四文字の食卓
食堂には、座席の推奨表示があった。
《交流を楽しみたい方:中央席》
《静かな時間を大切にしたい方:窓側席》
それぞれの下に、対応するTYPEが並んでいる。
さらに小さな文字で、《どの席も自由にご利用いただけます》と書かれていた。
「おすすめじゃない席に座るとどうなるの?」
ユウが聞くと、ひなたは少し考えた。
「別に怒られたりしないよ」
「じゃあ、何で分けてるの?」
「初めて来た人でも、居心地のいい場所を選びやすいからじゃないかな?」
「なるほど」
「まあ、混雑してると移動をお願いされることはあるけど」
「自由なのに?」
「"お願い"だから」
「断ったら?」
「ユウ、案内係をいじめるタイプ?」
「まだ分からない」
「あ、そうだった」
ひなたは苦笑した。
中央の六人掛けには、すでに二人が座っていた。
一人は黒髪の少女だった。机に端末を二枚並べ、食事をしながら数字を見ていた。
もう一人は短い赤茶色の髪をした少女で、まだ食事も受け取らず、椅子の背もたれを前にして座っていた。
「椅子の使い方には推奨とかないのか」
ユウが言うと、赤茶色の髪の少女が振り向いた。
「あるんじゃない? 背もたれを背中に置くとか」
「分かってるんだ」
「理解と実践は別だから」
「その理屈を使う前に、食事を受け取ってきなさい」
黒髪の少女が、端末から顔を上げずに言った。
「あとで行くって」
「さっきもそう言ってたでしょう」
「私のあとでは、まだ三分しか経ってない」
「あなたの時間の定義は聞いてないわ」
赤茶色の髪の少女は、肩をすくめた。
黒髪の少女が、ようやくユウへ顔を向ける。
「黒瀬玲奈。INTJ。自治会で生活申請を担当している」
「俺はユウ。よろしく」
「知ってるわ」
玲奈はそこで一度止まった。
「……事前資料で、という意味」
「分かった」
「ならいいわ」
赤茶色の髪の少女が、自分の胸元を指で弾いた。
「星野ゆら。ESTP。食事受け取り担当」
「勝手に担当を作らない」
「今、命じたのそっちじゃん」
「命令と担当の任命は違うわ」
「はいはい。細かいねえ」
ゆらは笑った。
ひなたが空いている椅子を引く。
「とりあえず座ろっか。しずくも来るはずだから」
ユウが腰を下ろしたところで、食堂の入口に小柄な少女が現れた。
深い青みのある髪を片耳にかけ、古い本を両手で抱えている。
「しずく、こっち!」
少女はこちらを見つけると、急ぐでもなく歩いてきた。
「水無月しずく。INFP」
「ユウ。よろしく」
「知ってる」
「またか」
しずくは首をかしげた。
「何が?」
「いや、何でもない」
「そう」
しずくはそれ以上聞かず、ユウの向かいに座った。
彼女の本には細い布が巻かれていた。表紙の角だけ、ほかの部分と紙の色が違っている。
「それ、直してるの?」
「うん」
「破れたから?」
「破れたし、綴じ糸も緩んでる」
しずくは本を少しこちらへ向けた。
補修された角には、新しい紙が小さく添えられていた。
「きれいだけど、元どおりにはならないんだな」
「ならないよ」
しずくは継ぎ目へ指先を近づけた。
「元どおりにしようとすると、古い紙まで削ったり、取り替えたりしなきゃいけないこともあるから」
「じゃあ、どこまで直すの?」
「ちゃんと開けて、読めるところまで」
彼女は本の角をそっと押さえた。
「戻すんじゃなくて、続きを読めるようにする」
ユウは本を見た。
新しい紙は、元の紙より少し白い。継ぎ目は残っている。
しずくが一枚めくると、ページは途中で引っかからずに開いた。
「……なるほど」
ユウがうなずくと、しずくは少し不思議そうな顔をした。
「何が?」
「直すって、元どおりにすることだと思ってたから」
「そういう直し方もあるよ」
しずくは本を閉じた。
「私は、こっちの方が好きなだけ」
それ以上は説明しなかった。
「はい、じゃあ文学談義は一旦終了!」
ゆらが立ち上がった。
「私、そろそろご飯取ってくる。玲奈にまた怒られる前に」
「もう一度怒るわよ」
玲奈は端末から顔を上げずに答えた。
「二回目は勘弁して」
「二回目を避けたいなら、最初から行動しなさい」
「ほら、始まった」
ゆらは笑いながら配膳口へ向かった。
しずくは本を鞄へしまい、自分の注文画面を開いた。
「あ、そうだ。ユウのご飯、まだ決めてなかったね」
ひなたが言った。
ひなたに促され、ユウも注文端末を開いた。
焼き魚定食。
ハンバーグ定食。
野菜カレー。
日替わり定食。
料理の名前と写真が並んでいた。
右前の学生の画面には、《あなたへのおすすめ》という表示が付いている。
ユウの画面には、それがなかった。
《個別推奨:利用できません》
「ユウ、おすすめが出ないんだ」
ひなたが画面をのぞき込む。
「TYPEがないから?」
「たぶんね。食事の好みも、登録されてないみたいだし」
「何を選べばいい?」
「何でもいいんだよ」
「何でもいいって、一番難しいな」
「確かに」
配膳口で料理を待っていたゆらが、こちらを向いた。
「好きなの取ればいいじゃん!」
「好きなのが分からない」
「じゃあ、嫌いなのを避ければ?」
「嫌いなのも分からない」
「新入り、難易度高いな!」
ひなたはメニューを見比べた。
「じゃあ、とりあえず普通の定食にしてみる? ほかの料理も、みんなで少しずつ分ければいいし」
