第五話:数年後の電話。幸せになった君と、生まれ変わった私
海外の静謐な夜が、ホテルの高い天井に染み渡っていた。
豊田迦蓮は、鏡の前に立ち、自らの新しい身体を、そして完成された「女性」としての自分を静かに見つめていた。
手術の傷跡は癒え、鏡の中にいるのは、かつて高原玲奈の隣に立つことを許されなかった「俺」の面影を完全に失った一人の美しい女性だった。
彼女は、用意していた絹のドレスを滑らせるように身に纏う。
そして指先で丁寧に紅を引き、長い髪を整えた。
この着飾る行為は、単なる身支度ではない。
それは、玲奈への恋心を抱き続けていた「俺」という存在の、最後の一片を葬り去るための、聖なる儀式だった。
鏡の中の自分に向け、彼女は心の中で別れを告げる。
(さよなら、俺。
君が彼女を愛した証拠は、今この瞬間に、完璧な礎となって地中に埋まったよ)
その決意を裏付けるように、テーブルの上でスマートフォンが震えた。
画面に表示されたのは「高原 玲奈」の名前だった。
応答ボタンを押すと、画面の向こうには、かつての冷徹な「高嶺の花」ではない、柔らかな陽光のような笑顔を浮かべる玲奈がいた。
「迦蓮、久しぶり。元気にしてた?」。
玲奈の声は、幸せそのものだった。
彼女は、大学生活のこと、そして以前報告していた「彼氏」との近況を、照れながらも幸せそうに語った。
「私、ちゃんと前に進めてる。……あなたのおかげだよ」。
その言葉は、迦蓮にとって、礎としての「合格通知」のように響いた。
玲奈は、男性という存在を克服し、本当の意味で愛を知り、幸せを掴もうとしていた。
迦蓮が自らの人生を削って築き上げた土台の上に、見事な「幸せ」という名の建物が建ったのだ。
「よかった。
本当に、よかったわ」
迦蓮は、慈しむような微笑みで答えた。
しかし、玲奈が「今度、日本に帰ってきたら直接会いたい。あなたの新しい姿も見せてほしい」と言った瞬間、迦蓮の瞳に微かな陰りが差した。
完成された玲奈の幸せの中に、過去の「傷」の象徴である自分が現れることは、果たして正しいことなのだろうか。
「……そうね。
いつか、ね」
迦蓮は曖昧に笑い、自分にしか聞こえない声で囁いた。
通話を終えた後、彼女は静かに立ち上がり、夜景が見渡せる屋上へと向かった。
吹き荒れるビル風が、丁寧に整えたはずのドレスの裾を激しく揺らす。
見下ろす街の灯りは、まるで自分を祝う光の海のようだった。
彼女の心には、不思議なほどの多幸感と、それに勝る「終わり」への渇望が満ちていた。
礎としての役割は、今、この瞬間に完璧に遂げられたのだ。
彼女は高く聳え立つフェンスを乗り越え、その向こう側へと足を踏み出した。




