第六話:黒幕の休日と、スカウトの影
鳳華祭(学園祭)の狂騒から一週間。 私立鳳ヶ丘高校は、いつもの静かな日常を取り戻していた……はずだった。
「おーい、日向! 今日も『ジャスティス・パトロール』行くのか!?」 「当たり前だろ小林! 街の平和に休みはないんだ!」
昼休みの教室。クラスメイトたちに囲まれ、赤いマフラーの端をなびかせながら胸を張る日向陽。 学園祭での「体験型ヒーローショー(※実際は奈落での本物バトル)」の大成功以来、陽の校内での人気は留まることを知らなかった。いまや彼は「鳳ヶ丘高校の名物ヒーロー」として、男子からは憧れられ、女子からは微笑ましく見守られる存在となっていた。
そんな賑やかな教室の隅で、一人静かに文庫本を広げている少女――氷室澄は、本で顔を隠しながら、心の中で深く溜め息をついた。
(……能天気で結構なことね。あいつのあの能面みたいな笑顔を保つために、どれだけの裏工作が実行されているか……)
澄はメガネのフレームをそっと押し込み、伊達メガネに投影された透過ディスプレイのデータを確認した。
『鳳ヶ丘市内の警察防犯カメラデータベース:ハッキング完了。異常エネルギー反応:全域でクリア。ジャスティス・レッドに関するSNS投稿:自動検閲・拡散防止処理進行中』
澄の完璧な情報統制と、前話で導入した過保護ヒーロースーツ『ジャスティス・ギア』の運用により、日向陽のアシストコストは激減。澄の平穏なモブ生活は、過去最高レベルで安定していた。
「あ、氷室さん!」
ふと、日向がクラスメイトの輪を離れ、澄の席へと歩み寄ってきた。
「ん……なにかしら、日向くん」 「いやさ、昨日のパトロールの報告! 氷室さんが指示してくれた裏道のショートカットのおかげで、開かない踏切に引っかからずに済んだよ! サンキュな!」
陽は屈託のない笑顔で、澄の顔を覗き込んだ。
「……別に。私はただ、効率的なルートを演算して提示しただけよ」 「へへっ、でもさ。氷室さんって、最近なんか顔が柔らかくなったよな」 「え……?」
予想外の言葉に、澄の手がピタリと止まる。
「前はさ、もっとこう……近寄りがたい完璧なお嬢様って感じだったけど。最近は俺の話をするとき、すごく優しい目をしてくれるだろ? 俺、なんか嬉しいんだよな」
「〜〜〜〜っ!?」
澄の脳内CPUが過熱で悲鳴を上げた。 顔に一気に血が上り、耳の先端まで真っ赤に染まっていく。
「な、ななな何を適当なことを言ってるのよこのバカ!! 私はいつも通り冷徹で完璧な一般女子生徒よ! くだらないことを言ってないで、早く自分の席に戻りなさい!!」
「うわっ、急に怒った!? ご、ごめんって氷室さん!」
陽が慌てて頭を下げて自分の席へと逃げ出していく。 澄は赤くなった顔を文庫本で必死に隠しながら、ドクドクと激しく打つ胸を押さえた。
(なんなのよ今の……! 『優しい目』だなんて……! 私がいつ、あんなバカに優しい目を向けたっていうのよ……!)
文庫本の影で、澄は一人小さく唇を噛みしめた。 認めたくはなかった。だが、最初はこの熱血バカを「目立たないための捨て駒」として利用していたはずなのに、いつの間にか彼の真っ直ぐな言葉や笑顔に、自分の心が揺さぶられていることを。
黒幕と勘違いヒーロー。 ビジネスライクな共犯関係であるはずの二人の間に、静かに、けれど確実に「恋」という不確定要素が混ざり始めていた。
その日の放課後。
澄はいつものように旧校舎の生徒会分室で、大型モニターに向かっていた。 陽は「パトロール」と称して街へ繰り出している。手首の『ヒーロー・デバイス』から送られてくるバイタルデータは安定しており、特筆すべき異常もない。
(ふぅ……今日も平和ね。そろそろ株の利確をして、夕飯の買い物でも――)
澄が胸を撫でおろした、その瞬間だった。
『緊急警告。市街地第2地区・ベイエリア倉庫街にて、高エネルギー反応を検知』
モニターが赤く明滅し、AI『無名』の無機質な音声が響いた。
(……チッ、またネオ・アーマードの残党ね。しつこい奴ら……)
澄は素早く画面を切り替えた。 ベイエリアの防犯カメラ映像に映し出されたのは、巨大な油圧バサミを腕に装着した怪人『シザー・ガイア』だった。倉庫のコンクリート壁を豆腐のように切り刻み、暴れている。
『すでにジャスティス・レッドが現場へ向かっています。到着まであと30秒』
「まあ、今のスーツなら『シザー・ガイア』のハサミくらいかすり傷にもならないわね。適当に隙を作って、高周波チョップで一撃よ」
澄はコーヒーカップを手に取り、画面越しに陽の戦闘を「鑑賞」する体制に入った。
画面の中で、赤いマフラーをなびかせたジャスティス・レッドが颯爽と登場。 怪人が襲いかかり、陽がいつものように堂々と攻撃を受け止める――はずだった。
キーーーーーン!!!!
