第24話 剣を取るか、捨てるか
四日目。
レオンは眠っていなかった。
三日ともほとんど眠らず、食べたのは鍋を一度だけ。
それで体が動いていた。
動くどころか、朝になると力が満ちている。
そういうものだと、思うことにした。
思わないようにすると、剣のことを考えてしまう。
「これから、どうする」
朝、トーレスが聞いた。
「決めていない」
「王都に戻るのか」
「それも、決めていない」
トーレスは焼けた柱に背を預けた。
「言っとくが、俺は無理はするなと思ってる」
「そうか」
「一人で走り回って、どうにかなる話じゃないだろう。相手が軍の上のほうなら、なおさらだ」
「……」
「休め。落ち着くまで、ここにいてもいい。俺は残る」
レオンはその言葉を聞いていた。
聞いて、何も返さなかった。
「それに」
トーレスが付け加えた。
「もし王都に戻るなら、面倒なことが一つある」
「なんだ」
「あんたの正体だ」
レオンは顔を上げた。
「隠し通すか、明かすか。どっちかを決めなきゃならん」
「……」
「調べるには、権限が要る。権限が要るなら、位が要る。位が要るなら、経歴を見られる」
トーレスは指で地面を叩いた。
「三行の経歴書じゃ、もう通らんぞ」
レオンはその言葉に少し驚いた。
自分の経歴書が三行だという話は、していない。
「……なぜ知っている」
「勘だ」
トーレスは笑った。
「よそ者が二人も居着いた村の、もう一人の勘だよ」
レオンはそれで納得した。
納得したことを、後に何度も思い出す。
午後、エレナが納屋から出てきた。
壁に手をつきながら、ゆっくり歩いている。
三日あれば歩けると言っていた。
きっちり三日だった。
レオンは焼け跡の石に座っていた。
エレナはその前まで来て止まった。
立っていた。
座ろうとしなかった。
「話があります」
「座れ」
「立って話します」
そういう話だ、ということだった。
レオンは何も言わずに待った。
「二日前、報告を一つ省きました」
「……」
「村が襲われた後のことです」
来たか、と思った。
「村の入口の壁から、広場が見えます」
エレナの声は平坦だった。
「私は、そこにいました。動けなかったので、そこにいました」
「……」
「見ていました」
レオンはエレナの顔を見た。
顔の横ではなく、目を見ていた。
エレナも、今日は逸らさなかった。
「報告します」
「いい」
「報告します」
もう一度、そう言った。
レオンは黙った。
「黒い剣を見ました」
エレナは右手を少し上げた。
指の形が剣を握る形になっていた。
「刀身が黒く、血が一滴もつきませんでした」
「……」
「刃が届いていない相手が斬れました。黒いものが飛ぶのを見ました」
「……」
「斬られた者は、死にませんでした。すぐには」
エレナの声が少し乱れた。
「髪が白くなりました。顔が落ちました。目から光が消えて、それから崩れました」
「……」
「二十九人、そうなりました」
数が合っていた。
自分が数えた数と、同じだった。
「それと、もう一つ」
「言え」
「甲冑を着た指揮官が、あなたを隊長と呼びました」
レオンは動かなかった。
「その男は、あなたの教えを守ったと言いました。捕虜は取らないと」
「……」
「そして、あなたの一番の生徒だと」
エレナはそこで一度息を吸った。
「あなたが誰なのか、教えてください」
レオンはしばらく答えなかった。
四日前、ノアの前で膝をついた。
その手で、ディーターの首を落とした。
隠す理由が、どこにあるのか分からなくなっていた。
「元帝国軍」
そう言った。
「暗黒騎士。黒い牙の隊長だった」
「……」
「二つ名は」
言うのに、少し時間がかかった。
「ダークナイトだ」
エレナは目を閉じなかった。
顔色も変えなかった。
ただ、指の形を元に戻した。
「規定では」
しばらくして、エレナが言った。
「敵国の元将官が王国軍の上級士官に潜り込んでいた場合、副官には即時の報告義務があります」
「そうだろうな」
「これは、軍法上の最上位の案件です」
