表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アナザーワールド  作者: りんどう
二部 青薔薇の太陽
101/102

赤い指

いつもありがとうございます。それではごゆっくりお楽しみください。

 突き刺したナイフを、両手で握り締める。

 どくどくと溢れ出る血をじっと見つめながら、肩で息をする。

 グレゴールの腕が微かに震えるのが、スカートの布越しに伝わってきた。

 光を失っていく瞳で、太陽の存在しない夜空を彼は仰いでいる。


「はぁ……はぁ……」

「あ——く———」

「え」


 今にもかき消えてしまいそうな声が聞こえ、エイラは顔を上げる。

 老年の男は自身の血に溺れ、声を出すこともままならない。

 だが、それでも皺だらけの口を動かしていた。

 その弱々しい動きは、エイラの網膜に深々と刻み込まれる——咄嗟の読唇なんてできないはずなのに、少女は男の言葉が理解できてしまう。

 鮮やかな赤が口の端から頬を伝って、後頭部へと流れ落ちた。


「がぼっ」


 グレゴールは一度大きく咽せ、胸を跳ねさせる。

 エイラは呆然として、血まみれの彼を見つめた。

 彼の言葉は、まだ途中だ。

 待っていれば、続きが聞けるかもしれない。


「う——うぅ、う——」


 低く、くぐもった呻き声が漏れる。

 そして、男は二度と動かなくなった。

 瞼は開いたまま閉じない。

 拳は握られたまま開かない。

 中途で言葉を遮られた口は半開きのままだ。

 エイラはやっとの思いで、胸に刺したナイフを引き抜く。

 その刹那、朦朧とした意識を引き戻すように、発砲音が響いた。


「グレゴール様!!!」


 狂信者の構えた銃の口から、灰色の煙が立ち上っている。

 銃とエイラを結ぶ射線の間には、傷だらけのアーロンが立っていた。

 足元に、両断された銃弾が落ちる。

 彼は槍を肩に担ぎなおし、背後のエイラをちらりと見遣る。

 戦場は、この瞬間だけ静寂に支配されていた。


「息は?」


 少女はぎこちなく首を横に振った。

 突如、悲鳴が上がる。

 堰を切ったように、周囲の人々から——敵味方問わず——ざわめきが溢れ出した。


「死んだ……?」

「嘘だ、あのお方が!」

「アイツがやったのか!?」


 半狂乱になったような声が、空気を震わせる。

 グレゴールが死んだ!

 グレゴール様が死んでしまった!

 ……死んだ?

 誰のせいで?


