第34話 潜入
村を出る前に、床下を掘り返した。
半年前に掘った穴だった。土はまだ柔らかい。
石の蓋をずらすと、砕けた鉄が並んでいた。
胸当ての半分。肩の破片。籠手の一部。焼け落ちた縁が、手の中で崩れそうになる。
レオンはそれを布に包んだ。全部で、抱えられる程度の量だった。
五年前、これは一揃いの甲冑だった。
「持っていくのか」
トーレスが戸口に立っていた。
「ああ」
「直すのか」
「直せるなら」
「直せるやつがいるのか」
レオンは布の口を結んだ。
「探す」
ゴードウィンを殺す、と口に出した。
出してから、算段を考えた。
考えて、届かないことが分かった。
将軍位である。常に護衛がつく。
剣の腕は、王国で五人に入る。四十年やってきた男だ。
そして何より、場所を選べない。副王都か王都か、どちらも人の中である。
黒い剣を抜けば、噂になる。三日で王都に届き、三日で帝国に届く。
エレナはそう言った。橋で一度破ったが、あれは緊急だった。将軍を殺すために抜けば、次の日には自分が追われる。
追われれば、真相に届かないまま終わる。
つまり、剣だけでは足りない。
魔法を跳ね返し、傷が塞がり、一人で数十人を相手にできるもの。
それが必要だった。
五年前まで、それを着ていた。
職人の名は、紙束の中にあった。
ヴォルフが帝国から持ってきた三十枚である。
要らんものだ、と彼は言った。
配給の記録。兵の異動。街道の補修。確かに、大半はそうだった。
その十七枚目に、工房の廃止通達が混じっていた。
第四鍛冶工房、閉鎖。担当職人、除籍。
除籍の理由の欄に、こう書かれていた。
命令不服従。
職人の名は、オズワルド・クルーガー。
レオンはその名を知っていた。
五年前、甲冑の調整で三度会っている。顔は覚えていない。手だけを覚えていた。
炭で真っ黒になった、指の太い手だった。
除籍の通達には、次の配置先が書かれていない。
普通なら、別の工房へ回す。腕のある職人を遊ばせる軍はない。
書かれていないのは、逃げたからだ。
レオンは紙を握った。
なぜヴォルフはこれを要らんと言ったのか。
考えて、すぐに答えが出た。
あの男は帝国の紙を三十枚まとめて掴んできただけである。一枚ずつ読む時間はなかった。
それだけの話だ。
そう思って、レオンは先へ進んだ。
行方を追うのに、二月かかった。
帝国領の南。山と谷だけの土地だった。
炭が焼ける場所と、水が落ちる場所。鍛冶場を置くなら、その両方が要る。
条件に合う谷を、五つまで絞った。
三つ目で当たった。
当たる前に、追手に会った。
二度である。
一度目は街道の宿。帝国の兵ではなかった。私服の男が四人で、聞き込みをしていた。
聞いていた内容が、レオンと同じだった。
鍛冶場を探しているか。
老いた職人を見なかったか。
レオンは宿を出て、夜の街道を歩いた。
二度目は、谷の入口だった。
六人いた。今度は兵だった。
夜のうちに、四人を倒した。
鉄の剣で足りた。峰は返さなかった。返す必要を、もう感じなかった。
残りの二人は逃がした。追えば、時間がかかる。
「誰を探している」
倒す前に、一人にそう聞いた。
「鍛冶屋だ」
「なぜ」
「上が、連れ戻せと」
「連れ戻して、何をさせる」
男は答えなかった。
答える前に、レオンが聞くのをやめた。
分かっていた。
呪具を作れる職人は、帝国にとって兵器と同じである。
一人も外に出せない。
谷の奥に、煙が上がっていた。
木の間から見える。細い煙だった。
近づくと、槌の音がした。
一定の間で、鉄を打っている。
小屋は一つだけだった。粗い石積みの上に、板を渡しただけの屋根。
その横に炉がある。
老人が背を向けて座っていた。
槌が止まった。
「動くな」
こちらを見ずに、そう言った。
「そこの石に、触るな。今日、焼き入れした」
レオンは足を止めた。
老人が振り向いた。
顔は皺だらけで、髭が焦げている。目だけが、異様に細かった。
しばらく、レオンの顔を見ていた。
それから、鼻で息を吐いた。
「……まだ生きていたか、化物」
小屋の中は狭かった。
道具が壁に並んでいる。槌、鏨、鋏。どれも柄が黒い。
オズワルドは火の前に座り直した。
レオンは布包みを下ろした。
結び目を解く。
砕けた鉄が、板の上に並んだ。
オズワルドの目が、それを追った。
胸当てを一つ取り上げる。縁を指でなぞった。
「楔か」
「知っているのか」
「作らされるわけがねえだろう。俺の甲冑を割る道具だぞ」
老人は破片を置いた。
「だが、聞いてはいた。図面を見せられて、意見を求められた」
レオンの背中が、冷たくなった。
「意見を」
「断った」
オズワルドは炉を見ていた。
「これを作るなら、俺の甲冑の内側の寸法が要る。寸法を出せと言われた」
「出したのか」
「出すか」
短く答えた。
「だから除籍だ。工房ごと潰された」
レオンは、その言葉を頭に置いた。
寸法を出さなかった。
それなのに、楔は完成した。
つまり、誰かが出した。
この老人ではない誰かが。
「誰が出した」
「知らん」
「心当たりは」
「ねえよ」
オズワルドは鉄鋏を取った。
「寸法を知ってるのは、俺と、もう一人だけだった」
「もう一人」
「甲冑を着てた男だ」
レオンを見た。
「お前だよ」
「俺は出していない」
「だろうな。だからおかしいと思ってた」
老人は鋏を炉に入れた。