「ああ」
「報告すれば、あなたは処刑されます。裁判はありません」
「そうだろう」
レオンは少し笑った。
笑ったつもりだったが、顔は動かなかったかもしれない。
「なら、報告しろ」
「しません」
即答だった。
レオンはエレナを見た。
「なぜだ」
エレナは、答えるまでに少し時間を使った。
「……私は、あなたに借りがあります」
「借り」
「奥様が、まだ息をしておられるのを、私は知っていました」
声が少し低くなった。
「知っていて、声をかけませんでした。あなたが帰るまで、何もしませんでした」
「傷を受けていた」
レオンが言った。
「動けなかったんだろう」
「はい」
「なら、借りではない」
「そうです」
エレナはあっさり認めた。
「動けませんでした。だから、責められる筋ではありません」
「……」
「それに、借りを理由にするのは卑怯です」
レオンは少し眉を動かした。
「卑怯か」
「はい。借りがあるから黙る、というのは取引です」
エレナはまっすぐ立っていた。
「私は、あなたと取引をするつもりはありません」
「では、なぜだ」
「言います」
エレナは少し顎を上げた。
「私は、あなたを許したわけではありません」
「……」
「あの若い兵のことも、忘れていません。武器を捨てて、膝をついて、助けてくださいと言いました」
レオンはその顔を思い出した。
思い出せた。
「あなたは、殺しました」
「ああ」
「捕虜でした。規定では、討ってはならない相手です」
「そうだ」
「それを、私は忘れません。一生、忘れません」
風が吹いた。
エレナの髪が少し乱れた。
直さなかった。
「それでも、黙ります」
「なぜだ」
「あの村で、あなたが何を失ったかを見たからです」
「……」
「見てしまった人間が、あなたを裁けるとは思えません」
エレナは、そこで初めて視線を落とした。
「奥様の言葉も、聞いてしまいました」
「……」
「聞いた人間には、無理です」
それだけ言って、また顔を上げた。
「以上です」
レオンは何も言えなかった。
礼を言う場面ではない、と分かっていた。
許されたのでもない。
見逃されたのでもない。
ただ、裁くことを引き受けない、と言われた。
それは、五年前にアルブレヒトに言われたことと、少し似ていた。
少し似ていて、まるで違った。
「一つ、条件があります」
エレナが言った。
「言え」
「私を、副官のまま使ってください」
「……」
「王都に戻るなら、あなたの下に置いてください」
「なぜだ」
「見ているためです」
はっきり、そう言った。
「あなたが、またあれをやるかどうかを見ます」
「……」
「やったときに、それを知っている人間が、一人はいるべきです」
レオンはその言葉の意味を考えた。
見張る、と言っているのだった。
そして、それは正しかった。
「好きにしろ」
「はい」
エレナは頭を下げた。
そして、納屋へ戻っていった。
歩き方が、来たときより少ししっかりしていた。
夕方、レオンは決めた。
王都に戻る。
正体は明かさない。
明かせば処刑される。処刑されれば、誰が村を売ったのか分からないまま終わる。
位も、要らない。
将校の席には戻らない。
一兵でいい。
軍の中にいれば、書類が見える。人が見える。誰がどこにいるかが見える。
それだけあればいい。
トーレスに、そう伝えた。
「一兵でか」
「ああ」
「調べにくいぞ」
「目立つほうが、まずい」
トーレスはしばらく考えていた。
「そうか」
それから、頷いた。
「いつ出る」
「明日」
「早いな」
「遅くする理由がない」
トーレスは立ち上がった。
そして、レオンの肩に手を置いた。
「一人で行くな」
レオンはその手を見た。
村に来てから、何度も肩を叩かれた手だった。
「一人じゃない」
「そうか」
「お前がいる」
トーレスは何も言わなかった。
手も、動かさなかった。
長いあいだ、そのままだった。
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