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復讐のダークナイト 〜愛を知った男は、再び黒い牙となる〜  作者: 筑紫隼人


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第36話 王女の選択

副王都に戻ったのは、三月ぶりだった。

 

門をくぐる前に、レオンは荷を担ぎ直した。中身は重い。布で三重に巻いてあるが、形は隠しきれていない。

 

通りを歩くと、人が振り返った。甲冑の形に見えたのだろう。

 

税務館の二階に通された。

 

セレスティアが立っていた。髪を結んでいる。摂政の職に就いてから、ずっとその形だった。

 

「ご無事で」

「はい」

「三月で戻ると、手紙にありました」

「三月と、四日です」

「数えていました」

 

レオンは荷を下ろした。

 

床板が、鈍い音を立てた。

 

セレスティアの目が、そこへ動いた。

 

「それは」

「報告があります」

 

レオンは布の結び目を解いた。

 

三重の布を開く。

 

黒い鉄が、窓からの光を鈍く返した。

 

胸当て。肩。籠手。脛当て。兜。

 

部屋の空気が、一段下がった気がした。

 

「慟哭の甲冑です」

 

レオンは、そう告げた。

 

「五年前に砕かれたものを、鍛冶師に直させました」

 

セレスティアは、動かなかった。

 

膝の前で手を組んだまま、黒い鉄を見ていた。

 

「纏ったのですね」

「はい」

「使ったのですか」

「まだ使っていません。着けただけです」

「……そうですか」

 

長い間があった。

 

「報告の義務は、剣についてでした」

 

セレスティアが言った。

 

「甲冑については、何も申し上げていません」

「そうです」

「それでも、報告されました」

「はい」

「なぜです」

 

レオンは答えるまでに、少し時間を使った。

 

「黙っていようと思いました」

「……」

「三月のあいだに、三度思いました。黙っていればいい、と」

「……」

「黙っていれば、楽です」

 

セレスティアは、黒い鉄から目を離さなかった。

 

「それで、なぜ報告を」

「楽だと思ったからです」

 

その答えに、彼女はようやく顔を上げた。

 

 

セレスティアは机に向かい、引き出しを開けた。

 

紙を出す。二枚あった。

 

数字が並んでいる。小さく、詰まった字だった。

 

「剣の記録です」

「はい」

「これに、書き足します」

 

彼女は机に紙を置き、ペンを取った。

 

そして日付を書いた。その横に、短く記した。

 

甲冑、修復。

 

「使用、ではなく」

「修復と書きます。使ったときは、別に書きます」

「……はい」

「レオン殿」

「はい」

「一つ、伺います」

 

セレスティアはペンを置いた。

 

「それを纏ったとき、どう感じましたか」

 

レオンは、兜を見た。

 

「心地よかったです」

「……」

「痛みが消えました。肩の重さが、懐かしかった」

 

言ってから、続けた。

 

「帰ってきた、と思いました」

 

セレスティアは、しばらく黒い鉄を見ていた。

 

紙を引き出しに戻し、閉じた。

 

「分かりました」

 

それだけだった。

 

止めなかった。

 

叱らなかった。

 

レオンは、止めてほしかったのだと気づいた。

 

気づいてから、自分に腹が立った。

 

 

本題は、別にあった。

 

セレスティアが地図を広げた。

 

北の国境沿いである。王都奪還の後も、帝国はそこを手放していない。

 

三つの町に印がついていた。

 

「占領されています。半年です」

「人は残っているのですか」

「残っています。そこが問題です」

 

セレスティアは一つ目の印を指した。

 

「ここは、八百人。帝国の駐屯は三百」

 

二つ目。

 

「ここは、千二百人。駐屯は五百」

 

三つ目。

 

「ここは、二千三百人。駐屯は千二百です」

「一番大きいところが、一番堅い」

「そうです」

 

彼女は手を引いた。

 

「軍は、三つ取れません。兵が足りません」

「どれか、あるいは一つも」

「はい」

 

レオンは地図を見た。

 

