第13話 王都赴任
第13話 王都赴任
王都へ赴任して、三日目。
レオンは案内役の兵士に連れられ、王国軍の訓練場へ足を運んでいた。
木剣の打ち合う音。鎧の擦れる音。兵士たちの怒号。舞い上がる砂埃と、汗の匂い。
かつて毎日のように聞いていた音だった。懐かしいはずなのに、胸の奥には妙な居心地の悪さが残る。
「こちらが訓練場です。レオン殿には、今後ここで兵士たちの訓練を見ていただくこともあります」
「……分かりました」
歩いていると、周囲から視線が集まってきた。
「おい、あれが王女殿下を助けた男か?」
「猟師だったって話だぞ」
「それで上級士官とはな。殿下に気に入られたんじゃないか」
聞こえてくる声に、レオンは反応しなかった。
「レオン殿だな」
低い声が、正面から掛かった。
振り返ると、初老の男が立っていた。将軍位の装束。体格は大きくないが、立ち姿に隙がない。
「ヴィクター・ゴードウィンだ。貴殿の直属となる」
「よろしくお願いします」
ゴードウィンは、レオンの顔をしばらく見ていた。それから、視線を下げる。腰。手。足の運び。順に、見ていった。
「猟師と聞いたが」
「ええ」
「そうか」
それだけだった。だが、目は納得していなかった。
「訓練を見てもらうことになる。追って指示を出す」
ゴードウィンは去っていく。背中が見えなくなるまで、レオンはその場から動けなかった。
見られた、という感覚が残っている。腕を見られたのではない。素性を見られた。そんな気がした。
「おい」
鋭い声が飛んできたのは、その直後だった。
振り返ると、一人の若い男がこちらへ歩いてくる。
赤茶色の髪。
鍛え上げられた身体。
腰には使い込まれた剣を差している。
年はレオンよりかなり若い。
だが、その目には隠しきれない闘志が宿っていた。
「貴様が、王女殿下の恩人とやらか」
「……そう呼ばれているようですね」
「俺はクリス・ヴァルハイト。王国軍の剣士だ」
クリスはレオンを頭から足まで眺めた。
「聞けば、貴様は猟師だったそうだな」
「ええ」
「それが、いきなり上級士官か。随分と都合のいい話だ」
周囲から小さな笑い声が漏れる。
レオンは気にした様子もなく、クリスを見返した。
「何か御用ですか」
「簡単な話だ。貴様の腕を見せろ」
クリスが剣を抜いた。
木剣ではない。
真剣だった。
訓練場の空気が変わる。
「おい、ヴァルハイト、やめておけ」
「訓練場で抜くな!」
止める声が飛んだ。
クリスは聞かなかった。
「嫌なら、逃げてもいいぞ」
挑発するような笑み。
レオンは腰の剣に手を伸ばさなかった。
代わりに、壁の木刀を一本取る。
「それで、俺とやるつもりか」
「はい」
「舐めているのか」
「これで十分です」
クリスが踏み込んだ。
刃が一直線に振り下ろされる。
レオンは半歩だけ横へ動いた。
刃が空を切る。
二撃目、三撃目。
クリスは間髪入れずに斬り込んでくる。
だが、届かない。
木刀は一度も刃に触れなかった。
触れれば断たれる。
だから、触れさせない。
避ける。
逸らす。
外す。
五撃目をかわした瞬間、レオンの目が細くなった。
遅い。
昔なら、ここで喉元へ踏み込み、一撃で終わらせていた。
身体が覚えている動きだった。
レオンは木刀を握り直す。
ここは戦場ではない。
終わらせるべきは、命ではなく、この試合だけだ。
「そこまでです」
「なっ……!」
次の瞬間、木刀の先がクリスの手首を打った。
指が開く。
剣が地面に落ちた。
そのまま柄頭で肩を押す。
クリスの身体が崩れた。
倒れる前に、レオンが腕を掴んで支える。
「……勝負あり、ですね」
訓練場が静まり返った。
「もう一度だ!」
クリスが剣を拾う。
だが、結果は変わらなかった。
二度目も、三度目も。
木刀には、傷ひとつつかない。
最後にはクリスが肩で息をしながら、剣を下ろした。
「……参った」
悔しそうに唇を噛む。
「俺の負けだ」
その言葉を聞いた兵士たちは、今度は誰も笑わなかった。
レオンを見る目が変わっている。
遠くで、ゴードウィンが立っていた。
いつからいたのかは分からない。
止めようとした様子もない。
視線が合う。
