第三章 復讐の対価
数日のはずだった。
けれど一週間が過ぎ、二週間が過ぎても、ウスたちは出ていかなかった。
母の寝室にはウスの着物が掛けられ、鏡台の引き出しにはクリの帳面が入るようになった。ハチが軒先に作った巣は日に日に大きくなり、今では家の中にいても羽音が聞こえた。
牛糞は、相変わらず離れの蔵で寝起きしていた。毎朝、ウスの布団を上げ、クリの荷物を運び、ハチの仲間たちが汚した軒下を掃除した。
柿の売上は、クリがきちんと報告してくれた。
「こちらが今月分です」
差し出された袋には、銭がわずかしか入っていなかった。
「これだけですか」
「町までの運搬費、販売手数料、選別費、それからハチさんたちへの収穫作業費を差し引いております」
クリは帳面を見せた。細かな数字が、何列にもわたって並んでいた。
子ガニにはよく分からなかった。
だが、クリがごまかすはずはない。何より、これまで腐らせていた柿が、少しでもお金になったのだ。
「ありがとうございます」
子ガニは銭の入った袋を受け取った。
そのころ、村ではハチの噂を聞くようになっていた。
道を歩いていた狸が突然刺された。果物屋の店先に大勢のハチが集まり、商売ができなくなった。森の外れでは、鳥の巣が一つ乗っ取られたらしい。
すべて軒先の巣にいるハチたちの仕業だという者もいた。
子ガニはハチに尋ねようとした。
しかし、庭へ出ると何匹ものハチがこちらを見ていた。
違うかもしれない。
ハチは自分たちを守るために仲間を呼んだのだ。村で悪さをしているハチが、すべて同じ巣の者とは限らない。
子ガニは何も聞かなかった。
さらに数日が過ぎた。
サルの仲間が現れる気配はない。
子ガニは意を決して、母の寝室――対策本部へ入った。
ウスは母の布団に横たわり、クリのむいた柿を食べていた。
「あの、ウスさん」
「何でしょう、坊ちゃん」
「サルの仲間ですが、もう仕返しには来ないのではないでしょうか」
「私もそう思っていたところです」
ウスは身体を起こした。
「やはり、あのサルは群れから追われたはぐれ猿だったのでしょう。どうやら心配はなさそうです」
子ガニはほっとした。
「では、警護はそろそろ……」
「ええ。長いことお邪魔しました」
ウスは穏やかに頭を下げた。
「坊ちゃんたちの安全が確認できた以上、私どもがこちらに残る理由はございません」
思っていたより、あっさりしていた。
子ガニは、自分がウスたちを疑いかけたことを恥ずかしく思った。
ウスは何も言わず、クリをちらりと見た。
クリはその視線を受けると、すぐに鏡台の引き出しへ手を伸ばした。
「坊ちゃんにお見せしておいた方がよいものがございます」
クリは、何枚かの書面を取り出した。
書面には、サルへの仕返しにかかった費用が記されていた。
「勘違いなさらないでください。これは請求書ではありません」
子ガニは書面を受け取った。
「私どもは、お母さまの仇を討ちたいと思い、自分たちの意思でやったことです。ですから坊ちゃんに、費用をお支払いいただく義務はございません」
危険手当、クリの火傷の治療費、ハチの針の損耗、ウスの修繕費。それに、これまでの警護や対策本部の運営にかかった費用。
一番下には、子ガニが見たこともないような大きな金額が書かれていた。
「こういうことをしますと、後からお礼をしたいとおっしゃる方が多いものですから」
クリは申し訳なさそうに笑った。
「これくらいの費用がかかっているということだけ、ご理解いただければと思いまして」
「こんなお金、私たちには払えません」
「もちろんです」
クリはすぐに書面を引っ込めようとした。
「私どもとしても、このような費用を請求する気など毛頭ありません。あくまでも参考程度ですので、本当に気になさらないでください」
ウスもうなずいた。
「坊ちゃんからは、すでに十分なお礼の言葉をいただいております。それだけで結構ですよ」
二人とも、払わなくてよいと言っている。
それなのに子ガニには、そのまま帰ってもらうことができなかった。
サルと戦ってくれた。怪我もした。何日も家を守ってくれた。それを、ありがとうの一言だけで済ませてよいのだろうか。
「あの……全部は無理ですが、一部だけでも」
クリは首を振った。
「いえ、ですから、気になさらないでください」
「柿の売上を使えば、少しずつならお支払いできます」
「しかし、何年もかかってしまいますよ」
「構いません。皆さんにしていただいたことを考えれば、それくらいは当然です」
クリはウスを見た。
ウスはしばらく考えてから、静かに息を吐いた。
「そこまでおっしゃるのでしたら、坊ちゃんのお気持ちを無下にするわけにもまいりませんね」
「ありがとうございます」
礼を言ったのは、子ガニの方だった。
クリは、先ほどの書面をもう一度差し出した。
「柿の売上から少しずつということでよろしいですね。ただ、坊ちゃんたちの暮らしに負担がかかるようでしたら、いつでもおっしゃってください」
「はい」
クリは書面を畳んだ。
「では今までどおり、柿はこちらで販売いたしましょう」
「お願いします」
「売上をお預かりする以上、帳簿の管理も必要になります。念のため、対策本部も当面そのままにした方がよいでしょう」
ウスが子ガニを見た。
「ご迷惑ではありませんか、坊ちゃん」
「いいえ。皆さんさえよければ」
「それでは、もうしばらくお世話になります」
ウスは丁寧に頭を下げた。
出ていってほしいと切り出したはずなのに、ウスたちは残ることになった。
だが、子ガニが頼んだことだった。
誰かに強制されたわけではなかった。
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