炎の軌跡
いつもありがとうございます。それではごゆっくりお楽しみください。
次々と現れては視界の後方に消えていく壁画を眼で追いながら、なだらかな坂道を降っていく。
初めて遺跡を訪れた時に感じた焦燥感と恐怖心は、最早どこにもない。
歩を進めるたび、足下で水が跳ねる。
穂先に炎を宿した白亜の槍を、爪が赤くなるくらいサリナは握りしめた。
湿った土と、カビた岩の匂い。
そこに、肉が腐ったような激臭が、遺跡の奥から風に乗って鼻を刺す。
これでは、いつまで経ってもレーションを口にする気になどなれないだろう。
遺跡は、どこまで進んでいっても静かなままだった。
太陽派の待ち伏せがいるわけでなければ、古代の罠が残っているわけでもなく。
以前の探索と同じように、苔生した石壁に指を添わせ、方向感覚を堅持しながら前に進む。
分かれ道に何度遭遇したか、などは皆目見当もつかない。
それでも、意識が吸い寄せられていくような、招かれているような感覚は、変わらずサリナの背中を押した。
1時間、2時間、と同じ風景の中を歩いていると、自分がどこに向かっているかさえあやふやになって来る。
村を出発してから、どれだけの時間が経過しただろうか?
あいにく、腕時計を付ける趣味などサリナにはない。
月光も、遺跡の中には差し込んでこない……太陽光などもってのほかである。
ただ、無心に前を目指すしかないのだ。
援軍が見込めないうえ、脱出経路など存在しない背水の陣。
ここは、誰が来るとも分からない閉鎖空間なのだから。
徐に小石を蹴り上げ、進行方向の遥か遠くへと転がす。
何度か、床を跳ねる音が響き渡り、不意に消えた。
サリナは眉を顰め、足を止める。
槍先の炎を高く掲げると、暗闇に溶けていた光景が俄かに照らし出された。
「……思ったよりも、派手にやりましたね」
視線の先では、バラバラに砕かれた門扉の破片が、山を成していた。
小走りで岩々を超えると、記憶に新しい景色が視界に飛び込んでくる。
そこかしこで崩壊の跡がある、9重の螺旋階段。
遥か下、妖しい紫光を受ける祭壇の脇では、巨獣が身体を丸くしている。
サリナは息を吐きながら、思わず肩の傷を押さえた。
「ヴィオラさんは、ダリウスさんを。そして、身共は……」
前進を躊躇して良い理由など、最早何処にもない。
一思いに地を蹴り、がたついて不安定な階段の上に着地すると、水が流れ落ちるが如く、滑らかに進んでいった。
暫く降りていくと、足場の失われている箇所がサリナの眼に入る。
壁は大きく凹んでおり、四方八方に亀裂が走っていた。
「……」
サリナは、視線を逸らしながら後悔する。
凹みには、僅かながら水流の跡があり、霜や氷が残っていた。
誰がこんなことをしたのか——少女の脳裏を、見知った女の顔が過る。
「……くっ」
俄かに、槍を握る手の力が強まった。
義母を戦場に追いやった冷酷な指揮官としての像と、自分を信頼してくれた情に厚い協力者としての像。
どうにも、2つの像が少女の中で重ならない。
ここにサリナが立っているのは、自らそれを選択したからだ。
しかし、そもそもどうして選ぶなどという贅沢な行いが許されたのか、彼女には理解できなかった。
いっそ、死地に赴けと命令された方がしっくりきたことだろう。
足を止めたサリナは、ふと遠く眼下の風景を見渡す。
「はぁ……」
そういえば。1つ、出発前に確認し忘れたことがある。
気絶したサリナを救い出したのは、ヴィオラなのだろうか?
それとも、フェルナンドが?
どっちだって構わない、なんて言葉は建前に過ぎない。
感情が単純明快になる方が、ずっと好都合だ。
「いけませんね、これでは」
底を満たす汚泥の腐臭が、良い意味で思考を乱す。
自分のペースで黙々と飛ばしていった割に、サリナは全体の半分も進んではいなかった。
巨獣が撒き散らす炎を受け、妙に生ぬるい風が吹き、砂を巻き上げる。
口の中で、じゃりっと不快な感触が広がる。
遠慮がちに唾を吐くと、サリナは固く眼を瞑った。
「我が炎は、何が為に燃え盛る?」
深呼吸をしながら、想起する。
“廃帝の棺”を守ること。遺跡の訪問者を待ち伏せすること。
そうだ、今はそれだけを考えていればいい。
得意なことじゃないか——深く考えず、真っ直ぐに行動するというのは。
「《戦車》の鎧よ。我と共に山川を踏破せよ」
瞬間、サリナを囲うように火柱が上がった。
何処からともなく、ぎこちなくギアの回る音が響き渡る。
無数の歯車は一斉に、互いの歯を噛み合わせ、鋼鉄と鋼鉄とを繋いだ。
炎が途切れ、隙間ができた時、サイレンのように薄紫の光が漏れる。
機械仕掛けの鎧を纏ったサリナは、火の粉を払いながら、ステップの向こうへと踏み出した。
身体は空中に投げ出され、節々から噴き出す橙と蒼の炎が尾を引く。
下から上へと吹く気流を受けて躯体は震え、空気と激しく摩擦する音が鼓膜を蹂躙した。
しかし、なんの。構うことはない。
——あるらか!がかっ、ら!
