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復讐のダークナイト 〜愛を知った男は、再び黒い牙となる〜  作者: 筑紫隼人


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45/45

第45話 仮面が剥がれる日

村に着いたのは、六日目の夕方だった。

 

焼け跡は、変わっていない。

 

柱が黒いまま立っている。雑草が伸びている。

 

家の裏に、小屋から煙が上がっていた。

 

レオンは、そこへ行かなかった。

 

村の中へ入った。

 

通りを歩いて、三軒目の前で止まった。

 

酒場があった場所である。

 

柱が二本と、床板が半分残っていた。

 

屋根はない。

 

レオンは、その床板に座った。

 

座って、待った。

 

 

半刻ほどして、足音がした。

 

トーレスだった。

 

小屋から出て、通りを歩いてきた。

 

「なんだ、こんなところで」

 

三歩のところで止まった。

 

「小屋にいないと思ったら」

「飲まないか」

 

レオンは瓶のない手を上げた。

 

トーレスは、少し黙った。

 

「酒があるのか」

「ない」

「じゃあ、持ってくる」

 

そう返して、戻っていった。

 

すぐに戻ってきた。

 

小さな瓶を一つ持っていた。

 

「取っておいたんだ」

 

床板に座って、栓を抜いた。

 

「半年、小屋に置いてた」

「飲まなかったのか」

「一人じゃ飲まん」

 

瓶を差し出された。

 

レオンは受け取った。

 

口をつけた。

 

強い酒だった。喉が焼けた。

 

村の酒場で飲んでいたものと、同じ味がした。

 

「どこの酒だ」

「ここのだ」

 

トーレスは、焼けた柱を指した。

 

「倉の下に、三本残ってた。拾っといた」

「他の二本は」

「売った。食い物に換えた」

「これだけ残したのか」

「ああ」

「なぜだ」

 

トーレスは、瓶を受け取った。

 

飲んだ。

 

「いつか、飲むと思ってたからな」

 

レオンは、その言葉を聞いた。

 

聞いて、何も返さなかった。

 

 

日が落ちた。

 

火は起こさなかった。

 

二人で、瓶を回した。

 

半分まで減った。

 

通りは暗い。焼け跡の輪郭だけが、わずかに見える。

 

五年前、この場所で何度も飲んだ。

 

村長がいた。酒場の主人がいた。猟師がいた。道場の親がいた。

 

誰かが肩を叩いた。誰かが笑った。

 

ノアが迎えに来た。

 

呆れた顔で、戸口に立った。

 

「覚えてるか」

 

トーレスが言った。

 

「お前が、幸せ者だって叫んでたこと」

「覚えている」

「毎回だったぞ。三回言った日もあった」

「言った」

「村中が知ってた」

 

トーレスは笑った。

 

笑って、瓶を置いた。

 

レオンは、その横顔を見ていた。

 

半年前、灰の中で隣に座っていた顔である。

 

二日、何も言わずに座っていた。

 

水を置いた。干し肉を置いた。受け取らなければ、また置いた。

 

墓を掘るのを手伝おうとして、断られた。

 

断られても、村の方の遺体を運び続けた。

 

五十三人、数えた。

 

そして半年、小屋を建てて、猪を追い払っていた。

 

 

レオンは、瓶を取った。

 

飲まなかった。

 

持ったまま、口を開いた。

 

「一つ、聞いていいか」

「おう」

「あの日、狩りに誘ったのは、お前だったな」

 

トーレスの顔が、こちらを向いた。

 

「ああ」

 

普通の返事だった。

 

「前の晩に、お前が来た」

「来た」

「明日どうだ、と言った」

「言ったな」

「北の谷に行こうと言った」

「鹿が下りてたからな」

 

レオンは、瓶を床板に置いた。

 

音が、少しした。

 

「袋は」

 

一拍あった。

 

「……袋」

「獲物を入れる袋だ」

 

レオンは、前を見ていた。

 

「お前はいつも、袋を二つ持つ。獲物のと、道具のと」

「……」

「あの日は、弓だけだった」

 

通りが、静かになった。

 

風もなかった。

 

レオンは、横を見なかった。

 

見る必要が、なかった。

 

「誰に聞いた」

 

トーレスの声が、そう言った。

 

少し低かった。

 

「ハンスだ」

「……そうか」

「井戸で水を汲んでいたと言っていた。お前が通るのを見たと」

「見てたか」

「見ていた」

 

「あの子は、よく見てる」

 

トーレスは、瓶に手を伸ばした。

 

伸ばして、途中でやめた。

 

手を膝に戻した。

 

 

長い沈黙だった。

 

どれくらい続いたか、分からない。

 

レオンは、数えなかった。

 

数える気がなかった。

 

やがて、トーレスが息を吐いた。

 

長い息だった。

 

