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復讐のダークナイト 〜愛を知った男は、再び黒い牙となる〜  作者: 筑紫隼人


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28/47

第28話 過去を明かす日

副王都は南へ三日の距離にあった。

 

城壁は王都の半分もない。もともと避難先として作られた街ではなく、税の集積地として置かれた城下町だった。

 

そこに、王都から逃れた者が流れ込んだ。

 

三日で、街の人口が三倍になった。

 

宿はない。倉に人を入れ、教会に人を入れ、それでも足りずに道端で寝ている者がいた。

 

レオンは、その街の外で二日を過ごした。

 

橋の番をしていた。

 

後から来る者がまだいたからだ。

 

三日目までに、四百人ほどが渡った。

 

橋を落とさなかった理由は、それで足りた。

 

 

軍の状況は三日目に伝わってきた。

 

国王は生きている。

 

ただし重傷で、意識が戻らない日が続いている。

 

将軍位の者が七人いた。

 

二人が戦死。三人が重傷。一人は行方が分からない。

 

残った一人がゴードウィンだった。

 

その下の将官も、半分以上が欠けていた。

 

命令がどこからも出ていない。

 

各隊がそれぞれの判断で動いていた。

 

動いていない隊もあった。

 

 

四日目の夕方、レオンは呼び出された。

 

伝令が持ってきた紙には、名前と時刻だけが書かれていた。

 

差出人の欄が王家の印だった。

 

通されたのは税務館の二階だった。

 

もとは書類を置く部屋だったのだろう。壁一面に空の棚が並んでいる。

 

その中央に、椅子が二つ置かれていた。

 

セレスティアが立っていた。

 

護衛が四人、壁際にいる。

 

「下がりなさい」

「殿下」

「下がりなさい。扉の外で構いません」

 

一人がレオンを見た。

 

その目に、はっきり警戒があった。

 

橋の上から見ていた者かもしれない。

 

四人が出ていった。

 

扉が閉まった。

 

 

「まず、礼を申します」

 

セレスティアが頭を下げた。

 

深く下げた。

 

「あなたが来なければ、私はあの土手で死んでいました」

「頭を上げてください」

「上げません」

「殿下」

「上げません。私は、あなたに救われました。二度も」

 

上げたときには目が赤かった。

 

泣いてはいなかった。

 

寝ていないのだろうと、レオンは思った。

 

「座ってください」

「立っています」

「では、私も立ちます」

 

そう言われて、レオンは座った。

 

セレスティアも、座った。

 

 

「四日前の続きを、伺います」

 

セレスティアは、両手を膝に置いていた。

 

指が少し固くなっている。

 

「あの剣は、何ですか」

「呪具です」

 

レオンはそう答えた。

 

隠す言葉を探すのを、やめた。

 

「斬った相手の生命を吸います。吸ったものは、私に入ります」

「……」

「だから、斬れば斬るほど強くなります。傷が塞がり、疲れが消えます」

「代償は」

 

早い問いだった。

 

レオンは少し驚いた。

 

「あります」

「何ですか」

「精神です」

「精神」

「殺すことが、楽になっていきます」

 

セレスティアは、そこで一度だけ息を吸った。

 

「もう一つ、伺います」

「はい」

「あなたは、何者ですか」

 

レオンは答える前に少し待った。

 

五年前、診療所で同じことをした。

 

あのときは追い詰められて吐いた。

 

ノアに聞かれて、逃げ場がなくなって、言った。

 

今は、違う。

 

誰も追い詰めていない。

 

黙っていることもできる。

 

「元帝国軍です」

 

そう言った。

 

「暗黒騎士。帝国最強の部隊『黒い牙』を率いていました」

「……」

「二つ名は」

 

言う前に、一度息を置いた。

 

「ダークナイトです」

 

 

部屋が静かになった。

 

窓の外で、人の声がしていた。

 

副王都の通りの声だった。

 

セレスティアは動かなかった。

 

膝の上の指が、少しずつ白くなっていった。

 

「……ダークナイト」

 

繰り返した。

 

「その名を、私は十二のときに聞きました」

「……」

「父が、夜中に将軍を呼びました。私は廊下にいました」

 

セレスティアの声は、平坦だった。

 

「あの名が出たとき、将軍が立ったまま何も言えなくなりました」

「……」

「大人が、ああなるのを初めて見ました」

 

レオンは何も言わなかった。

 

「六年前にも聞きました」

「……はい」

「エルンスト・ヴァルハイトが死んだときです」

 

そこで、セレスティアの声が初めて揺れた。

 