「あの女のせいだ!!!」


 第三者の指摘を耳にしたエイラは、思わず両眼を見開く。

 それから、引き寄せられるように、真っ赤に染まった両手へと視線を落とした。

 これが。これこそが、自分のやったことだ。

 夜の寒風が背筋を撫でる。

 広げた両手の指先から、全身へと震えが伝わっていく。

 瞼の裏に焼きついたグレゴールの口の動きが、壊れたテレビのように何度も何度も再生された。

 人目も憚らず、大声を上げたい衝動に襲われる。

 誰かが、彼女に向かって吠えている。

 あの声のように、ウチも——しかし、結局漏れ出たのは、自分にしか聞こえない程度の告白だった。


「ウチ、殺したんだ。人を」


 耳を塞ぎたくなるような雷鳴が轟く。

 雷に貫かれて灰になったのは、無垢な樹木だろう。

 それが自分だったなら、どれ程幸せなことだろうか。


「エイラちゃん!!!」


 朧げな思考を掬い上げるように、エイラの腕が引っ張られた。

 彼女は振り返り、背後の影を見上げる。

 風に靡く白銀の長髪が、少女の視界を包み込んだ。


「立って!!!」

「ニー、ナ……」


 雨のような銃声。

 咆哮と共に響く剣戟。

 静まり返っていた戦場を、再び喧騒が覆っている。

 エイラはやっとの思いで、グレゴールの死体から腰を上げた。


「ニーナ、ウチ」

「静かにして。時間ないから」


 ニーナは足元の死体に眼を遣ると、黙して唇を噛んだ。

 そして、ナイフを握り締めたエイラの右手を掴み、優しく解いていく。


「手、汚れちゃうよ……?」

「良いの。エイラちゃんだけが汚れるなんて、ありえないから」


 鮮血が、二人の手を紅く穢す。

 絡み合う指の間で、糸を引く。

 ねっとりと汚れた抜き身のナイフは、ニーナの掌中へと無抵抗に奪われた。

 彼女は、なおも組み合わさった2つの小さな手を見つめ、告げる。


「わたしも、一緒に背負うよ」

「え——」


 瞠目したエイラは、瞳を震わせながら声を出した。

 涙の跡が風に晒され、乾いていく。


「でも、約束できないって」

「約束はね。2人で決めたことなんだから、責任を押し付けられるわけないでしょ」


 ポケットから鞘を取り出し、刃を収める。

 抱え込むようにナイフを胸に押し当てると、ニーナは深く頷いた。

 鈍い光が見えなくなると同時に、エイラは両手で顔を覆う。

 赤い痕が、指の軌跡を示すように残った。


「うっ……くぅ……」

「……戦場のど真ん中で泣くなんて、ありえないよ」

「うるさい!ニーナだってうるうるしてるくせに!」


 エイラが勢いよく顔を上げた瞬間、ニーナはそっぽを向いた。

 意気軒昂な審問官たちが、狂信者の群れを押し返していくのが見える。

 フェルナンドの言葉通りだ。

 指揮者を失った楽団は、調和を保ちがたい。


「あのさ。エイラちゃんは、どうして泣いてるの?」

「分かんない。でも、なんでか……」

「わたしの理由は確かだよ」


 鈍色の鎧を着た青年が、槍を片手に走り寄ってきている。

 一時の優勢を前にして、彼は笑っていなかった。


「どうして?」

「悔しいから」


 エイラは、真意を確かめようと両手を下ろす。

 だが、口を開くよりも前に、聞き覚えのある声が彼女の注意を惹いた。


「よぉ、さっきぶりだな。赤髪の嬢ちゃん」

「アーロンさん……」

「正気は保ってるか?」


 アーロンの問いは、思ったよりもストレートだった。

 面食らったエイラは、暫しの間表情を固まらせる。

 やっとの思いで息を吐くと、ぎこちなく首を縦に振った。


「そうか。なら、俺から言うべきことは2つだけだ」

「2つ?」

「まずは、1つ目だ。審問官として俺は言う——よくやった。お前の上げた戦果は第一級に他ならない。テント周辺の戦況は、嬢ちゃんの一撃で大きく好転したと言っていい」

「ウチの、一撃で……」


 現実離れした賞賛を前に、エイラは俯いた。

 間髪を容れずに、アーロンは言葉を続ける。


「そして、2つ目だ。この瞬間に立ち会った人間として俺は言う——よく休め。指揮官を失ったアイツらを叩くのは、俺たちに任せろ」

「ウチが、ですか?」

「白銀の嬢ちゃんも、だ。お前たちはよくやってくれた。初陣の成果が敵将の首だなんて、出来過ぎもいいところだぜ?このくらいで満足しておきな」


 そう言う彼の表情は柔らかかったが、どこか諭すようでもあった。

