第3話 鬼斬り / THE ONI SLAYER
「――この時代のお前自身に。」
男の低く響く声は、燃え盛る家々の爆音と炎の中に掻き消された。
KAITOは動けなかった。
思考の回路が焼き切れたように、同じ言葉が脳内をループする。
端末のディスプレイは、警告の赤色を激しく明滅させていた。
[ TWO KAITO SIGNATURES DETECTED ]
[ HISTORY CONFLICT ]
KAITOの端末が青白く明滅する。
その冷たい光の向こうで、平安京の夜は炎と泥にまみれ、地獄のように燃え狂っていた。
同じ個体情報。
同じ名前。
――同じ人間が、この時代に二人いる。
あり得ない。
そもそも自分は、西暦2236年の管理された無菌室のような東京から、あの鳥居を抜けてここへ落ちてきたのだ。
ならば、四・七キロ先でこちらへ向かっている「もう一人の自分」は何者なのか。
過去のデータか。
それとも、エラーの産物か。
「待て」
KAITOは前を歩く男の背中に声を張り上げた。
「説明しろ」
男は足を止めない。
「時間がない」
「俺が二人いるんだぞ」
「見れば分かる」
「それで納得できるとでも思うのか……っ!」
その瞬間。
頭上の闇を切り裂いて、空気が爆ぜた。
轟音。
瓦が雨あられと石畳に砕け散る。
男が鋭く振り返る。
「伏せろ!」
反射的にKAITOが身を沈める。
その頭上を、凄まじい風圧とともに巨大な影が横切った。
人間ではない。
黒く焼け爛れた皮膚。
異様に長い腕。
そして額から不気味に突き出した二本の角。
――鬼。
それは重い音を立てて地面を蹴り、一瞬で二人の進路を塞ぐように降り立った。
着地の衝撃で石畳が波打ち、泥が跳ねる。
KAITOは息を呑んだ。
目の前で呼吸し、筋肉を震わせている。
血と泥と、焦げた生肉の悪臭が鼻腔を突き刺した。
鬼が裂けた口を歪め、愉快そうに笑った。
「人間が、まだ虫けらのように残っていたか」
男は動じず、静かに腰の刀を抜いた。
「下がれ」
「こいつが……本物の鬼か」
「見れば分かるだろう」
「いや、そういう意味じゃない!」
KAITOの生きてきた二十三世紀の世界では、鬼は神話だった。
昔話。
データベースの中に残された伝承。
だが今、その伝承が、殺意に満ちた赤い目をこちらへ向けている。
鬼が地を蹴った。
――速い。
人間の動体視力が捉えきれる限界を超えている。
巨大な黒い爪が、横薙ぎの軌跡を描いて男の首元へ迫る。
だが、男は一歩も引かなかった。
むしろ、自ら前へ踏み出す。
一瞬の静寂。
閃光。
KAITOの目に、その軌跡は見えなかった。
ただ、夜の闇に銀の線が走ったことだけが分かる。
次の瞬間。
鬼の右腕が、肘から切り落とされて地面を転がった。
遅れて噴き出した赤黒い血が、周囲の石畳を黒く染める。
「――ガアッ……!」
鬼が絶叫する。
だが男の手は止まらない。
追撃の踏み込み。
狙うのは首ではない。
肩口から胸郭へ走る、容赦のない深い一閃。
鬼の巨体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
静寂。
雨の音と、周囲で燃え盛る炎の爆ぜる音だけが耳に戻ってくる。
KAITOは息を荒げながら、目の前の男を見た。
「……何者だ、お前は」
男は刀身についた黒い血を、冷ややかに一度だけ振り払った。
「渡辺綱」
返ってきたのは、それだけだった。
KAITOの端末が微かに反応し、自動で検索を開始する。
この過去に通信網など存在するはずもない。
ましてや23世紀では何度検索してもNo Recordと表示されていたはずだった…
それでも端末内部には、過去の歴史アーカイブが、該当する人物を探し始めた。
数秒後。
視界の端に無機質な文字が浮かび上がる。
[ WATANABE NO TSUNA ]
[ HEIAN WARRIOR ]
[ RECORD STATUS : LEGEND / PARTIALLY VERIFIED ]
KAITOは画面の文字と、血濡れの男を交互に見つめた。
「渡辺……綱」
名前だけは知っている。
歴史の記録。
神話のデータベース。
鬼退治の伝説。
