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君を四文字で呼ばない  作者: 週休七日
第二部 観察されていたのは誰か

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14/24

行きたいから、今日は帰る

 雨は、予報より早かった。


 ゆらは空を見て、時刻を確かめた。


「戻ろう」


 歩き始めて間もなく、雨脚が強くなった。

 砂と舗装の境目が濃く濡れ、低いところへ細い流れができた。

 案内端末の示す道にも、水が流れ込んでいた。


「こっちの道はやめる」

「こっちが推奨経路だけど」

「画面より、今の目の前の水の方が新しい情報でしょ」


 ユウが別の道を問い合わせると、読み込みが止まった。


 端末にも、見慣れた選択肢の枠が現れた。


 いつもならAとBの文章が並ぶ場所には、何も表示されていない。


《応答待機》


「一旦、小屋へ戻る」


 ゆらが言った。

 引き返す途中で、彼女の靴が滑った。


 ユウの腕が伸びた。

 肘をつかみ、二人とも一歩よろけた。

 濡れた袖の下に腕の硬さがあった。引く力が、自分の肩まで伝わった。


 ゆらは足場を確かめた。


「ありがと。もう離していい」


 ユウは指を開いた。濡れた袖の縫い目が、まだ掌に残っている気がした。


 二歩先で、ゆらが振り返った。


「……肩、痛くない?」

「俺の?」

「ほかに誰がいるの。さっき、けっこう強く引っ張ったから」

「平気だよ」


 ゆらは「そ」と言って、そこで待っていた。

 ユウが追いつくと、今度は彼の袖を軽くつまんだ。


「滑りそう?」

「ううん。こっちの方が歩きやすい」


 小屋の軒下まで、ゆらは指を離さなかった。


「最悪だよ」


 ゆらが前髪から水を払った。


「本物の海、見えなかったな」

「今日は帰るか」

「行きたいんだろ、海」

「行きたいから、ここで足を折りたくないんだよ」


 濡れた手帳を開き、すぐに閉じた。


「予定どおりにするために来たわけじゃないし」


 ユウは端末を見た。

 枠はまだ空だった。

 画面の中では、何も決まっていなかった。

 隣のゆらは、もう小屋へ戻っていた。


「ユウって、ときどき待つよね」

「何を?」

「物事決める前。そういう表示が出るとさ」


 彼は少し考えた。


「答えが届く感じがする」

「誰から」

「分からない」


 ゆらは冗談を言わなかった。


「考えてるのとは違う?」

「少し違う。先に、しようと思ってたことがある。でも、あとから別の理由がしっくりくる」

「今は?」

 ユウは端末を見た。


 いつもなら選択肢が並ぶ枠は、まだ空白だった。


「いつもと違って、変な感じがする」


 雨が屋根を叩いていた。

 互いの声が少し聞き取りにくい。ユウは小屋の中へ半歩入り、ゆらの場所も空けた。


 指導員の端末で帰路の確認を頼んだ。

 学園側の通信が戻り、アイの顔が出た。


「負傷はありますか」

「ない。ユウがつかんでくれたから」


 ゆらが答えた。

 アイが一度、視線を止めた。


「何だよ?」

「行動記録を照合しています」

「俺がつかんだの、変だった?」

「危険な介助だったとは評価していません」

「そこじゃないの?」


 アイは答えなかった。


 迎えが来るまで、二人は小屋で待った。

 濡れた服の冷たさが背中へ広がった。

 指導員にもらった乾いた紙を、ゆらが手帳の間へ挟む。ユウは端を持った。


「明日、書き直すの?」

「そうだな」

「嫌じゃない?」

「嫌だよ。面倒臭いし」


 ゆらは、濡れていない所へ鉛筆を置いた。


「でも、帰って書き直せるから」


 外の手すりは黄色かった。

 濡れたところだけ色が深く、その下の錆も見えた。

 ここへ戻る途中には、足元しか見ていなかった。


 ユウは指を開いた。

 袖の感触は薄れていた。ゆらが転ばなかったことは覚えていた。


 迎えの車が来る直前、回答が表示された。


《B:状況に応じて行動を変更する》


「今さら?」


「私たち、もう小屋に戻ってるじゃん」


「……うん」


 ユウは画面を見つめた。


「これ、残しておこう」


 ゆらが言った。


「何を残すんだ?」


「答えが届いた時刻。私たちが戻った時刻と、比べられるように」


 ユウは回答画面を、受信時刻が分かる形で保存した。


 ゆらも自分の端末に、その記録の写しを受け取った。

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