第七話:黒幕の嫉妬と、雨の相合い傘
学園祭を無事に乗り切り、政府系ヒーロー組織『アーク』のスカウトすら蹴った日向陽の知名度は、学内にとどまらず近隣の他校にまで広がりつつあった。
「日向くん、今日もパトロール? これ、良かったら差し入れ! 自家製クッキー焼いてきたの!」 「おおっ、サンキュな木村さん! ヒーローに栄養補給は不可欠だから助かるよ!」
昼休みの教室。日向の周りには、連日のように男子生徒だけでなく女子生徒までもが集まり、ちょっとした人だかりができていた。
「ふっ、街を平和にするだけじゃなく、みんなの笑顔も守る。これが男・日向陽の目指すヒーロー道だ!」
腕組みをして鼻高々に語る日向。 そんな彼の姿を、教室の斜め後ろの席から、氷室澄は静かに、けれど氷点下100度のような冷たい視線で見つめていた。
(……なによ、あのデレデレした顔は。女子生徒に囲まれて鼻の下を伸ばしちゃって……)
澄は手にしていたシャーペンを、無意識のうちに力任せに握りしめていた。パキッ、と微かな悲鳴を上げて芯が折れる。
(私は昨日も、あいつのスーツの関節モーターの最適化と、街の防犯カメラデータの自動検閲プログラムの修正で睡眠時間が3時間しかなかったのよ? それなのにあいつは、私の苦労も知らずに女子とクッキーの話……!?)
胸の奥が、なんだかもやもやと不快に熱かった。 先日のスカウト事件で、自分が日向に対して「単なる共犯関係」以上の特別な感情を抱いていることは自覚した。自覚したからこそ――他の女子と楽しそうに話す彼の姿が、どうしようもなく気に食わないのだ。
(嫉妬? 違うわ、私はただ、あいつのセキュリティ意識の低さを危惧しているだけよ! 黒幕として、裏方として、危機管理を行っているだけ……!)
澄が自分に言い訳を重ねていた、その時だった。
「あの……日向くん、ちょっといいかな……?」
人だかりの隙間から、消え入りそうな声が響いた。 現れたのは、隣のA組に所属する可憐な少女――白石さんだった。守ってあげたくなるような雰囲気を纏った彼女は、不安そうに上目遣いで日向を見つめている。
「ん? 白石さん? どうしたんだ?」 「実は……ここ数日、放課後に下校するとき、誰かに後ろからつけられているような気がして……すごく怖いの。もし良かったら……今日、一緒に帰って守ってくれないかな……?」
クラス中の男子から「うおっ、頼まれた!」「男の出番だぞ日向!」と歓声が上がる。
日向は胸をポンと叩き、迷いなくニッと笑った。
「任せろ白石さん! 困っている女の子を放っておくなんて、ヒーローの名がすたる! 今日の放課後、俺が責任を持って家まで送り届けてやるよ!」 「ありがとう、日向くん……!」
嬉しそうにほほ笑む白石さん。 それを見届けた澄の席から、メリッと嫌な音が響いた。シャーペンのプラスチック軸に、うっすらと亀裂が入っていた。
放課後。外はいつの間にか、しとしとと冷たい雨が降り始めていた。
(……なんで私、こんなことしているのかしら)
学校から少し離れた住宅街の路地裏。 澄は透明な光学迷彩ポンチョを身に纏い、木々の陰から街道を歩く二人の姿を尾行していた。
前方を歩くのは、一本の傘に入った日向と白石さんだ。 日向は「白石さんが濡れないように」と、傘を大きく白石さん側に傾けて歩いている。そのおかげで、日向自身の右肩は雨に打たれ、制服がぐっしょりと濡れていた。
(バカね……自分が濡れてどうするのよ。相合い傘なんてしちゃってさ……)
澄は手に持った高性能可視化タブレットを握りしめ、眉間にシワを寄せた。
(……でも、おかしいわ)
尾行を始めて数分。澄の優れた観察眼と、伊達メガネに仕込まれたスキャン機能が、ある「違和感」を捉えていた。
白石さんが身につけている胸元のブローチ。そこから、肉眼では見えない超高周波の微弱電波が、一定の周期で発信されている。
(あのブローチ……ただのアクセサリーじゃないわね。精神波誘導の微弱トランスミッター……! あの白石って女子、ネオ・アーマードに洗脳されているか、怪人のパペット(傀儡)よ……!)
