62 ただの畜生
その後はどうなったのか。
村長はぼんやりと考えた。自分がこれほど鮮明に覚えていることに、本人さえ気づいていなかった。
村長は、自分の目の前で七人の村民が黒縞妖猫の腹を切り開き、幼獣を取り出した光景を見ていた。
黒い毛並みの小さな幼獣だった。鼻先も肉球もまだ淡い桃色で、目はまだ開いていない。それでも、その呼吸だけは穏やかだった。
「俺たち運がいいな。 まだ生まれてない、これ以上なく新鮮な幼獣の肉だぜ」
「へえ、この黒縞妖猫、まだ生きてるじゃねえか、しぶといな。 ほら、お前の子どもを見せてやるよ。 俺って優しいだろ? ははは!」
「ははは! そうだな、お前は優しいよ。 ほら、さっさと火を起こせ。 ここで食っちまおうぜ。 食い終わったら、大きいほうを殺して売りに出そう!」
「それもいいな。 せめて、もう少しだけ母親と一緒にいさせてやろう、ははは!」
村長は覚えていた。
あの黒縞妖猫は、その間もずっと死ななかった。声が枯れ果てるほど、必死に鳴き続けていた。
いつから、鳴かなくなったんだ?
村長には、もう思い出せなかった。
ただ、幼獣を鍋に入れたとき、黒縞妖猫の体から黒い霧のようなものが立ち上ったことだけは覚えている。
その直後、村民の一人が声を上げた。
「おお! この幼獣、鍋に入れたら白くなったぞ!」
結局、いつから鳴かなくなった?
「やっぱり幼獣のほうがいいな。 肉が柔らかくて、うまい!」
そんな言葉を聞いたときか?
「さすが幼獣だな。 このスープ、すげえうまいぞ!」
そんな言葉を聞いたときか?
それとも、
「お前、もう一本も食っただろ。 それでもまだ食うのか? 肉の多いところばっかり取ってんじゃねえよ。 もうお前の分はないぞ」
そんな言葉を聞いたときか?
村長が覚えているのは、村民たちが夢中になって食べていたことだけだった。
その光景を見て、村長自身も思わず唾を飲み込んだ。
黒縞妖猫を殺して売りに出すときには、自分も肉をたくさん買って食べようと思っていた。
「あいつら、黒縞妖猫の目の前で幼獣を取り出して、殺して煮込んだのか?」
リヒターは信じられないものを見るように村長を見つめた。
「お前は、それを物陰に隠れてただ見ていたのか?」
ヴァルターは無表情のまま、村長を見つめていた。
クラリスはすでに顔を背けている。
イザベラは一度目を閉じた。
そして再び目を開いたとき、その瞳には冷たい光が宿っていた。
アルベルトは拳を握りしめ、龍角がわずかに震えている。
「違う。私は関係ない。 私は殺してない……」
「君は直接殺してはいない。 ただ、村民たちを黒縞妖猫のところへ誘導しただけと言うんだろ?」
クラリスが冷たく言った。
「あれはただの畜生だ! 私たちは畜生を一匹殺しただけだ。 まさか、こんなことになるなんて――」
村長は驚きと怒りが入り混じった声で叫んだ。
「そうだろうな。 あなたたちは、まさかこんなことになるなんて思わなかっただろうな……」
突然、黒猫がイザベラの肩に姿を現した。
声は決して大きくないがその場にいた誰もが、背筋を冷たいものが這うような感覚を覚えた。
「だって、ただの畜生を、何気なく一匹殺しただけなんだものな……」
黒猫はわずかに身を前へ乗り出し、琥珀色の瞳で村長を見つめた。
その声は、まるで肉体をすり抜けて、魂の奥底へ直接突き刺さってくるようだった。
「それで、あなたの命はあの畜生と比べて、いったいどれほど高貴なのかな?」
村長は口を開いたが、声が出なかった。
黒猫は首をかしげた。
まるで本当に村長の答えを待っているようでもあり、何かを考えているようでもあった。
琥珀色の瞳には、みるみる青ざめていく村長の顔が映っている。
黒猫はもう一回ゆっくりと口を開いた。
「人が妖獣を食べるのは妖獣にとっての運命。 なら、あなたたちが妖獣になって人に食べられるのも……運命だろう?」
その瞬間、村長の視界が一気に暗くなった。
体の奥底から、何かが這い出してくるような感覚がした。
「あなたも、試してみよう――」
「黒猫!」
ヴァルターが突然声を上げ、黒猫の言葉を遮った。その声には、はっきりとした警告が込められていた。
イザベラは、黒猫が一瞬だけ動きを止めたように感じたが、次の瞬間には、黒猫は何事もなかったかのように、イザベラの肩の上にちょこんと座っていた。
村長は全身を震わせ、恐怖に怯えていた。
やがて我に返ると、黒猫はもう村長を見ていなかった。
さっきの出来事が、自分の見た幻だったかのように思えてくる。
「そ、そうだ……ただの畜生だ。 それに、黒縞妖猫だって逃げた。 私たちが殺したのは、幼獣一匹だけだ……」
村長はなおも言い続けた。
その声は次第に小さくなり、どんどん自信を失っていって、暗闇の中で一人、自分自身に言い聞かせているようだった。
そして、誰もそれを遮ろうとはしなかった。
イザベラはふとヴァルターの空間袋へ視線を落とし、その中では、黒縞妖猫が静かに眠っている。
イザベラは、黒縞妖猫が彼らと戦ったときのことを思い出した。
あのとき、腹の中にはもう幼獣の姿などなかったはずなのに、黒縞妖猫は無意識のうちに何度も腹をかばっていた。
四つ足を上向きにするという、猫としての本能に反する姿勢まで取り、ヴァルターの剣気を避けながら、体を丸めて必死に腹を守っていた。
ここまでのことを、イザベラたちは何とか察していた。
ただ――
イザベラは顔を上げ、ヴァルターを見た。
「あの七人はもう死んだ。 黒縞妖猫も私たちが回収した。 なのに、どうしてまだ村民たちは妖獣化しているの?」
他の者たちも同じ疑問を抱いていたのだろう。
一斉にヴァルターへ視線を向ける。
ヴァルターは顔を上げることなく、静かに口を開いた。
「俺は、黒縞妖猫が妖獣化させた元凶だなんて、一言も言ってない」
イザベラたちは、一瞬固まった。
なに?!




