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第三章 密航者と突然の婚姻

アウレリアが息を呑む。ケーレンの心臓を止めるような問い。答えようと、口を開きかけた。まさにその刹那だった。背後から伸びた無遠慮な手が、彼女の口元を力任せに塞ぐ。漏れかけた悲鳴を、強引に押し殺した。

「しっ、静かに、声を出さないで!」

 切迫した女の囁き声が、ダイレクトに耳朶を打つ。

 アウレリアの目は驚きに大きく見開かれた。しかしすぐに、強張りを解く。滑り込んだ、狭い貯蔵庫。その頑丈な木扉へ、注意深く視線を走らせた。外の通路に、追っ手の気配はない。確かめて、胸に溜まった熱い空気を音もなく吐き出した。

 口元を覆っていた手が離れ、アウレリアが素早く振り向いた瞬間、そこに立っていた意外な人影に彼女は思わずくすりと吹き出す。手を伸ばし、目の前に佇む少年の乱れた茶髪をくしゃくしゃと撫で回す。

「もう私の顔を忘れちゃったの、このいたずら小僧。よく私の目を見てごらんなさい」

 ルークは一歩前に踏み出し、頼りない蝋燭の光の中で目を細めた。そして、アウレリアの瞳が放つ、あの特徴的で美しい金の輝きを認めた途端、信じられないと言わんばかりにその顎をがくりと落とす。

「アウレリアお姉ちゃん!?」

 アウレリアは満足げに頷き、自分の胸を軽く叩いて見せた。傍らの木箱に背を預けていたローラが、呆れたような溜め息混じりの笑い声を漏らし、エメラルドグリーンの鋭い瞳でアウレリアの男物の上着やズボンを上から下まで観察する。

「なんてこと……別れてからたった一日の間に、一体自分をどうしてしまったのよ?」

 口元に笑みを浮かべ、アウレリアは床に敷かれた埃っぽい帆布を指さした。

「座ってちょうだい、王宮の客間とはいかないけれど背中を休めるくらいはできるわ」

 三人が床に落ち着くと、アウレリアは腕を組み、その表情から笑みを消して真剣な面持ちになる。

「それで説明してくれるかしら、あなたと可愛い弟がどうして商人船の腹の中でネズミみたいに隠れているのかを」

 ローラが、顔を赤く染めた。きしむ天井を見上げ、気まずそうに視線を泳がせる。そんな様子を見て、アウレリアは小さく息を吐き出し、すべてを察した笑みをその唇に浮かべた。

「当ててみましょうか」

 細い指を一本ずつ折りながら、アウレリアは言葉を続ける。

「あなたが人を疑うことを知らないから、港にいた口のうまい悪党に旅費をそっくりだまし取られた。一文無しになって、緑の大陸へ行く船賃も払えなくなったから、こっそり乗り込むしか手がなかった――そうでしょう?」

 ローラの顎が引き締まり、その頬は燃えるような紅蓮に染められた。親友の推測は、見事に急所を射抜いている。完全に退路を断たれたローラは、即座に守勢から攻勢へと切り替えた。

「あら、じゃああなたはどうなのよ、お姫さま!?」

 批難を込めて指を突きつけ、ローラが言い返す。

「どうして男物の乗馬ズボンなんて穿いているのよ。その綺麗で長かった黒髪を切り落として、おまけに染めるなんて、まるで街の浮浪児じゃない!」

 痛いところを突かれ、アウレリアは気まずそうに目を逸らし、握り拳を作ってわざとらしい咳払いをする。

「それ……は、全く別の事情があるのよ」

「ぜひ聞かせてもらうわ」

 不機嫌そうに、ローラは胸の前で頑なに腕を組む。

 軽く手をひらひらと振り、アウレリアは大したことではないと笑って見せる。

「遠洋航海の船で働いて、現場の経験を積みたかったのよ。でも、あなただって知っているでしょう、過酷な甲板作業に『か弱く繊細な女』を雇う船長なんてどこにもいないわ、だからエリンになったの」

 アリステア王やカラドリア近衛兵の追跡を逃れて真夜中に城を脱出したという真実については、胸の奥深くに仕舞い込んだ。どれほど親しい友人であっても、分かち合うにはあまりにも重すぎる秘密というものが存在する。

「経験?」

 怪訝そうに、ローラの眉根が寄せられた。

「どうして王女さまに船の経験が必要なのよ?」

 真っ直ぐに、アウレリアは親友を見つめる。本来なら、自らの壮大な計画を明かすのはもっと相応しい瞬間を待つつもりだったが、同じ遥かなる地を目指す親友がこうして目の前にいるのだ。今こそすべてを打ち明けるべき時だと腹を決める。