「あの人を、私は知っています。子供の頃、剣を教わりました」

「……」

「九つの私に、木剣を渡して、遅いとだけ言う人でした」

 

レオンは目を伏せた。

 

「弟がいます」

 

セレスティアが言った。

 

「クリス・ヴァルハイトです」

「知っています」

「知っている」

「王都で、剣を教えています」

 

セレスティアの手が、膝から離れた。

 

立ち上がっていた。

 

レオンは座ったままだった。

 

「兄を殺した男が」

「はい」

「弟に、剣を」

「はい」

「あの人は、知っているのですか」

「知りません」

「なぜ言わないのですか」

「言えば、あの男は俺を殺そうとします」

 

レオンは初めて顔を上げた。

 

「そして、殺せません」

「……」

「殺せないまま、死にます。教えたのは俺だからです」

 

セレスティアは窓の方を向いた。

 

背を向けたまま、しばらく動かなかった。

 

「……失礼します」

 

そう言って、部屋を出ていった。

 

レオンは一人になった。

 

 

一刻、待たされた。

 

棚には何も入っていなかった。

 

窓から、通りが見えた。

 

道端に座った人が、三人並んでいる。

 

その前を、荷を担いだ兵が通っていく。

 

日が落ちた。

 

誰も灯りを持ってこなかった。

 

暗くなっていく部屋で、レオンは座っていた。

 

立って出ていけばよかった。

 

そうしなかった。

 

処刑されるなら、それでいいと思っていた。

 

思っていたが、一つだけ気になることがあった。

 

指揮系統が壊れている。

 

この状態で、あと十日もつとは思えない。

 

誰が村を売ったのかは、まだ分からない。

 

分からないまま国が落ちれば、それも分からなくなる。

 

そこまで考えて、レオンは自分を止めた。

 

そういう計算を、こういうときにする男だった。

 

五年、忘れていただけだ。

 

 

扉が開いた。

 

灯りが入ってきた。

 

セレスティアが、自分で燭台を持っていた。

 

椅子に戻って、それを机に置いた。

 

「お待たせしました」

「……」

「一つ、決めました」

 

レオンは待った。

 

「あなたに、王国軍の指揮を預けます」

 

言われたことが、すぐには入ってこなかった。

 

「……何と」

「代行の将軍位です。全軍の指揮を、暫定であなたに」

「殿下」

「聞いてください」

 

セレスティアは手を上げた。

 

「私は一刻、考えました。何を考えたか、申します」

「……はい」

「一つ。あなたは、私の国の騎士を何人も殺しました。エルンスト・ヴァルハイトを含めて」

「はい」

「それは、変わりません。許すとも言いません」

「はい」

「二つ。あなたはその剣で、七十人を斬りました。数えました」

 

レオンは少し目を上げた。

 

「私が数えました。夜のあいだに、橋の上から」

「……」

「それも、忘れません」

 

セレスティアは燭台の火を見ていた。

 

「三つ」

「……」

「あなたは、橋を落としませんでした」

 

火が揺れた。

 

「兵が落とすと言ったとき、あなたは止めました。後から来る者がいるからと」

「……はい」

「それが、決め手です」

 

セレスティアは顔を上げた。

 

「私は、人を、誰だったかでは見ません。何をしたかで見ます」

「……」

「あなたが何者だったかは、聞きました。聞いた上で、あなたが四日前に何をしたかを見ています」

 

そこで一度、言葉を切った。

 

「父の話をします」

 

レオンは顔を上げた。

 

「グスタフ・ローレンス。私の父です。ですが、生まれたときの名は、ただのグスタフでした」

「……」

「家名がありません。傭兵だったからです」

 

レオンの中で、秋の訓練場が戻ってきた。

 

「三十年、七つの国を渡ったと言っていました。仲間は全員死んだと」

「……はい」

「祖父が、その男に軍を預けました。二十年前です。反対しなかった者は一人もいなかったそうです」

 

セレスティアは、机の木目を見ていた。

 

「そして父は、王都を守りました。三度」

「……」

「三度目のあと、祖父は母を嫁がせました。血も家もない男に、王女を」

 

顔を上げる。

 

「私は、その血です」

 

レオンは、何も言えなかった。

 

「ですから、私には、あなたを出自で断る資格がありません」

「殿下」

「父も、同じことを言われました。帝国の犬だったのではないか、どこで誰を殺してきたのか、と」

 

セレスティアの目が、少しだけ細くなった。

 

「その父が、秋にあなたと立ち合ったそうですね」

 

レオンの息が止まった。

 

