表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
乙姫は恋を知らない  作者: HANABI


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/10

第8話 帰る場所

竜宮で過ごす日々は、

いつの間にか太郎の居場所を増やしていた。


笑い声も、手伝いも、稽古も、

すべてが少しずつ“いつものこと”になっていく。


けれどその穏やかさの中で、

太郎はふと、地上に残してきたものを思い出す。

秋の潮のまつりが終わってから、

竜宮は少しだけ穏やかになった。


それでも。太郎の周りだけは、相変わらず騒がしい。


「太郎さん!それ、どうやって食べるんですか?」


市場区画の一角。

今日は、魚人たちと侍女たちが、

太郎の周りへ楽しそうに集まっていた。


炭火の上で、魚がじゅうじゅうと音を立てている。

美味しそうな、香ばしい匂い。


私は、少し離れた特等席からその様子を眺めていた。


「これはな、漁師めしってやつです」


太郎が、得意げに魚をひっくり返す。


「漁師は船の上で食うから、

簡単で腹に溜まるのが一番なんですよ」


「へえ……!」


侍女たちが、興味津々で身を乗り出して覗き込む。


魚の身を丁寧にほぐし、熱い飯へ混ぜる。

刻んだ新鮮な海藻。炙った香ばしい貝。豊かな潮の香り。最後に熱い出汁をかけると、白い湯気がふわりと立ち上がった。


「はい、乙姫さん」


目の前に、それが差し出される。

私は、少しだけ目を瞬いた。


「私も?」


「もちろん。最初に食べて見てください」


太郎が、真っ直ぐに笑う。

すると周囲が、「おぉ〜?」と一斉に騒ぎ始めた。


「なによ、そのニヤニヤした反応は」


「いやぁ? べつにぃ?」


魚人隊長が、あからさまに肩を揺らしている。

私は小さくため息をついてから、匙を手に取った。


一口、口へ運ぶ。

――驚いた。


素朴なのに、妙に美味しい。

魚の旨味が、優しく真っ直ぐ舌へ広がる。


「……おいしいわ」


ぽつりと呟くと。

太郎が、本当に嬉しそうに顔をほころばせた。


「よかった〜」


その顔を見るだけで、胸の奥がふわりと温かくなる。

最近、本当に自分が危険だと思う。



「侍女さん!それ、俺が持ちます!」


白い回廊の向こうで、

太郎が大きな重い荷箱を持ち上げていた。


「えっ、でも……」


「慣れてるんで!任せてください」


軽々と持ち上げて歩き出す。

侍女たちが、ぱちぱちと目を瞬かせていた。


「太郎さん、すごく力持ち……」


「漁師ですから」


太郎は、当たり前みたいに爽やかに笑う。

その、飾らない自然さがずるい。


見返りなんて、これっぽっちも求めない。

偉そうにするわけでもない。


困っている相手を見ると、身体が先に動いてしまうのだ。私は、その様子を白い柱の陰から静かに眺めながら、小さく愛おしそうに息を吐いた。


「姫」


隣へ、いつの間にか宵臣よいおみが立っていた。


「また見ておられるのですか」


「……“また”ってなによ」


「最近、浦島殿を視線で追う頻度が、

劇的に増えております」


「細かいわね、あなた」


「なにせ、長い付き合いですので」


淡々とした、いつも通りの声。

でも。その美しい口元が、少しだけ楽しそうに笑っていた。私は、わざと知らん顔をして前を向く。


「あなた、最近ちょっと意地悪になった?」


「姫ほどではありません」


「はいはい」


不遜な側近にそう返しながらも、

私の口元も、少しだけ緩んでしまっていた。



「見合ってぇぇぇ!!」


魚人たちの野太い叫び声が、広場へ響き渡る。

祭りの余韻なのか、

今日は即席の相撲大会が始まっていた。


私は、薄珊瑚色の衣を着た玉依たまよりと並んで、特設の観客席へ座っている。

そして。


「なんで俺までふんどしなんですか!?」


太郎が、恥ずかしそうに叫んでいた。


「似合うぞー!」


「太郎殿、いけー!」


「頑張れー!」


魚人たちが、好き勝手に大盛り上がりしている。

私は、あまりの逞しさに思わず視線を逸らした。


「姉様」


隣で、玉依が案の定ニヤニヤしている。


「なに?」


「見ないんですか? せっかくのいい男なのに」


「見てるわよ、ちゃんと」


「顔、真っ赤ですよ?」


「うるさいわね」


でも。ちら、とまた視線を戻してしまう。


日に焼けた、健康的な身体。

過酷な漁で鍛え上げられた、逞しい腕。

芯のしっかりした、美しい体幹。


笑いながらも、太郎はちゃんと強かった。

人外である魚人相手に、意外なほど善戦している。


「うおおかおっ!」


どんっ!


大柄な魚人を豪快に投げ飛ばし、太郎が叫んだ。

割れんばかりの歓声が上がる。

本人も、めちゃくちゃ嬉しそうだ。


「やったぁ!!」


大きく、無邪気に笑う。

その顔が、まるで子供みたいで。

私は、堪えきれずに思わず吹き出した。


「……ほんと、楽しそうね」


けれど。最後。

魚人隊長が満を持して出てきた瞬間、空気が変わった。


「いや、これ絶対に勝てないやつじゃないですか!?」


「当然です!」


勝負は一瞬だった。

どぉん!!


