第9章 土佐勤王党
1860年3月
日本中に衝撃が走る事件が起きた。
水戸藩士と薩摩藩士が桜田門で、大老井伊直弼を暗殺したのだ。
桜田門外の変である。
白昼堂々と起きたこの事件は、徳川体制の弱体化に拍車をかけたのだ。
大老井伊直弼は、政策に対し批判する者はことごとく、弾圧を行っていた。
水戸藩 徳川斉昭親子を始めとする
一橋慶喜
山内容堂
松平春嶽
吉田松陰
伊達宗城
など、大名から藩士まで容赦なく弾圧した。
世に言う、安政の大獄である。
この事から井伊直弼は、相当の恨みを買う事になり、暗殺されてしまう。
この事件がきっかけで、日本は開国から攘夷に流れが変わってしまう。
土佐藩も例外ではなかった。
特に武市半平太を中心とする下士達は、尊王攘夷の主張が強く、どうにかして藩を尊王攘夷一色に染めたかったのであるが、それを許さなかったのが、参政吉田東洋を始めとする上士であった。
吉田は守屋の未来の話を聞いて、土佐を中心に外国から技術を学び、国内の強化や富国強兵を目指していた。
坂本龍馬や大久保利通が、この先に考えつく日本の行く末だったが、守屋が吉田に話した事でそれよりも早く、土佐藩に浸透してしまった。
この頃から少しずつではあるが、歴史が変わってきてしまう。
当然、吉田の開国論は、攘夷論を唱える武市と対立してしまうのだが、下士が上士相手に勝てる訳もないため、下士は水面下で動くしかなかった。
しかし、上士と下士が表立って対立してしまう事件が起きてしまった。
1861年3月
守屋達が土佐にタイムリープして中平の世話になって、はや2年の月日が経っていた。
2年も経つと、守屋達は中平と兄弟のような仲になっており、名前で呼びあっていた。
中平にはもう1人、別々に暮らしている寅之進と言う兄がいた。
寅之進も度々、中平邸を訪れるため、守屋達とも打ち解けていた。
守屋と拓司と中平の3人は武市道場の帰り道に、守屋が武市道場に忘れ物をしてしまい、とりに戻った。
2人は先に帰っていたのだが、その途中に前から2人の上士が歩いて来る。
当然2人は道の端に立ち止まり、一礼して道を譲った。
拓司もこんな事もう何度もやっている為、慣れてしまっていた。
しかし今日は違った。
上士の1人がかなり泥酔していて、フラフラの状態であった。
拓司達の横を通り過ぎる時、よろけて中平にぶつかって中平と共に転倒してしまったのだ。
泥酔した上士は山田広衛。
この山田は下士対する差別が激しく、下士からは鬼山田と呼ばれ嫌われていた。
山田は転倒して、服が汚れ中平に激怒した。
「貴様、下士の分際で何をしちゅうがぁぁ!」
この理不尽な言い分に対し、中平は反論もせずに、謝罪した。
しかし泥酔した山田の怒りは収まらず、尚も中平に詰め寄る。
「土下座しぃやぁ」
流石にそれは横暴すぎる為、拓司が割って入る。
「お待ちください、最初にぶつかって来たのは、山田さんでしょう、それなのに、忠次郎は謝ったじゃないですか」
拓司の言葉に山田は更に激昂し刀を抜いた。
「なんじゃちぃ貴様ぁ誰に物言ってるがじゃ!」
これはマズイと感じ、中平は地面に頭を擦り付けて、山田に土下座した。
それを見た山田は、酔っている事と下士に対する優越感に浸ったのか、中平の頭を足で踏みつけた。
これには拓司が激怒し、山田を突き飛ばした。
「やめろ!なんて事するんだ!」
山田は吹っ飛び、背中から地面に転んだ。
どんな理由でも、下士が上士を突き飛ばすなど、前代未聞である。
山田起き上がり、激怒して拓司に斬りかかった。
その時である拓司を抱きしめる様な形で、中平が拓司を庇い、背中を右肩から左腰まで深く斬られてしまった。
拓司は何が起きたか一瞬分からななかった。
中平が苦しそうに拓司に囁く。
「た、たくじ、ゲガはないろうか...」
「忠次郎...?」
中平の背中からは大量の血が出ている。
泥酔しているとはいえ、山田も初めて人を斬った為、この場に居るのが怖くなり、捨て台詞を一言残して、もう1人の上士と、この場から立ち去った。
拓司は自分に倒れ込む中平を、しっかり抱きしめながら懸命に呼びかけた。
「おい!忠次郎!忠次郎!しっかりしろって!」
拓司の必死の呼びかけに、浅い息遣いで小さい声で囁いた。
「ぶ、ぶじで、よかったきぃ」
拓司は目から大粒に涙を流しながら、大声で叫んだ。
「何で庇ったんだよ!!おい死ぬな、死ぬなよ忠次郎!」
今にも息絶えそうな中平だった。
「お...おんしらぁと一緒に過ごした2年...た、楽しかったぜよ...もっと...」
言葉の途中で、中平は静かに息を引きとった。
中平を抱き抱えながら、拓司は懸命に呼びかけた。
「忠次郎!忠次郎!お願いだから目を開けてくれって!!!」
しかし再び、中平が目を開けることはなかった。
拓司は号泣しながら、何度も友の名前を呼び続けていた。
あたり一面、真っ赤な夕陽が拓司達を照らしていた。




