第26話 落日の王都
遠く、地平の向こうに、黒煙が幾筋も立ち上っているのが見えた。
王都が、燃えている。
その光景に、レオンは、言葉を失った。
馬を走らせても、届くまでには、なお数日を要する距離だった。焦りだけが、先を行く。
「急ぎましょう」
エレナの声にも、隠しきれない緊迫があった。中隊のうち、動ける者だけを選び、レオンは王都へ向かう強行軍を命じた。
街道を進むほどに、逃げてくる人々とすれ違うようになった。
荷車に家財を積めるだけ積んだ農夫、子を背負って走る母親、傷を負い、他人の肩を借りて歩く老人。誰もが、一様に、恐怖に顔を強張らせていた。
「王都は、どうなっている」
馬を止め、レオンは一人の男に声をかけた。
「分からねえ……とにかく、逃げろとしか。城壁が、破られたって」
「城壁が、破られた?」
「ああ。あんな短時間で、あの城壁を……。噂じゃ、国王陛下も、お怪我をされたって話だ」
男は、それだけ言うと、逃げるように立ち去っていった。
レオンは、拳を握りしめた。国境の防衛線に、これほどの兵力を割かせておきながら、本隊は、まったく別のルートから、この短期間で王都まで到達していた。用意周到としか言いようがない。
王都の外壁が見えてきた頃には、すでに戦闘のほとんどが終わりかけていた。
破られた城壁の隙間から、帝国軍の旗が、いくつも見えている。
「間に合わなかった、のか」
エレナが、掠れた声で呟いた。
だが、まだ、完全に陥落したわけではない。城内のあちこちで、王国軍の残存部隊が、市民を逃がしながら、必死に食い止めているのが見えた。
「行くぞ」
短く告げ、レオンは剣を抜いた。
街の中は、混乱の極みにあった。
崩れた建物、逃げ惑う人々、あちこちに倒れた兵士たち。かつて、皇都で見た光景と、どこか重なるものがあった。あの時は、追われる側だった。今は、守る側として、この惨状の中にいる。
「王国軍の生き残りか!」
血まみれの将校が、レオンたちを見つけて駆け寄ってくる。
「状況は」
「壊滅的だ。上層部の大半が、城内で戦死か、重傷を負っている。国王陛下は、命は取り留めたが、意識が戻らない」
「指揮系統は」
「機能していない。各所で、それぞれの隊が、勝手に持ちこたえているだけの状態だ」
想像していた以上の惨状だった。レオンは、素早く周囲を見渡した。
「住民の避難は」
「西門から、副王都へ向かわせている。だが、そちらにも、敵の遊撃隊が出ているという報告が」
「案内しろ」
有無を言わさぬ声だった。将校は、一瞬たじろいだが、すぐに頷いた。
西門への道すがら、逃げ遅れた住民の一団に遭遇した。
老人や、幼い子供を連れた家族が多い。足の遅い者たちが、群れの後方で、なんとかついていこうとしていた。
「これじゃ、追いつかれる」
エレナが、険しい顔で言う。
背後から、追撃の足音が近づいてくるのが分かった。数はそれほど多くない。だが、逃げ遅れた住民を狩るには、十分な数だった。
「エレナ、住民を先に行かせろ。俺が、殿を務める」
「一人でですか」
「これくらいの数なら、問題ない」
躊躇う暇はなかった。レオンは、剣を構え、追手の前に立ちはだかった。
戦いは、あっという間に終わった。
かつての自分なら、もっと早く、もっと容赦なく片付けていただろう。だが今は、必要以上の血を流さないよう、意識して剣を振るっていた。命を絶つのではなく、動きを封じることに徹する。
それでも、確実に、住民を逃がすだけの時間は稼げた。
「見事な腕だ……」
先ほどの将校が、呆然と呟く。
「本当に、ただの中隊長なのか、あんたは」
答えず、レオンは剣を鞘に納めた。
副王都への避難路は、崩れかけた橋を渡る形になっていた。
「あの橋を落とせば、追手は防げる」
将校が、そう提案した。
「まだ、渡り切っていない者がいる」
レオンは、橋の向こうを指差した。まだ多くの住民が、列をなして渡っている最中だった。
「だが、時間がない。追手が来れば」
「もう少しだけ、待て」
その時だった。
橋の向こう、城壁の一角から、悲鳴に似た声が上がった。
殿を務めていたらしい一団が、敵に包囲されている。中心にいるのは、戦闘用にまとめた髪をした、一人の女性の姿だった。
「あれは……」
将校の顔が、青ざめる。
「まさか、王女殿下……!」
その言葉に、レオンの体は、考えるより先に動いていた。
包囲された一団に向け、剣を握り直し、駆け出す。
橋の向こう、追い詰められた女性の手が、静かに、結んでいた髪をほどこうとしているのが見えた。
その仕草の意味を、レオンは、瞬時に理解した。
捕らわれれば、辱めを受けて殺される。それを悟った者だけが見せる、覚悟の仕草だった。
間に合え、と、生まれて初めて、心の底から願った。
◆次話予告◆
振り下ろされた刃が、白い喉に触れる、その寸前だった。
レオンの剣が、間に割って入る。
「まだ、死なせるわけにはいかない」
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