豪快に投げ飛ばされ、太郎が床へ派手に転がる。

広場全体が、大きな爆笑に包まれた。


「いててて……!」


悔しそうに腰をさすりながら、起き上がる。

その負けた顔すら、妙に可愛く見えてしまって。

私は、とうとう声を上げて笑ってしまった。



「あぁ〜、そこですそこですぅ〜……」


ミドリが、完全にとろけた声を上げていた。

太郎が、巨大な甲羅をタワシで熱心に磨いている。

どうやら、相撲で負けた罰ゲームらしい。


「太郎さん、めちゃくちゃ上手ですぅ……」


「船の底を磨くの、慣れてるんで」


丁寧な手つき。力加減も、本当に優しい。

ミドリが、うっとりと目を閉じている。


私は、その様子を遠目に見ながら、

なんだか不思議な気持ちになっていた。


この男は。本当に、どこへ行っても。

自然に、誰かの輪へ溶け込んでしまう。


魚人も。侍女たちも。ミドリも。

そして――きっと、私も。



槍舞の稽古場。

太郎は、祭りが終わったあとも、

毎日のように槍を振るっていた。


「好きになったの?」


私が尋ねると、太郎は少し照れたみたいに笑う。


「なんか、気持ちいいんですよね。これ」


槍が、滑らかに回る。

まだ粗い。けれど。

その軌道は、確かに海の流れる感覚へ馴染み始めていた。


「そこ、少し力みすぎです」


背後から、宵臣が静かに指摘した。


「うわっ」


太郎の槍の先端が、大きくぶれる。


「難しいなぁ、これ……」


「考えすぎです」


宵臣が歩み寄り、太郎の槍へそっと白皙の手を添えた。


「流れへ、ただ身を預けるように」


するり、と槍が回る。

それに合わせて、周囲の魚たちが大きく旋回した。


私は、欄干へ頬杖をつきながら、

その美しい様子をただ眺めていた。

最近。この、二人が並ぶ光景を見るのが、

たまらなく好きだった。



その帰り道だった。


「母が、足を怪我をしたらしくて……」


通りすがりの侍女たちが、小さな声で話していた。


「早くお医者様を――」


そこまで聞いた、その瞬間。

隣を静かに歩いていた太郎が、ふっと立ち止まった。


私は、小さく目を瞬く。

太郎は、少しだけ遠くを見るような、

どこか切ない顔をしていた。


「……太郎?」


呼ぶと、太郎ははっと我に返った。


「あ、すみません。なんでもないです」


でも。その笑顔は、どこか少しだけ弱かった。


「どうしたの?」


私が覗き込むと、しばらく迷ってから、太郎が小さく笑った。


「いや……。母親は、元気かなって、ちょっと」


胸の奥が、ツンと小さく痛んだ。


「兄貴も、釣り針のことで、絶対怒ってるだろうし」


困ったみたいに笑う。

でも。その黒い瞳は、

ここではなく、ちゃんと地上を見ていた。


温かい村。懐かしい浜辺。大好きな家族。

彼が本当に帰るべき場所。


私は、何も言えなかった。

ただ、私の胸元で、潮満珠が静かに悲しく揺れていた。



その夜。


祭りのきらびやかな余韻も、市場の賑やかな喧騒も、

少しずつ竜宮の深い奥へと沈み始めていた。


白い回廊には、静かな潮騒だけが残っている。


私は、長い欄干へ身体を寄りかかりながら、

ぼんやりと水の膜の向こうを眺めていた。


青白い魚群が、夜の深い海をゆっくりと横切っていく。


「乙姫さん」


後ろから、聞き慣れた愛しい声がした。

振り返る。太郎だった。