数字の意味が、すぐに分かった。

 

小さい町は、取りやすい。損害が少ない。

 

大きい町は、取りにくい。損害が大きい。

 

そして救える人数は、逆になる。

 

「臣下は、どう言っています」

「全部、放棄と」

「理由は」

「主力を保てと。来春、帝国が再び動きます。そのとき兵が残っていなければ、副王都も王都も危ういと」

「正しいですね」

「正しいです」

 

セレスティアは椅子に座った。

 

「正しいので、三日決められませんでした」

 

 

その日の夕方、卓が開かれた。

 

将官が六人。文官が四人。

 

レオンは末席にいた。代行将軍位は返上している。発言を求められる立場ではない。

 

議論は、半刻で結論が出た。

 

全面放棄。

 

反対は一人もいなかった。

 

「住民は」

 

文官の一人がそう聞いた。

 

「帝国も、全員を殺すわけではありません」

 

将官が答えた。

 

「使える者は働かせます。半年生きているのが証拠です」

「働かせる、で済みますか」

「済まないでしょう。ですが、兵を失えば次に守る者がいません」

 

誰も反論しなかった。

 

レオンも、しなかった。

 

それが正しいと分かっていた。

 

二十三回の戦で、三度負けた。負けた理由は全部、兵が足りなかったことだった。

 

セレスティアは、最後まで口を開かなかった。

 

「では、決裁を」

 

文官が書類を差し出した。

 

彼女は受け取った。

 

受け取って、置いた。

 

「明日、答えます」

「殿下」

「明日です」

 

それで卓が閉じた。

 

 

夜、レオンは呼ばれた。

 

同じ部屋だった。燭台が一つだけ灯っている。

 

セレスティアは地図の前に立っていた。

 

「座ってください」

「立っています」

「では、私も立ちます」

 

三月前と同じやり取りだった。

 

レオンは座った。

 

セレスティアは座らなかった。

 

「父に聞きました」

「陛下に」

「今日は、目を開けておられました。二刻ほど」

 

彼女は地図を見ていた。

 

「三つの町のことを、話しました」

「何と」

「お前が決めろ、と」

 

「……」

「それだけです。他には何も」

 

セレスティアは少し笑った。

 

「三十年、七つの国を渡った人です。もっと具体的なことを言うと思っていました」

「言わなかったのですね」

「言いませんでした。ただ、一つだけ」

 

彼女はこちらを見た。

 

「決めたら、見に行け、と」

 

レオンは、その言葉を聞いた。

 

傭兵の言葉だ、と思った。

 

決めた者が、結果を見に行く。そういう仕事をしてきた男の言葉だった。

 

 

「レオン殿」

「はい」

「あなたなら、どうしますか」

 

来た、と思った。

 

レオンは膝に手を置いた。

 

答えは、すでに頭の中にあった。

 

三つ目を取る。二千三百人を取って、残り二千を捨てる。兵の損害は千を超える。来春の帝国の動きには、それでも耐えられる。

 

計算は済んでいた。

 

卓が開く前に済んでいた。

 

それを言うのは簡単だった。

 

言わなかった。

 

「申し上げられません」

「なぜです」

「俺は、橋を落とさなかった男です」

 

セレスティアが、少し目を開いた。

 

「あのとき、後から来る者がいると言って、橋を残しました。結果として四百人が渡りました」

「はい」

「ですが、あれは正しかったのではありません」

 

レオンは燭台を見た。

 

「俺は、落とす判断をしたくなかっただけです」

「……」

「捨てるものを決める、というのが、俺にはできません。だから一晩立っていた」

「それで四百人が」

「助かりました。偶然です」

 

レオンは顔を上げた。

 

「参考にはなりません」

 

セレスティアは、長いあいだ黙っていた。

 

「正直な方ですね」

「嘘がうまくないだけです」

「それは、違います」

 

彼女は地図に向き直った。

 

「嘘がうまい人は、ここで答えを言います。言えば、私が楽になります」

「……」

「楽にしてくださらないのですね」

「はい」

「ありがとうございます」

 