澄の脳内で瞬時に警告が鳴り響いた。 狙いは明確だ。油断した日向を二人きりの密室(あるいは路地裏)へと誘い込み、ゼロ距離から確実に仕留める気だ。
(やっぱりね……! あいつの『誰にでも優しいヒーロー気質』を逆手に取った卑劣な罠……!)
二人は今、人通りの途絶えた高架下の暗い路地へと足を踏み入れようとしていた。
「日向くん、ここまで送ってくれてありがとう」
高架下。雨音が反響する薄暗い空間で、白石さんが足を止めた。
「気にしないでくれ! このあたりは街灯も少ないし、怪しい奴が出たら俺が吹き飛ばして――」
「ふふふ……本当に、おめでたいバカね」
「え……?」
白石さんの声が一変した。可憐で気弱そうだった声が、地底から響くような不気味な低音へと変わる。 彼女の瞳が赤く発光し、胸元のブローチから黒い霧が溢れ出した。
「我が名はネオ・アーマード暗殺部隊『マインド・パペット』。まんまと誘き出されたわね、ジャスティス・レッド!」
白石さんの背後から黒い触手が伸び、その先端には一滴でゾウをも即死させる麻痺毒の針が生成されていた。
「白石さんが……怪人に!? くそっ、洗脳されているのか!」
日向が身構える。だが、距離が近すぎる。 怪人の毒針が、目にも留まらぬ速さで日向の無防備な首筋へと突き出された!
「死ねぇぇぇっ!」
生身の日向では回避不可能な至近距離。 しかし、針が日向の皮膚に触れる直前――。
バチンッ!!!!
手首の『ヒーロー・デバイス』が激しいエメラルドグリーンに発光し、半球状の不可視のエネルギーバリアが展開された。毒針はバリアに弾かれ、バチバチと火花を散らす。
「な、なにぃぃっ!?」
『……間一髪ね、日向くん』
日向の耳元のアシストインカムから、氷のように冷たく、けれどどこか怒りを孕んだ澄の声が響いた。
「ひ、氷室さん!? なんでここに!?」
『説明は後よ。その怪人は本物の白石さんの精神を乗っ取っているわ。本体のブローチを破壊すれば洗脳は解ける』
「了解だ! 『ジャスティス・ギア』装着!」
陽が手首のデバイスを起動すると、ナノ複合装甲が瞬時に彼の全身を包み込み、黒と赤の英雄――ジャスティス・レッドが闇の中に現れた。
『いい? 日向くん。……今日の指示は、私情を挟んで“スパルタ”で行くわよ』
「えっ……私情!? 氷室さん、なんか怒ってないか!?」
『怒ってないわよ(怒)。ターゲットの右側面へ0.5秒で回り込みなさい。遅れたらスーツの関節を遠隔でロックするわ』
「ひえぇぇぇっ!? 了解っ!!」
通信越しの澄の圧に冷や汗を流しながら、日向は超人的な速度でステップを踏んだ。 澄の精密な脳内演算とハッキングにより、怪人の動きは完全に予測されていた。
『左上からの触手をスウェーで回避! そのまま怪人の胸元へ一歩踏み込んで!』
「お、おうっ! 喰らえぇぇっ!」
『出力を70%に固定! ブローチだけを狙って、高周波チョップ!』
「これで……元に戻れぇぇぇっ! ジャスティス・ピンポイント・チョップ!!」
バシィィィィンっ!!