昼間の賑やかさとは違う、少しだけ静かな顔。

でも。その瞳は、どこか迷っているようだった。


「なに?」


私が尋ねると、太郎は少し困ったように笑った。


「……ちょっと、ふたりで話したくて」


胸の奥で、潮満珠が小さく、切なく脈を打つ。

私は、なんとなく察してしまった。


でも。気づかないふりをして、

欄干の近くにある長椅子へ、ゆっくりと腰を下ろす。


「じゃあ、ちゃんと座って聞いてあげるわ」


「なんですか、その偉そうな言い方」


「乙姫様は忙しいのよ」


「絶対、今めちゃくちゃ暇だったでしょ」


「あら、ばれた?」


太郎が、少しだけ緊張を解いたように笑う。

その笑顔を見て、私の胸の奥も少しだけ安心した。

太郎も、私のすぐ隣へ腰を下ろした。


少しだけ、身体の距離が近い。

でも、今の私たちには、もうそれがとても自然だった。


しばらく、二人とも黙っていた。

膜の向こうを、光る魚たちがさらさらと流れていく。

遠くの遠くで、まだ祭り帰りの楽しげな笑い声が聞こえた。


「……楽しかったです」


ぽつりと、太郎が夜の海を見つめたまま言った。


「なにが?」


「ここに来てから、あったこと全部」


その声は、ひどく静かだった。


「最初は、ただの夢かと思いました」


太郎が、少し懐かしそうに笑う。


「変な魚は喋るし、海の底にでかい城はあるし、

乙姫さんはやたら距離近いし」


「ちょっと、最後に悪口が入ったわね?」


「事実です」


大真面目な顔だった。

私は、たまらずふふっと吹き出す。

でも。太郎は、また少し真面目な顔へ戻った。


「でも、本当に楽しかったです」


ゆっくりと、自分の本音の言葉を選ぶように続ける。


「槍舞も。祭りも。魚人たちと騒ぐのも。

ミドリの甲羅を磨くのも」


「磨くのは、ただの罰ゲームだったでしょうに」


「途中から、普通に楽しくなっちゃいました」


「ミドリ、異常に気持ちよさそうだったものね」


太郎が、声を上げて笑う。

そのあと。ふっと、その表情が静かになった。


「……だからこそ、最近ちょっと考えるんです」


私は、何も言わずに次の言葉を待った。


「今頃、上の家はどうなってるかなって」


胸の奥が、きゅっと音を立てて痛む。


「母親は、俺がいなくなって心配してるだろうな、とか」


太郎が、自分の膝へ視線を落とした。


「兄貴だって、絶対に怒ってるし」


「……釣り針のこと?」


「はい」


苦笑する。でも。

その愛おしい笑顔の奥で、彼はちゃんと地上を見ている。私は、ゆっくりと静かに息を吐いた。


「……帰りたい?」


その言葉を口にした瞬間。

私の胸元で、潮干珠しおふるたまが冷たく静かに震えた。


太郎は、少しだけ驚いたような顔をする。

それから。長く、長く黙って。


やがて、小さく、けれど確かに頷いた。


「いつかは」


その言葉が、重く静かに私の胸へ沈んでいく。


「今すぐってわけじゃないです」


太郎が、私を気遣うように慌てて言った。


「ここ、本当に楽しいし。

……乙姫さんといるの、すごく好きだし」


心臓が、どくん、と大きく鳴った。

太郎は、耳の先を真っ赤に染めながら真っ直ぐに続けた。


「でも……。たぶん、このまま帰らなかったら、

俺、一生後悔する気がするんです」


私は、何も言えなかった。

太郎は、ゆっくりと言葉を繋いでいく。


