↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
42/44

第42話 膝をつく白銀

 翌朝の中庭は、人でいっぱいだった。

 ノルドの人々は筵に座り、砦の兵は列を作り、村からも見物が集まっている。ヴァルターが夜のうちにイリアへ願い出た、と聞いたのは朝食の席でだった。人前で、と団長が言ったそうだ。

 その意味を、ルカは中庭に呼び出されてから知った。

 ヴァルターは鎧を着ていた。旅装ではない。手入れの行き届いた聖騎士団の白銀を、丁寧に着込んでいる。この砦へ来て以来、この人が鎧を着たのは、北へ行った日を除けば初めてだった。

 団長は中庭の中央まで進み、そこで足を止めた。


「祈祷師・ルカ=エルネスト」


 名を呼ばれて、前へ出る。ざわめきが引いていくのが、背中で分かった。


「此度の戦、我が隊に死者はなかった。理由を、私は知っている」


 ヴァルターは兵たちのほうへ、一度顔を向けた。それから、また戻す。


「あの冬の森でも、同じことが起きていた。私は兵の半ばを失った。半ばで済んだ、と言うべきだろうか。見えぬ手が兵の背をかばうのを、私はあの日、確かにこの目で見ている」


 その言葉に、中庭が静まり返る。


「見ていて、名を探さなかった。あれは戦場の綾だと自分に言い聞かせて、それきりにした。……一度目の見誤りだ」


 団長の顎の傷が、わずかに動いた。


「二度目は、大聖堂だ。あなたが白を剥がれたあの日、私はあの場にいた。王太子の脇に立ち、一言も発しなかった。無能と呼ばれる者が追放されていくのを、職務だと思って眺めていた」


 ルカの喉が、詰まった。

 あの日の光景は、覚えている。列の先頭を歩く王太子。両脇を固めた二人の大人。片方は長官で、もう片方が、この人だったのだ。あのとき見上げた白銀は、遠くて、こちらを見てもいなかった。

 その白銀が、今、目の前に立っている。


「私の目は、貴殿を二度、見誤った」


 言い切って、ヴァルターは腰の剣を鞘ごと外し、左手に提げた。

 それから、鎧のまま、石畳に膝をついた。

 かつん、と硬い音が鳴る。

 兵たちの列が揺れた。誰かが息を呑み、誰かが半歩踏み出しかけて、止まる。ガングの舌打ちすら聞こえてなかった。

 団長は膝をついたまま、顔を上げてこちらを見上げた。


「聖騎士団長として、ではない。ひとりの騎士として──そなたに、詫びさせてくれ」


 飾りのない、短い言葉だった。

 弁解も、経緯も、事情もない。ただ、見誤ったと言い、詫びると言った。それだけのこと。

 ルカは、動けなかった。

 雪の中を歩いていた頃、こういう日を何度も思い描いた。いつか誰かが謝りに来る日のことを。想像の中では、もっと胸のすくものだったはずだ。

 それが、こうして目の前で起きてみると、胸はすかない。

 膝をついた四十半ばの男の、こめかみの白いものが見えるだけだ。この人はこの砦で兵に稽古をつけ、盾の角度を直し、北の谷では最後尾に残った。そういう二十年ぶんの背中が、石畳に折り畳まれている。

 こんなものを、望んでいたわけではなかった。


「顔を上げてください」


 ルカは、前へ出た。

 ヴァルターが顔を上げると、その前で片手を差し出す。


「先に、ひとつだけ言わせてください。……あの森で帰れなかった方たちの分は、僕には赦せません」


 団長の目が、揺れた。


「その分は、あの人たちのものです。僕が代わりに預かって、はいどうぞと渡すわけにはいきません。……そこは、ごまかしたくないんです」

「……道理だ」

「だから、赦しません。代わりに、注文をつけます」


 差し出した手をそのままにして、続けた。


「その剣で、これからも兵の背中を守り続けてください。僕の祈りは……そういう剣の隣が、いちばん働くので」


 言い終えて、少し恥ずかしくなった。

 偉そうだったかもしれない。もっと気の利いた言い方があった気もする。でも、これが正直な気持ちだった。あの神殿で加護がいちばん深く通ったのは、この人が自分の背を庇うのをやめて、隣のために踏み込んだときだ。祈りは、そういう剣の傍でだけ、深くなる。

 ヴァルターはしばらく、差し出された手を見ていた。

 それから、その手を取る。

 立ち上がる拍子に、鎧の重みが掌にずしりと乗った。

 腰を入れて引くと、白銀の巨体がゆっくりと持ち上がってくる。

 身を起こした団長は、剣を鞘ごと胸の前に立てた。


「承った。……安い注文だ。二十年、それだけを考えてきたつもりでいたからな」

「じゃあ、ちょうどいいですね」

「いや。つもりでいて、こうだ。……これからは、忘れずにやる」


 中庭のどこかで、槍の石突きが石畳を打った。

 一つが二つになり、二つが十になり、やがて中庭ぜんたいが同じ拍を刻みはじめる。兵が突き、村人が手を打ち、ノルドの人々が筵の上から加わって、砦の壁に音が反響した。喝采というより、得心の音だ。