 切り落とされた耳たぶの止血はとうに済んでおり、肩の辺りに血痕を残すのみ。

 額は汗ばんでいたが、槍を握る手に迷いはない。


「わたしも、アーロンさんに賛成」

「ニーナ……」

「エイラちゃんは、何の為に戦場に戻ってきたの?」

「恩返し……あと、みんなが戦ってるのに、ウチだけ逃げるなんて嫌だったから」

「それなら、エイラちゃんはもう立派な戦果を上げたよね」

「でも——」

「第一」


 ニーナはエイラの足元を見つめ、次に右肩を見つめた。

 彼女は忘れているのかもしれない。


「そんな状態で、混戦をどう生き抜くの?」

「……」


 反射的に右手を握ると、脱臼の激痛が蘇ってくる。

 両脚が震えている理由すら、少女は説明できない。


「わ、かった」


 頷かざるをえなかった。

 また、近いところで雷が落ちる。

 それが本当の雷鳴なのか、雷にも似た別の何かなのかは、知る由もない。


「当面の間、医療テントは安全だ。お前らもあの中にいるといい。耐火性の高い素材だから、燃えた枝程度じゃどうにもならない」

「マノンさんもあの中に?」

「いや、アイツは治療のために各地を転々としてるだろう。もし、何かやってないと気が済まないってんなら、中で待機してる審問官にでも聞いてみな」


 じゃあな、とアーロンは踵を返し、だらだらと手を振る。

 エイラはその背中を見つめながら、叫んだ。


「助けてくれて、ありがとうございます!」


 アーロンは、振り返りも立ち止まりもしなかった。

 聞こえているかどうかも分からない。

 ただ、彼を引き留める気力は、最早どこにもなかった。

 目前にまで迫った休息を前にして、自然と安堵が湧き上がってくる。

 赤髪の少女は視線を落とし、しみじみと口を開いた。


「ねぇ、ニーナ」

「どうしたの?」

「ウチ、グレゴールが死に際になんて言ってるのか、分かっちゃったんだ」

「え」


 隣に佇む親友に、ニーナは見入った。

 鮮血のへばりついた彼女の横顔は、どこか儚い。


「なんて……?」

「も、う」


 思考の端でループ再生されているあの映像。

 苦悶と苦悩が刻まれた表情が紡ぎ出した、未完成の言葉。

 凍えるような寒さだけが、意識を現実に繋ぎ止めてくれる。


「も、ど、れ、な」

「……終わり?」

「うん」


 乱戦の中に消えていったアーロンから眼を離し、医療テントを見上げる。

 頭上を、火の粉が絶え間なく舞っている。


「仮にさ。続くのが“い”だとしたら。戻れないのは、何だと思う?」

「……」


 ニーナは、その「何か」を答えなかった。

 ただ、胸に手を当てながら、エイラの前に一歩踏み出す。


「少なくとも。エイラちゃんを1人で行かせることは、わたしがしないから」

「そっか。それなら——」


 エイラの言葉をかき消すような、一際大きな悲鳴が上がった。

 2人は衝動的に、戦場へと視線を戻す。

 狂信者たちは統率に苦しみ、集団戦闘に長けた審問団に押されている——が、その波の中心に。

 長剣を手にした黒い影が降り立つ。


「は?」


 エイラの口から、間の抜けた声が漏れた。

 光の残像を残して、剣が閃く。

 遠くからでも聞こえるくらい、耳障りな湿った音がする。

 両断されたアーロンは中身を撒き散らして、大地に倒れ伏した。

お疲れ様でした。

今回はここ数話に比べて軽めな味付け、文量で読みやすかったのではないでしょうか。

なんというか、続きを入れるには中途半端な感じになっちゃったんですよね。

なので、余韻を阻害しないためにも、エイラ視点だけに絞らせていただきました。

短いながらも、濃密な1話になっていると思います。

というか、私があーだこーだ言うのなんて烏滸がましいというか、出過ぎた行いなんですよ。

エイラの選択と、ニーナの行動。そして、アーロン、グレゴール。

彼女らの交わりと変化を、読者の皆さんの感性で受け取っていただければ幸いです。

さて、次回からは視点が変わり、物語が動いていきます。

誰視点でしょうか……ヴィオラ、サリナ、フェルナンド、マーキュリー……。

1週間後の更新をお楽しみに!


最後になりますが、感想やレビューなどいただけると本当に嬉しいです。

執筆の励みになりますし、1つ1つじっくりと読まさせていただきます。

それでは、りんどうでした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