鏑矢
いつもありがとうございます。それではごゆっくりお楽しみください。
晩鐘が大地を震わせたその時、広場に設置されたテントの下で、フェルナンドはじっと正面を見つめていた。
遥か向こうではゴール村の入口——苔むした石門が、ランタンに照らし出されてぼうっと佇んでいる。
「……」
次の瞬間、門扉の閉じられた大門は、砂埃を上げながら音を立てて崩れ落ちた。
草むらに落下したランプから火が漏れ、瞬く間に広がっていく。
無数の揺れる影が、瓦礫を踏み越えて村の中へと雪崩れ込んだ。
真っ直ぐに役場へと伸びる大通りを、一際大きな男が、斧を肩に担いだまま闊歩する。
「おぉ?」
焦げついた鎧の、擦れ合う音が耳に障る。
「まさか、第三議長閣下が俺を迎え入れてくれるなんてな」
戦斧を地面に突き刺したダリウスは、大地を抱擁するように両腕を広げた。
そして、1週間ぶりに目にする村の景色を懐かしみ、辺りを見回す。
灰が降り積り、瓦礫の山がそこかしこに積み上がっている。
人々で賑わったかつての姿からは、遠くかけ離れた情景だ。
しかし、その理由を彼以上に理解している人間はどこにもいない。
「まさか、はこちらの台詞だ。不心得者」
フェルナンドはパイプ椅子を軋ませながら脚を組み替えると、赤茶色の瞳をした彼を睥睨した。
彼女の周りには、誰一人として控えてはいない。
一方、ダリウスの後ろには、数十名、数百名という黒いフードを被った尖兵が隊列を成している。
「貴様の後を追おうとする輩が多いのは、相変わらずか」
「ありがたいことにな。逆に、閣下は1人だけなのか?ハハ、そんなわけないだろ」
「我輩では、貴様らを相手取るに不足しているか?」
「……」
ダリウスは、フェルナンドを見つめたまま口を噤んだ。
俄かにどよめきが走る中、無表情の彼女は立ち上がる。
「敢えて、貴様をこう呼ぼう。“十人衆”第五位、拝樹教の守護者たる汝よ。何故に、異端と通ずるに至った?」
「そんなもの、聞くだけ無意味さ。俺がケロッと話すわけないだろう?」
斧を引き抜き、振りかぶりながら腰を落とす。
炎が山肌を舐める音と共に、無数の叫びと怒号が空を衝いた。
「閣下——いや。フェルナンド=ヘンドリクセン。その命、このダリウス=ローランが貰い受ける!」
力強い踏み込みによって、大地が深々と抉れる。
飛び上がったダリウスの巨体は、瞬く間にフェルナンドの眼と鼻の先まで距離を詰めていた。
研ぎ澄まされた鋒が、鼻先へと迫り来る。
燻んだ斧の刃に、彼女の表情がチラリと反射した。
「言っただろう。先陣を切りたがるのが、貴様の欠点だと」
「何……?」
不可視の刃が地面を刻み、そのままダリウスの腕を切り落とす。
反射的に瓦礫の山を睨みつけた彼は、残る左手で斧を掴むと、力任せに薙ぎ払った。
だが、吹き飛ばされた山の中に人影はない。
代わりに、ダリウスの頭上で黒い外套が揺らめいている。
「貴様の命を奪うのは我輩ではない」
ヴィオラは紫色の短髪を靡かせながら懐へと潜り込み、不敵に口角を上げた。
彼女とダリウスの眼が合い、互いを認識する。
「ヴィオラ=プロフリゴ……!」
「付き合ってもらうぜ、裏切り者」
しゃがみ込んだ姿勢のまま左手を突き、右足を蹴り出す。
彼女の足先はダリウスの脇腹へと突き刺さり、そのまま遥か後方のレンガ家屋へと吹き飛ばした。
「武器を持て、戦士たちよ!」
「続け!続けぇ!!!」
その一撃は、紛れもない号砲であった。
ヴィオラの蹴りがダリウスに直撃すると同時に、周囲の家屋、瓦礫、テントの影に潜んでいた審問官たちが、狂信者の群れへと一挙に襲い掛かる。
静けささえ感じられた夜半の寒村を、戦いの熱が包み込んだ。
「ヴィオラよ」
「あぁ?」
ナイフを抜いて立ち上がる彼女とすれ違いつつ、フェルナンドはその背中を叩く。
「貴様らのための戦場は整えた。後は任せるぞ」
「ハッ。その分、アンタは庭師として働いてくれるんだろ?」
「戦場で軽口か?」
「傭兵風情には、それくらいが丁度良いんだよ。議長サマ」
じゃあな、と手を振りながら、ヴィオラは崩れ落ちた家へと歩を進める。
フェルナンドもまた、鼻を鳴らしたのを最後に、振り返ることは終ぞなかった。
