を言うから! あそこで押し倒さなかった私を褒めて頂戴!」

「え? あ、え…?」

 びっくりして言葉が出ない私に、ミシェルは尚も言募る。

「言っとくけど! あんたにセクシーなウエディングドレスなんか作らないからね! そんなの他の奴らに見せてたまるもんですか! 作るんだったら私だけが見れるもの限定だからね!」

 どこまでも怖いくらい真剣な顔だった。だけど、最大の疑問をぶつけてみる。

「そんなの…作れるの?」

 おっかなびっくり聞く私に、ミシェルは脱力した様にその場にへなへなしゃがみこんだ。

「誰に言ってんのよ、あんたは…」

「だって…」

「そんなの当たり前でしょ? 私が普段からどれだけ脳内シュミレーションしてると思ってるのよ!」

 嘘、嘘、だって…

「けど、私にそんな要素全然ないし…」

 駄々をこねるような私の唇を、不意にミシェルのそれが塞ぐ。

「ん…っ!」

 突然のキスはいつもより激しくて、獰猛で、それだけで腰の辺りの力が抜けそうになった。

「言った事なかったかもしれないけど…」

「え…?」

 耳元でささやかれる言葉に、私は朦朧ととなりそうになる意識を何とか集中させる。

「キスした直後のアンジェの顔、すっごくセクシーでそそるわよ?」

「!!!」

 嘘! 

 思いもよらぬミシェルの言葉に、私は体中の血が沸騰するのを感じた。

「言っとくけど-絶対あんな顔、ほかの男に見せちゃダメだからね?」

 背後に炎が立ち上るようなミシェルの迫力に、つい私はうなずいてしまう。

「う、うん」

 あんな顔って、どんな顔? 私、どんな顔してるの?

 やだ、やだ、恥ずかしくて、まともにミシェルの顔が見れない。

「顔、隠さないでってば」

「だって…今、ひどい顔してるんだもの…」

 むくんでるし、赤くなってるし。不細工もいいとこだ。

「どんな顔だって、アンジェは最高にかわいいわよ」

「嘘。ミシェルの目が絶対おかしいんだから」

「あら、私の審美眼を疑う気?」

「だって…」

 クスクス笑うミシェルに何とか喜んでもらいたくて、私はその昔リリア姉様に教えてもらった魔法の呪文をふと思いついて唱えてみる。上目遣いになったのはそれでもちょっと疑っていたからだ。

