第53話 最終決戦への支度
副王都に戻って、全部話した。
セレスティアは、口を挟まずに聞いた。
五年前の裏切り。楔の寸法。間者の五年。密書の偽造。村襲撃の手引き。
そして、動機。
話し終えるのに、一刻かかった。
彼女は、机に手を置いたまま動かなかった。
「……一つ、確かめます」
「どうぞ」
「その方は、あなたを殺すつもりがないのですね」
「そう言いました」
「人間に戻ってほしくない、と」
「はい」
セレスティアは、目を伏せた。
「そのために、五十三人を殺したのですか」
レオンは、答えを持っていた。
「そうです」
彼女は、しばらく黙っていた。
それから、短く息を吐いた。
「軍を、動かしたい」
その一言を、押し殺した声で言った。
「全軍で北の砦を潰したい。そう思いました」
「……」
「今、言いました。私が、そう思ったと」
「はい」
「ですが、動かせません」
理由は、三つあった。
一つ。帝国との停戦交渉が始まっていた。
「三月前からです。帝国は北の戦線で手一杯です。向こうから話が来ました」
「……」
「条件の詰めに入っています」
二つ。北の砦は帝国領である。
「王国軍が帝国領の砦を攻めれば、交渉は終わります」
「分かります」
「終われば、来春に二度目の侵攻が来ます」
三つ。そして、相手が一人である。
「軍は、個人を討つために動かせません」
セレスティアは、そう言い切った。
「あの方が帝国軍を率いて攻めてくるなら、軍で受けます。ですが、砦で待っているだけの男を討つために、三千を出すことはできません」
「……はい」
「分かっていますね」
「分かっています」
レオンは、頭を下げた。
「それを言いに来たのではありません」
「では、何を」
「報告です」
セレスティアは、顔を上げた。
「報告だけですか」
「はい」
「頼みはないのですか」
レオンは、少し考えた。
「ありません」
「では、こちらから出します」
彼女は、引き出しを開けた。
紙を出した。
剣の記録である。
四枚になっていた。
レオンは、その束を見た。
「お見せすると、約束しました」
「……はい」
「二年近く前です」
「覚えています」
セレスティアは、紙束を手に持った。
持って、引き出しに戻した。
「まだ、お見せしません」
レオンは、その動きを見ていた。
「殿下」
「帰ってきたら、お見せします」
彼女は、引き出しを閉めた。
「それまでは、預かります」
「……」
「見たいでしょう」
「……見たいです」
「ですから、預かります」
レオンは、閉まった引き出しを見ていた。
生きて帰る理由を、一つ渡された。
「支援の話をします」
セレスティアは、紙を一枚出した。
「軍は動かせません。ですが、私の名で出せるものがあります」
「何を」
「馬を三頭。糧を一月分。そして、国境の通行証です」
「通行証」
「帝国領に入るのに、商人の名義が要ります。用意しました」
レオンは、その紙を受け取った。
名前の欄に、知らない名が書いてある。
「それと、もう一つ」
セレスティアは、ペンを取った。
別の紙に、何かを書き始めた。
「これは、私の私印で出します」
書き終えて、こちらへ回した。
レオンは、読んだ。
読んで、手が止まった。
カルム村の土地の扱いについて、書かれていた。
焼け跡の五十七戸分の土地を、王家が買い上げる。
買い上げた上で、墓地として登録する。
管理は、王家が永続して行う。
「……殿下」
「あなたが戻らなかった場合です」
彼女は、静かに続けた。
「あの村に、相続する者がいません。五十三人が死にました。生存者は、近隣に移っています」
「……」
「放っておけば、十年で畑になります。墓も、そのうち分からなくなります」
レオンは、その紙を見ていた。
「あなたが戻れば、これは要りません。自分で管理なさい」
「……」
「戻らなければ、私がやります」
レオンは、紙を両手で持っていた。
持っている手が、少し震えた。
「礼は、言わないでください」
セレスティアが、先に言った。