「っつつ……やりやがったなぁ、お前」
降り注いだレンガを跳ね除け、上体を起こすダリウス。
吹き飛ばしたはずの右腕は既に再生していた。
手甲の失われた手でむんずと斧を掴む。
「お陰で肋骨が逝っちまった」
「不意打ちはお互い様だろ?それに、どうせ治るんだから固いこと言うなよ」
ナイフをジャグリングのように放り投げては受け止めながら、ヴィオラは彼が立ち上がるのを眺めていた。
引き金を引くだけでは解決しそうもない。
骨が折れる作業になりそうだ。
「早く始めようぜ、ダリウス」
「あぁ。何も、楽しみはフェルナンド議長だけじゃない。ゼーランディア卿が認めたお前なら、俺を楽しませてくれるだろ?」
「勿論。後悔はさせねぇよ」
脳裏に浮かぶは、冷たくも鋭い刃のイメージ。
見えざる《矛》がヴィオラの胸元で具現化し、空気を引き裂きながら、ダリウスの斧と衝突した。
*
医療テント脇の山肌を滑り、ボロボロのローブを羽織った狂信者たちが次々と大地に降り立つ。
鳴り響く鐘の音と炎の熱で思考がオーバーフローする中、踏み折られて火花を散らす枝をエイラは見つめた。
段々と荒くなっていく呼吸音が聴覚を奪い、ナイフの鞘を取り落としたことにすら気がつかない。
「こちら、作戦ポイントに到着」
紺色のフードの中から緋色の眼を覗かせ、最前列に立つ男は早口気味に呟いた。
そして、何度か頷いた後、遠くを見つめるように眼を見開く。
「承知。殲滅を開始する」
彼がそう呟いた瞬間、無数の影は村を覆うように散開した。
戦いが始まったのだ。
エイラは、男がショーテルを片手に歩み寄るのに合わせ、じりじりと後ずさる。
顎を伝って滴り落ちる汗が、地面を濡らした。
「フェルナンドも堕ちたものだ」
皺だらけの顔を歪ませながら、狂信者はエイラを見下ろす。
「劣勢と見るや、お前のような非戦闘員すら駆り出すとは。教父はいずれ、彼女を高潔と讃えたことを撤回するだろう」
「な、何を……」
「哀れな少女よ。お前は、大義なき戦いの犠牲とされたのだ」
「うるさい!今すぐエイラから離れ——」
視界の右端で、ニーナが銃を構えるのが見える。
しかし、彼女の姿はすぐに黒い靄のようなローブに連れさられていった。
「きゃっ」
「おっと、きみはわたしに付き合ってもらうよ?」
互いの体温さえ感じられる程に近かった二人の距離が、みるみる内に離れていく。
エイラは勢いよく振り返り、駆け出そうとしたが、腕を引っ張られ、ぐいと引き戻された。
だが、それでも、その眼は白銀の少女へと向けられている。
ニーナもまた、襟と腕を掴まれながら、エイラの方を見つめていた。
「ニーナ!」
「そう騒ぐな。エイラ=ラインフェルト」
互いが互いを認識できなくなる直前、エイラの視線の先で、彼女は頷いた。
どこか鋭く、落ち着いた光を瞳に宿したまま。
「ニー……」
エイラの喉元に突如として、ショーテルが突きつけられた。
ひんやりとした刃が張り詰めた肌を裂き、じわりと鮮血が滲む。
吐き出されかけた言葉は、全身を走る鳥肌と共に霧散した。
「聞こえなかったか?騒ぐな、と言っているのだ」
「ひっ」
「このまま、喉笛を切り裂かれたくはないだろう?」
瞳孔が震え、焦点が定まらない。
腰を抜かしたエイラは、重力の赴くままに尻餅をついた。
ショーテルは喉から離れこそしたものの、未だ彼女の額へと向けられている。
いつ振り下ろされるかも分からない凶器を前にして、ナイフを再び握ることすらままならない。
「教父様は、お前のことを気にかけておいでだ。故に、お前には選択の権利がある」
「ウチを……?」
「そうだ。禍々しく不吉な者よ」
男はそう言って微笑むと、ショーテルを下ろしてエイラの右手を握り、起こした。
「世界の真実を知る覚悟はあるか?」
「ど、どういうことですか」
喉を抑え、眉を顰めるエイラ。
男は少女の表情を見てとると、満足げに手を胸に当てる。
「主派は、世界の真実を隠匿しているのだ。世界が滅び行こうとしている事実から眼を逸らしている。故に、我々は啓蒙しなくてはならない。蒙昧のベールを破り、正義を手にしたいとお前は思わないのか?」
「それは——」
ウチに、寝返れってこと?
