表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/27

第23話 手ぶらの使者と止まらぬ噂(王太子視点)

 王宮の私室で、ランド=アンセルムは窓の外を睨んでいた。

 北の街道は、今日も雪に霞んでいる。


(……遅い)


 使者を放って、もう幾日になる。指を折って数えるたび、苛立ちばかりが募っていた。

 だが、成功を疑う気持ちは微塵もない。

 脳裏には、もうその先の絵図が描き上がっていた。

 あの祈祷師を連れ戻す。辺境の勝利は、王家が育て、送り出した祈祷師の功として、書き換えられるのだ。神剣を目覚めさせた力は、次代の王たる自分の手の内に収まる。諸侯のざわめきも、民の嘲りも、あの泥に沈んだ紋章旗の汚辱も、そこですべて、雪がれるだろう。

 なにしろ、こちらは恩赦までくれてやったのだ。

 罪を赦し、手を差し伸べてやる。追放された無能にとって、これほどの誉れがあるものか。飼い主が呼んでやれば、犬は尾を振って戻る。それ以外の筋書きなど、この世のどこにもあるはずがなかった。


(あの祈祷師さえ、この手に戻れば。……諸侯も、民も、また私を見上げる。何もかもが、元へ戻る)


 卓の杯を取り、ひと口、呷った。


「使者は、まだ着かぬのか」


 控えの従者へ、振り向きもせずに問う。


「は……まだ、報せは」

「ふん。辺境の雪道だ、手間取っておるのだろう」


 鷹揚に構えて見せながら、ランドは口の端だけで笑った。

 待つのは、勝利の報せだ。ならば、多少遅れたところでどうということはない。

 そして、その報せは翌日の夕刻に届いた。

 勅使の帰還。ランドは謁見の間へ急ぎ、玉座に次ぐ席へ、堂々と腰を据えた。さあ、連れて来い。あの無能の、平伏した姿を見せてみろ。

 だが──扉をくぐった勅使は、独りだった。

 隣に、祈祷師の姿がない。後ろにも、いなかった。従者の列のどこにも、あの男の顔がない。

 それどころか、勅使そのものが、見る影もなかった。出立の日にはあれほど誇らしげだった装束が、今は薄汚れ、着ている当人はうなだれている。


「……どういうことだ」


 ランドの声が、低くなった。


「祈祷師は、どうした」


 勅使が、その場に膝をつく。額を床にすりつけんばかりに、頭を垂れた。


「も、申し上げます。祈祷師ルカは……召還を、拒みましてございます」

「……何、だと?」


 言葉の意味が、すぐには、頭に入ってこなかった。

 拒んだ。恩赦を。王家の召還を。あの、行き場もなく捨てられた無能が。


「辺境は、王命に牙を剥きました」


 勅使が、言い募る。その声は、保身の色に上ずっていた。


「あの祈祷師を渡さぬと、砦の者ども、ことごとく壁となって立ち塞がり……剣を抜けば、こちらの首が飛ぶところで、ございました」

「反逆だ……!!」


 ランドは、肘掛けを殴りつけて立ち上がった。


「あの田舎砦が! 王家に、弓引くというのか!!」


 怒声が、謁見の間に響き渡る。居並ぶ側近たちが、一斉に首を竦めた。

 無能の分際で。恩赦を、くれてやったというのに。あの薄汚い辺境ごときが、次代の王の手を、払い除けたというのか。

 煮え立つ腹の底へ、勅使が、さらに油を注いだ。


「それに……その、恐れながら」


 言いにくそうに、声を落とす。


「第三王女殿下が……此度の召還は、陛下の御意思にあらず、殿下の……その、私命である、と。皆の前で、公言なさいまして」

「……私命、だと?」

「は、はい。さらには、その……救援を断った際の、返書を。記録として、突きつけられ……こちらには、返す言葉も、なく」


 かっ、と頭に血が昇った。


「あの錆姫がぁ……ッ!!」


 ランドは、歯を剥いた。

 呪われ姫の分際で。王家に捨てられた身の分際で。よりにもよって、王太子の命を、私命呼ばわり。


(拾った追放者風情に、たぶらかされおって……! 二人して、王家を愚弄する気か!!)


