第11話 招聘と葛藤
「王国軍から、正式な使者が参りました」
村長の声で、道場の空気が止まった。稽古中だった子供たちが、一斉にレオンを見る。
「先生、王国軍って……?」
「みんなは稽古を続けていろ」
レオンは木刀を置いた。胸の奥に、嫌な予感があった。
村長宅へ向かうと、広間には見慣れない男がいた。物々しい鎧をまとった若い将校。その左右には、供の兵が二人立っている。
「レオン殿とお見受けする」
将校が立ち上がった。
「此度は、火急の用件で参りました」
丁寧な口調だった。だが、退く気のない声だった。
「先だって、賊に襲われた一団をお助けいただいたとか」
「ああ。あの時のことか」
「その方について、お伝えしておきたいことがございます」
将校が、一枚の書状を取り出した。
「ローレンス王国、第一王女。セレスティア殿下であらせられます」
レオンの目が止まった。
あの娘が、王女。思い返せば、納得できることばかりだった。護衛の数。兵士たちの装備。あの落ち着いた立ち居振る舞い。
ただの娘ではない。そう思っていた。それでも、王女だとは考えなかった。
「殿下より、直々のご下命です」
将校が書状を開いた。
「貴殿の剣技、並びに勇猛なる働きぶりに深く感謝する。ついては、王国軍指南役兼上級将校として、王都にてその力を貸してほしい」
読み上げる声だけが、広間に響いた。
指南役。上級将校。レオンは、しばらく黙っていた。
「畏れながら」
ようやく口を開く。
「私には、その資格がありません」
「殿下は、そうはお考えではありません」
「私は村で、子供たちに剣を教えているだけです」
「その腕で、三十人を超える野盗を制したと聞いております」
レオンの眉がわずかに動いた。話が早すぎる。あの日の出来事は、もう王都まで届いている。
「買いかぶりが過ぎます」
「そうでしょうか」
将校は表情を変えない。
「殿下は、あなたの力を必要としておられます」
王国軍。その名を、レオンは何度も敵として聞いた。かつては、その兵たちと剣を交えた。その同じ軍に入れという。皮肉な話だった。
「返事を待っていただけますか」
「どれほどでしょう」
「十日」
「承知しました」
将校は一礼した。
「王国の未来のためにも、良い返事をお待ちしております」
それだけを残し、使者たちは村を去った。
馬蹄の音が遠ざかる。村人たちは、道の端からその姿を見送っていた。
やがて村長が駆け寄ってくる。
「先生、大したもんじゃ!」
「まだ何も決めていません」
「王女殿下からの直々のお声がかりじゃぞ」
村長は、興奮を隠そうともしない。
「これ以上の名誉があるか」
「俺には関係ない」
「何を言う。先生が王都へ行けば、この村の名も上がる」
周囲の村人たちも口々に続ける。
「そうじゃ」
「先生なら王都でも通用するさ」
レオンは、何も答えなかった。胸の奥に、重いものが沈んでいく。
その日の稽古が終わる頃、トーレスが道場へ顔を出した。
「聞いたぜ」
木刀を一本手に取る。
「王女様のお声がかりだってな」
「大した話じゃない」
「また、それか」
トーレスが苦笑した。
「で、どうする」
「断る」
即答だった。トーレスは、少しだけ目を細めた。
「そうか」
それ以上は何も言わない。木刀を軽く振る。
「引き止めないのか」
「お前が決めたんだろ」
「そうだ」
「なら、俺が口を出すことじゃない」
木刀を壁へ立てかける。
「ただな」
「なんだ」
トーレスは、レオンを見た。
「後悔だけはするなよ」
短い言葉だった。だが、その一言だけが妙に残った。
その夜、家へ戻ると、ミアが駆け寄ってきた。
「おとうさん!」
小さな両手が伸びてくる。レオンは、笑って抱き上げた。
「ただいま」
ミアの笑い声が響く。その温もりを腕に感じる。それだけで、迷いが薄れていく。
この子の傍にいたい。それは、間違いのない気持ちだった。
夕餉を終え、ミアを寝かしつける。その後、レオンはノアに今日のことを話した。
「王女様を助けたのね」
「知らずにな」
「それで?」
「断るつもりだ」
ノアは、少しだけ眉を上げた。
「どうして?」
「この村を離れたくない」
レオンは、静かに答えた。
「ミアもいる。道場の子たちもいる」
