第21話 勅使、辺境に至る
召還の報せから、数日が過ぎた。
あの夜以来、砦にはどこか張り詰めたものが漂っていた。誰も口には出さない。だが、王都からの使者がいずれ来るのだと、皆が承知していた。
そして、その日の昼。
ルカが中庭で結界石の様子を確かめていると、物見櫓の上から切迫した声が降ってきた。
「街道に、一団! ……王都の、紋章旗ですッ!」
その一声で、砦がざわりと揺れる。
ルカははじかれたように、街道の彼方へ目を向けた。
雪原に、不似合いなものが近づいてくる。
磨き抜かれた鎧が、鈍色の陽を弾いていた。幾重にも重ねられた装飾。風を孕んではためく、王都の紋章旗。護衛の騎馬が隊列を組み、その後ろに荷を担いだ供回りが続いている。人と、飾りの、量。それだけで示そうとする権威だ。
少し前に、自分を雪の中へ捨てた側の色だった。
眺めているだけで、腹の底が冷えていく。
一団の先頭を進むのは、分厚い毛皮の外套に埋もれた男だった。辺境の寒風が応えるのか、露骨に肩を縮めている。勅使、と物見が呼んでいた。
その隣には、祈祷庁の装束をまとった官吏がひとり。値踏みするような目つきで、砦の外壁を、朽ちかけた櫓を、脈打つ結界の網を、しきりに検分していた。
門をくぐった一行が、中庭で足を止めた。
その視線が落ち着きなく滑っていくのを、ルカは見て取る。淡く光を巡らせる結界の網。継ぎ当てだらけでも、背筋の通った兵たち。そのどれもの上を、勅使と官吏の目が行き場を探すように往復している。
どうやら、王都で思い描いてきた砦とは勝手が違ったらしい。
報せから数日、覚悟はしていたつもりだった。
だが、こうして王都の紋章旗を目の前にすると、膝が勝手に後ずさろうとする。逃げ出したかった。三年かけて骨身に刻んだあの萎縮が、まだ抜けきってはいない。
(……落ち着け。もう、あの頃の僕じゃないんだ)
白い息を、ひとつ、長く吐く。ルカはその場に踏みとどまった。
勅使が外套の襟をかき合わせながら、供の者へ聞こえよがしに漏らした。
「これが、辺境砦か。……人が住んでいるのが、不思議なほどだ」
官吏のほうは結界の網を見上げて、訝しげに眉を寄せている。
「ですが……妙ですぞ。この結界、ずいぶんと、しっかり張られております」
勅使は外套の襟をなお深くかき合わせ、横柄に中庭を見渡した。
「追放された祈祷師は、いずこか。引き立てに参った」
その視線が、すぐ傍に立つルカの上をするりと素通りしていく。
理由は察せられた。この人は、打ちひしがれた罪人を探しているのだ。うなだれ、みすぼらしく、みじめに震えている。そういう男を探しているから、目の前に立つ祈祷師と追い立てるべき名とが、結びつかないようだ。
傍らの若い兵が、当然のように応じた。
「ルカ様なら、そちらに」
勅使の眉がひそめられる。供の者へ、低く何ごとかを囁いた。
その戸惑いの理由も、ルカには読み取れた。追放した無能に、敬称がつく。それがこの人たちの序列では、どうにも呑み込めないのだろう。
「ルカ、様?」
勅使が聞き咎めるように繰り返す。
「……追放者だぞ。この地の者は、序列も知らぬのか」
ルカは前へ進み出た。
「その、追放された祈祷師が、僕です」
周りの兵が当たり前のように会釈し、道を空ける。その光景と、うらぶれているはずの男へ集まる敬意との間で、勅使と官吏の視線が置き場を失ってさまよっていた。
そこで、ルカは官吏の顔に見覚えのあることに気付いた。
あの大聖堂で、聖杯の前に立った自ルカへ、抑揚のない声で「最低ランク」と読み上げた祈祷官だ。列の後ろで嗤っていた顔のひとつ。
忘れるはずも、なかった。
向こうは、まだ気づいていないらしい。追放者の顔など、いちいち覚えてはいないのだろう。
中庭の空気が、そこで動いた。
兵たちが左右へ分かれ、その奥から白銀の鎧をまとったイリアが歩いてくる。腰には、神剣。鞘に納まったままでも、その刃は隠しようのない魔力を放っていた。
官吏の目が、その一点へ吸い寄せられる。声を失っていた。
理由はわかる。祈祷庁の人間なら、あの剣がかつて錆に朽ちていたことを知っているはずだ。名ばかりの神剣。呪いに蝕まれ、力を失ったと切り捨てられた、あの剣を。
その錆が、落ちている。それに気づいてしまったのだろう。
「イリア王女……!」
官吏が、掠れた声を漏らした。
「その神剣の、魔力は……まさか、本当に。錆が、落ちて……!?」
イリアは悠然と歩を進めた。
「私の剣ですか? ええ、この通りです」
言うなり、鞘から刃を滑らせる。
白銀が雪明かりを弾いて、中庭にまばゆい光を投げた。勅使と官吏が、揃って息を呑む。
「この剣を蘇らせたのは、こちらの祈祷師、ルカに他なりません」
イリアは刃を鞘へ戻すと、信頼のこもった笑みを浮かべてルカの隣へ並び立った。
「なんと……」
勅使が呻くように漏らす。
「噂は本当だったのか」
官吏の声も、震えていた。
想定と現実が、少しずつ、ずれていく。
その軋む音が、ルカにも聞こえる気がした。
「こ、こほん」
勅使は咳払いをして、供の者から羊皮紙を受け取る。
そして、それを恭しく広げた。読み上げる声には、その所作とは裏腹の尊大さがにじんでいる。
「王太子ランド=アンセルム殿下におかれては、格別の御慈悲をもって、汝ルカ=エルネストの、かつての不敬を赦し給うた」
不敬。
その一語を、ルカは黙って受け止めた。
「本来ならば、敗北の神託を吐き、殿下の御遠征に水を差した罪、赦されるものではない。だが殿下は、汝の才を惜しまれた。ありがたく、王都へ戻るがよい」
因果が、綺麗にひっくり返っていた。
進むな、と告げたのはルカだ。北の森に、魔物ではないものが待ち構えている。このまま進めば、騎士団は壊滅する。そう、身を挺して警告した。それゆえに白を剥がれ、雪の中へ捨てられた。
だが王命の文面では、自分は遠征を妨害した罪人で、それを赦してやるのが慈悲、ということになっている。
(一体、どんな頭をしていればそんなすり替えができるんだ?)
