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【11/10完結】復讐のダークナイト 〜愛を知った男は、再び黒い牙となる〜  作者: 筑紫隼人


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第17話 許された幸せ

ミアが寝入ったのは、夜も更けてからだった。

 

一日じゅう父の後をついて回っていたせいで、寝床に入っても興奮が抜けない。三度起き上がり、四度目でようやく眠った。

 

「疲れたでしょう」

 

ノアが小声で言う。

 

「王都の任務より疲れた」

 

「嘘ばっかり」

 

「本当だ」

 

ノアが笑って、灯りの芯を短くした。部屋が少し暗くなる。

 

レオンは、ミアの寝顔を見ていた。口を半分開けて、掛布を蹴っている。掛け直すと、また蹴った。

 

「ノア」

 

「うん」

 

「少し、話したいことがある」

 

ノアの手が止まった。

 

「うん」

 

それだけ言って、レオンの隣に座った。

 

 

「王都で、一人の剣士に会った」

 

「うん」

 

「クリス・ヴァルハイトという。王国で一番強いと言われている男だ」

 

「強いの、あなたより」

 

「まだ若い。伸びる」

 

「そう」

 

「その男が、酒場で兄の話をした」

 

レオンは、膝の上で手を組んだ。

 

「兄の名前は、エルンスト・ヴァルハイト。六年前、帝国との戦いで死んだ」

 

ノアは黙っている。

 

「一騎打ちだった。両軍が見ている前で、指揮官同士が向き合った」

 

「……うん」

 

「相手の指揮官は、その男の右腕を斬り落とした」

 

声が、自分の耳に遠く聞こえた。

 

「次に、左腕を落とした」

 

「そのあと、両足を」

 

「順番に落とした」

 

「一度に殺せば済むことを、そうしなかった」

 

「両軍に見せるためだ」

 

「最強の騎士がこうなる、と見せれば、次の戦が楽になる」

 

「そういう計算だった」

 

ノアの呼吸が、一度止まったのが分かった。

 

「最後に、首を刎ねた」

 

「そのとき、俺は」

 

言葉が途切れた。

 

言わなければ終わらない。

 

「笑っていた」

 

灯りが、じじ、と鳴った。

 

「理由はない。ただ、笑っていた。そのことを、俺は六年間忘れていた」

 

ノアは何も言わなかった。

 

「クリスに話を聞かされて、思い出した。全部だ。順番も、笑ったことも」

 

レオンは、組んだ手を見つめた。

 

「それから、酒場の外で吐いた。そうしたら、あの男が背中をさすってくれた」

 

「……」

 

「兄を殺した男に、水をくれた」

 

「そして、鍛えてくれと言った」

 

「俺は、引き受けた」

 

「名前も言わず、正体も言わず、引き受けた」

 

顔を上げられなかった。

 

「五年前、お前に話したときは、何百人も殺したと言った。数でしか言えなかった。だが、数じゃない。一人ずつ、こういうことをしてきたんだ」

 

「その一人の弟が、今、俺を先生と呼んでいる」

 

部屋が、静かだった。

 

ミアの寝息だけが続いている。

 

 

ノアは、長い間、何も言わなかった。

 

責められる、と思った。

 

それでいい、とも思った。

 

やがて、ノアが動いた。

 

レオンの組んだ手に、自分の手を重ねてくる。

 

「その人の弟さんは」

 

ノアの声は、掠れていた。

 

「あなたを、慕っているのね」

 

「……ああ」

 

「残酷な話ね」

 

「そうだ」

 

「あなたにとっても、その人にとっても」

 

ノアの手が、少し強くなった。

 

「でもね、レオン」

 

「やめないで」

 

レオンは、顔を上げた。

 

「何を」

 

「その人に剣を教えるの、やめないで」

 

ノアの目は濡れていた。それでも、逃げていない。

 

「……やめるべきだと思っていた」

 

「駄目」

 

「なぜだ」

 

「あなたが逃げたら、あの人は一人で強くなろうとする」

 

ノアは、はっきり言った。

 

「そして、いつか死ぬ。無理をして、届かない相手に挑んで」

 

レオンは黙った。

 

「あなたが奪ったものは、返せない。もう戻らない。私だって、それは許せない」

 

「許せないのか」

 

「許せない」

 

ノアは頷いた。

 

「あなたが殺した人の家族のことを考えたら、許せるわけがない」

 

胸の奥が、冷たくなった。

 