微睡に身を委ねていた巨獣は、ゆったりと顔を上げ、今にも落着しようとしている鋼鉄の塊を視界に収めた。
蛇のように蠢く幾千幾万の触手の先で、獰猛な瞳が次々と瞼を開く。
全身に負った傷からは火炎が吹き出し、裂傷の間に橋をかけていた。
中でも、折れた右角の断面は際立って強烈な炎に覆われているが、それはまるで、ありし日の姿を模っているかのようだ。
「何日かぶりですね、獣さん」
サリナは鎧の中で眼を細め、急速に近づいてくる地面と触手とを交互に見遣る。
鋼鉄の騎兵は、重力の赴くまま最地階に降り立った。
インパクトと共に、蓮の花のような形をした大波が舞い上がる。
「次は油断しませんから」
三点着地の姿勢のまま、サリナ——否、《戦車》は、顔を上げた。
本来身の丈程もある白亜の槍は、鎧を身に付けた今、まるで手槍のように見える。
二重螺旋を描いて荒れ狂う双色の炎は、いつにも増して凶暴だった。
——げるる!あるか!だら!
巨獣に恐怖はない。
“廃帝の棺”を守護するためだけに存在するそれは、侵入者を感知するや、瞬発的に襲い掛かる。
発達した両脚で跳躍した獣は、拳を引き絞り、振り下ろした。
「大ぶりが過ぎますよ」
巨獣は、手応えを感じなかっただろう。
サリナの身体は獣の巨腕を擦り抜け、左側面へと移動している。
右腕に比して未発達な左腕が、俊敏な動きに反応できずに居るのを見て、少女は鼻を鳴らした。
「はぁッ!」
巨獣の脇腹に向かって、サリナは槍を薙ぎ払う。
血の代わりに吹き出すのは、朱色の焔だった。
刃の弧を追って、火の粉が舞う。
もう一歩踏み込めば、致命的な一撃を与えられるかもしれない。
「——いや。初めての戦法ですが、やるしかありません」
破れかぶれのラリアットを避けながら、サリナは自ら距離を取る。
そして、巨獣を囲い、円を描くように駆け出した。
膨大な数の触腕と先端の眼球は、巨獣に360°の視野を提供している。
死角と言える場所は、およそ何処にもない。
「こっちです!」
そうだ。確かに、死角はない。
不意を突くなど論外……だが。
例え視認できていたとしても、反応して対処できるかどうかはまた別の話ではないだろうか?
「まずは、脚から!」
サリナは、前触れなく側方に踏み切った。
槍を引き、獣の左脚に向かってスライディングする。
——ぐぎゃぁらぁ!
振り抜かれた刃が、厚い皮膚に覆われたアキレス腱を切り裂いた。
巨獣はバランスを崩し、膝を突く。
振り上げられていた巨腕もまた、空を切った。
「まだまだ!!!」
滑り込んだ勢いに任せ、距離を取る。
その反動で上体を捻り、泥を蹴り出して踏み込み、槍を突き出した。
穂先が獣の足先を掠め、指を切り落とす。
傷口から噴出する炎の熱が鎧越しに伝わってくる。
サリナは両脚に力を籠め、後方に体重を掛けた。
——るるふす!!!
叫喚が、ドーム中の空気を震わせた。
影が落ち、視界が暗くなる。
太く、素早い何かが、空気を切り裂く音を立てた。
サリナは思わず顔を上げる——巨獣の腕は、最早頭上まで迫っていた。
眼を見開きながら両腕を交差させ、腰を深々と落とす。
「ぐっ……」
踏ん張ると同時に、足が沈む。
傷から炎を漏らす獣と、鎧の関節から双色の炎を吹く《戦車》が衝突する。
相剋する鮮烈な炎が、両者を包み込んだ。
瞼の代わりに牙がびっしりと生えた触手が、今にも食いつこうと首をもたげる。
「どうして、突然反応を……?」
決め打ち?賭け?読み?思い当たる節はあれど、特定できない。
下半身の関節と鎧の節々が、押し潰されるごとに悲鳴を上げた。
歯を食い縛って一歩踏み出し、巨腕を押し返す。
「邪魔、ですッ!」
右脚を折り畳み、獣の柔らかい腹部目掛けて蹴り出した。
見上げんばかりの巨体は黄土色の粘液を撒き散らし、2層ほど上方の螺旋階段まで吹き飛ぶ。
サリナは炎を迸らせ、張り付いたヘドロというヘドロを燃やし尽くす。
そして、さながらゴルゴーンのように触手をうねらせる化け物の姿を睨みつけた。
獣は体躯を上下に動かし、交互に大地を踏み鳴らす。
くぐもった唸り声が響いてくる。
「2度、同じ手が通用するとは思わないでください」
頭部を覆うように伸びた毛髪が如き触手。
筋骨隆々で発達した右腕に対し、不自然に短い左腕。
跳躍力に富む両脚、傷口から漏れる炎——全て、一度は眼にしたものだ。
「負けず嫌いの身共が、無策でここに来ると思いますか?」
揺れる巨影が、泥のウォータークラウンを残して消える。
見上げれば、巨獣は右手と左手を組み、槌のように振り下ろさんとしていた。
サリナは槍を逆手に持ち替え、右足を引く。
「射出角度、確認」
自らをカタパルトに見立て、距離と威力を測る。
肩が軋む程槍を引き、下腹部から前足に体重を乗せた。
「——発射!」
ソニックブームを伴い、槍は弾けるように撃ち出される。
——がるがっ!