呆れつつも、ルカはそれを黙って聞いていた。
勅使が読み終えると、官吏が揉み手をせんばかりに一歩、前へ出た。
「神剣を覚醒させるほどの祈祷術。……野に埋もれさせておくは、国家の損失にございます」
そして、あの聖杯の前と寸分違わぬ、抑揚のない声で言った。
「祈祷師は、元より祈祷庁が抱える身。道具は、正しい持ち主のもとにあってこそ、意味を持つ。……そういうものでございましょう」
「道具、ね」
ルカの口から、乾いた声が漏れた。
自分を無能と切り捨てたときと、そっくり同じ理屈だった。数値に映らぬから、無価値。王国が抱えるものだから、所有物。
切り捨てるときも、拾い上げるときも。
あの人たちの中で、自分は一度だって〝人〟だったことがない。そのみごとなまでに一貫した傲慢に、怒りよりも先に、乾いた理解だけがすとんと胸の底へ落ちてきた。
『道具』の一語が、中庭に落ちる。
その途端、空気が音もなく一段、下がった。
周りの兵たちの顔つきが変わっていく。
ガングが、剣の柄に手をかけたまま低く進み出た。
「……おい」
腹の底から絞り出すような、低い声がガングから漏れる。
かつて、王都から来たルカを「信じるには、材料が少なすぎる」と睨みつけた男だ。その男が今は、逆の側に立っている。王家の名を帯びた使者を前に、辛うじて堪えているらしい。柄を握る手の甲に、太い筋が浮いていた。
「今、この人を何と言った。道具、だと?」
兵たちが、じり、と足の位置を変えた。勅使の一行を、いつのまにか囲むように。
誰も、声は上げない。ただ、その目が冷えていくのがわかる。
民の中からも、ひとり。
決戦のあとも砦に留まっていた、グラッテ村の老人だった。かつてルカへ皺だらけの手を合わせ、「守り神だ」と拝んでくれた人。その老人が、勅使の言葉に顔を歪めている。
「祈祷師様は……」
声にならない声を、震わせながら。
「わしらの、守り神だ。それを、道具だなんて……そんなの、あんまりだ」
そして、最後にイリアが前へ出た。
王女として。隊長として。その横顔は、硬く張り詰めている。
ルカはその目に、あの夜のことを重ねた。蝋燭の下で、彼女が縋るように確かめた、あの言葉を。隣にいてくれますよね、と。震える声でそう口にしたときの、頼りない素顔を。
彼女が今、何を守ろうとして前へ出たのか。ルカには、わかった。
「道具、と言いましたか……?」
イリアの声は、静かだった。静かなだけに、そこへ灯った怒りがはっきりと伝わってくる。
「ルカは、もはや、ここになくてはならない人です。決して、王国の道具などではありません。……言葉を、慎みなさい」
勅使がイリアを一瞥し、鼻で笑った。
「これはこれは、第三王女殿下。……もしや、王命に、異を唱えられるおつもりか?」
皆が、自分のために怒ってくれている。
かつて自分を疑い、叩き出そうとした人たちが。今は、身を挺して前に立ってくれている。
その事実が、痛いほど、熱かった。
「王命ですって? ただのランドの命令じゃないですか。それのどこに父上の意思があると──」
「イリア様。……いいよ。大丈夫」
今にも王太子を侮辱しそうな姫騎士を、そっと制するように。
ルカは一歩、前へ出た。
王女とはいえ、王命を正面から拒めば、その立場も危うくなる。勅使はそこを見越して凄んでいるのだ。
驚いたように、王女の碧い瞳がルカを向く。
「ルカ、でも……」
「これは、僕が答えなきゃいけないことだから」
言って、彼女を庇うように、勅使の前に立った。
かつて、あの雪原で庇われた側が。今は、庇う側に回っていた。
ふと、あの大聖堂での光景が甦る。
白を剥がれ、下着一枚にされても、俯かなかった。
だが、今日はそれだけではない。
あの日の自分は、ただ真実を告げることしかできなかった。行く当てもなく、失うものも、守るものも、何ひとつ持ってはいなかった。
でも、今は違う。
守りたい人がいる。守りたい場所がある。そして、選びたい居場所が──ここに、ちゃんとある。
ルカは勅使にまっすぐ向き直った。




