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復讐のダークナイト 〜愛を知った男は、再び黒い牙となる〜  作者: 筑紫隼人


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第18話 狩りの日の煙

トーレスが訪ねてきたのは、夜だった。

 

「明日、どうだ」

 

戸口に立ったまま、そう言う。

 

「明日か」

 

「ああ」

 

「産まれるのが、あと数日だ」

 

「だからだよ」

 

トーレスは、中に入ろうともしなかった。

 

「生まれたら、半年は動けんぞ。乳をやる、泣く、寝ない。狩りなんぞ行けるもんか」

 

「経験者みたいな言い方だな」

 

「見てきただけだ」

 

レオンは少し考えた。

 

「奥さんに、精のつくもんを食わせてやりたいんだろう」

 

「それは、そうだ」

 

「なら明日だ。北の谷まで行く。鹿が下りてきてる」

 

「北か。遠いな」

 

「遠いから、いるんだ」

 

トーレスは踵を返した。

 

「夜明けに迎えに来る」

 

「ああ」

 

数歩行ってから、トーレスが立ち止まった。

 

「レオン」

 

「なんだ」

 

背を向けたままだった。

 

「お前は、いい男だよ」

 

「……なんだ、急に」

 

「別に」

 

トーレスは、片手を上げただけで歩いていった。

 

酔っているのかと思った。

 

そうではないと分かるのは、ずっと後のことだ。

 

 

夜明け前に、レオンは起きた。

 

弓と矢筒。狩り用の短剣。水。

 

支度をしていると、後ろで衣擦れの音がした。

 

「起こしたか」

 

「もともと寝れないの。この子が動くから」

 

ノアが、腹を撫でながら起きてくる。

 

「寝ていろ」

 

「見送りたいの」

 

止めても聞かないだろう。レオンは支度を続けた。

 

「おとうさん」

 

小さな声がした。

 

ミアが、布団の中から顔だけ出している。

 

「起きたのか」

 

「どこいくの」

 

「狩りだ」

 

「またとおく?」

 

「今日は、近い」

 

嘘をついた。北の谷は近くない。

 

「おみやげ」

 

ミアが手を伸ばしてくる。

 

「何がいい」

 

「おにく」

 

「他には」

 

「いっぱい」

 

レオンは笑った。ミアの頭を撫でる。

 

「はやくかえってきて」

 

「ああ」

 

「やくそく?」

 

「約束だ」

 

ミアは満足して、また布団に潜った。

 

 

外へ出ると、東の空が白み始めていた。

 

ノアが、戸口までついてくる。

 

「無理しないでね」

 

「大物を担いで帰る」

 

「そういうのが心配なの。生まれる前に怪我されたら困るわ」

 

「怪我はしない」

 

「いつもそう言う」

 

ノアは腕を組んだ。腹が大きすぎて、うまく組めていない。

 

「夕方には戻る」

 

「本当に?」

 

「戻る」

 

「じゃあ、夕飯はそれね」

 

「そうしろ」

 

ノアが、少しだけ背伸びをした。レオンは屈んだ。

 

額が触れる。

 

それだけだった。

 

「行ってくる」

 

「待ってる」

 

それが、最後に交わした言葉だった。

 

 

村の入口で、ヨナスが待っていた。

 

「おはようございます!」

 

「早いな」

 

「見送りに来ました。あと、留守番です」

 

「留守番」

 

「はい。俺、村に残ります」

 

ヨナスは胸を叩いた。

 

「ノアさんのこと、見てますから。何かあったら、すぐ走れます」

 

「頼む」

 

「任せてください」

 

その言葉を、レオンは軽く受け取った。

 

若い部下が、張り切っているだけだと思った。

 

「ヴォスは」

 

「エレナさんは、昨日から街道です。今日も戻らないって」

 

「そうか」

 

「あの人、休まないんですか」

 

「休まない」

 

「怖いですよ、あの人」

 

「俺も怖い」

 

ヨナスが吹き出した。

 

「気をつけてください」

 

「お前も、酒はやめておけ」

 

「昼からは飲みません」

 

「昼からもだ」

 

「はい!」

 

それが、ヨナスとの最後のやり取りだった。

 

 

北の谷までは、半日かかった。

 

道の途中、トーレスはよく喋った。

 

「名前は決まったのか」

 

「リンだ」

 

「リン。いい名だ」

 

「ノアが決めた」

 

「女か男かも分からんだろ」

 

「女だと言っている」

 

「根拠は」

 

「ない」

 

トーレスが笑った。

 

「じゃあ女だな。母親の勘は当たる」

 

昼前に谷へ入った。

 

鹿の足跡は、確かにあった。新しい。

 

「な、言った通りだろう」

 

「お前の読みは外れないな」

 

「猟師だからな」

 

追跡に、半日近くかかった。

 

大物だった。角が立派で、肉づきもいい。射たのはレオンだった。

 

「上出来だ」

 

トーレスが口笛を吹く。

 

「奥さんも喜ぶぞ」

 

「そろそろ戻るか」

 

レオンは空を見た。日が傾き始めている。

 

「待て待て」

 

トーレスが手を振った。

 

「血を抜いてからだ」

 

「担いで帰る」

 

「駄目だ。血が回ると味が落ちる。こんな上物、台無しにする気か」

 

「時間がかかる」

 

「一刻だ。それくらい待て」

 

トーレスは、もう作業を始めていた。

 

慣れた手つきで、腹を裂いていく。

 

レオンは、隣に座った。

 

言われた通りだと思った。この男は、狩りに関しては何一つ間違えない。

 

 

作業が終わる頃、日は西に傾いていた。

 

「急ぐか」

 

「ああ」

 

獲物を担ぎ上げる。重い。だが担げる。

 

「夕方には戻ると言ったんだ」

 

「間に合う、間に合う」

 

トーレスは軽く言った。

 

「途中で一服しよう。この重さで歩き通しは無理だ」

 

「一服はいい。歩く」

 

「お前は本当に、そういうところがな」

 

呆れたように言いながら、トーレスもついてくる。

 

歩きながら、レオンは考えていた。

 

夕飯に間に合うだろうか。

 

ミアは、肉が焼ける匂いで騒ぐだろう。

 

ノアは、また食べすぎだと言うだろう。

 

アルブレヒトは、酒を一杯だけ飲むだろう。

 

そんなことを考えていた。

 

 

丘に出たのは、日が落ちる少し前だった。

 

ここからなら、村が見える。

 

レオンは、いつもそこで足を止める。

 

麦畑の向こうに屋根が並ぶのを見るのが、好きだった。

 

今日も、足を止めた。

 

そして、動けなくなった。

 

煙が上がっている。

 

村の方角から。

 

一本ではない。

 

「……野焼きだろう」

 

後ろで、トーレスが言った。

 

レオンは答えなかった。

 

野焼きの季節ではない。

 

そして、それ以上に。

 

煙が、黒い。

 

麦を焼く煙は白い。

 

草も、白い。

 

黒い煙が上がるのは、油と、木と、布と、人が一緒に燃えているときだ。

 

知っていた。

 

かつて、自分がそうさせていたからだ。

 

「レオン?」

 

獲物が、肩から落ちた。

 

音がした。

 

レオンは、もう走っていた。

 

「おい、待て!」

 

背中で、トーレスの声がした。

 

その声が追いついてこないことに、レオンは気づかなかった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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