 あの姫が、自分の頭でそんな口を利けるはずがない。あの祈祷師だ。あの陰気な男が、姫に妖しげな知恵を吹き込んでいるに違いない。


「兵を出せ」


 気づけば、そう口走っていた。


「辺境を討つ。反逆者どもに、王家の力を思い知らせて……」

「殿下」


 静かな声が、それを遮った。

 部屋の隅に控えていた、聖騎士団長だった。


「兵を、と仰いますが」


 団長は、感情の読めない顔のまま、事実だけを、そこへ置いた。


「森で失うた聖騎士は、戻りませぬ。残る兵は、王都の守りで手一杯。今、辺境へ差し向けられる兵は、ございません」

「……ぐ、ぬっ」


 ランドは、言葉に詰まった。

 そうだ。兵は、ない。あの森で、半分を失った。

 誰のせいで、とは考えない。考えられなかった。そこへ思考が進みかけるたび、頭のどこかが、ぱたりと蓋を閉める。

 団長は、なおも口を開きかけて。だが、結局、何も言わずに目を伏せた。

 ランドは、荒い息のまま席へ沈み込んだ。

 起死回生の一手のはずだった。あの祈祷師さえ連れ戻せば、すべてが元に戻るはずだったのだ。

 その一手が、手ぶらで帰ってきた。最悪だ。



 それからの数日は、ランドにとって、責め苦の連続だった。

 王都が、辺境の武勇伝で満ちていく。

 数千の魔物の大群を、わずかな守備隊で退けた辺境の砦。白銀の翼を広げる神剣。それを振るう、美しき姫騎士。そして、その剣を目覚めさせたという、祈りの者。

 噂は、市場から酒場へ、酒場から屋敷へ、屋敷から城内へと、際限なく染み渡っていった。

 廊下を歩けば、下女が鼻歌をこぼしている。


「♪……錆びし剣に、白銀の、翼ぁ……」

「やめよ!」


 ランドは、足を止めて怒鳴りつけた。


「その歌を、二度と私の前で口にするな!」

「ひっ……も、申し訳、ございませんっ」


 下女は、青ざめて逃げていった。

 だが、歌は消えない。

 夜会に出れば、貴族どもが、聞こえよがしに辺境の話に花を咲かせる。守り神の姫君は、それはお美しいらしい。祈りの者は、聖杯に映らぬ力の持ち主だとか。いやはや、王都は惜しい者たちを手放したものだ。

 窓を開ければ、街から歌が昇ってくる。吟遊詩人の爪弾く弦に乗って、あの名が、繰り返し、繰り返し。


「祈りし者の名は、ルカ……」


 無能と数え、要らぬと捨てた、あの名が。

 王都の空を、我が物顔で、飛び回っている。

 自分が敗軍の将として浴びた、あの侮蔑と。あの二人が浴びている、この称賛と。それが同じ王都で、同じ空の下で、同時に鳴っていた。


「触れを出せ」


 ランドは、従者に命じた。


「あの下賤な歌を、王都から一掃しろ。歌う者は、捕らえよ」


 従者は、困り果てた顔で、口ごもった。


「そ、それが……もはやあまりに広まっておりまして。今さら触れを出せば、却って……その、火に油を注ぐことになりかねぬかと」

「……役立たずめ!」


 吐き捨てたが、従者を責めたところで、どうにもならないことは、ランド自身が一番わかっていた。

 歌ひとつ、止められない。

 噂ひとつ、消せない。

 次代の王の権威とは、この程度のものだったのか。


(なぜだ。なぜ、俺が沈み、あの無能が、昇っていく!? 要らぬと、捨ててやったものが……!)


 その問いを、何百度、腹の底で転がしても。

 答えには、決して、辿り着かなかった。

 そして、追い打ちは、足元からも来た。

 その日、私室を訪れた宰相は、いつもと様子が違っていた。

 白い髭の老人は、一礼こそしたものの、その所作は儀礼の型をなぞっただけで、目は、少しも笑っていない。冷ややかで、事務的で、厄介な帳簿でも検分しに来たかのような気配だった。


「殿下。此度の使者の件、諸侯の間でざわめきが広がっております」

「使者の失態だ。あの無能が、役目を果たせなんだ」

「陛下も」


 宰相は、ランドの言い訳を、聞かなかったかのように続けた。


「此度の一件、いたく、ご憂慮でございます」

「なん、だと……!」


 陛下。

 その一語が、冷たい重石になって、ランドの胸へ沈んだ。

 伯父上が、憂慮。この王太子を。次なる王を。


「辺境と事を構えるは、今の王国に益はございませぬ。後始末は、こちらで進めております。殿下は、しばしお控えを」

「控えろ、だと!?」


 ランドは、気色ばんだ。


「私は、次代の王だぞ。この一件も、私が自ら……宰相、貴様までが、私を軽んじる気か!!」

「……失礼いたします」


 宰相はそれ以上何も言わなかった。

 一礼し、ランドの言葉が終わるのも待たずに、背を向けて退がっていく。その背中の素っ気なさが、どんな諫言よりも、雄弁だった。


(何だ、何なのだ、あの態度は!)


 ランドは、閉ざされた扉を、呆然と睨んだ。


(誰も彼も。俺少し躓いた途端、掌を返しおって。不忠者どもが!)