 こんな普通の言葉に効力があるとは思えない、んだけど…物は試しで。


「あの…、どんな事でも遠慮なく私にお命じ下さいね、…お兄様?」


 途端、ミシェルの体が腰から二つに折れて倒れこみそうになった。


「やだ、ミシェル! 大丈夫!?」

「な、何なのよ、その新しい攻撃は!」

「え? あの、以前リリア姉様がミシェルなら絶対喜ぶからって教えてくれて…」

「…あのくそアマぁ…、覚えてろよ!?」

 聞き慣れない下卑た言葉が彼の美しい唇から漏れる。

「ミシェル!?」


 見れば彼の肩がふるふると震えている。必死で何かを抑え込んでいるようだった。


「ごめんなさい! そんなに嫌がるとは思ってなくて!」

「いや、嫌がってるわけじゃなく…いえいいの、大丈夫よ。ええ、大丈夫ですとも」

 どこか鬼気迫る雰囲気でミシェルは呟いている。


 よく分からないけど、彼が辛そうだったので、慰めようと彼の背に腕を回した。

「ごめんね。私がおかしくなったばっかりに、ミシェルに嫌な思いさせて」

「いやちょっと、あの!」

「でも私、ミシェルの為ならどんな事でもするからね?」

 それでも彼の辛そうな様子は変わらない。

「でも何かして欲しい事があったら本当に何でも言って?」

「もぉ限界。…ビバ、私の忍耐力」

「え? ミシェル? しっかりして、ミシェル!」

 気が付けば、彼は私の腕の中で白目を剥いて気を失っていた。


   ◇   ◇   ◇


「大丈夫よ、どうせただの寝不足だから」

「でも、…もしミシェルに何かあったら」

「本当にアンジェったら、このバカが好きなのねえ。中身はただの万年発情期なのに」

「そんな事ないわ! こんなに優しくて綺麗な人、他にいないもの!」

 泣きながら叫ぶ私を、リリア姉様が呆れたように見ている。ベッドの中にはミシェルが苦しそうな顔で「うーん…」とか「うう…」とか唸りながら、体を横たえていた。

「まあいいわ。ドレスは結構うまく仕上がってたし、あんたは思う存分このバカの看病でもしてなさい」

「…はい」

 涙でハンカチをぐしゃぐしゃにしながら、私はミシェルから目を離さない。

 姉様はそれだけ言うと、静かにミシェルの寝室から出て行った。

 何せ、姉様だって王室に嫁ぐ直前なんだもの。忙しくない訳がない。

 そっと額にあてていた濡らした布を、搾り直そうと手に取った時、眠っていたはずのミシェルが瞳を半分だけそっとあけた。

「…姉様、出てった?」

 何故か意識のなかったはずのミシェルが、こっそりと囁く。

「気が付いたの? 待っててね、今お水…」

「いいからこっちに来て」

 上半身を起こして私を手招きする。

「…なあに?」

 彼に覗きこむ様に近づいた私を、ミシェルはベッドの中に引きずり込んで口付けた。

「ん、ん、んん…!」

 朝の井戸端同様、激しい彼の唇の動きに、我を忘れて彼にしがみ付く。

 息もできないほど深く深くミシェルの舌が私の中に入ってきて、絡み合いながらこのままひとつになりたい、なんて思った。

 背骨が溶けて崩れそうな気がした瞬間、ミシェルの唇が私から離れる。思わず淋しくて引き留めそうになったのは、仕方ないと思ってくれるかな。


「…ほら、そんな顔する」

「?」

「すっごく色っぽい顔」

「そんな事言われたって…自分じゃ見えないもの」

「うん、そうよね」

 すっごく優しい顔でミシェルは私の髪を撫でていた。

「この、自制ぎりぎりの放出バランスが…難しいのよねえ…」

 そう苦笑しながら、ミシェルの体が私の上に落ちてくる。

「ミシェル…?」

 よく分からないけど、彼が辛そうだったから私も悲しくなる。

「私にできる事はない?」

 だからそう訊いたんだけど…更に彼は脱力したようだった。私に重なっている彼の体重が重くなった気がする。

「…そうよね、私みたいなぶきっちょに、出来る事なんかないわよね。ミシェルなら何でも私より上手にできるんだし…」

 馬鹿な事を言ってしまったと後悔の念にかられた。でも、そう悟られたくなくて無理矢理笑って見せたんだけど、彼は気が付いたみたい。微かに体をおこし、真剣な表情で私の目を覗きこんでくる。

「…さっきの本当?」

「え?」

「アンジェにできる事があれば、なんでもしてくれる?」

「ええ、もちろん」

 するとなぜか彼はどこか苦しげな瞳で問いを重ねる。

「もし…あんたを泣かすような事になっても…?」

 どう言う事だろう。ミシェルが私を泣かせるような事って? けれどミシェルの目はますます切なげに揺れ始めた。

「あんたが…泣いてやめてと言っても止まらない様な事をしたら…それでも私を許してくれる?」

 私の上にある彼の体が、肩を抑える手のひらが、少し熱くなった気がした。

 彼がこんなに苦しんでいる理由はよく分からないけど…辛そうなのだけは分かったから、私は思いのたけを込めて正直に答える。

「するわ。どんな事でも」

「アンジェ…」

 その時の縋る様な瞳がまるでいたいけな子供の様に見えて…つい私は彼を守らなきゃいけない母親の様な気分になってしまったのだ。だから精一杯の優しい微笑みを浮かべて真実を答える。


「だって…どんな事があったって、ミシェルが私に酷い事する筈ないもの」


 その事だけに関しては、私は彼に全幅の信頼を置いているのだ。

 たとえ天が落ちても、地が裂けたとしても、ミシェルだけは信じてる。彼だけは私を絶対傷つけたりしない。


 ―――と、心から真剣に答えた私の上に、再度、脱力したミシェルの体が降ってきた。

「どうしたの、ミシェル! 大丈夫?」

「…ダメ」

 力のない声で彼が言った。気が付けば頬が濡れているのは…涙? ミシェルが泣いてる?

「泣かないで。大丈夫だから! 何があっても絶対ミシェルは私が守るから!」

 慌てて彼の頭を胸に掻き抱いた。ぎゃーとかむぎゅーとか変な悲鳴が聞こえた気がするけど、気にする余裕なんてない。私は私なりに必死だったのだ。

 非力だけど。

 まだまだ何にもできないけど。

 彼の為ならなんだってできる。できる様になってみせる。

 いつまでもいたいけな少女でなんかいないんだから。

 彼に庇護されるだけの子供でなんかいないんだから。

 そう思ったら、ずっと胸の奥にあったもやもやがちょっとだけ晴れた気がした。


 たぶん。

 彼だってこんな風に何か辛い事に耐えたり、迷ったりする事もあるんんだって、わかったからかもしれない。


 やがて大人しく私に抱かれるがままになったミシェルが、何かを吹っ切ったように私の背に腕を回してぎゅっと抱きしめると、哀しみとも喜びともつかないいつもの皮肉な口調で笑いながら言ったのだった。


「本当、天使って最強にして最凶だわね。それともこれは私が神に与えられた試練なのかしら?」

「え? 私にとって最強の天使はミシェルだけど?」

「………そんなあんたでも、大好きよ、アンジェ」

 少しだけいつもより低い声で囁きながら、私の頬に口付ける。



 結局、私がそんな彼の言葉の本当の意味を知るのは、もう少し後の話である。

 もっともその日は思った以上に遠からずやってきて、やっぱり私が嫌がるような事では決してなかったんだけど、と言うか、むしろこれ以上ないくらい嬉しい事だったんだけど、口に出すのは恥ずかしいから彼にはしばらく内緒なの。


最後までお付き合い頂きありがとうございます。

尚、リリア姉様の番外編が「ムーンライト」に収蔵されています。

R18指定になるので、御了承下さる方のみ、良かったら合わせてお楽しみください。

「リリア・ドルチェリカ」

  ↓

http://novel18.syosetu.com/n6323s/


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