突如、上空から鼓膜を突くような高周波の飛翔音が響き渡った。
「……え?」
澄が目を細めた瞬間、雲を突き抜けて「一筋の白い光」が現場へと舞い降りた。
爆風とともに地面に着地したのは――洗練された流線型のシルエットを持つ、白とシルバーの最新鋭パワードスーツを纏った「誰か」だった。
『目標を捕捉。対怪人特務機関『アーク』、コードネーム:シルバースター。……排除を開始する』
スタイリッシュな電子音声とともに、白銀のヒーローが背中の高エネルギーブレードを抜いた。 怪人が振り下ろした巨大な油圧バサミを、白銀のヒーローはミリ単位の見切りのような動きで回避。すれ違いざまに一閃。
スパァァァァァンっ!!
一瞬だった。 怪人『シザー・ガイア』の巨大な身体が上下斜めに真っ二つに切断され、そのまま爆発・四散した。
静寂が訪れる現場。 陽は突き出した拳の姿勢のまま、口をぐうの音も出ないほどぽかんと開けて固まっていた。
「す……すげぇ……!! 一瞬で倒しちゃった……!?」
モニター越しの澄もまた、手にしていたコーヒーカップを落としそうになっていた。
(なにあのスーツ……!? 磁気浮上式アクチュエーターに、高次元プラズマブレード……!? あれ、民間や怪人のレベルじゃないわ。国家機関……ううん、超巨大軍需企業『アーク・インダストリー』の本気の発明よ……!!)
現場のベイエリア。
爆煙が晴れ、白銀のスーツ『シルバースター』がゆっくりと陽の方へと振り向いた。 ヘルメットのバイザーがスライドし、中から現れたのは――凛とした眉と冷徹な瞳を持つ、陽と同世代くらいのクールな青年だった。
「初めましてだな、『ジャスティス・レッド』」
「あ、アーク……? 君は一体……!?」
「私は政府公認の対怪人特務機関『アーク』の防衛隊長、白銀レイだ」
レイはそう名乗ると、じっと陽の全身をスキャンするように見つめた。
「君の噂は聞いている。単身でネオ・アーマードの幹部を次々と破り、この街を守ってきた孤高のヒーロー……。だが、近くで見れば見るほど奇怪だな」
「え? なにがだ?」
「君のそのスーツ……性能は悪くないが、エネルギーの伝達効率が極めて歪だ。まるで『外部からの見えないサポート』に依存しているかのような……不自然な設計になっている」
ドキンッ!!
生徒会分室でモニターを見ていた澄の心臓が、跳ね上がった。
(……気づいた!? あの男、一目で私の過保護プロデュース(外部アシスト)構造を見抜いたの……!?)
レイは陽に歩み寄り、差し出すように一枚のライセンスカードを提示した。
「ジャスティス・レッド。君のその熱意と、驚異的な土壇場の身体能力は本物だ。……どうだ? 我が機関『アーク』に来ないか?」
「え……スカウト!?」
「そうだ。我が機関に入れば、国家レベルの最新設備、専属のメンテナンスチーム、そして最強のオペレーター陣が君をサポートする。危険な単独行動も、怪しい個人製スーツに頼る必要もなくなる。君は『本物の、国家公認のヒーロー』になれるんだ」
手厚すぎる待遇。 ヒーローを目指す者なら誰もが夢見る、完璧な環境の提示だった。
生徒会分室。 澄は画面に表示されたスカウトの文字を見つめ、血の気が引いていくのを感じていた。
(本物の……国家公認ヒーロー……)
澄の手が、キーボードの上でガクガクと震え始める。
そうだ。彼が『アーク』に行けば、もう澄が裏で胃を痛めながらドローンを飛ばす必要もなくなる。5000万円を株取引で稼ぐ必要もない。怪我の心配もなくなり、澄自身も完全に「ただのモブ生徒」として安全な日々に戻れるのだ。
それが、澄がずっと望んでいた「理想の結末」のはずだった。
なのに――。
(嫌……)
胸の奥が、締め付けられるように痛かった。
(嫌よ……! もし彼が『アーク』に行ったら、私はもう『ジャスティス・レッドのオペレーター』じゃなくなってしまう……! あいつは私の元から離れて、二度と二人だけの秘密を共有できなくなってしまう……!!)
