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君を四文字で呼ばない  作者: 週休七日
第二部 観察されていたのは誰か

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空白の少年

 十一日目、中央観察室で説明が始まった。


 部屋に入ると、消毒液の匂いがした。


 最初に目覚めた白い部屋にも、こんな匂いがあっただろうか。


 ユウは思い出そうとした。


 あのときは、天井の照明を数えていた。

 六本。

 それだけは、はっきり覚えている。


 佐伯の隣には岸が座っていた。

 ひなた、しずく、玲奈、ゆらも同席している。


 ユウの前に、一枚の書類が置かれた。


《SUBJECT-00》

《暫定呼称:YU》

《固定人格コア:未搭載》


「あなたは、記憶を失った一般参加者ではありません」


 佐伯が言った。


「外部の判断を、現実の対人行動へ接続するために設計された生体端末です」


 ユウは書類を見た。


 一度、佐伯を見た。


 もう一度、書類を見た。


「……何ですか、それ」


「あなたの身体は、実験用に育成されたものです」


「いや、それは聞こえました」


 ユウは自分の胸元へ手を当てた。


「え、それ、俺の話ですか?」


「そうです」


「……俺、人間ですよね?」


 佐伯はすぐに答えなかった。


「生物学的には人間に近い構造を持っています。ただし、通常の出生と成長の過程を経ていません」


「近いって、何ですか」


 声が大きくなった。


「俺、ここにいますよ。ご飯だって食べるし、雨に濡れたら寒いし、転んだら痛いし……」


 途中で言葉が止まった。


 そんなことを説明して、何になるのだろう。


 佐伯はユウの返答を待った。


 ユウは、待たれていることにも腹が立った。


「家族は?」


「登録された家族はいません」


「登録されてないだけじゃなくて?」


「いません」


「前の学校は?」


「ありません」


「じゃあ、子供の頃は?」


 佐伯は書類へ目を落とした。


「生活を経験した幼少期はありません」


「……嘘だ」


 ユウは、自分の口から出た言葉に驚いた。


 嘘だと言える証拠はなかった。


 それでも、もう一度言った。


「嘘だ」


 ひなたが椅子から立ちかけた。


「ユウ……」


「俺、学校のこと知ってますよ。授業とか、試験とか、進路とか。TYPE診断だって――」


「それらは、我々が事前に与えた知識です」


「じゃあ、何で」


 ユウは机に両手をついた。


「いや、そんなはずは!俺、TYPE診断を受けことあるって知ってました」


「その情報も、初期設定として与えらたものです」


「……受けてないんですか」


「はい」


 ユウは記憶を探した。


 TYPE診断の仕組みは説明できる。

 けれど、どこで受けたのか、誰に結果を渡されたのか、思い出せなかった。


「……じゃあ、何で」


 ユウは佐伯を見た。


「何で、受けてもいない診断を、俺が受けたことにしたんですか」


 佐伯はすぐには答えなかった。


「俺、自分の過去だと思ってたんですよ」


 ユウは机の縁を握った。


「何も覚えてないから、何か一つでも思い出せるかもしれないって……」


 言葉が続かなかった。


「最初からなかったなら、そう言ってくれればよかったじゃないですか」


「……何なんだよ、それ」


 喉が痛かった。


「俺、知ってることはあるのに」


 拳を握った。


「俺がやったことは、一個もないってことですか」


「観察開始後の経験は、あなた自身が実際に経験したものです」


「そういう話じゃない!」


 ユウは立ち上がった。


 椅子が後ろへずれ、大きな音を立てた。


「じゃあ、ここで目を覚ます前の俺は何者だったんですか!」


 ひなたが立った。

「先生。こんな大事なことをどうして今日まで、ユウに黙ってたんですか」


 ひなたが佐伯をにらんだ。


 ユウは彼女を見た。


 第十日目に見た、四人分の計画書を思い出した。


 ひなたと出会うことも、交流を重ねることも、観察のために用意されていた。


「……ひなた」


「何?」


「今のも、予定にあった?」


 ひなたの眉が寄った。


「今のって?」


「俺のために怒ってくれたこと」


 ひなたは一瞬、言葉を失った。


「……そんなわけないでしょ」


「でも、俺がどう反応するか、調べてたんだろ」


「それと、私が怒ったことは別だよ」


 ひなたはユウの方へ向き直った。


「私は今、本当に腹が立ってる。ユウがこんなに傷ついてるのに、先生が平気な顔で説明を続けるから」


 ユウは答えられなかった。


 ひなたの言葉を信じたかった。


 けれど、目の前にいる彼女を信じたいと思う気持ちまで、誰かに用意されたものだったら。


 そう考えると、何も言えなくなった。


 ひなたはしばらく返事を待っていた。


 それから、ユウの前まで来た。


「……ユウ」


 彼女は手を伸ばしかけて、止めた。


「ちょっとだけ、いい?」


 ユウは何を聞かれたのか、すぐには分からなかった。


 ひなたの手が、宙で待っていた。


 小さくうなずくと、彼女はユウの肩に腕を回した。


 ほんの少しだけ、抱き寄せられた。


 制服の布が頬に触れた。

 ひなたの体は温かかった。


「……ごめん」


 ひなたが言った。


「何て言えばいいか、分かんない」


 ユウも分からなかった。


 手を伸ばしていいのか。

 何か返した方がいいのか。


 それとも、この温かさまで、誰かが決めたものなのか。


 けれど、今は離れたくなかった。


 ユウが動かないでいると、ひなたは少しして腕を緩めた。


 それ以上、何も言わなかった。


「では先生、私からも質問させていただけるかしら。」

 玲奈が自分の端末を佐伯に向けた。

 