そう言った。

 

レオンは、その礼の意味が分からなかった。

 

 

四半刻ほど、どちらも口を開かなかった。

 

セレスティアは地図の前に立っていた。

 

時々、指が印の上を行き来した。

 

一つ目。二つ目。三つ目。また一つ目。

 

レオンは座っていた。

 

口を開かなかった。

 

アルブレヒトのことを思い出していた。

 

五年前、道場に立ち寄った義父が、同じことをした。

 

怖いから逃げるのと、大切だから残るのは違う。お前がどちらなのか、それだけは自分で考えろ。

 

そう言って、答えを言わずに出ていった。

 

あのとき、何も言い返せなかった。

 

今、自分が同じことをしている。

 

意識してやったのではない。

 

やってから、気づいた。

 

 

やがて、セレスティアが指を止めた。

 

三つ目の印の上だった。

 

「ここを取ります」

 

レオンは顔を上げた。

 

「二千三百人です。駐屯は千二百」

「兵の損害は」

「千を超えます」

「それでも」

「取ります」

 

彼女は指を離さなかった。

 

「残り二つは、放棄します」

「……はい」

「二千人を、見捨てます」

 

声が、少し低くなった。

 

「全部は救えません。ですから、一番多く救える方を選びます」

「……」

「これは、正しい選択ではありません」

 

セレスティアは地図から手を離した。

 

「数の多い方を選んだだけです。八百人の町に住んでいる人には、何の言い訳も立ちません」

 

レオンは、印影を見ていた。

 

「それでも、これにします」

 

彼女はそう言って、机に戻った。

 

書類を取り、ペンを取った。

 

書く手が、途中で止まった。

 

二度止まった。

 

三度目で、書き終えた。

 

印を押した。

 

押した音が、部屋に響いた。

 

 

それから、彼女は椅子に座った。

 

座って、机に両手をついた。

 

顔を上げなかった。

 

肩が一度、大きく動いた。

 

音はしなかった。

 

ただ、肩が動いた。

 

次に動いたときに、音が漏れた。

 

小さい音だった。

 

レオンは立ち上がった。

 

立ち上がって、彼女の横まで歩いた。

 

そこで止まった。

 

口は開かなかった。

 

言う言葉を、持っていなかった。

 

座れとも、泣くなとも、正しい判断ですとも、言わなかった。

 

ただ、隣に立っていた。

 

燭台の火が、二人の影を壁に落としている。

 

どれくらいそうしていたか、分からない。

 

やがて、音が止まった。

 

セレスティアが顔を上げた。

 

目が赤い。

 

拭わなかった。

 

「失礼しました」

「いえ」

「摂政が泣くものではありません」

「見ていません」

 

セレスティアは、少し笑った。

 

「嘘がうまくないのでは」

「……そうでした」

 

 

彼女は立ち上がり、窓の方へ歩いた。

 

「レオン殿」

「はい」

「ひとつ、申し上げます」

「どうぞ」

「あなたは、まだ誰かの隣に立てる人です」

 

レオンは動けなかった。

 

「今日、あなたは何も言いませんでした。答えを持っていたのに、言わなかった」

「……」

「それができる人は、壊れていません」

 

窓の外は暗い。

 

街の灯りが、いくつか見えるだけだった。

 

「それだけ、申し上げたかった」

 

レオンは、その言葉を受け取った。

 

受け取って、胸の中に来たものは、救いではなかった。

 

床の上に、黒い甲冑が置いてある。

 

三月かけて直したものだった。

 

三日耐えて、自分の意志で纏ったものだった。

 

纏って、心地よかったものだった。

 

隣に立てる人だと、この人は言う。

 

その隣に立っている男が、床に置いてあるものを、また着ようとしている。

 

「……殿下」

「はい」

「今の言葉を、覚えておきます」

 

レオンはそう言った。

 

嘘ではなかった。

 

そして、十分な答えでもなかった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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