自分が抱いていた「黒幕としての優越感」の正体。 それは――「日向陽の隣にいる唯一の特別でありたい」という、あまりにも身勝手で、切ない恋心だったのだ。
澄は涙で視界が滲むのを耐えながら、画面の中の陽の答えを待った。
(……行きなさいよ、バカ。そっちの方が、あなたにとっても安全なんだから……)
現場の倉庫街。
提示されたカードと、白銀レイの真摯な眼差しを見つめる陽。 風が吹き抜け、陽の赤いマフラーが大きくたなびく。
陽は……ゆっくりと首を横に振った。
「……申し訳ないけど、その話はお断りさせてもらうよ」
「……なに?」
レイが意外そうに眉をひそめた。
「なぜだ? 条件に不服があるのか? 資金も、装備も、君の今の環境とは比べものにならないはずだ」
「条件の問題じゃないんだ」
陽はニッと歯を見せて笑い、誇らしげに胸の『J』のマークを叩いた。
「俺にはさ……もう世界一のオペレーターがいるんだよ」
「……オペレーター?」
「おう! いつだって俺の無茶を怒ってくれて、俺がピンチの時には絶対に助けてくれて、俺の命と街の平穏を誰よりも真剣に考えてくれる……最高に頭が良くて、最高に可愛いオペレーターだ!」
陽の言葉には、一切の迷いも躊躇もなかった。
「俺のこのヒーローの力はさ……氷室さん――あっ、いや! 俺のオペレーターがいてくれて、初めて100%になるんだ! どんなすごい最新設備があろうと、俺はあいつと一緒に街を守りたい!」
ヘルメットのバイザー越しに見える陽の瞳は、太陽のように眩しく輝いていた。
レイは暫し呆気にとられたように陽を見つめていたが、やがてふっと苦笑を漏らし、ライセンスカードをポケットに収めた。
「……そうか。『信頼できる相棒』がいるのだな」
「おう! 俺たちの絆は、国家機関でも買えないぜ!」
「……理解した。今日のところは引き下がろう。だが、ネオ・アーマードとの戦いはこれから激化する。君たちのその『絆』とやらが本物かどうか、陰ながら見させてもらうよ」
シルバースターはそう言い残すと、激しいプラズマ光とともに空へと飛び去っていった。
数十分後。生徒会分室。
ガチャリとドアが開き、私服に戻った陽が元気よく飛び込んできた。
「氷室さーん! ただいま! 今日の怪人、急に入ってきた白い奴に倒されちゃったけど、俺はちゃんと無事だったぞー!」
陽はいつものようにドヤ顔で胸を張った。 だが、オペレーションシートに座る澄は、下を向いたまま動かない。
「……氷室さん?」
陽が心配そうに覗き込むと、澄はゆっくりと顔を上げた。 その瞳には微かに涙が浮かんでおり、頬は夕日のように真っ赤に染まっていた。
「……バカ」
「えっ!?」
「バカ! 大バカ!! なんで断るのよ……!!」
澄はポロポロと零れ落ちる涙を拭おうともせず、陽の胸をぽかすかと拳で叩いた。
「『アーク』に行けば……あなたはもっと安全に、本当のヒーローになれたのに……! 私のアシストなんて、いつバレるかもわからない歪な手抜きシステムなのに……! なんで……なんで断るのよぉっ……!」
感情を溢れさせる澄の姿に、陽は一瞬驚き、それから優しく目を細めた。
陽は澄の叩く拳をそっと両手で受け止め、真っ直ぐに彼女の目を見つめた。
「言っただろ、氷室さん。俺は……君じゃなきゃ嫌なんだ」
「……〜〜〜〜っ!?」
「俺を一番近くで支えてくれるのは、氷室さんだけだ。氷室さんが作ってくれたこのスーツと、氷室さんの声があれば、俺はどんな悪党にだって負けない。だから……これからも俺のオペレーターでいてくれ!」
どこまでも真っ直ぐで、どこまでも勘違い(※自分が最強で澄がサポートだと思っている)な、男・日向陽の告白。
澄の頭の中の演算回路は、完全にキャパシティを超えて焼き切れた。
(……ああ、ダメだわ)
澄は赤くなった顔を両手で覆い、深々と溜め息をついた。
(このバカには……一生勝てそうにないわ……)
黒幕としての冷徹な計算も、完璧な裏工作も、この男のたった一言の「熱血」の前に、すべて意味をなさなくなってしまう。
「……勝手にしなさいよ、バカ」
澄は指の隙間から、照れくさそうに陽を睨みつけた。
「その代わり……これからもっとシゴくんだからね。覚悟しなさいよ、ジャスティス・レッド」
「へへっ! 望むところだ、氷室オペレーター!」
夕暮れの基地に響く、二人の笑い声。
政府系ヒーローという新たな存在の影が忍び寄る中、黒幕美少女と勘違いヒーローの「共犯関係」は、より強く、より甘く、結ばれていくのだった。