それでも、ノアは手を離さなかった。

 

「でも、それはその人たちの許しであって、私の許しじゃない。私が許すかどうかは、別の話なの」

 

「……」

 

「返せないものの代わりに、できることが一つだけある」

 

ノアは、レオンの手を握り直した。

 

「その弟さんを、死なせないこと」

 

「それだけ」

 

「それだけは、あなたにしかできない」

 

 

レオンは、動けなかった。

 

「お前は」

 

声が震えた。

 

「俺を、怖くないのか」

 

「怖い」

 

即答だった。

 

「今の話を聞いて、怖くないわけがない」

 

「なら」

 

「でも、もっと怖いことがある」

 

ノアが、こちらを見た。

 

「あなたが、自分を許さないまま生きること」

 

「俺は、許される人間じゃない」

 

「知ってる」

 

ノアの目から、涙がこぼれた。

 

「知ってるわよ。何度も聞いた」

 

「なら」

 

「でもね、あなた、六歳のときに何をしてた」

 

「……何を」

 

「剣を持たされてたんでしょう。友達を作るなって教えられて。隣の寝床の子が消えても、聞いてはいけないって」

 

五年前、離脱症状の底で話したことだった。覚えているのか、と思った。

 

「あなたが選んだの、それ」

 

「選んでいない」

 

「そうでしょう」

 

ノアは、涙を拭わなかった。

 

「選ばなかったことの責任は、あなたにある。ちゃんとある。でも、選べなかったことの責任は、あなたにはない」

 

「そんな線は、引けない」

 

「引けるわよ」

 

ノアは言い切った。

 

「私が引く」

 

「お前が」

 

「私が引く。あなたは自分で引けないから、私が引く」

 

そこで、ノアの声が崩れた。

 

「あなたも、被害者なの」

 

「違う」

 

「両方なの」

 

「ノア」

 

「両方なのよ」

 

ノアが、レオンの胸に額を押しつけた。

 

肩が震えている。

 

「あなたを育てた国が、あなたを殺そうとして、あなたは逃げてきて、うちの前で死にかけてた」

 

「……」

 

「あんなにやせて、あんなに震えて、ありがとうも言えなかった人が、被害者じゃないなんて、誰が決めたの」

 

レオンの喉が、詰まった。

 

「私が決めた。あなたは、両方だって」

 

ノアが顔を上げる。

 

涙でぐしゃぐしゃになっていた。

 

「だから、幸せになって」

 

「……」

 

「うんと、幸せになって」

 

その一言で、こらえていたものが切れた。

 

 

声を上げないようにした。

 

ミアが寝ている。

 

それだけは守りたかった。

 

だから、二人とも声を殺して泣いた。

 

肩を震わせながら、互いの背に手を回して、長いあいだそうしていた。

 

「罰じゃないのか」

 

やっと、そう聞けた。

 

「何が」

 

「幸せになることが」

 

「違う」

 

ノアは、首を振った。

 

「あなたが不幸なままでいたら、あなたに関わった全部が無駄になる。私も、ミアも、父さんも、この村も」

 

「無駄には」

 

「無駄よ。だから、幸せになって。ちゃんと、堂々と」

 

レオンは、ノアの髪に顔を埋めた。

 

「分かった」

 

「約束」

 

「約束する」

 

その約束を、レオンは生涯で最も真剣に交わした。

 

 

翌朝は、よく晴れた。

 

庭で、ミアが菩提樹の幹を叩いていた。

 

「おとうさん、これ、のぼれる?」

 

「まだ無理だ」

 

「なんで」

 

「細いからな。折れる」

 

ミアは不満そうに幹を見上げた。

 

「おおきくなったら、のぼれる?」

 

「登れる」

 

「いつ」

 

「お前が、この木より大きくなったら」

 

ミアは背伸びをして、幹の先に手を伸ばした。届かない。

 

「まだ、木のほうが大きいな」

 

「くやしい」

 

レオンは笑った。

 

「ミア」

 

「なに」

 

「次に帰ってきたら、一緒に登ろう」

 

「やくそく?」

 

「約束だ」

 

小さな手が、指を一本立てた。

 

レオンは、その指に自分の指を絡めた。

 

 

昼、診療所に顔を出した。

 

アルブレヒトは、薬草を刻んでいた。手つきは、五年前と変わらない。

 

「お産は、あと十日ほどだろう」

 

「立ち会えますか」

 

「視察が半月なら、間に合う」

 