それから、座り直した。

 

胡座を組み直して、背を伸ばした。

 

今まで見たことのない座り方だった。

 

「レオン」

「……」

「俺の名は、トーレス・ヘイグじゃない」

 

レオンは、動かなかった。

 

「ケイン・ドレスラー」

 

その名が、焼け跡に落ちた。

 

「帝国軍に籍がある」

「……」

「五年前、お前がこの村に流れ着いた後に、ここへ入った」

「……」

「任務は、監視だ」

 

ケインは、前を見ていた。

 

レオンの顔を見なかった。

 

「五年、毎月報告した。一度も欠かしていない」

「……」

「村の位置を送った。戸数を送った。防衛を送った」

「……」

「お前が村を離れる日と、不在の時刻を送った」

 

そこで、一度止まった。

 

「あの日、狩りに誘ったのも、俺だ」

 

通りは、暗いままだった。

 

「以上だ」

 

ケインは、そこで言葉を切った。

 

「否定しない。言い訳もしない」

 

 

レオンは、床板に座っていた。

 

腰に、剣がある。

 

布を巻いた黒い柄が、手から一尺のところにある。

 

手が、動かなかった。

 

半年前、同じ手で床を掘った。

 

石の蓋をずらして、剣を握った。

 

あのときは、迷わなかった。

 

指が勝手に動いた。

 

今は、動かない。

 

理由を、レオンは分かっていた。

 

抜けば、終わる。

 

終われば、五年が全部決まる。

 

嘘だったと、決まってしまう。

 

抜かないあいだは、まだ決まっていない。

 

それだけのために、手が止まっている。

 

卑怯だと思った。

 

思っても、手は動かなかった。

 

 

「レオン」

 

ケインが口を開いた。

 

「言っておきたいことがある」

 

レオンは、前を見ていた。

 

「俺は、最初から」

「言うな」

 

遮った。

 

自分の声が、通りに落ちた。

 

ケインの口が、閉じた。

 

「言うな」

 

もう一度、言った。

 

二度目は、少し小さかった。

 

レオンは、立ち上がらなかった。

 

座ったまま、焼けた柱を見ていた。

 

聞けば、説明される。

 

説明されれば、五年が形を持つ。

 

どこからが任務で、どこからが違ったのか。

 

いつ笑い、いつ書いたのか。

 

ミアを抱いた日に、何を送ったのか。

 

全部、順番がつく。

 

順番がついたものを、もう思い出せなくなる。

 

今の記憶は、まだ崩れていない。

 

崩れていない分だけ、残っている。

 

「……言うな」

 

三度目だった。

 

ケインは、何も返さなかった。

 

返さずに、こちらを見た。

 

初めて、顔を見た。

 

レオンは、横を向かなかった。

 

それでも、見られているのが分かった。

 

 

「お前」

 

ケインの声が、少し掠れていた。

 

「怒ってないのか」

 

レオンは、答えを探した。

 

探して、見つからなかった。

 

怒っていた。

 

怒っているはずだった。

 

家族が死んだ。五十三人が死んだ。九人の子供が、教えを守って死んだ。

 

全部、この男が送った紙から始まった。

 

怒るべきだった。

 

怒りが、来なかった。

 

胸の中に、別のものがある。

 

半年前から冷たかった場所である。

 

そこが、空になっていた。

 

冷たくもない。熱くもない。

 

何も入っていなかった。

 

「……分からない」

 

レオンは、そう口にした。

 

「分からないが、怒ってはいない」

 

ケインが、顔を伏せた。

 

伏せた顔が、見えなくなった。

 

「……そうか」

 

声だけが聞こえた。

 

「怒ってくれよ」

 

レオンは、何も返さなかった。

 

「怒ってくれ」

 

もう一度、そう言った。

 

レオンは、立ち上がった。

 

ゆっくり立った。

 

膝が、少し鳴った。

 

ケインは座ったままだった。

 

顔を伏せたままだった。

 

レオンは、腰の剣に手をかけた。

 

かけて、止めた。

 

止めてから、手を離した。

 

「出ていけ」

 

そう言った。

 

「……」

「二度と顔を見せるな」

 

ケインは、動かなかった。

 

「聞こえたか」

「……聞こえた」

「なら、行け」

 

レオンは、通りを歩き出した。

 

背中で、何も聞こえなかった。

 

追ってこなかった。

 

呼びもしなかった。

 

十歩歩いて、二十歩歩いた。

 

三十歩のところで、声がした。

 

「レオン」

 

レオンは、止まらなかった。

 

「酒、残ってる」

 

歩き続けた。

 

「……また、飲もうな」

 

その一言だけが、焼け跡に残った。

 

レオンは、振り向かなかった。

 

振り向けば、何かが崩れる。

 

何が崩れるのかは、分からなかった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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