「それはね」

 彼女の金の瞳が、突如として激しい熱を帯びて輝きを増す。

「私が海賊になるからよ」

 重苦しく、息が詰まるような沈黙が部屋を満たした。信じられないものを見るように、ローラの表情は完全に凍りつく。隣にいた幼いルークは、まるでその言葉自体が鋭い刃物であるかのように怯え、姉のスカートをぎゅっと握りしめて小さく身を震わせた。

「か、海賊……!?」

 息を吸い込み、ローラはようやくその言葉を絞り出す。

「だめ、絶対にだめよ。アウレリア、どうしてあんな血も涙もない人殺しの怪物どもになろうだなんて考えられるの!?」

「落ち着いて、ローラ。世間の人々が彼らをどう噂しているかは知っているけれど――」

「あいつらは怪物よ、私のお父さんは海賊に何一つ慈悲もなく惨殺されてそのショックのあまり病に倒れたお母さんも二度と回復することなく数ヶ月後に死んでしまったのよ……お願いアウレリア、冗談だと言って!」

 静かに、アウレリアは視線を落とす。二人の間で、再び重い沈黙が引き延ばされる。ルークは泣きじゃくる姉と、押し黙る王女の顔を不安そうに行ったり来たりと見つめている。

「ローラ」

 アウレリアの声はどこまでも穏やかで、痛みを耐えるような優しさに満ちている。

「あなたは私のことを、血も涙もない怪物だと思う?」

 手の甲で、ローラは頬の涙を乱暴に拭う。

「そんなわけないわ、あなたは私の知る限り誰よりも優しい人よ」

「じゃあ王族はどうかしら、王の気高き騎士たちや、王妃の誉れ高き近衛兵たちは?」

 反論しようと、ローラは口を開きかけるが、言葉は喉の奥に引っかかったまま出てこない。王の徴税官たちが、飢えた農民を路上で殴打する光景を彼女自身も見たことがある。特権を貪る貴族たちが、カラドリアの最貧民の苦しみに見て見ぬふりをするのを、その目で目撃してきた。

「肩書きなんて単なる仮面よ、ローラ。海賊、騎士、料理人、王――それらはただの言葉にすぎないわ。罪のない人々を虐殺しようとする男は、磨かれた王冠を戴いていようが、泥に汚れたバンダナを巻いていようが関係なくそれを行うの。どんな旗の下にも悪党はいるけれど、同じように誇り高い者だっているし、多くの海賊は王国の残酷さによって光の当たらない影へと追いやられた、ただの行き場のない人々よ。あなたは本当に黒い旗を掲げる船乗り全員が憎いの、それとも最愛のお父さんを冷酷に奪い去ったあの特定の怪物たちが――敵?」

 言葉を失い、ローラは呆然と目の前の姫を見つめる。これまで何年もの間、すべての海賊に対して盲目的な憎しみを燃やし続け、自らを深い悲しみの殻に閉じ込めてきた。だが、アウレリアの言葉は怒りの防壁を突き破り、ひとつの不都合な真実を直視させる。憎しみ続けることは己の魂をすり減らすだけであり、どれほど憎んでも亡き両親が戻るわけではないのだと。

 相手の瞳に理解の兆しが宿るのを見て、アウレリアは柔らかに微笑む。

「母が息を引き取ったあの日から、私の進む道は決まっていたの。私は海へ出るわ、ローラ。でもただの野蛮な人殺しにはならないし、自分だけの乗組員を集めて自分だけの旗を掲げるの。そして海の自由を武器にして、腐敗した者たちを討ち滅ぼし、他に戦う術を持たない人々を守り抜くために、法を変えるためにはまずその外側に立たなければならないのよ」

 観念したように、ローラは長く溜め息をつき、こめかみを指先で揉みほぐす。

「あなた本当に頭がおかしいわ、もう好きにしなさい」

 悪戯っぽく笑みを浮かべたアウレリアだったが、胸の奥には微かな痛みが走る。いつの日かローラが自分の隣で一緒に風を浴びてくれることを願っていたが、過去に負った心の傷がそう簡単には癒えないことも十分に分かっているのだ。