 その音の中で、イリアが進み出た。


「ヴァルター。はじめにお会いしたとき、私は申し上げましたね。肩書は役に立たない、あなたの働きだけを見る、と」

「覚えている」

「訂正はいたしません。今のは、あなたの……立派な働きです」


 姫騎士はそう言って、深く一礼した。

 中庭の拍が、止まる。

 石突きの音が途切れ、手を打っていた者が手を止め、筵の上のノルドの人々までが、口を開いたまま黙り込んだ。

 王女が、騎士に頭を下げている。この辺境で三年、誰にも頭を下げずに立ってきた人が、腰から折るようにして。


「ひ、姫!」


 さすがにヴァルターが、慌てた。

 この人が慌てるのを、ルカは初めて見た気がする。半歩下がりかけ、手が上がりかけ、止める術も見つからず、結局、鞘ごとの剣を胸の前に立て直して、規定よりずっと深い礼を返していた。鎧が、ぎしりと鳴る。


「姫。それは、私には過ぎます」

「過ぎません。これが、あなたの働きに対する、私の精一杯の気持ちです。どうか、受け取ってください」

「……承知」


 顔を上げたイリアの目元が、わずかに赤い。

 団長のほうは、耳まで赤かった。

 二人が同時に顔を背けたので、ルカは笑いを噛み殺すのに一苦労だ。

 その静けさを、脇から突き破る声があった。


「なあってば! もう終わり!? おれ、まだ数え終わってないんだけど!」


 少年だった。木剣を振り回しながら、大人たちの隙間を割って前へ出てくる。

 中庭が、どっと崩れた。兵が吹き出し、村の女衆が声を上げて笑い、婆様が少年の首根っこを掴んで引き戻す。張り詰めていたものが、そこでようやくほどけた。

 ヴァルターも、口元をわずかに緩めていた。


       *


 人が散ったあと、ヴァルターは城壁へ上がってきた。

 ルカは先に上がって、北の稜線を眺めていた。あの向こうに谷がある。今は静かだ。静かなだけで、何も終わっていない。

 団長は隣に並ぶと、単刀直入に切り出した。


「私は王都へ戻る」


 やはりか、と思った。同時に、寂しさが湧いてくる。

 ルカとしては、ここに留まってほしかった。これほど心強い人間は、なかなかいない。

 

「此度の敵は、辺境ひとつの話ではない。村を丸ごと薪にする祭壇を、山ひとつ向こうで組んでいた。あれを陛下に直に言上できる者が要る。伝聞では、届かん」

「……ヴァルターさんが、証人になるんですね」

「見た者が黙っていては、あの冬と同じだ」


 団長の声には、迷いがなかった。

 証人……その言葉が、胸の底に落ちた。この人が王都で口を開けば、あの日の大聖堂で沈黙した分が、そっくり裏返る。誰が何を握り潰そうとしても、聖騎士団長が自分の目で見たと言えば、話は確実に残るのだから。


「……解析の件も、ですか」


 訊いてみると、ヴァルターは短く鼻を鳴らした。


「ああ。祈祷庁が、貴殿の祈りを聖杯で解くのだそうだな。数式に落として、目盛りに乗せると」

「そう聞いています」

「測れるものか、あんなもの」


 言い方が、ぞんざいだった。この人にしては珍しい。


「三年掛けて編まれた誓いを、数えられなかった三年で塗り替えた。あれが目盛りの何処に乗る? ……この目で見た者として、そう言ってくる」


 棘の一本を、この人が抜きに行く。

 そういうことらしかった。

 ルカは礼を言おうとして、うまく言葉にならず、結局、頭を下げた。きっと、言葉はいらないのだと思う。これで、十分だった。

 北の風が、二人のあいだを通っていく。訊きそびれていたことを、ルカは思い出す。

 あの祭壇の炉は、いったい何のために焚かれていたのか。王家の血を注いで、その先に何を起こすつもりだったのか。仮面は、そこだけは最後まで言わなかった。

 訊ねると、団長は首を振った。


「分からん。分からんまま、持ち帰る。……分からんことを分かったふりで報せるのが、いちばん危ない──」

「ふたりで内緒話ですか?」


 その時だった。石段に足音がしたかと思えば、声が降りかかってくる。

 イリアだ。後ろにヨナスが続いている。老従者は帳面を胸に抱えて、いつになく機嫌がよさそうだった。


「ヴァルター。出立は、いつのご予定ですか?」

「早いほうがよかろう。明日にでも」

「なるほど。却下します」


 姫騎士が、あっさりと言い切った。


「丘で宴をやります。ノルドの方々の足が戻り次第。……ヨナスが樽を三つ、春から抱えて待っておりました」

「三つでは足りませぬな。四つに致しましょう」


 ヨナスが帳面を開いて、いかにも老従者らしい顔で数を読み上げはじめる。ヴァルターは口を開きかけて、閉じた。それから、この砦へ来て二度目の、低い笑いを漏らす。


「……指揮官の命令か」

「いいえ。王女としての命令です」

「それならば……仕方ありませんな」

「ええ。従っていただきます」


 姫騎士と、聖騎士団の団長が、柔らかな笑みを交わす。

 北の稜線は、まだ静かだった。

 その静けさを背にして、ルカは樽の数を数えている老従者の横顔を見ていた。四つ。百人ぶんの根菜と、山菜と、婆様の握り飯。数えなくていいものを、この人たちは今日も丁寧に数えている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。