第4話 僕の祈りは、姫騎士様にだけ届く
村は、地獄だった。
黒い魔物の群れが、家々の間を埋め尽くしている。先の黒狼など、比ではない数。そして、その中央に、見上げるほどの大型の魔物がいた。オーガだ。丸太のような腕を振るい、逃げ惑う村人を、家ごと薙ぎ払おうとしている。
「させません!」
イリアが、飛び込んだ。錆びた剣が、群れを裂く。村人を庇い、退路を作り、一体、また一体と斬り伏せていく。緩んだ鎖の分だけ戻った剣技は、確かに鋭かった。
しかし──。
ルカには、視えていた。
彼女が剣を振るうたびに、その身体に巻きついた黒い鎖が、ぎちぎちと食い込んでいくのが。戦えば戦うほど鎖はきつく締まり、彼女自身を痛めつけている。力を振るうことそのものが、呪いを煽っているのだ。
「はぁッ!」
オーガの一撃を、イリアが剣で受ける。
膝が、沈んだ。
「くっ……これしきのことでッ」
剣先が、震えている。あの大型を仕留めるには、あと一歩の力が要るのだ。その一歩を、鎖が阻んでいた。
村人が、崩れかけた家の陰で身を寄せ合っている。
「お、おい! 姫様、ピンチじゃないか!?」
「だ、だけど、あんな化け物、俺たちじゃ、どうにも……」
守るべき人がいて。届かない一撃があって。その狭間で、イリアが軋んでいた。
(でも、僕は……)
戦えない。剣も魔法も使えない、無能。
この群れの中で自分にできることなど、何ひとつないはずだった。
(そんなことない。僕にだって、できることはあるはずだ!)
真実から逃げなかった、あの日のように。
無力でも祈った、あの雪原のように。
ルカは、雪と土の上に膝をついた。
震える指先を、口元へ運ぶ。
「──ぐッ」
歯を立て、浅く傷をつけた。
ぷつり、と朱い滴が一粒。その血を、雪の上へ落とす。
「お、お客人。何をなさるつもりですか?」
ルカの奇行を見て、ヨナスが訊いてきた。
「僕は、僕のできることをやるまでです」
答えつつ、指で円を描き、文様を刻んでいく。
──祈祷陣。
血の朱が生き物のように陣の溝を走り、雪の中に、紋様が浮かび上がった。
成功するかなんて、わからない。でも、さっきルカの祈りは、彼女の鎖を解いた。
ならば、もっと強い祈祷術を使えば。彼女の力を、解放できるかもしれない。
ルカは目を閉じ、祈りの言葉を紡ぎ始めた。
「──聞きたまえ。名も知らぬ神々よ。天の淵にて、耳を澄ます者よ。
我が手は、空し。癒す力もなく、守る術もなく、捧ぐべき何も持たぬ。
されど──空しき器なればこそ、他者の誓いを、この身に容れよう」
紡がれた祈りが、一言ごとに淡い金の文字となって、宙へ立ち昇っていく。
「見よ。ここに、一つの誓いあり。
己が誉れのためならず、民のために剣を抜きし者。
凍える者に、己が衣を脱ぎ与えし者。
名も無き命を、見捨てざりし者。
その誓い、偽りなし。
──我、これを、保証する」
この祈りが、また空を切っても構わない。
どこにも届かなかった祈りだ。今さら、期待などしていない。
それでも、この人のために祈りたかった。
「砕けよ──魂を縛る、黒き鎖。
目覚めよ──錆に朽ちたと偽られし、真の刃。
顕れよ──封ぜられしその力に、いざ、神の名を。
我は、戦えず。剣も、術も、持たず。
持てるは、ただ──祈りのみ。
どこにも、届かぬこの祈り。
されば、今──汝にのみ、届け。
──祝祷。〈誓約祈祷〉!」
祈りが、一気に周囲へ広がった。
そして、ルカの言葉がイリアの誓いに触れると──パキンと硝子の割れるに似た、硬質な音が戦場に響いた。
黒い鎖の一本が、砕けたのだ。
次の刹那。
イリアの手の中で、錆びた剣が変わり始めた。
赤茶けた錆の層が、光の粒となって剥がれ落ちていく。ぱらぱらと、雪に散る錆の下から現れたのは、白銀の、刃。
(ま、まさか……あれは、神剣!?)
