彼女が書かなかった結末
六日目。
交流会の会場には、色紙で作られた飾りが吊るされていた。
机は壁際へ寄せられ、廊下には手書きの案内板が並んでいる。
「学園祭みたいだね」
ひなたが言った。
ユウは会場を見渡した。
普段の教室とは違っていた。
あちこちから声が聞こえ、誰かが笑うたびに、その周囲でも笑い声が上がった。
屋台。展示。進路相談。保護者向けの配信画面。
廊下には、油で揚げた菓子の匂いが流れていた。普段は一定の音量で鳴る案内も、学生の笑い声に途切れた。
ひなたの《ただ座る席》には、予想以上に人が来た。
《ただ座る席》
その手書きの札を見て、一人の生徒が問いかける。
「ここ、本当に何も話さなくていいんですか」
ひなたがうなずいた。
「うん。座ってるだけでいいよ」
「でも、交流会ですよね?」
「そうだね」
「会話の記録は取られますか?」
「取らないよ」
生徒は札をもう一度見た。
「……じゃあ、何をする場所なんですか」
「何もしなくていいんだよ」
生徒は少し迷ってから椅子に腰を下ろした。
しばらくして、肩の力が抜けた。
しずくの朗読は午後二時からだった。
「それでは次は、繊細な感受性と豊かな想像力を生かし、文化広報の分野へ進む予定の、水無月しずくさんです」
司会の紹介を聞いた彼女の手が、原稿の端を強く押さえた。
その角は折れていなかった。
ユウは客席の横に立っていた。
玲奈は配信設備の近く。ゆらは出入口。
ひなたは後ろの席へ来た。
朗読が始まった。
少女は、人とうまく話せなかった。
診断を受け、自分の傾向を知った。
マイクを通るしずくの声は、図書館で聞いた声より薄く響いた。
言葉の切れ目に、紙を持ち直す音が混じった。
しずくは途中で一度つかえた。
ページをめくる。
最後の一枚。
背後の画面には、まだ読んでいない文章が出ていた。
《私は、ようやく本当の自分に出会えた。》
司会者が舞台の端で合図を送る。
設備担当が、締めの音楽へ手を伸ばす。
しずくの口は動かなかった。
ユウは唾を飲み込んだ。
昨日、返す前にもう一度読んだ原稿には、本屋があった。ここに映っている文章には、その店がなかった。
端末が振動した。
《進行支援の判断を準備中》
ユウは画面を見なかった。
「しずく!」
客席の何人かが振り返った。
自分の声が、思ったより遠くまで響いた。
「昨日の続き、まだ聞いてない」
しずくはユウを見た。
それから原稿を見た。
「これは」
マイクが声を拾った。
「私が書いた最後ではありません」
担当職員が近づいた。
「制作過程のお話は、後ほど――」
「分かりやすく直してもらいました」
しずくは続けた。
「だから、読んだ方がいいと思ってました。最後でも、今日は読めません」
配信画面が別の映像へ切り替わった。
玲奈が設備担当へ言った。
「進行記録は止めないでください。評価に使うなら、何が起きたか全部残して」
担当者はためらったあと、記録用の表示を確認した。
しずくは鞄から、折れた紙を出した。
家への帰り道。
小さな本屋。
一冊の本。
短い結末を読んだ。
拍手は、そろわなかった。
戸惑った人もいた。隣と顔を見合わせた人もいた。
静かに手を叩き続けた人もいた。
用意されていた音楽は、流れなかった。
ユウはようやく息を吐いた。手の中で、消えた端末の画面が汗ばんでいた。
舞台を下りたしずくは、廊下へ出た。
ユウが追いつく。
「ごめん。余計なこと言ったかも」
「呼ばれなかったら、たぶん読んでた」
「じゃあ、よかった?」
「まだ分からない。すごく怖い」
原稿が細かく震えていた。
ユウは、よかったと言わせようとしなかった。隣に立った。
さっきまで近かった屋台の匂いが、また廊下の向こうから届いた。
ひなたたちが来た。
「評価、下がるかな」
「予定への適合は、下がると思う」
玲奈が答えた。
「玲奈!」
「でも、どの結末を自分の作品として読めるかは、本人が説明した。その記録はある」
玲奈は端末を差し出した。
ゆらが原稿をのぞき込む。
「その本屋で手に取った本、何?」
「決めてない」
「そこ、気になるじゃん」
しずくは少し笑った。
ユウも笑った。今度は、喉につかえず声が出た。
夕方、推薦面談は《再調整》になった。
しずくは通知を読み、折れた紙を丁寧に伸ばした。
折れ目は消さず、原稿の最後へ戻した。
ユウは、その手つきを見ていた。
舞台の拍手よりも、そちらを長く覚えていそうだった。