「五年、考えてた。答えは出てねえ」
それだけ言って、火を見た。
レオンは、その横顔を見ていた。
聞きたいことが、もう一つあった。
聞く前に、老人が先に言った。
「で、これを直せと」
「直せるか」
「直せる」
即答だった。
「材は残ってる。呪いの繋ぎ方も覚えてる。三月あればやる」
レオンは頭を下げようとした。
下げる前に、オズワルドが続けた。
「その前に、一つやれ」
「言え」
「そこに座れ」
炉の前を指した。
板が一枚置いてある。人が一人座れる幅だった。
「三日、そこに座ってろ」
「……何をする」
「何もするな」
「それだけか」
「それだけだ」
オズワルドは槌を取った。
「飯は出す。水も出す。便所は行け。それ以外は座ってろ」
「理由を聞かせてくれ」
「教えん」
「なぜだ」
「教えたら意味がねえ」
老人は槌を振り上げた。
「嫌なら帰れ」
レオンは板を見た。
座った。
一日目は、何も起きなかった。
炉の火を見ていた。
オズワルドは一日中、鉄を打っていた。刃物ではない。鍬の刃だった。
村の注文だと言った。
「近くに人がいるのか」
「話すな」
それで会話は終わった。
日が落ちて、粥が出た。
薄かった。だが食べた。
夜は小屋の隅で寝た。
眠れた。
退屈だ、と思った。
二日目は、昼まで同じだった。
火を見て、槌の音を聞いた。
数を数えた。三千を超えたところでやめた。
夕方だった。
指が動いた。
右手の指である。
膝の上に置いていた。それが、握る形になっていた。
握るものが、そこにはない。
レオンは指を開いた。
開いてから、喉が乾いていることに気づいた。
水を飲んだ。
変わらなかった。
乾いているのは喉ではない。
五年前に、同じことがあった。
村の空き家で、日が落ちるたびにそうなった。
あのときは半年かかって始まった。
今は、二日だった。
夜、眠れなかった。
天井を見ていた。
隅に置いた布包みが、視界に入る。
中身は破片だけである。剣はここにない。腰にある。
手を伸ばせば届く場所に。
レオンは体の向きを変えた。
壁の方を向いた。
朝までそうしていた。
三日目は、ひどかった。
朝から、手が震えた。
粥の椀を持つのに、両手が必要だった。
オズワルドは何も言わなかった。
槌を打ち続けている。
音が、頭の中に響いた。
一打ごとに、腹の底が鳴った。
昼を過ぎて、幻が来た。
炉の火の向こうに、人が立っていた。
黒い甲冑だった。
自分だった。
見ていると消えた。
消えて、また戻ってきた。
「……座ってろ」
オズワルドの声がした。
こちらを見ていない。
レオンは膝を握った。
膝が握れるものでないことは、分かっていた。
分かっていても、握った。
夕方、声が聞こえた。
足りない。
部屋にはオズワルドしかいない。
槌を打っている。
足りない。
レオンは立ち上がろうとした。
腰が浮いた。
浮いて、止まった。
止めたのは自分の意志だったかどうか、分からなかった。
座り直した。
座り直して、また浮いた。
三度、そうなった。
三度目に、手が腰に行った。
柄に触れた。
触れて、渇きが少し引いた。
それだけで引いた。
抜いていない。
握ってもいない。
触れただけである。
レオンは手を離した。
離した瞬間、渇きが倍になって戻ってきた。
奥歯を噛んだ。
血の味がした。
外が暗くなった。
いつ暗くなったのか、分からなかった。
槌の音が、止まった。
オズワルドが立ち上がる音がした。
板を踏む音。
そして、目の前に座った。
炉の火が、老人の顔を照らしていた。
「三日だ」
そう言った。
レオンは顔を上げられなかった。
両手が、まだ震えている。
「何も斬ってねえ。何も奪ってねえ。ただ座ってた」
「……ああ」
「それで、この面だ」
オズワルドは手を伸ばした。
レオンの手首を掴む。
震えを確かめるように、少し握った。
「それがお前の正体だ」
火が跳ねた。
「分かったか」
レオンは、答えられなかった。
答える言葉が、頭の中に一つもなかった。
「五年前、お前は何日座れた」
「……」
「聞いてるんだ」
「座ったことがない」
そう答えた。
「そうだろうな」
オズワルドは手を離した。
「毎日、誰か殺してたからな。座る必要がねえ」
「……」
「村では、どうだった」
レオンは息を吸った。
吸って、吐いた。
「四年、渇かなかった」
「ほう」
「一度もだ」
「なぜだ」
答えは知っていた。
言うのに、時間がかかった。
「妻がいた」
オズワルドは、それを聞いた。
聞いて、火の方を見た。
長いあいだ、何も言わなかった。
やがて、立ち上がった。
「じゃあ、答えは出てる」
道具を片付け始める。
「お前の渇きは、人が止めるもんだ。鉄が止めるもんじゃねえ」
レオンは、その背中を見上げた。
「直してくれ」
震える声で、そう言った。
オズワルドは振り向かなかった。
「断る」
「……なぜだ」
「三日でそうなる男に、あれを着せられるか」
道具を壁に掛ける。
「あれは、殺し続けなきゃ着てる者が死ぬ」
「知っている」
「知ってて、着るのか」
「着る」
オズワルドは、そこで振り向いた。
火の光が、皺の間で揺れていた。
「お前はもう、纏っちゃいけねえ」
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次話もお付き合いいただければ嬉しいです。