「言われると、戻ってこない気がします」
エレナには、その日の夜に話した。
全部聞いて、彼女は一つだけ言った。
「同行します」
「駄目だ」
「なぜです」
「死ぬ」
「死にません」
「相手は、暗黒騎士だ」
「それでも、同行します」
レオンは、首を振った。
「お前には、別のことを頼む」
「何でしょうか」
「軍に残れ」
エレナが、少し黙った。
「残って、何をしますか」
「見る役目だ」
「……」
「お前の役目は、最初からそれだ」
二年近く前、灰の中で言われた言葉である。
私を副官のまま使ってください。見ているためです。
あなたが、またあれをやるかどうかを見ます。
やったときに、それを知っている人間が、一人はいるべきです。
「俺が死んだら、誰も知らないまま終わる」
レオンは、そう続けた。
「俺がどこで何をしたか、全部知っているのはお前だけだ」
「……」
「記録を持っているのも、お前だ」
エレナは、床を見ていた。
「それは、残れという意味ですか」
「そうだ」
「死ぬのを、見ていろという意味ですか」
「……そうだ」
エレナは、顔を上げた。
目が赤くなっていた。
初めて見る顔だった。
「承知しました」
そう返した。
「ただし、一つ申し上げます」
「言え」
「私は、あなたを許していません」
二年近く前と同じ言葉だった。
「あの若い兵のことも、忘れていません」
「ああ」
「忘れないまま、待ちます」
エレナは、頭を下げた。
長く下げた。
翌日、ゴードウィンに会った。
将軍府の執務室である。
話を聞いて、老人は杖を床に置いた。
「それで、何が要る」
「要りません」
「なら、なぜ来た」
「報告です」
「報告だけか」
「はい」
ゴードウィンは、しばらくこちらを見ていた。
それから、立ち上がった。
壁際の戸棚を開けた。
中から、布に包んだものを出した。
机に置いた。
布を開いた。
一尺ほどの筒である。片側に取っ手、片側に黒い杭。
三月前、胸に受けたものだった。
「残り二本のうちの一本だ」
レオンは、その筒を見た。
「要りません」
「要らんだろうな」
老人は、頷いた。
「相手は呪具を持たん。甲冑も着ていない。これは効かん」
「では、なぜ」
ゴードウィンは、筒を押した。
「お前に使えとは言っていない」
レオンは、顔を上げた。
「お前に使うためだ」
部屋が、静かになった。
「六年、私はこれを作っていた。暗黒騎士を止めるためだ」
「……」
「止める相手は、帝国の騎士だと思っていた」
老人は、杖を取った。
「今は、別のことを考えている」
「……」
「お前が、戻らなくなったときのためだ」
レオンは、その筒を見ていた。
三月前、同じものが胸当てを割った。
割れて、安堵した。
壊れてよかったと思った。
あのとき、自分では脱げなかった。
脱がせたのは、他人の手だった。
「副官に渡せ」
ゴードウィンは、そう続けた。
「あの女なら、使う」
「……」
「迷わずに使うだろう。お前を許していない目をしている」
レオンは、筒に手を伸ばした。
取った。
布で包み直した。
「ありがとうございます」
「礼は要らん」
老人は、杖をついて窓の方へ歩いた。
「一つ聞く」
「はい」
「勝てるか」
レオンは、答えを探した。
「分かりません」
「正直だな」
「はい」
「では、もう一つ聞く」
ゴードウィンは、振り向かなかった。
「生きて帰るか」
レオンは、その問いに答えなかった。
答えずに、頭を下げた。
下げた頭を、老人は見ていなかった。
村に戻ったのは、五日後だった。
甲冑の破片を取りに行くためである。
オズワルドの谷までは、そこから二月かかる。
三月の猶予のうち、二月を移動に使う。
残りは一月しかない。
足りるかどうかは、行ってみないと分からなかった。
焼け跡に着いたのは、夕方だった。
家の裏へ回った。
墓の前に、人が座っていた。
レオンは、足を止めた。
ケインだった。
一月半ぶりである。
痩せていた。
左腕を、布で吊っていた。
「……来ると思ってた」
ケインは、立ち上がらなかった。