だが目の前にいる男は、文字のデータではない。
血を浴び、生きて、今ここに立っている。
綱は倒れた鬼の残骸を一瞥した。
「こいつは、ただの雑兵だ」
「これで……雑兵なのか?」
「本物は、こんなものではない」
KAITOの背筋に、底知れぬ冷たいものが走った。
「本物って……」
綱は答えず、再び歩き出す。
その時だった。
倒れているはずの鬼の指が、不気味にぴくりと痙攣した。
KAITOが異変に気づく。
「待て……!」
跳ねるように鬼の身体が起き上がった。
既に致命傷のはずだ。
それでも鬼は最後の力を振り絞り、背後から綱へ襲いかかろうとする。
だが――。
KAITOの左こめかみに装着された端末が、突如として激しく発光した。
青白い、痛いほどの光。
[ THE LOST KEY : 01 ]
[ REACTION DETECTED ]
鬼の胸の奥から、光が漏れ出した。
紫。
いや。
夜の闇よりも深い、禍々しいほどの黒紫。
綱も初めて、その表情をわずかに険しく変えた。
「それは……」
音を立てて鬼の胸部に亀裂が走る。
裂けた肉の奥から覗いていたのは、人間の臓器ではなかった。
――金属。
――剥き出しの黒い配管。
――狂ったように脈打つ電子の光。
KAITOは息を呑み、目を見開いた。
「機械……っ!?」
あり得ない。
ここは西暦十世紀。
平安京のはずだ。
なのに、目の前の鬼の身体には、二十三世紀の最先端技術ですら見たことのない異物が埋め込まれている。
端末が警告を発する。
[ UNKNOWN TECHNOLOGY DETECTED ]
[ TEMPORAL ORIGIN : UNDEFINED ]
綱が迷わず刀を突き入れ、鬼の胸をさらに切り開いた。
肉と血の奥から、小さな黒い欠片が石畳へ転がり落ちる。
それは石でも、この時代の金属でもなかった。
表面には高密度の紫色の文字列が、まるで生き物のように走り続けている。
KAITOの端末が激しく震えた。
[ LOST KEY SIGNAL ]
[ SOURCE : UNVERIFIED ]
「……これが、最初の鍵に繋がる反応なのか……?」
綱は答えなかった。
代わりに、ゆっくりと顔を上げる。
燃え盛る京の、さらに奥。
届かないはずの闇の向こうで、何かが動いた。
低く、空気そのものを揺らす咆哮。
一つではない。
二つ。
三つ。
――無数。
KAITOの端末に、赤色の警告点が次々と描き出されていく。
[ HOSTILE SIGNATURES DETECTED ]
[ 12 ]
[ 27 ]
[ 48 ]
数字が増えていく。
「おい……これはいったい……」
綱は刀の柄を強く握り直した。
「だから言った」
「何をだ」
「今夜、歴史そのものが死ぬ」
その時。
無数の赤い点の中心から、さらに別のシグネチャが浮かび上がった。
鬼たちの群れの、その向こう側。
[ HUMAN SIGNATURE ]
[ IDENTITY : KAITO ]
[ DISTANCE : 3.9 km ]
さっきよりも縮まっている。
もう一人のKAITOが――
確かな意思を持って、こちらへ向かってきている。
KAITOは文字を凝視したまま、動けなくなった。
「近づいてる……俺に向かって……っ」
綱は驚く様子もなく、淡々と告げた。
「急ぐぞ」
「どこへ行く気だ」
「頼光様のところだ」
KAITOの視線が、再び端末の検索結果に釘付けになる。
[ HISTORICAL IDENTITY SEARCH ]
[ MINAMOTO NO RAIKO ]
そして、その歴史的英雄の名の下に――
見たこともない、決定的な表示が現れた。
[ LOST KEY : 01 ]
[ GUARDIAN CANDIDATE ]
KAITOはゆっくりと顔を上げた。
燃え盛る平安京の向こう側。
無数の鬼たちの咆哮が響き渡る中、
彼の目の前で、新しい時代の扉が音を立てて開こうとしていた。
――第3話 END
次話
第4話 源頼光 / THE GUARDIAN
THE GATE IS OPEN.
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