 そう罵ってはみるものの、足の下の地面が音もなく滑り出している。その冷たい心地だけは、どう罵っても拭えなかった。

 極めつけは、その夜の側近の報告だった。


「殿下。祈祷庁の者どもが、妙なことを、申しております」

「妙なこと、だと?」

「は。あの追放された祈祷師の神託は、正しかった、と。あの壊滅を、事前に言い当てていたのだ、と」


 ランドは、杯を持つ手を止めた。


「大聖堂におった祈祷師の多くが、口を揃えておるとか。自分は初めから、あの神託が只事ではないと見ておった。あれを嘲り、退けたのは、長官と……その、殿下の、御判断であった、と」


 かちり、と杯が卓を鳴らした。

 嗤っていたのは、あの者たちではないか。

 聖杯の前で、列の後ろで、揃いも揃ってあの男を無能と囃し立てて。それが今になって初めから見抜いていたなどと、過去をぬけぬけと塗り替えて。剰え、責任をこちらに押し付けてくるとは。


「……何を、今さら」


 ランドは、絞り出すように言った。


「あれは、まぐれだ。偶然に決まっておろう」

「ですが、殿下。街でも、噂が……あの祈祷師は、真の神託を告げたがゆえに追放された、と。それが、まことしやかに……」

「黙れ!」


 卓を、殴りつけた。

 真の神託。告げたがゆえに追放。その言い方では、そのように話が進めば、行き着く先は、ひとつしかない。壊滅の因は、警告を退けた者にある、と。


(この俺にある、と……!)


 喉の奥が、ひやりと冷えた。

 だから、ランドはいつものように、跳んだ。その結論の一歩手前で、別の説明へと飛びついた。


「いや。違う。そうではない」


 そうだ。見えてきたぞ。


「あれは……呪いだ」


 口にした途端、その言葉が、ぴたりと嵌った気がした。


「あの男が、我らの遠征を呪ったのだ。去り際に、敗北の神託などと縁起でもない言葉を吐き、我らに呪いをかけた。だから、負けた。……そうだ。そうに、決まっている!」


 側近が、当惑げに目を泳がせる。だが、ランドは、もう聞いていなかった。


(そうだ。俺は悪くない。悪いのは、呪いをかけたあの祈祷師。王家をたぶらかす、あの妖術使いだ)


 ふと、思い出した。


「……そういえば、長官はどうした。祈祷庁の不始末、当の長官が申し開きに来んのは、どういう了見だ」

「は……それが。此のところ、体調が優れぬと申され、屋敷に籠もったきりに……」

「ふん。使えぬ男よ」


 鼻を鳴らしはしたが、胸の隅に、小さな引っかかりが残った。あの、揉み手ばかりの男が、この局面で顔を見せぬとは。

 だが、それを深く辿るより先に、憎悪が、思考を塗り潰していった。

 そして、その夜半。

 ランドは、独り私室にいた。

 杯は、もう何杯目か、わからない。酔いは、少しも回ってこなかった。

 耳の奥で、四方の音が鳴っている。

 止まらぬ歌。消えぬ噂。祈祷師どもの証言。宰相の、冷たい背中。そして、姿を見せぬまま迫ってくる、伯父上の憂慮。

 それらが、じわりじわりと、この部屋の壁を内へ押してくる気がした。

 ……わかっている。

 本当は、どこかで、わかっているのだ。

 あの神託は、まぐれではなかった。あの男を追放しなければ、遠征は勝っていた。あの姫を捨てなければ、神剣は王都で目覚めていた。すべての始まりは、自分にある、と……。


(認めてしまえば、楽になれる、だと?)


 ランドは杯を握り締めた。


(ふざけるな!)


 認めれば、どうなる。この失墜のすべてが、自分の判断の誤りから始まったと、認めることになるではないか。次代の王が、無能と嗤って捨てた男に、頭を下げることになる。それは、ランド=アンセルムという人間の、全否定だ。

 だから、認めることだけは、絶対にできない──。

 その代わりに、ランドは物語を塗り重ねる。

 辺境は、反逆した。あの祈祷師は、王家を呪う妖術使いだ。姫は、たぶらかされた。王太子は、嵌められた。ランド=アンセルムとは、被害者なのである。

 そうだ。それでいい。それなら、自分は悪くない。

 窓の外から、また、あの歌が昇ってきた。


「祈りし者の名は、ルカ……」

「……黙れ!」


 ランドは、立ち上がり、窓を、力任せに閉ざした。


「黙れ、黙れっ!!」


 だが、歌は止まらなかった。

 閉ざした硝子の向こうで、旋律はなおも高く澄んで昇っていく。

 ランドは、独り歯噛みした。

 まだ、挽回できる。辺境の増長も。失った威信も。伯父上の不興も。何もかも、必ずこの手に取り返してみせる。そう信じて疑わなかった。

 だが、その足元が、もう崩れ始めていることに。

 四方から迫るあの声が、己の首を静かに絞め始めていることに。

 ランドだけが、まだ気づいていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