 佐伯は玲奈の方へ向き直った。


「昨日見た、三十六件の回答ですけど、答えた人は、ユウのことをどこまで知ってたんですか」

「外部から匿名で参加した方です。架空の人物が次にどう行動するか、選んでほしいと説明しました」

「架空って……」


 ゆらがユウの方を見た。


「この人が本当にこの世界にいるって、言わなかったのか?」

「はい」


「ありがとう、ひなた」

 ユウは目を赤くして言った。


「俺がさっき、ひなたに言ったことも、その人たちが選んだんですか」

「外から選べるのは、こちらが用意した場面の選択肢です。受け取った答えに応じて、あなたがどの行動を取りやすくなるかが変わります。話す言葉を、一言ずつ選んでいるわけではありません」

「じゃあ、言葉は俺の?」

「言葉を組み立てる支援はあります。あなたがその場で見聞きしたことや、それまでに覚えたことが使われます」


 ユウは、さっきひなたに尋ねたことを思い出した。


『今のも、予定にあった?』


 ひなたは、自分のために怒ってくれた。


 それなのに、あんなことを聞いてしまった。


 質問を聞いた瞬間、ひなたの眉が寄った。

 その顔が、まだ頭から離れなかった。


 傷つけたのかもしれない。


 けれど、あの質問さえ自分の意思で口にしたのか、今は分からない。


 ユウは、ひなたの方を見られなかった。


 傷つけたと思った。なのに、自分が言ったのだと引き受けることさえ、こんなふうに人に確かめている。


「雨の日、俺、ゆらの腕をつかみました」

「ああ。ここをガシーンとな!」


 ゆらが自分の肘に触れた。ユウの指がかかったところだった。


「あのときは、まだ答えが来てなかった。あれは、俺がやったんですよね」

「その通りです。手を伸ばす一瞬に、外部からの指示は出ていませんでした」


 そう言ってもらえたら、少しはほっとすると思っていた。


「俺がゆらを助けたんですよね」


「そうです」


「だったら、何でそれを先生に確かめなきゃいけないんですか」


 声が震えた。


「俺がやったはずなのに」


 ゆらが口を開いた。何か言いかけて、自分の肘から手を下ろした。

 佐伯もすぐには答えなかった。


 やがて、佐伯は手元の画面を切り替えた。


《観察期間:十四日》

《基礎観察:十日》

《関係観察:四日》

《終了処理:十四日目十八時》


「……その時間になったら、俺はどうなってしまうんですか」

「外部の方から得た回答の傾向をもとに、判断を安定させるための変更を行う予定です」

「……変えるって、何をですか」


 ユウは佐伯を見た。


「俺の、何を変えるんですか」

「何を優先するか。同じ相手や出来事に、どれほど強く気持ちが動くか。そうした部分です。観察中の記憶は、資料として保存します」


「佐伯先生。それは、施設に記録が残るという話ですよね」


 玲奈が口を挟んだ。


「その通りだ」


「私が聞きたいのは、ユウ本人のことです」


 玲奈はユウを見た。


「校正が終わったあとも、ユウは今と同じように、私たちとの思い出を大切に思えるんですか」


 佐伯はすぐには答えなかった。


「保証はできません」


 ユウはポケットの上から、ひなたがくれた折った紙の角に触れた。ゆらが《海》と書き足して、ひなたが六人の名前を書いた。十五日目の予定だった。


「俺、みんなと海に行きたいんです。」


 ひなたがうなずいた。


「十五日目にこれを開いたら、誰が何を書いたかは覚えてても……何で俺、こんな紙を取ってあるんだろうって、そう思うかもしれないってことですか」

「その約束を、今と同じように大切に思うかは保証できません」


 指を離した。紙の角が服の下に戻った。


 誰かが椅子を引いた。

 ユウは一度、目を閉じた。


 開けた。


 書類がある。

 机がある。

 画面がある。


 岸の名札は読めた。

 ひなたの髪は栗色だと分かった。

 どちらにも目が留まらなかった。


「色、薄い」


 岸が近くに来た。

 ユウは自分の袖を見た。

 白い。

 机も白い。

 書類も白い。


「俺、いなくなるんですか」

「より安定した状態へ移行させます」


 佐伯の声だった。


「その答え方、もう嫌だ」


 岸が佐伯へ向き直った。


「説明を止めてください」


 佐伯が口を開きかけた。


「今は、止めてください」


 部屋は静かになった。

 ユウの手は、また机の縁をつかんでいた。

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