ルカは直感した。あれは、ただの剣ではない。錆に偽られていた、その正体。白銀に燃える、神の剣。
イリア自身が、息を呑んでいた。
この剣が王家の神剣だと、彼女は知っていたのだろう。継ぐ資格を持つ、王女なのだから。
その本当の姿を。白銀に輝く刃を、生まれて初めてのもののように、見開いた瞳で追っていた。
どうして王族の彼女があんな錆びた剣を使っていたのか、ずっと疑問だった。
だが、これを見ればその意味を理解するのも容易い。
あの剣こそ彼女の力を最も引き出すものだったのだ。或いは、彼女が呪われたことによって、あの剣の力も失われてしまっていたのかもしれない。
それが今、目を覚ましている。追放された、無能の祈祷師の祈りで。
「はぁぁぁぁッ!」
イリアが白銀の刃を振り上げたのと、オーガが丸太の腕を振り下ろしたのは、ほぼ同時だった。
交錯は、瞬きにも満たない。
白銀の剣閃が雪を裂き、大気を裂いてオーガの巨体を袈裟懸けに両断した。
どう、と二つに割れた巨体が雪煙を上げて崩れ落ちる。
あとには、静寂だけが残った。
村人たちが、呆然とその光景を見上げていた。
蔑まれていた〝呪われ姫〟が。錆姫と嗤われていた人が。今、白銀の神剣を握って、化け物を、たった一太刀で屠ったのだから。
「あれが……呪われの、姫様?」
「いや、違う。あれは──王家の、神剣だ!」
「姫様は、遂に本物の神剣使いになられたのだ!」
ざわめきが、畏れから別のものへと変わっていく。
イリア自身も、まだ信じられないというように、手の中の白銀に見入っていた。その手が、微かに震えている。
そして、白銀の刃を握ったまま、イリアはゆっくりとルカを振り返った。
「これは……あなたの祈り、なのですか?」
その声は、震えていた。
ルカがこくりと頷くと。イリアの唇が、柔らかくほどけた。泣きそうな、それでいて、この上なく晴れやかな笑顔で。
「ありがとうございます」
彼女は言った。
「……私の、祈祷師様」
その言葉が照れ臭くて、ルカは雪の上に膝をついたまま、天を仰いだ。
三年間、聖杯を一度も動かせなかった祈り。無能と嗤われ、白を剥がされ、何の値もつかなかった祈り。
それが今、人ひとりの神剣を目覚めさせた。
(僕が祈れば……この人は、誰にも負けない)
胸の奥に、満ちてくるものがある。誇りと呼ぶにはまだ小さかった。けれど確かに温かい、その芽のようなものが、自分の中に芽生えていた。
自分の祈りに、意味があった。
それが、何よりも嬉しかったのだ。
戦いの終わった村に、雪が静かに降っている。
イリアが白銀の刃を鞘に納め、ルカのもとへ歩み寄ってきた。そして、雪に膝をつくルカへ、先程と同じく、もう一度手を差し伸べる。
「私の祈祷師様。どうか……私と一緒に、この地を支えてくれませんか?」
「僕でよければ、喜んで」
その手を取って立ち上がり、ルカは答えた。
今度は迷わなかった。
自分の祈りが、彼女には通じる。
彼女だけが、自分の祈りを必要としてくれる。
それを、確信できたから。
それに──。
(この呪いのことも、気になるしね)
そう。砕けた呪いの鎖は、たった一本だけだった。彼女の魂を縛る黒い鎖は、まだ幾重にも残っている。
白銀の神剣を取り戻して、尚。イリアは、呪われたままなのだ。
(もし、僕に役目というものがあるのなら)
この鎖を、全部断ち切ることだろう。
できるだろうかと不安になって、やってみせるとすぐに言い聞かせた。
まだ始まったばかりの、その誓いのために。
雪の降る空の下で、ひとつルカも誓いを立てる。
この人のために祈ろう、と。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
このあと、ルカがどうなるのか。
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