身を守ろうと、獣は咄嗟に掌を翳したが、穂先は既に目標を捉えていた。
剛矢が皮膚を食い破り、肩にかけての筋繊維を無造作に掻き乱す。
ジェット噴射のように炎を棚引かせながら、鋒は泥中に突き刺さった。
その火は槍が吹き出したものなのか、はたまた獣が流したものなのか。
叫びが大気を震わせる。
巨体は撃ち落とされ、焦茶色の水面に波紋が広がった。
「あなたは——」
サリナは槍を呼び戻し、掴む。
瞬間、夥しい数の触手が牙を剥き、彼女の腕を、脚を、鎧の上から締め付けた。
巻きつくもの。噛み付くもの。
中には、観察するように瞳を震わせるものもある。
巨獣はヘドロの中から顔を覗かせ、不敵に口元を歪める。
ゆっくりと、彼女の身体は宙に浮かんでいった。
——がるらぁ!ちゃどっ!!!
「勝ち誇った笑みですね。でも、身共はこの程度じゃ……」
足裏から、炎が吹き出す。
顎の力は存外強く、鎧の表面は歪んで肌に食い込んだ。
触手がサリナを抑えつけようとする力と、ジェットの推進力が拮抗する。
「縛れませんからッ!!!」
不意に、何かが千切れる音がした。
右脚に巻き付いていた触手が、力無く倒れ伏す。
彼女を縛るものは、次々と解けていく。
拘束を脱した鋼鉄の躯体は、ロケットのように巨獣に向かって飛んだ。
「お返しですッ!」
炎の向きを巧みに調整して左脚を曲げ、右脚を伸ばす。
ジェット噴射、重力、膂力——全てを乗せた飛び蹴りを、獣の鼻先に見舞うために。
——がるふぁ!
私は戦車だ。
私は槍だ。
私は砲弾だ。
炎を纏う足が、巨獣の頭部を貫き、背骨を砕いた。
そして、突き刺さるように着地する。
高温のあまり、泥中の水分が蒸発する。
背後で、音を立てて巨躯が倒れ込んだ。
宙を舞う泥が雨のように降り注ぐ。
辺りには、白い霧が充満していた。
視界の端で、触腕がぴくりと跳ねる。
——が、がらっ。がが……
「……まだ、動けるんですね」
サリナは振り返ると、空いた穴に左手を当てる獣を見つめた。
意図せず、両者の眼が合う。
傷口から、炎が流れ下った。
獣の肌をじりじりと灼き、白く変色させる。
弱々しい呻き声が漏れた。
「あなた、もしかして」
鎧に刺さった触手の牙を引き抜く。
サリナは首を傾げながら、ぼそりと呟いた。
「泣いてるんですか?」
なんて事のない、譫言かもしれない。
炎が涙のように頬を伝っていた……ただ、それだけの錯覚に過ぎない。
深く息を吐き、両拳を構える。
獣は、苛立ちを発散するように右手を沼に叩きつけた。
鼻が曲がる程の悪臭を纏ったヘドロが、飛沫を上げる。
「えぇ。でも、身共はあなたを殺さなくてはなりません」
手首の関節から蒼炎が溢れ出し、握り締めたサリナの両手を覆う。
無意識の内の行為だった。
左足を踏み出し、振りかぶった右拳を突き出す。
それは、巨獣が掲げた腕と交差して。
——あぁ。それだけは、簡単に許してあげられないんだ。賢い君ならば、分かってくれるだろう?
記憶の片隅に残っていた声が、サリナの肢体を縫い付けた。
お疲れ様でした。
徹頭徹尾タイマン勝負!な1話でした。
書く側としてもハイカロリーでしたね。
もう少しサクサク戦闘描写をかけるようになればなぁ、と思うんですけど……こればっかりは、経験を積むしかありません。
なんというか、今回は後書を長々書く気力も残りませんでしたので、この辺りで失礼致します。
制作に費やした分だけ、皆さんを楽しませることができているなら、これ以上ないことです!
最後になりますが、感想やレビューなどいただけると本当に嬉しいです。
執筆の励みになりますし、1つ1つじっくりと読まさせていただきます。
それでは、りんどうでした。