「僕たち、これからどうするの、お姉ちゃん?」

 問いかけと同時に、ルークのお腹がぐぅと可愛らしい悲鳴を上げる。

 腰を上げ、アウレリアはズボンについた埃を払い落とす。

「ここでじっとして絶対に音を立てないでね、すぐに戻るから」

 部屋を出ると、彼女は暗い通路を通り抜けてケーレン船長の私室へと直行する。扉をノックした。

「入れ」

 内側から、ケーレンの低い響きが返る。

 音を立てず、アウレリアは室内へと身を滑り込ませる。ケーレンは机の前に座り、針金フレームの眼鏡を鼻先に乗せて、帳簿の上に羽ペンを滑らせている。その姿を見つめながら、アウレリアはこの鉄仮面のような船長が普段いつ眠っているのだろうと不思議に思うばかりだ。

 作業の手を休め、ケーレンは羽ペンを置いて顔を上げる。

「何の用だ、エリン」

 覚悟を決め、アウレリアは最初から勝負に出る。ケーレンのように細心で観察眼に優れた男が、自分の船に二人の子供が紛れ込んだことを見落とすはずがない。彼は絶対に知っているはずなのだ。

「私にここに来た理由は、とっくにご存じでしょう?」

 揺るぎない金の瞳で、彼女はまっすぐにその視線を受け止める。

 沈黙の中、ケーレンは長い時間彼女を見つめ返す。それから一言も発することなく、再び手元の帳簿へと視線を戻す。

「二人を、このまま船に乗せていただけますか?」

 沈黙にめげず、彼女はさらに一歩踏み込んで問いかける。

「お前が彼らをこの船に乗せたいと言うのなら」ケーレンは顔を上げないまま、低く呟く。「その生存についてはすべてお前が責任を持て。俺の船員たちの邪魔だけはさせるな」

 瞬間、アウレリアの顔に輝くような笑顔が咲き乱れる。

「ありがとうございます、船長!」

 小気味よい足取りで部屋を滑り出た彼女は、背後の扉を閉めて小さくスキップする。

 一人残された船室で、ケーレンはゆっくりと眼鏡を外し、疲れたように目元を指で押さえた。その冷徹な唇の端に、微かな、しかし温かい笑みが浮かび上がる。

「まったく……」

 誰もいない無人の室内に向けて、彼はぽつりと独り言をこぼす。

「お前の妹は、とんでもない嵐を連れてくるな、ジュリアン。この大馬鹿者が」


***


 過酷な労働と、神経をすり減らす隠蔽工作の中で、瞬く間に三日が過ぎ去る。数十人もの船乗りがひしめく、商人船。その内部で、ローラとルークの存在を隠し通す。まさに生き地獄だ。

 昼夜を問わず、アウレリアの日々は肉体の限界を試すような持久戦の連続だ。甲板の擦り洗い。山のようなリネンの洗濯。調理場で、ヤンの手伝い。その合間を縫って動き、毎夜寝床に戻る頃には、歩く死体のような有様となった。

 しかも、不慣れゆえの不器用な失敗がそれに拍車をかける。一度などは、石鹸の入った木箱を丸ごと階段からひっくり返し、下層甲板をぬるぬるの泡だらけに変えてしまい、数人の船員が見事な転倒劇を繰り広げる事態を招いたのだ。

 さらに、あのスープ事件も忘れられない。ヤンを手伝おうとした際、彼女は巨大な丸ごとのジャガイモを切らずに、そのまま乗組員全員のスープ鍋に落としてしまったのだ。大柄な甲板員の一人がそれを喉に詰まらせ、ヤンがその背中を力任せに叩いて吐き出させるまで、窒息寸前まで追い込まれる。報告を受けたケーレンは、アウレリアに向けて「デンプンによる暗殺とは、実になんとも創造的な戦術だな」と冷ややかに評したという。この皮肉に、彼女は顔を林檎のように赤く染め、二度と彼と目を合わせないと心に誓う。

 航海五日目、アウレリアがヤンからチキンブイヨンの秘訣を教わっていた時のこと、甲板の方から突然、けたたましい悲鳴が響き渡る。瞬時に、アウレリアの全身が硬直する。それは、ローラの声に違いない。木のスプーンを床に落とし、調理場から飛び出して階段を駆け上がっていく。

 甲板に出ると、船員たちが大きな人だかりを作り、二重三重の輪を形成している。その中心で、ローラは怯えるルークを必死に胸に抱きかかえ、手すりに背を預けて後ずさっている。船員たちは目を丸くし、当惑の表情で彼女を見つめ回す。