エイラは視線を逸らし、先程まで腰を下ろしていた大岩を見つめた。
吊るされていたはずの灯りはどこにもない。
「そんなのできない!ニーナのことを裏切るなんて、ウチは!」
「案ずるな。貴様が望むなら、あの者にも同様の待遇を約束しよう。この、グレゴールの名において誓う」
ショーテルを腰の帯に差したグレゴールは、両掌を広げてエイラに差し出す。
「教父様は賢きお方だ。お前が面している苦境の何たるかも理解している。だが、お前が馴れ合っているアドルテラーレ共はどうだ?フェルナンドは?」
「あの人たちには、ウチが色々隠してるだけで……」
「そうだな。確かに、秘密というものは開示しがたい。それでいて、人を罪悪感で蝕むものだ。これまで苦しんできたのだろう?」
グレゴールが畳み掛けている間、エイラは拳を固く握り、俯いていた。
支給されたばかりのナイフは、抜き身のまま石畳の上に横たわっている。
不意に、熱風が少女の頬を吹きつけ、煤で黒く染めた。
「……さい」
「なんだ?」
「一つ、聞かせて、ください」
「水臭いことを言うな、友よ。答えられるものであれば、何でも答えよう」
どこか、遠いところで爆発音が聞こえてくる。
耳を刺すような金切り声は多分、誰かが上げた悲鳴だろう。
村を囲う森はみるみる内に炎に包まれ、葉を灰に、枝を土に変えていく。
澄んで見えた夜空は、今や濃い雲に覆われていた。
感じられたはずの温もりはどこにもなく、硬い石床の感触だけが足裏から伝わってくる。
エイラは、爪の赤くなった手を、背中に隠した。
そして、慎重にスカートのベルトの裏側を弄る。
「ウ……ウチが。グレゴールさんの言うことを、聞いたら、ここから撤退してもらえるんですか」
「撤退だと?」
グレゴールは右眉を上げ、真意を探るように沈黙する。
そして、エイラが彼と視線を合わせることすらできないのを見るや、口を大きく開けて哄笑した。
「ハハッ!馬鹿を言うな。お前は馬車に乗っている時、わざわざ蟻を避けるのか?」
3つ。
食べ物を盗まれた経験から、エイラは大事なことを学んだ。
「……分かりました」
1つ、大事なものは固めて保管しないこと。
2つ、できるだけ自分の身体に結びつけておくこと。
「それなら——」
3つ、最悪の事態に備え、武器を隠し持っておくこと。
羽織ったカーディガンを傷つけながら掌大の短刀を引き抜き、エイラは力の限り踏み込む。
前傾姿勢のまま、倒れ込むようにしてグレゴールの脇腹へとナイフを突き出し。
「愚か者。身の程を知るがいい」
「ッ!?」
次に眼を開いた瞬間、エイラのナイフは空を切っていた。
否、ナイフは彼女の掌中にさえなかった。
遅れて、痛みが襲いくる。
グレゴールはエイラの右手首を掴むと、そのまま捻り上げて彼女を吊るした。
関節が大きく軋む。
「ぐっ、あがあああッ!」
「騒ぐな!!!」
「あ、ウグゥ!がっ」
狂信者の大きな手がエイラの口を塞ぐ。
ぐい、と後ろに引っ張られた彼女の肩は、いとも簡単に脱臼して、だらりと力を失った。
「痴れ者め、寛大な提案を前にしてまさか俺を傷つけようと!」
「ぐぅう!」
口の端から涎が零れ落ちる。
グレゴールは、最早動かなくなったエイラの右腕を更に引き伸ばした。
そして、力任せにショーテルを取り出すと、湾曲した刃を首元に当てがう。
「教父様の言葉を代弁するのもここまでだ。死ね!!!」
「んうぅぅう!!!」
破れかぶれに、エイラはグレゴールの指へと噛みつく。
掲げられたショーテルは、さながら死神の鎌のように、少女の喉笛へと振り下ろされた。
*
広場の隅で、一際大きな土煙が上がる。
身の丈程もある斧が薙ぎ払われ、煙を裂き、ヴィオラの頬を掠めた。
背を逸らしながら、三度引き金を引く。
勢いのまま、後ろに転がり込んで距離を取り、ヴィオラは溜息を吐いた。
「はぁ……あのなぁ。こっちの銃弾だって、無限にあるわけじゃねぇんだよ」
垂れる血を拭い、汚れた唾を吐き捨てる。
小慣れた手つきで弾丸をシリンダーに籠めると、空き箱を背後に投げ捨てた。
「ハハ!確かに、残弾が理由で負けたと言い訳されちゃあ、俺も寝覚めが悪いな!」
休憩時間は、5秒にも満たなかった。