「母親とか、兄貴とか、村の連中とか。

俺が、ちゃんと帰るって信じて待ってる人が、いるから」


胸の奥で、潮満珠と潮干珠が、同時に激しく揺れた。

私は、少しだけ目を伏せる。

それから。わざと、いつもの軽い声を作って言った。


「ちゃんと、帰してあげるわよ」


太郎が、意外そうに目を瞬いた。


「怒らねえんですか」


「怒るわよ?」


私は、いたずらっぽくにやりと笑ってみせた。


「“もうちょっと居なさいよ”って、

嫌になるくらい面倒に引き止めてやるわ」


太郎が、たまらず吹き出した。


「それは……ちょっと嬉しいです」


「でしょうね。光栄に思いなさい」


私は、わざとらしく肩を竦めてみせる。


「でも、あなたを永遠に閉じ込めるつもりはないわ」


太郎が、静かにこちらを見つめる。

その真っ直ぐな瞳が、少しだけ切なくて、愛しくて。

私は、とうとう観念したみたいに優しく息を吐いた。


「ねえ、太郎」


「はい」


「私、ひとつの【箱】を作ろうと思ってるの」


「箱?」


「ええ」


私は、自分の胸元へそっと触れた。

衣服の奥で、潮満珠と潮干珠が、淡く神秘的に光る。


「少しだけ、ずるくて……少しだけ、優しい箱よ」


太郎が、不思議そうに首を傾げた。


「なんですか、それ」


私は、ふっと悪戯に笑ってみせる。


「まだ、秘密」


「気になるんですけど、すごく」


「完成したら、一番に教えてあげるわ」


太郎は、少しだけ納得がいかなそうな顔をしたあと、

降参したみたいに困って笑った。


「乙姫さん、そういう意味深なの本当に好きですよね」


「海の神様ですもの。これくらいお安い御用よ」


「便利な言葉だなぁ、それ」


私は、くすくすと声を立てて笑った。

それから。少しだけ、真剣な声音に変えて言った。


「でもね」


太郎が、私を見る。


「あなたが、自分の口で“帰りたい”って、

ちゃんと本音を言ってくれて、嬉しかったわ」


「……え?」


「本音を胸に飲み込んだまま、

いつの間にかここを嫌いになってほしくないもの」


太郎が、静かにその黒い目を見開いた。

私は、優しく小さく笑いかける。


「だから、私の前でちゃんと悩み。

帰ることも。ここで私と過ごした時間も。全部よ」


潮の音が、世界の遠くで静かに響いていた。

太郎は、しばらく黙って私を見つめていた。


やがて。小さく、力強く頷いた。


「……はい」


その健気な返事が、妙に愛しかった。

だから私は、少しだけ照れ隠しに、誤魔化すように笑う。


「その代わり」


「?」


「帰るって決めるその瞬間までは、

ちゃんと私の我が儘に付き合いなさいよ?」


太郎が、少しだけ目を丸くした。


「……それ、結構長そうですね」


「当然でしょう?」


私は、最高に得意げに笑ってみせた。


「自分からナンパした男を、

簡単に手放すほど、私はお人好しじゃないのよ」


太郎が、今度は声を上げて快活に笑った。

その心地いい笑い声を聞きながら。


私は、胸元の二つの珠へ、そっと愛おしそうに触れた。


――帰すわ。ちゃんと、あなたの場所へ。


でも。

その寂しい日が来てしまうまでは、もう少しだけ。


この優しくて、温かい夢を。

あなたと一緒に、見ていたかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