「ローラ、ルーク!」

 人だかりを乱暴に押し分け、アウレリアが叫ぶ。木樽を踏み台にして跳び越え、ローラと迫り来る船員たちの間に毅然と立ちはだかる。その右手は、本能的にベルトのナイフ付近へと伸びる。

「おい、一体何事だ?」

 一人の船員が頭を掻きながら尋ねる。

「エリン、お前はこの娘の知り合いなのか?」

 窮地にあって、アウレリアの脳細胞が超高速で回転する。言い訳が必要だ。それも、この荒くれ者たちを瞬時に黙らせるほどの、とてつもなく大きな嘘が。

「この人は、私の妻だ!」

 喉も裂けよと、彼女は大声で叫ぶ。そして船長室の方向を力強く指さす。

「ケーレン船長が直々に彼女と私の息子の乗船を許可してくださったんだから、すっこんでいろ!」

 雷に打たれたように、ローラは硬直したまま口を開く。足元では、小さなルークが怪訝そうな目を向けて見上げている。

「お姉ちゃん、いつの間にけっこ――」

 電光石火の速さで、ローラの右手が伸びてルークの口を覆い隠す。そして引きつった、これ以上ないほど眩しい笑顔を顔面に張り付ける。

「ええそうです、私はこの人の妻のローラで、こっちが息子のルークです、皆様どうぞよろしくお願いいたしますわ!」

 この衝撃的な事実を噛み砕く間、甲板には奇妙なほどに気まずい沈黙が流れる。最悪の疑念を想定し、アウレリアは身構える。しかし、彼女を待ち受けていたのは、疑念ではなく、激しい嫉妬の嵐だ。

「ふざけるなッ!」

 一人の筋骨逞しい船員が、胸を押さえて悲痛な叫びを上げる。

「なんでこんな、もやしっ子で小綺麗なガキが、こんなとびきりの美女を射止められるんだよぉ!」

「俺なんて三十二歳で、まだ女の手すら握ったことがないってのに!」

 別の男がドラマチックに泣き崩れる。

「どうしてこんな奴が!」

 トビーが嫉妬の火花を散らしながら、地響きを立てて前に踏み出してきた。

「お前なんて夫というよりただの女にしか見えないし、だいたいそんな大きな息子がどうやったらできるんだ、顔だって全然似てねえじゃないか!」

 アウレリアはトビーの睨みに対し、不敵な薄笑いを返す。

「ローラは若い未亡人でね、私は喜んで彼女と息子を保護することにしたんだから、何か文句でもあるのかトビー、それとも恋愛のイロハすら知らないのか?」

 当時の常識として、若い未亡人の再婚は珍しくもなく、ルークの正確な年齢を知る者もいない。トビーの顔は屈辱と怒りで歪む。彼は汚い呪い言葉を吐き散らし、完全に敗北してその場を去る。

「さあ、みんな仕事に戻って!」

 アウレリアは野次馬たちを追い払うように手を振る。

「船長が出てきて、怠け者たちが遊んでいるのを見つける前にね!」

 噂をすれば影とはまさにこのことだ。ケーレン船長は後甲板に立ち、湯気を立てるお茶のカップを片手に、このお芝居の一部始終を眺めている。その隣では、一等航海士のオリヴァーがこめかみを指で押さえている。

「終わりましたよ船長、お願いですからそれぞれの任務に戻ってもいいでしょうか?」

 オリヴァーがうめくように言う。

 当の船長は、ゆっくりとお茶をすすり、その暗い瞳に深い愉悦の光を湛えながら海図へと視線を落とす。オリヴァーは悲惨な溜め息をつき、自分の不運を呪う。

 安全な船室に戻るとすぐに、アウレリアは扉に鍵をかけ、両手を腰に当ててローラの方へと振り返る。

「正気なの、どうして部屋から出たのよ。甲板は女に飢えた船乗りだらけで、あなたは若い女なんだから少しは警戒心を持ちなさい!」

 ルークが無邪気に見上げた。

「アウレリアお姉ちゃんは、男の子なの? それとも女の子?」

 微笑ましい疑問に、ローラは息を詰まらせて笑い、ルークの頭を優しく撫でる。

「女の子よルーク、口うるさい女の子。それからアウレリア、言っておくけれど私が外に出たのはこの小さな探検家が食べ物を探して勝手に抜け出したからなんだからね!」

 視線を下げ、アウレリアは表情を和らげて小さく溜め息を漏らす。

「ルーク、あと五日もすれば緑の大陸の岸が見えてくるわ。配給される食事が少ないのは分かっているけれど、もう少し我慢してね、みんなのために」

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