第44話 証拠
ハンスのいる村は、カルム村から北へ二日の距離にあった。
着いたのは、夕方だった。
村の規模は、カルム村より小さい。三十戸ほどである。
畑で麦を刈っている者に声をかけると、すぐに場所を教えられた。
「ああ、あの子らね。村長の離れだよ」
六人と一人が、そこで暮らしているという。
ハンスは、井戸の横にいた。
水を汲んでいた。桶が二つある。
背が伸びていた。半年で、肩の幅が変わっていた。
振り向いて、固まった。
「……先生」
桶を置いた。
置いた手が、濡れたまま動かなかった。
「大きくなったな」
「飯が食えてます」
「そうか」
「村長さんが、よくしてくれて」
ハンスは、手を服で拭いた。
「先生、どうして」
「聞きたいことがある」
「はい」
「あの日のことだ」
ハンスの顔から、少し色が引いた。
「聞いていいか」
「……はい」
「嫌なら言わなくていい」
「言います」
離れの裏に、石が二つ並んでいた。
座ると、麦畑が見えた。
ハンスは、膝を抱えた。
「あの日、村に残っていた者のことを聞きたい」
「残っていた者」
「よそ者が、何人いた」
ハンスは首を傾げた。
「よそ者、ですか」
「村の生まれじゃない者だ」
「先生だけです」
即答だった。
レオンは、その答えを待っていた。
「他にはいなかったか」
「いません」
「本当か」
「本当です。うちの村は、ずっと五十七戸で変わってません」
「人が増えたことはないか」
「先生が来たときだけです」
ハンスは、麦畑を見ていた。
「あのとき、村中で噂になってました。森で人が倒れてたって」
「……ああ」
「それから、誰も来てません」
レオンは、麦畑を見た。
風が入っている。
「トーレスは」
そう聞いた。
声が、自分でも硬かった。
ハンスが、こちらを見た。
「トーレスさん」
「あの男は、どこの生まれだ」
「知りません」
「村の生まれか」
「違います」
「じゃあ、よそ者だ」
ハンスは、少し考えた。
それから、首を振った。
「あの人は、よそ者じゃないです」
「……なぜだ」
「村の中に住んでませんから」
レオンの指が、石の上で止まった。
「村の外れです。山に入るところに、小屋があって」
ハンスは、手で方向を示した。
「柵の外なんです。だから、村の人数に入ってません」
「……入っていない」
「はい。五十七戸は、柵の内側だけです」
「村長の帳面にも」
「載ってないと思います。税を払ってないので」
レオンは、麦畑を見ていた。
見ていたが、何も見ていなかった。
柵の外。
村の人数に入っていない。
帳面に載っていない。
だから、よそ者ではない。
村人でもない。
どちらでもない。
五十七戸という数字を、三月前に密書で読んだ。
そして二日前、トーレス自身が同じ数字を言った。
五十七戸だ。全部書いた、と。
正しい数字だった。
正しいから、彼は数に入っていない。
「先生」
ハンスが言った。
「トーレスさんが、どうかしたんですか」
レオンは、その顔を見た。
十四歳の顔だった。
「何でもない」
「先生」
「何でもない」
ハンスは、それ以上聞かなかった。
代わりに、別のことを言った。
「トーレスさんのこと、俺、一つだけ覚えてます」
レオンは、動きを止めた。
「あの日の朝です」
「……言え」
「俺、道場に行く前に、井戸で水を汲んでました」
ハンスは、両手を膝に置いた。
「そのとき、トーレスさんが通ったんです」
「どこへ」
「山の方です。先生と狩りに行くって聞いてたから、そうだろうなと思って」
「……」
「でも、荷が軽かったんです」
レオンは、ハンスの顔を見た。
「狩りに行くのに、弓だけでした」
「……弓だけ」
「いつもは、袋を二つ持ってます。獲物を入れるのと、道具のと」
ハンスは、両手で大きさを示した。
「あの日は、弓だけでした」
レオンは、その言葉を聞いた。
あの日、トーレスは夜明け前に迎えに来た。
一緒に北の谷へ歩いた。
鹿を仕留めた。
血を抜いた。一刻かけた。
担いで帰った。
担いだのは、自分だった。
トーレスは、何も担がなかった。
袋がなかったからだ。
獲物を入れる袋を、持っていなかった。
獲物を持ち帰るつもりが、なかったのだ。
レオンは、石の上で両手を握った。
「先生」
「……ああ」
「変でしたか」
「……いや」
「俺、ずっと言おうか迷ってて」
ハンスは、麦畑を見た。
「言ったら、トーレスさんが悪いみたいになるから」
レオンは、その横顔を見た。
半年、この子はそれを持っていた。
「よく言った」
そう返した。
言ってから、自分の声が平らすぎることに気づいた。
村を出たのは、翌朝だった。
ハンスが街道まで送ってきた。
「先生」
「なんだ」
「また来ますか」
レオンは、答えに迷った。
「分からない」
「そうですか」
ハンスは、足元を見た。
「俺、道場をやります」
「……」
「この村で、子供に教えます。村長さんが、場所をくれるって」
「教えられるか」
「分かりません」
ハンスは顔を上げた。
「でも、先生の教え方は覚えてます」
「……そうか」
「殺すな、じゃなくて、殺さずに止めろ」
レオンの喉が、詰まった。
「あれ、守ったら死にますか」
十四歳が、そう聞いた。
半年前、九人がそれを守って死んだ。
この子はそれを見ている。見ていて、それでも教えようとしている。
レオンは、答えを探した。
探して、見つからなかった。
「……分からない」
それだけ返した。
「そうですか」
ハンスは頷いた。
「じゃあ、考えます」
そう言って、頭を下げた。
レオンは、歩き出した。
十歩ほど行って、振り向いた。
ハンスはまだ街道に立っていた。
手を振っていた。
副王都に着いたのは、六日後だった。
エレナを呼んだ。
「頼みがある」
「どうぞ」
「帝国の、定期報告書の写しを探してくれ」
エレナが、少し眉を動かした。
「どの部署のです」
「南方軍だ。カルム村を襲った部隊の上にあたる」