座ったまま、こちらを見た。
「何をしている」
「草を抜いてた」
墓の周りを指した。
確かに、抜いた跡があった。
「腕は」
「折れた」
「どこでだ」
ケインは、少し笑った。
「皇都だ」
レオンは、その言葉を聞いた。
「……帝国に戻ったのか」
「戻った」
「殺されるぞ」
「殺されかけた」
ケインは、吊った腕を見た。
「三月前に抜けてるからな。戻れば捕まる」
「なぜ戻った」
「調べるためだ」
ケインは、懐に手を入れた。
右手だけで、紙を一枚出した。
折り目が多い。
汗で滲んでいた。
「受け取れ」
レオンは、受け取らなかった。
「……お前の名を使うつもりはない」
「使わなくていい」
「情報も要らない」
「そう言うと思ってた」
ケインは、紙を差し出したままだった。
「だから、読み上げる」
「やめろ」
「やめん」
ケインは、紙を広げた。
「北の砦。名はエルステン。帝国領、国境から四日」
「……」
「石造り。中庭が一つ。門は二つ。北と南だ」
「やめろと言った」
「中に入るのは、お前とあいつの二人だけだ」
レオンは、そこで口を閉じた。
「部門の精鋭が、四十人いる」
ケインは、紙を読み続けた。
「四十人は、砦の外に配置される。門の外だ」
「……」
「中には入らない。入るなという命令が出てる」
「なぜ分かる」
「命令書を見たからだ」
ケインは、紙から目を上げた。
「だから腕が折れた」
レオンは、その腕を見た。
「つまり、中では一騎打ちだ」
「……」
「向こうは、それを望んでる」
「分かっている」
「分かってない」
ケインは、紙を畳んだ。
「問題は、その後だ」
「……」
「勝っても、出られない」
レオンは、墓の前に立っていた。
「外に四十人いる。術者が六人混じってる」
「……」
「甲冑があれば、魔法は通らない。だが四十人は多い」
「……」
「それと、北の門だけ、外から閂がかかる仕掛けになってる」
ケインは、紙をこちらへ差し出した。
「入ったら、閉められる」
レオンは、その紙を見た。
受け取らなかった。
「お前の情報を、信じる理由がない」
「ない」
ケインは、認めた。
「五年、嘘を書いてた男の情報だ。信じる理由はない」
「……」
「それでも、置いていく」
ケインは、紙を墓の上に置いた。
一番大きい盛り土の上である。
石を一つ、重しに乗せた。
そして、立ち上がった。
「貸し借りなしとは言わない」
そう言って、吊った腕を直した。
「俺がやったことは、消えない」
「……」
「これで許されるとも思ってない」
ケインは、通りの方を向いた。
「ただ、お前が死ぬのは別の話だ」
レオンは、その背中を見ていた。
「……ケイン」
初めて、その名で呼んだ。
ケインの足が、止まった。
止まったまま、振り向かなかった。
「腕を見せろ」
「……は」
「折れているんだろう」
「ああ」
「添え木が曲がってる」
レオンは、歩いた。
三歩で、横に立った。
吊った布を解いた。
添え木が、確かに曲がっていた。
折れた骨が、斜めに繋がりかけている。
このままでは、使えない腕になる。
「座れ」
ケインは、座らなかった。
「座れ」
二度目で、座った。
レオンは、添え木を外した。
外して、組み直した。
アルブレヒトに教わった方法である。
五年前、診療所で見ていた。
「痛いぞ」
「ああ」
骨の位置を直した。
ケインが、歯を食いしばった。
声は出さなかった。
布を巻き直した。
吊り直した。
終わるまで、二人とも口を開かなかった。
終わってから、ケインが言った。
「……うまいな」
「見ていただけだ」
「誰のを」
レオンは、墓の方を見た。
四つ並んだうちの、一つを見た。
ケインは、それ以上聞かなかった。
立ち上がって、通りへ歩いていった。
今度は、止まらなかった。
レオンは、墓の上の紙を見た。
石が、一つ乗っている。
しばらく見てから、手を伸ばした。
石をどけて、紙を取った。
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