「……ご存じでしたか」

「聞きました。面白い男がいた、と」

「……」

「父が人を面白いと言うのは、二十年ぶりでした」

 

レオンはその言葉を聞いた。

 

聞いて、胸の中に来たものは、感謝ではなかった。

 

別のものだった。

 

「……殿下」

「はい」

「一つ、申し上げなければならないことがあります」

「どうぞ」

「俺に、指揮を預けるべきではありません」

 

セレスティアが少し眉を上げた。

 

「理由を」

 

レオンは両手を膝に置いた。

 

「あの晩、橋で」

「はい」

「途中から、守っていませんでした」

「……」

「渡り終えたと、後ろから声がかかりました。聞こえていました」

「……」

「聞こえていて、逃げる敵を追いました。三人斬りました」

 

セレスティアは黙っていた。

 

「戦いが終わってから、思い出しました」

 

レオンはそこで一度、言葉を切った。

 

言いたくなかった。

 

言わなければ、嘘になった。

 

「あの晩のどこかで、俺は」

「……」

「楽しいと思っていました」

 

燭台の火が音を立てた。

 

「あの剣を使うと、そうなります。使うほど、そうなります」

「……」

「今は正気です。だが、次も正気だとは言えません」

 

レオンは頭を下げた。

 

「だから、預けるべきではありません」

 

 

セレスティアは長く黙っていた。

 

やがて、聞いた。

 

「それを、なぜ言うのですか」

「……」

「黙っていれば、位が手に入りました」

「……」

「調べたいものがあるのでしょう。位があれば、調べられます」

 

図星だった。

 

一刻前、この部屋で自分が考えたことだった。

 

「なぜ、言ったのですか」

 

レオンは答えを探した。

 

探して、見つかったものは、一つだけだった。

 

「……妻に、言われたことがあります」

「……」

「隠したまま、いい顔だけしている人より、話した人のほうが信じられる、と」

 

セレスティアは、レオンの顔を見ていた。

 

「奥様は」

「二十日前に」

「……」

「村を焼かれました」

 

言ってから、レオンは口を閉じた。

 

言うつもりのないことだった。

 

 

セレスティアは立ち上がらなかった。

 

ただ、膝の上で手を組んだ。

 

「決めました」

 

さっきと同じ言葉だった。

 

「変えません。あなたに預けます」

「殿下」

「今のあなたの話を聞いて、決めました」

「……なぜです」

「二つ理由があります」

 

セレスティアは指を立てなかった。

 

数えなくても、覚えているという顔だった。

 

「一つ。楽しいと思った、と自分から言う人間は、まだ戻れる場所にいます」

「……」

「本当に戻れない人間は、それを言いません。言う必要を感じません」

 

レオンは何も返せなかった。

 

「二つ。あなたは、預けるべきではないと言いました」

「はい」

「今の王国軍で、その言葉を口にできる者が、あなた以外にいません」

 

セレスティアはそこで少し笑った。

 

疲れた笑い方だった。

 

「みな、自分に任せろと言います。この四日、何人に言われたか分かりません」

「……」

「任せてはいけないと言った人に、任せます」

 

それから、条件を出した。

 

「三つ、条件があります」

「はい」

「一つ。あなたの過去を知るのは、私だけにします」

「……ヴォス副官が、知っています」

「では、二人だけに。他の将兵には、不世出の戦功による特例の代行、とだけ伝えます」

「はい」

「二つ。あの剣を使うときは、私に報告してください」

 

レオンは少し驚いた。

 

「止めてくださいとは言いません。止められる状況ではありません」

 

セレスティアはまっすぐに言った。

 

「ですが、何回使ったかを、数える人間が要ります」

「……」

「私が数えます」

 

レオンは頭を下げた。

 

「三つ」

「はい」

「本来の将軍が戻ったら、返上してください」

「そのつもりです」

「そうしてください」

 

セレスティアは燭台を持ち上げた。

 

「では、レオン殿」

 

初めて、その呼び方をした。

 

「王国軍の指揮を執りなさい」

 

 

その言葉を聞いた瞬間だった。

 

レオンの右手が動いた。

 

腰の、左側へ。

 

黒い柄のある場所へ。

 

握ろうとしていた。

 

指が、柄に触れる前に、レオンは気づいた。

 

気づいて、止めた。

 

止めた手を、膝に戻した。

 

指揮を執れと言われて、探したのは剣だった。

 

セレスティアはそれを見ていた。

 

何も言わなかった。

 

ただ、燭台を持つ手が、少し下がった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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