「期間は」
「五年分」
「……五年」
「五年だ。村に人が来た年からだ」
エレナは、紙を出して書き始めた。
「何を探しますか」
「カルム村という名前が出ている報告を、全部」
「月に一度の定期報告でよろしいですか」
「いい」
エレナは、ペンを止めた。
「レオン殿」
「なんだ」
「五年分の定期報告に、村の名が毎月出ていたら」
「……」
「それは、五年間ずっと報告されていたという意味になります」
「そうだな」
「よろしいのですか」
レオンは、窓を見ていた。
「頼む」
押収文書の整理には、二十日かかった。
王都奪還のときに押さえた帝国軍の書類は、副王都の倉に積まれていた。
エレナが七人を使って洗った。
二十一日目の夜、紙束を持ってきた。
机に置いた音が、重かった。
「出ました」
レオンは、その束を見た。
厚い。
指で測ると、二寸ほどある。
「何枚だ」
「五十八枚です」
「……五十八」
「月に一度。五年弱で、五十八回です」
一枚も欠けていない。
レオンは、一番上を取った。
日付は五年前の秋だった。
村に運び込まれて、半年ほど経った頃である。
本文は三行だった。
対象、生存。カルム村に滞在。負傷により行動不能。
報告者の欄は、記号だった。
数字と文字の組み合わせである。名前はない。
二枚目を取った。
翌月である。
対象、回復傾向。歩行可。武装の兆候なし。
三枚目。
対象、村娘と同居。武装なし。
レオンは、紙をめくった。
めくる手が、止まらなかった。
対象、婚姻。
対象、第一子出生。女子。
対象、村の自衛指導を開始。木刀使用。殺傷を禁ずる方針。
対象、酒場に通う。発言に警戒要素なし。
レオンは、その一枚を見ていた。
酒場に通う。
発言に警戒要素なし。
俺は幸せ者だと、何度も言った。
その横で、杯を掲げていた男がいた。
紙は続いた。
対象、王女を救出。王国軍の接触あり。
対象、王国軍の招聘を一度辞退。
対象、招聘を受諾。王都へ単身赴任。
対象、王都にて上級士官。隊の指揮を執る。
そして。
五十六枚目。
一年前の報告だった。
対象、妻の第二子懐胎。出産予定、来春。
レオンの手が、そこで止まった。
リンのことだった。
生まれていない娘のことが、帝国の定期報告に書かれていた。
レオンは、次をめくった。
五十七枚目。
対象、帰郷予定。期間は半月。護衛二名。
その下に、一行あった。
村の位置、戸数、防衛状況を別便にて送付。
レオンは、その一行を二度読んだ。
別便。
三月前にヴォルフが持ってきた、あの十二行である。
同じ筆である。
同じ記号が、報告者の欄に入っていた。
レオンは、最後の一枚を取った。
五十八枚目。
日付は、襲撃の三日前だった。
本文は、二行しかない。
対象は三日後に狩猟に出る予定。同行者は報告者。
不在は日没まで。
部屋の音が、消えた。
エレナが、立っていた。
何も言わずに立っていた。
レオンは、その紙を持っていた。
持っている手が、震えていない。
それが、自分でも不思議だった。
同行者は報告者。
つまり、この報告を書いた者が、狩りに同行する。
三日後の朝、夜明け前に迎えに来た男だった。
袋を持っていなかった男だった。
獲物を担がなかった男だった。
血を抜くのに一刻かけさせた男だった。
煙を見て、野焼きだろうと言った男だった。
走り出したレオンに、追いついてこなかった男だった。
半年、墓の横に小屋を建てて住んでいた男だった。
猪が墓を掘らないように、と言った男だった。
「レオン殿」
エレナの声がした。
「報告者の記号を、照合しました」
「……」
「帝国軍の間諜名簿に、一件だけ一致があります」
レオンは、紙を置いた。
「名を言うか」
エレナが聞いた。
言わせるべきだと思った。
自分の口から出すより、他人の口から出た方がいい。
そう思った。
思ったが、違った。
これは、自分が言うべきことだった。
「いい」
レオンはそう返した。
「知っている」
机の上に、五十八枚が積まれている。
五年である。
五年間、毎月だった。
結婚した月も、娘が生まれた月も、酒場で幸せ者だと言った月も、全部書かれていた。
レオンは、その束に手を置いた。
置いて、気づいた。
あの男は、五年間、一度も欠かさなかった。
月に一度、必ず書いた。
その同じ五年で、狩りに誘い、酒を飲み、娘を抱き、水車小屋を直し、墓を掘るのを手伝おうとした。
どちらも、本当にやった。
レオンは、紙の束を見ていた。
それから、戸の方を見た。
「馬を用意してくれ」
「どこへ」
「村だ」
エレナは、すぐには動かなかった。
「レオン殿」
「なんだ」
「一つ、伺います」
「言え」
「殺しますか」
レオンは、その問いを聞いた。
答えを、持っていなかった。
半年前から、答えを持っていた。
ゴードウィンを殺す、と墓の前で言った。
名前があれば進めた。
今、名前がある。
正しい名前が、ようやく手に入った。
それなのに、答えが出てこない。
「分からない」
レオンはそう返した。
「分からないが、行く」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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また、本作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も書いており、戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。
『魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜』
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王女セリスと魔剣ノイエジールの戦いも、あわせて応援いただけると嬉しいです!