窓の外へ目を向ける。
「今の暮らしを、手放したくない」
本音だった。だが、それだけではない。
王都へ行けば、過去に近づく。過去を知る者に出会うかもしれない。今の暮らしを失う危険も増える。
「それに」
レオンは、言葉を選んだ。
「俺のような者が、王国軍の要職なんて務まらない」
「そう」
ノアは、それ以上聞かなかった。ただ、何かを考えるように黙っている。ランプの灯りが、その横顔を照らしていた。
翌朝、道場へ入ると、子供たちが待っていた。いつもと違う目をしている。
「先生、本当に王女様を助けたんですか?」
「王国軍から誘われたって、本当?」
「王都へ行くんですか?」
質問が次々に飛んでくる。
「大した話じゃない」
レオンは木刀を手に取った。
「さあ、稽古を始めるぞ」
「先生」
一人の少年が、不安そうに見上げた。かつて、向いていないと泣いていた少年だった。
「行っちまうんですか?」
レオンは答えた。
「行かない」
少年の顔が上がる。
「俺は、ここにいる」
「本当?」
「ああ」
その瞬間、道場に安堵の声が広がった。
「よかった……」
少年が笑った。別の子供がレオンの腰へ抱きつく。
「先生、ずっといてください!」
レオンは、その頭に手を置いた。胸の奥が、少しだけ軽くなった。
やはり、ここでいい。ここにいるべきなんだ。そう思った。
その日の夜、誰もいない道場で、レオンは一人だった。
木刀を握る。振る。一度、二度、三度。汗が額を伝う。それでも、手は止まらなかった。
頭に浮かぶのは、森での戦いだった。
セレスティアを守るため、体が勝手に動いた。迷いはなかった。敵の動きが見えた。次に何をすべきかも分かった。
そして何より。誰かを守るために剣を振るうことに、確かな手応えがあった。
レオンは、木刀を止めた。道場の静けさが戻る。
今の暮らしにも、満足している。子供たちを教える。ミアと過ごす。ノアと食卓を囲む。それが幸せなのは、分かっている。
なのに。なぜ胸が騒ぐ。
レオンは、木刀を見つめた。答えは出なかった。
数日後、アルブレヒトが診療所の帰りに道場へ立ち寄った。
「噂は聞いた」
「もう断ると決めました」
レオンが答える。アルブレヒトは、何も言わなかった。しばらく子供たちの稽古を眺めている。木刀の音だけが響く。
やがて、静かに口を開いた。
「怖いから逃げるのと、大切だから残るのは違う」
レオンの手が止まった。
「お前が、どちらなのか」
アルブレヒトはレオンを見る。
「それだけは、自分で考えろ」
「俺は逃げてなんか……」
「そうか」
それ以上、アルブレヒトは言わなかった。診療鞄を持ち直す。
「なら、それでいい」
背を向ける。
「だが、答えは放っておけば消えるものでもない」
アルブレヒトが道場を出ていく。レオンは、その背中を見送った。何も言い返せなかった。
その夜、レオンは机に向かった。
王国軍への返書を書く。招聘を辞退する。丁重に。だが、はっきりと。
筆を置く。これで終わりだ。そう思った。
翌日、書状は村長を通じて王国軍へ送られた。
レオンは、いつものように道場へ向かった。子供たちの声が聞こえる。いつもの朝。いつもの村。変わらない日々。
そのはずだった。
けれど、木刀を握った瞬間、また森が浮かんだ。セレスティアの姿。迫る野盗。自分が踏み出した一歩。
あの時の感覚が、消えない。
レオンは、木刀を下ろした。
断った。それでいい。家族を守るため。村を守るため。そう決めたはずだった。
なのに、胸の奥に小さな棘が残っている。
窓の外から、子供たちの笑い声が聞こえた。その向こうには、いつもの村がある。ノアもいる。ミアもいる。守りたいものは、ここにある。
それで十分だ。レオンは、そう自分に言った。
この時のレオンは、まだ知らなかった。
自分が閉じたはずの扉を叩くのが、家の外にいる誰かではないことを。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。
一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。
次話もお付き合いいただければ嬉しいです。