ゴードウィンは何も言わず、その場を離れていった。
レオンは、自分の手を開いた。
わずかに、息が上がっている。
昔は、こんなことでは乱れなかった。
三人を斬っても、呼吸ひとつ変わらなかった。
今は、若い剣士一人を三度転がしただけで、肩が動く。
落ちている。
はっきりと、そう分かった。
それを、悪いことだとは思わなかった。
思えなかったことが、少し怖い。
クリスはしばらく黙っていたが、やがて剣を鞘へ納めた。
「……酒でも飲むか」
「え」
「さっきまで貴様を馬鹿にしていた連中には、聞かせたくない話もある」
クリスは苦笑した。
「それに、もう少し貴様と話してみたい」
王都の小さな酒場。二人は向かい合って座っていた。クリスは酒を飲みながら、何度も首をひねっている。
「しかし、お前、本当に木刀で来るんだな」
「必要がなかったので」
「いや、普通は必要だろ。俺は剣しか取り柄がないっていうのに、お前は棒で俺を転がしたんだぞ」
「……すみません」
「そこで謝るなよ」
クリスが吹き出した。先ほどまでの険悪な空気は、いつの間にか消えていた。
「なあ、レオン」
「はい」
「お前は、どうしてそんなに強い」
レオンの手が止まった。
「……昔、必要だったからです」
「そうか」
クリスは、それ以上は聞かなかった。代わりに酒杯を傾ける。
「俺も強くなりたかった」
「なぜです」
「兄貴みたいになりたかったからだ」
クリスの顔に、柔らかな笑みが浮かんだ。
「俺の兄貴は強かった。剣も上手かったし、誰からも好かれていた。俺にとっては、自慢の兄貴だった」
「仲の良いご兄弟だったんですね」
「ああ。……まあ、教え方は最悪だったけどな」
「最悪」
「俺が剣を教えてくれって頼むと、木剣を渡して一言だけだ」
クリスは兄の真似をするように、低い声を出した。
「遅い」
「……それだけですか」
「それだけだ」
レオンの口元が、わずかに緩んだ。
「何をしても遅い。俺が一晩かけて覚えた技を見せても、遅い。しまいには、飯を食うのまで遅いって言われた」
「それは剣とは関係ありませんね」
「だろ」
クリスが笑う。
「でも、嫌いにはなれなかった。悔しくてな。いつか兄貴に勝ってやるって、ずっと剣を振っていた」
しばらく笑っていたクリスの表情が、少しずつ曇っていく。
「……その兄は」
「死んだ」
短い言葉だった。
「帝国との戦いでな」
レオンは黙って聞いていた。
「俺は、その場にいなかった。後から聞いただけだ。兄貴が帝国兵と戦って、殺されたって」
「……そうですか」
「それから、ずっと考えてた」
クリスは酒杯を見つめた。
「もっと強ければ、兄貴の隣で戦えたんじゃないか。俺がそこにいれば、兄貴は死ななかったんじゃないかって」
「……」
「だから強くなろうと思った。兄貴を超えれば、少しは気持ちが楽になると思ってた」
クリスは自嘲するように笑った。
「でも、違った」
「違った」
「俺は兄貴に勝ちたかったんじゃない」
クリスが顔を上げる。
「兄貴みたいになりたかったんだ」
その言葉が、レオンの胸に刺さった。
ノアの顔が浮かぶ。村で過ごした日々。ミアの笑顔。まだ見ぬ娘のために作った、小さな木のゆりかご。
レオンは目を伏せた。
「……兄を殺した男を、憎んでいるんですか」
「憎んでる」
今度は迷いのない声だった。
「顔も名前も知らない。でも、もし見つけたら……殺すと思う」
クリスはそこで言葉を止めた。
「ただ、その前に一つだけ聞きたい」
「何を」
「兄貴と戦ったとき、何を見ていたのか」
レオンの胸が、わずかに締めつけられる。
「どんな顔をしていたのか。何を思っていたのか。兄貴は最後に、何を言ったのか」
クリスは酒杯を置いた。
「俺は、それを知りたい」
しばらく沈黙が続いた。
やがてクリスが、ぽつりと言った。
「本当の名前は、誰も知らないらしい」
レオンは顔を上げた。
「ただ、呼び名だけは伝わっている」
クリスの目が、遠い過去を見つめる。
「そいつは、黒い甲冑を着ていたそうだ」
レオンの呼吸が、止まった。
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