日向の手刀が、怪人の胸元で輝く黒いブローチを寸分違わず一閃した。 ブローチが粉々に砕け散り、黒い霧が散開していく。
「グアァァァァッ! マザーぁぁぁっ!?」
怪人の影が引き剥がされ、白石さんの身体が力を失って崩れ落ちた。日向は慌てて彼女を抱きとめた。
「白石さん! おい、しっかりしろ!」
「ん……あ、私……日向くん……? ここは……?」
洗脳が解け、意識を取り戻した白石さん。 周囲に怪人の気配がないことを確認し、日向は心底胸を撫でおろした。
数十分後。 警察と救急を手配し、安全に白石さんを引き渡した日向は、土砂降りの雨の中、一人高架下で途方に暮れていた。
「う〜、傘は白石さんに貸しちゃったし、雨は強くなる一方だし……弱ったな」
頭を掻きながら雨空を見上げていると、雨音に混じって、静かなカツン、カツンという足音が近づいてきた。
振り返ると、そこには大きめの一本の傘を差した澄が立っていた。 制服の上に薄手のカーディガンを羽織り、少しだけ冷たそうな、けれどどこか気恥ずかしそうな瞳で日向を見つめている。
「……ほら。入るのよ、バカ」
澄はツンとそっぽを向きながら、傘を日向の方へと差し出した。
「氷室さん……! 助かったぁ! 傘がなくて困ってたんだ!」
日向は嬉しそうに澄の傘の中へと滑り込んだ。 二人で一本の傘。当然、距離は肩が触れ合うほど近くなる。
「……ふん。白石さんに傘をあげちゃうなんて、相変わらずのお人好しね」
「へへっ、女の子を濡らして帰すわけにはいかないだろ? ……あ、そういえば氷室さん、さっき『スパルタで行く』って言ってたけど、やっぱり俺が他の女子と帰るの、見てたのか?」
日向が無邪気に顔を覗き込んで尋ねる。 澄の身体がピクッと強張り、顔が一瞬で朱に染まった。
「べ、別に見てたわけじゃないわよ! 私はただ、あなたにつく怪しい電波反応を追撃していただけ! 危機管理よ!」
「でもさ……氷室さん」
日向はふと脚を止め、自分の右肩を見つめた。 澄が差している傘。その中心は、明らかに日向の頭上に寄っていた。おかげで澄の右肩が、冷たい雨粒にうっすらと濡れている。
さっき、日向が白石さんにしたのと全く同じ「優しさ」を、澄が自分に向けてくれているのだ。
「……なに目を見てるのよ。早く歩かないと風邪を引くわよ」
澄は赤くなった耳を隠すように、そっぽを向いた。
日向はその横顔を見つめ、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、嬉しそうにニッと笑った。
「……そっか。氷室さん、嫉妬してくれたんだな」
「〜〜〜〜っ!?」
澄の頭の中で、何かが音を立てて弾け飛んだ。
「じ、嫉妬なんて……嫉妬なんてしてないわよこの大バカ!! 勘違いも大概にしなさい!! 今すぐこの傘から叩き出して、雨の中に放置してあげましょうか!?」
「うわっ、冗談だって! 叩き出さないでくれ氷室さん!」
「冗談じゃないわよ! 帰ったら生徒会分室で正座して1時間の反省会だからね!!」
「えぇ〜!? また反省会かよ〜!?」
雨の降る帰り道。 一本の傘の下で、ワーワーと賑やかに言い争う二人。
澄は真っ赤な顔を隠すように傘を深く差し直しながら、心の中で小さく呟いた。
(……ほんと、嫌になっちゃうわ)
黒幕としての冷徹な計算も、完璧なプロデュース計画も、この男の笑顔とまっすぐな言葉の前には、すべて吹き飛んでしまう。
少しずつ深まっていく秋の雨の中、二人の「共犯関係」は、雨粒よりも甘く、確かな恋心へと濡れていくのだった。