「間に合わせます」

 

「間に合わせろ」

 

アルブレヒトは、手を止めなかった。

 

「ミアのときは、私が取り上げた。今度は、お前が最初に抱け」

 

「……はい」

 

「マルタが、明日から泊まり込む。お前が村を離れている間も、ずっとそうしていた」

 

「お世話になっています」

 

「孫の世話だ。世話ではない」

 

刻む音が続いた。

 

「レオン」

 

「はい」

 

「お前は、もう大丈夫だ」

 

手が止まった。

 

「五年前、この部屋で暴れていた男とは、別人だ」

 

アルブレヒトが、初めて顔を上げた。

 

「よくやった」

 

レオンは、何も返せなかった。

 

この男から、その言葉をもらう日が来るとは思っていなかった。

 

 

午後、道場へ行った。

 

ハンスが、年下の生徒たちを教えていた。声の出し方が、いつの間にか自分に似ている。

 

「先生!」

 

「続けてくれ」

 

「見ててください」

 

組み手が始まった。

 

一人が倒される。木刀が、喉元で止まる。

 

ぴたりと、寸前で。

 

「よし」

 

レオンは頷いた。

 

「教えは、守ってるだろ」

 

ハンスが胸を張った。

 

「全員、止められるようになりました」

 

「上出来だ」

 

「先生」

 

ハンスが、真面目な顔になった。

 

「俺、道場を続けていいですか。先生が王都にいる間も、ずっと」

 

「任せる」

 

「いいんですか」

 

「お前に任せると、昔から決めていた」

 

ハンスの顔が赤くなった。

 

「……頑張ります」

 

その日、レオンは生徒たち全員と一本ずつ打ち合った。

 

全員が、最後に手を止めた。

 

止めることを、誰一人忘れていなかった。

 

 

夕方、ヨナスが走ってきた。

 

「レオンさん! 村の人に、酒を飲ませてもらいました!」

 

「顔が赤いぞ」

 

「すみません」

 

「エレナはどうした」

 

「街道の先まで見に行くって、朝から」

 

律儀な男だ、と思った。

 

「あの、レオンさん」

 

ヨナスが、改まった顔をした。

 

「春の式、来てくれますか」

 

「行く」

 

「本当ですか」

 

「上に掛け合うと言っただろう」

 

「はい!」

 

ヨナスが、深く頭を下げた。

 

「ハンナに、話してるんです。すごい人の下についたって」

 

「大袈裟だ」

 

「大袈裟じゃないです」

 

顔を上げたヨナスは、笑っていた。

 

「俺、レオンさんと働けて、本当によかったです」

 

 

その夜、ノアと縁側に座った。

 

腹が、今日はよく動いているという。

 

「王都の近くに、家を見つけた」

 

「本当?」

 

「丘の上だ。庭がある」

 

「じゃあ、木を植えられるね」

 

「同じ木を植える。この木から、種を持っていく」

 

ノアが笑った。

 

「じゃあ、この子が歩けるようになったら、みんなで行こう」

 

「四人でな」

 

「四人で」

 

言葉にすると、実感があった。

 

ノア、ミア、リン、自分。

 

四人。

 

その数を、レオンは口の中で何度か繰り返した。

 

「ねえ」

 

ノアが、肩に頭を預けてきた。

 

「なんだ」

 

「あなたの強さね」

 

「ああ」

 

「誰かを守るためのものであってほしい」

 

レオンは、夜の庭を見ていた。

 

「……そうする」

 

「約束して」

 

「約束する」

 

「よかった」

 

ノアの声が、だんだん眠そうになっていく。

 

「これで、ふたつ」

 

「ふたつ?」

 

「今夜の約束。幸せになるって、守るために強くあるって」

 

「そうだな」

 

「守ってね」

 

「守る」

 

ノアは、それを聞いてから眠った。

 

 

レオンは、しばらく動かなかった。

 

肩の重みを、そのままにしておきたかった。

 

庭の菩提樹が、風に揺れている。

 

家の中で、ミアが寝返りを打つ音がした。

 

義父と義母が、隣の家にいる。

 

道場には、教えを守った弟子たちがいる。

 

王都には、慕ってくる部下と、剣を預けてくれる男がいる。

 

十日後には、娘が生まれる。

 

春には、丘の上の家に行ける。

 

これ以上、望むものはなかった。

 

本当に、何もなかった。

 

その夜が、レオンの人生で最後の、何ひとつ失っていない夜だった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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