71 夢でも見てろ
クラリスたちは表情を曇らせた。確かに、黒縞妖猫を証人として連れて行けば、証言する前に殺されてしまうかもしれない。
ヴァルターはアンナの挑発的な表情を見つめた。
「サイモンは? まだ部屋にいるだろう。 手放すには惜しい存在のはずだ。何しろ、お前の仙級を昇級させてくれるのは彼だけなんだからな」
アンナの顔から得意げな表情が消え、目つきが険しくなった。
「どうしてそれを知っているの?」
「第一に、黒縞妖猫はオスにしか毒がない。もっと本を読んだほうがいいって言っただろ?」
アルベルトは指を一本立てた。
「第二に、サイモンは体の表面だけが仙力に覆われていて、中身は空っぽだった。あんな状態で俺たちに脈を診せようとしたのか? 見抜けないとでも思ったのかよ。なめんな」
二本目の指を立てる。
「第三に、アスランの子には魔気が染みついていた」
アルベルトは指を折って数え上げると、アンナに向かって歯をむき出した。
「飼魔者よ、お前は本当に気持ち悪い。 お前はあの幼獣を殺した村民たちと何が違うというんだ?」
正体を暴かれたアンナはかえって落ち着きを取り戻した。
「サイモンは魔族だから本来なら殺されて当然の存在なの。 それを殺さずに生かしておいてあげたんだから、むしろ慈悲深いと思わない? 命を助けた見返りに、少しくらい力を分けてもらって何が悪いのよ?」
その言葉を聞いて、クラリスは思わず白目をむいた。
このアンナも、三寿湯を分け合う村民たちも同じだ。 「それは獣だから死ぬべきだ、彼は魔だから死ぬべきだ」と、自分たちに都合のいい理屈を並べ、平然と命を利用している。
たとえサイモンが魔族であっても、だからといって好き勝手に扱っていいわけではない。
イザベラも冷ややかに笑った。
「あなたがサイモンを助けたのは、その能力が欲しかったからだろう? サイモンを道具にし、黒縞妖猫を餌にし、グリーンベル村の村民たちまで使い捨てにしようとした。 そこに慈悲なんて、最初から欠片もなかったじゃない」
アンナの表情がついに変わった。イザベラを鋭く睨みつけると、今度はヴァルターたちに視線を向けた。
「あなたたち星詠仙門の剣士七組だって、堕魔した妖獣を一匹かばっているじゃない。 これが世間に知れたら、あなたたちだってただじゃ済まないわよ?」
彼女は一語一語、はっきりと口にした。
「私がただで済まないなら、あなたたちも道連れにしてやるわ」
ヴァルターはアンナの脅しを完全に無視した。
「言いたいことがあるなら、仙門に直接言え。 ここから先は、俺たちが口を出すことじゃない」
アンナの顔色は一変した。
飼魔は重罪だ。仙門に捕まれば、二度と自由の身には戻れないだろう。
かつてアンナは、仙界の辺境で瀕死のサイモンを偶然見つけた。
サイモンは魔界から逃れてきた魔族で、封印結界を突破した際に重傷を負い、死の淵をさまよっていた。そんな彼を拾ったのがアンナだった。
サイモンは、自分ならアンナの仙級を上げられると持ちかけた。そこで彼女は仙門に報告せず、密かにサイモンを飼うことにしたのだ。
サイモンを手放すのは惜しい。だが、今は自分の身を守ることが先決だった。
「取引しない? サイモンをあなたたちに引き渡すわ。 だから、私のことは見逃してちょうだい」
「夢でも見てろ」
リヒターは冷たく言い放った。
アンナはそれでも笑みを崩さなかった。
「あなたたちは黒縞妖猫を救いたいんでしょ? あの妖猫は堕魔してもいないのに、わざわざ魔胎の魔気を自分の体に取り込んだ。 そんな存在を、修仙界が見逃すと思う?」
アルベルトたちの表情が曇った。
「私を見逃してくれるなら、黒縞妖猫のことは誰にも話さないわ。 どう?」
アンナは両腕を組み、勝ち誇ったように微笑んだ。
リヒターたちは呆気にとられた。
確かに、黒縞妖猫をこの先どうするべきか、まだ結論は出ていなかった。
イザベラは、リヒターたちが揃ってヴァルターを振り返るのを見て、思わず首を横に振った。
まったく、なんて素直な子たちなのだろう。
「残念だけど、その取引は成立しない」
イザベラはきっぱりと断った。
「だって、黒縞妖猫はもう死んでいるもの」
アンナの得意げな表情が凍りついた。
「嘘つき!」
「じゃあ、まだ生きているって証拠はあるの?」
イザベラは首を傾げた。
「あなた、黒縞妖猫が生きているところを見たの? 修仙界では、堕魔者を見つけたら即座に斬り殺す。 それが修仙界の不文律だって、アンナ仙士が教えてくれたじゃない? まさか、自分で言ったことを忘れちゃったの?」
「そうよ、私たちがそれを殺して、亡骸も焼いて、灰まで処分したわ」
クラリスはすぐにイザベラの意図を察し、話を合わせた。得意げに微笑むその顔には、「それで、あなたに何ができるの?」とでも言いたげな表情が浮かんでいた。
イザベラは、まだ状況を飲み込めていないアルベルトたちを見て、思わず笑いそうになった。
星詠仙門の剣士七組は、揃いも揃って正直すぎる。クラリスでさえ、普段は規則に縛られて身動きが取れなくなるほどだ。
だが、イザベラは自分が善人だなどと思っていない。
そもそも、先に黒縞妖猫とその子を傷つけたのは村民たちではないか? それなのに、どうして黒縞妖猫まで殺されなければならないのだろう?
堕魔者なら悪で、仙士なら善? 冗談じゃない。
少なくとも、目の前のアンナが善人でないことだけは確かだった。
イザベラとクラリスの言葉を聞いて、アルベルトたちはようやく二人の意図を理解した。
なるほど。だからイザベラは、さっき黒縞妖猫を空間袋に入れるよう提案したのか。
アンナは口を開きかけたが、何も言えず、肩を大きく上下させた。やがて、ふっと静かになった。
彼女はイザベラたちをじっと見つめ、それからゆっくりと口元を歪めた。
「いいわ、実にいいわね。 あなたたち星詠仙門の剣士七組も、結局はろくでもない連中だったってわけね」
その軽蔑的な言葉を聞いて、五人は全く気にする様子もなく肩をすくめた。
アンナは一呼吸置き、声を低くした。独り言のようでいて、その声は全員にはっきりと届いていた。
「まさか、こんなことをしているのが私一人だけだと思っているのね?」
庭は一瞬、静まり返った。
アンナ以外にも飼魔に手を染めている仙士がいるのかもしれない。 だが、それはまだただの弟子であるヴァルターたちの手に負える問題ではなかった。
魔族が関わっている以上、あとは仙門に任せるしかない。
ヴァルターはアンナから視線を逸らした。眉をひそめたまま何も言わず、ただクラリスに向かって小さくうなずいた。
クラリスはその意図を察し、縛獣鎖が応じて飛び出した。
アンナは、自分に向かって飛んでくる縛獣鎖を見つめ、避けることはしなかった。
ただヴァルターをじっと見つめ、口元には微かな笑みを浮かべていた。縛獣鎖が彼女の手首に巻き付くと、その笑みはやっとゆっくりと消えていった。