箱がヴィオラの手を離れると同時に、彼の身体が眼前へと迫り、斧が炎の光を受けて煌めく。
最早、それは銃身で受け止められる程度のものではない。
斧の軌道を、淡いクリーム色の《盾》が阻む。
同時に、二人の拳がぶつかり合い、衝撃波が家屋を揺らした。
五指の骨が軋むようだ。
「だが、お前は俺と殴り合えるだろう!?これだけの好敵手は滅多にいない!」
「そりゃあ、良かった、なぁッ!」
ヴィオラの《矛》が、ダリウス目掛けて放たれる。
腕を跳ね飛ばそうと、脚を切り落とそうと、彼の身体は何事もなかったかのように再生する。
だというのに、彼女の負った傷は増える一方だった。
蹴りを受け止めた腕が、斧をナイフでいなした指が、鈍く疼く。
《恋人》の能力に捧げた集中力も、盾の展開を重ねる中で精度を失っていく。
ただ、一度でももろに受ければ死にかねない、という危機感が、ヴィオラの両足を支えていた。
「斧だけが俺の十八番じゃない。そうだろう!」
「まっ——」
ヴィオラのナイフがダリウスの胸部を捉えると同時に、彼は右拳を引き絞る。
防御を捨てた彼のボディブローは、《盾》の間隙を縫って、彼女の鳩尾を捉えた。
「ぐっ、ふぁ」
すんでのところで、彼女は踏み留まった。
腹の底から息が漏れ、腰が沈むが、歯を食いしばる。
「ハッハ!重いだろう?俺のパンチは」
「あぁ……」
力の抜けかけた膝に鞭を打ち、薄くなった《盾》を再展開すると、尚も拳を押し付けるダリウスの腕を左手で掴んだ。
思わず、笑みが溢れる。
「どっちがより重いか分からせてやるよ!!!」
全力で彼の身体を引き寄せ、握り締めた右手を脇腹に捩じ込む。
鋼鉄の鎧はひしゃげ、その奥の肉、骨、内臓にまで、深々とめり込んだ。
「ぐむぅ!」
固形混じりの胃液を吐き、ヴィオラの肩を掴むダリウス。
ヴィオラは前蹴りで彼を引き離すと、脇腹を抑えながら屈み込んだ。
ナイフを掴むため、ふらふらと伸ばした左手が、地面に転がっている審問官の脚に当たる。
それは、ぴくりとも動かなかった。
思わず舌打ちが漏れる。
「チッ……埒があかねぇな」
顔を上げれば、再び斧を掲げ、立ち上がるダリウスの姿が見える。
彼の鎧は今や、身体の再生に追いつかず、防備の意味をなしていない。
奇妙な程綺麗な素肌が、月光の下に晒された。
「……あぁ?」
ヴィオラは、顔を顰めながら声を上げた。
右ストレートが貫き、引き剥がしたダリウスの鎧の下。
腹部の地肌が晒される。
それは、真っ黒に染まっていた。
「影か?いや……」
「ハッ。俺の身体がそんなに気になるのか?」
「アホ吐かせ。誰が気にするか」
銃を構え、ナイフの峰で肩を叩く。
彼の黒ずんだ肌に表皮などなく、筋繊維は剥き出しだった。
皮膜が止めどなく剥がれ落ちていく様は、まるで焦げ付いてしまったかのような。
「来ないのか?ヴィオラ=プロフリゴ」
「それはこっちのセリフだっての。私は待ってやってんだよ。お前が再生し切るのをな」
「ほう……ハハハ!いい、俺はお前のような奴が大好きなのさ!お前の戦いとやら、このダリウスに見せてくれ!」
ダリウスは両足で跳び上がると、ヴィオラの脳天目掛けて戦斧を振り上げる。
死体が積み重なり、血に染まった大地が、音を立てて割れた。
満月さえ、雲に隠れて姿を隠す。
ヴィオラはほっと息を吐くと、躍り上がるダリウスを見上げながら、ニヤリと笑った。
お疲れ様でした。
決戦開始!ということで、こっからは戦闘が続いていきます。
あと、これまで以上に複数の視点を描く必要が出てくるので、構成力が試されますね…がんばります。
ところで、私は泥臭い戦いが大好きなんですよ。
ヴィオラさんとダリウスさんみたいな、正面切っての殴り合いが。
マーキュリーくんとか、等活さんとか、そういう搦手使いも好きなんですけどね。
というか、好きだから物語に取り入れているみたいなところもありますし。
私自身の「好き」を、もっとエンタメに昇華できると良いなぁと思っています。
はてさて、次話はどうなることやら……。
最後になりますが、感想やレビューなどいただけると本当に嬉しいです。
執筆の励みになりますし、1つ1つじっくりと読まさせていただきます。
それでは、りんどうでした。