「私の許可を先に取って」
玲奈が箸を止めた。
ひなたはそちらへ向き直る。
「玲奈、ユウに一口分けてもらえる?」
「いいけど」
「いいんだ」
「手順の話よ」
玲奈はそう言って、また箸を動かした。
「本人に聞かずに決めるのは、違うでしょう」
「それは確かに」
ひなたはうなずいた。
注文を終えたしずくが立ち上がった。
「私のも、少しならいいよ」
「ゆらは?」
「一口なら! でも、私の大盛りを半分にするのはなし!」
「誰も半分とは言ってないわ」
玲奈が言った。
ひなたは改めてユウへ顔を向けた。
「どうする?」
「じゃあ、日替わり定食にする」
「了解!」
注文ボタンを押すと、受取番号が表示された。
ひなたと一緒に配膳口へ向かう。
トレーには、ご飯と味噌汁、焼いた鶏肉、小鉢が載っていた。
料理の名前は分かる。ただ、以前食べて好きだったのかは、思い出せない。
席へ戻ると、玲奈は食事を終えかけていた。
しずくはスープとパンを選び、ゆらは大盛りの皿を持ってきていた。
ひなたも自分の定食を置く。
全員の食事がそろった。
「じゃ、いただきます!」
ひなたの声に合わせて、ユウも箸を取った。
鶏肉は柔らかかった。
味噌汁は少し熱かった。
ご飯は、噛むと甘くなった。
「どう?」
「おいしいと思う」
「思う?」
「前に食べたのと比べられないから」
「おいしければ、おいしいでいいんじゃない?」
「そうか」
ユウはもう一口食べた。
「おいしい」
「よろしい!」
ひなたがうなずいた。
ゆらは自分の揚げ物を小さく分けた。
「これ、食べてみ」
口へ入れると、舌に刺激が残った。
ユウは水を飲んだ。
「……辛い」
「だろ?」
「何でうれしそうなんだよ」
「初見の反応って面白いじゃん」
「性格悪いな」
「ESTPだから?」
「いや、ゆらだから」
ゆらは一瞬きょとんとして、それから笑った。
「それは否定できない」
しずくは取り分け用の器へスープをよそってくれた。
湯気が上がっている。ユウは少し冷ましてから飲んだ。
玲奈の煮物は柔らかく、噛むと汁が出た。
「玲奈の、おいしいな」
「でしょうね。栄養と味の評価が安定しているメニューだから」
「そこは普通に、おいしいでよくないか?」
ゆらが口を挟んだ。
「私が作ったわけじゃないもの」
「じゃあ、玲奈が作ったら褒めていい?」
「……その場合は、味を確認してからにして」
ひなたが吹き出した。
そのひなたの小鉢には、薄切りのニンジンが入っていた。
ほかの料理は減っているのに、それだけが器の端に寄せられていた。
「それ、嫌い?」
ひなたの箸が止まった。
「別に?」
「ずっと残ってる」
「観察、細かいなあ」
「案内係は、野菜のお手本も見せるのか」
「そんな担当、引き受けてないんだけど」
ひなたは一枚だけ口へ運び、噛んで飲み込んだ。
「……ほら、食べられる」
「嫌いじゃないの?」
「嫌いってほどじゃないよ」
そう言って、残りには手を付けなかった。
ユウも、それ以上聞かなかった。
食後、玲奈が生活資料を開いた。
「十四日間の滞在中は、宿泊と食事が支給される。生活観察と共同課題に参加して、最終日に進路面談。ここまでは私たちも同じ」
「その先は?」
「推奨先への移動。私は行政設計の研修。ひなたは生活支援。しずくは文化広報。ゆらは現場対応職の訓練」
「それ、みんながやりたい仕事?」
四人の反応は違った。
ひなたは「向いてるとは言われる」と笑った。
しずくは、指先でパンくずを集めた。
玲奈は「条件はいい」と答えた。
ゆらは、ストローの袋を細長く折った。
「ユウは何がしたのかしら?」
「何が?」
「将来、何したいか聞いてるの」
玲奈の問いに、ユウは答えられなかった。
料理なら、一口食べてみることができた。
仕事については、まだ名前しか知らないものが多かった。
「何から考えればいいか、分からない」
玲奈が端末を閉じた。
「今から決めるための十四日間なんでしょう」
「十四日で決まるかな」
「決めるための期間と、決まるかどうかは別よ」
「じゃあ、決まらなかったら?」
玲奈は口を開きかけ、少し待ってから答えた。
「それも、最終面談で確認することになるでしょうね」
ひなたが、空いた椅子へ鞄を置き直した。
六人掛けのテーブルに、五人が座っている。
向こうの壁面画面には、アイが映っていた。
椅子の背とひなたの鞄で、顔の下半分が隠れていた。
ユウは椅子を少し横へ動かした。
「邪魔だった?」
「いや。アイが見えなかったから」
五人の間から、少女の姿が見えるようになった。
「何かご用ですか」
「今のところ、特に用はない」
「では、待機します」
「そのままでいいよ」
アイは消えなかった。
ひなたがユウの視線を追って壁を見る。
「アイも、ご飯の時間はずっといるんだね」
「支援要求に備えて待機しています」
「ご飯、食べられないもんな」
ゆらが言った。
「摂食機能はありません」
「知ってるって」
ひなたが笑った。
ユウは空いた椅子を見た。
鞄を置けるだけの幅がある。
その向こうには、画面の中の少女がいる。
座席表示は、最後まで変わらなかった。
《利用者五名》
ユウは壁の画面を見た。
そこには、五人の話を聞いているアイがいた。




