第七話 採取するふたり
試合会場での一件を経て、私は方針をガラリと変えることにした。
選んだのは、荒事とは無縁の「採取クエスト」だ。
(やっぱり、動くものを相手にするのはまだ早かったわね……)
ベルに「力加減」を覚えさせるには、まず対象が命を持っていないものから始めるべきだと思ったのだ。採取なら、誰の命も奪わない。穏やかな力加減や魔力の使い方の練習になるはず――。
正直、冒険者としてはもっと実入りのいい仕事に目がいくけれど、これも先行投資だ。
◆◆◆
「いい、ベル。今回受けるのはこれ。《明かりの水晶》の採取クエストよ」
私は掲示板に表示された、生活雑貨用の魔石の依頼を見せた。
「明かりの水晶……。以前の戦場では、野営の時や夜襲の際の照明に使っていたな。確か、衝撃に弱く、非常に脆いものだったはずだ」
「その通り! さすが元兵士、よく知ってるじゃない。この水晶、地脈から引き剥がす時に少しでも力を込めすぎると、一瞬で粉々に砕け散っちゃうの。それを『傷一つなく、根こそぎ丁寧に』取り出す……これが、今回のあなたの修行よ」
「……戦うことよりも、難しそうだな」
ベルは自分の大きな掌を見つめ、真剣な表情で呟いた。
私たちはさっそく、街の近くにある比較的安全な洞窟ダンジョンへと足を運んだ。
洞窟の奥、湿った岩肌には、ぼんやりと淡い光を放つ水晶が群生していた。
薄暗い中で、それはまるで星を閉じ込めたような美しさだった。
「さあ、やってみて。岩との境目を、魔力で優しく包み込むようにして……こう、ふんわりと」
「……ふんわり、か。やってみよう」
ベルは槍を置き、巨大な体を折り曲げるようにして岩壁に向き合った。
彼が指先を水晶に伸ばした瞬間、私は思わず息を呑んだ。
あの山賊を、あの戦士を、戦慄させた最強の指先。
それが今、ランプ一個分程度の輝きを持つ、壊れやすいガラス細工のような石に触れようとしている。
「…………ぬんっ!」
パリンッ。
ベルが指をかけた瞬間、乾いた音を立てて水晶が弾け飛んだ。粉々になった破片が、足元で虚しく輝きを失っていく。
「…………あ」
ベルが、固まった。
「あー……。ベル、今の、どっちかっていうと『潰し』にいってたわね。もっとこう、恋人の手に触れるみたいな……あ、ベルに恋人とかいたことあるか分かんないけど! とにかく、優しく!」
「難しい。……岩から剥がすという意志が、どうしても『破壊』に繋がってしまう気がする」
「それが課題よ! はい、次! 水晶はまだたくさんあるからね!」
暗い洞窟の中に、パリン、パリンと、時折悲しい音が響く。
けれど、一歩一歩。ベルは自分の内側にある巨大な力を、ミリ単位で制御しようと必死になっていた。
最強の兵士が、たった一つの小さな光を壊さないために、大粒の汗を流して集中している。
その姿を見ていると、なんだかおかしくて、それでいて少しだけ愛おしくなって、私は彼の隣で松明を掲げ続けた。
洞窟の奥に、パリンという硬質な音ではなく、静かに岩から離れる「サクッ」という心地よい音が響いた。
ベルの大きな掌の上で、一つとして欠けることのない完璧な《明かりの水晶》が、淡い青色の光を放っている。
「……獲れた。傷一つ、つけていない」
ベルは信じられないものを見るような目で、その光り輝く小石を見つめていた。その脳裏に、今はもう遠い、戦場とは無縁だった頃の記憶が鮮やかによみがえる。
(……そうだ。昔、こんなことがあった。まだ幼かった頃、生まれたばかりの姫様を王子と見に行ったことがあったな。あの時も、今にも壊れてしまいそうな小さな手を握るために、俺は指先の力をどう抜けばいいのか必死に考えた……)
「すごいじゃない、ベル! 完璧よ!」
私が飛び上がって喜ぶと、ベルはどこか懐かしむような穏やかな目を細めた。
壊さないように、優しく。
最強の破壊者が、かつて持っていたはずの「慈しみ」を、冷たい洞窟の中で取り戻そうとしていた。二人で手を取り合って喜ぶ、そんな確かな一歩を感じた瞬間だった。
だが。
「……ッ!」
ベルの肩がぴくりと跳ねた。
背後の暗闇から、重苦しい地響きと、岩を削るような不快な音が迫ってくる。
現れたのは、中型の地龍。硬い甲殻を纏い、太い尻尾で敵を粉砕する魔物だが、本来は自分から攻撃しない限りは手を出してこない、温厚な種族のはずだった。
ベルが瞬時に槍に手をかける。銀色の瞳に、鋭い戦士の光が戻りかける。
「待って、ベル! 攻撃しないで!」
私は慌てて彼の腕を掴んだ。
「なぜだ、レニー。あれは明らかに興奮している。放置すれば危険だ」
「様子がおかしいの。見て、あの子の背中!」
ベルが目を凝らす。
荒い息を吐きながらのたうち回るテイルクラブの、甲殻の隙間の柔らかい部位に、鋭く尖った巨大な水晶の塊が深く突き刺さっていた。
「……あれは、昨夜の地震か何かで崩落した水晶か。刺さった痛みに驚いて、パニックを起こしているんだわ」
このまま戦えば、ベルなら一瞬で仕留められるだろう。けれど、それは彼が今ようやく掴みかけた「壊さない力」を台無しにしてしまう。
「ベル、お願い。あの子を殺さずに、傷つけずに、優しく押さえ込んでみて。その隙に、私が刺さった水晶を抜くから!」
「傷つけずに、魔物を……? 殺すより遥かに難しいぞ、ボス」
ベルは苦笑したが、その瞳には迷いではなく、挑むような光があった。
「だが、やってみよう。……さっきの水晶と同じだ。そうだろう?」
ベルが武器を置き、丸腰のまま一歩前に出る。
暴れ狂う地龍の突進を、彼は真っ向から受け止めようとしていた。
「――今だ、ベル!」
私の合図とともに、ベルが丸腰で猛然と駆け出した。
暴れ狂うテイルクラブの首元に、腕を回してがっしりと組み付く。
「グルアアアアッ!」
見知らぬ侵入者に組み伏せられ、テイルクラブはパニックを加速させた。巨体を震わせ、首にしがみついたベルを引き剥がそうと洞窟の岩壁に何度も何度も叩きつける。
ドォン! ドォン! と、洞窟内に重苦しい衝撃音が響き渡る。
「ベル! 無茶しないで!」
壁が砕け、破片が飛び散るほどの凄まじい衝撃。見ているこっちの心臓が止まりそうだ。いくら彼が「強い兵士」だとしても、あんな生身で岩に打ち付けられて無事で済むはずがない。
けれど、ベルはどれほどの衝撃を受けても、決してその腕を離さなかった。
「……ここだ!」
足場が平坦な開けた場所に出た瞬間、ベルが動いた。
壁にぶつけられた勢いをそのまま回転の力に変え、テイルクラブの巨体を豪快に持ち上げると、腹ばいになるような形で地面に優しく、しかし確実に投げつけたのだ。
「キュ、キュ……ッ!?」
天地が逆転した魔物は、何が起きたのか分からずジタバタと不器用に手足を動かしている。
「今よ!」
私はすかさず駆け寄り、《沈静化のポーション》を霧状にして浴びせかけた。
魔法の薬が効き、魔物の荒い呼吸がスーッと落ち着いていく。動きが止まったその隙に、私はベルに叫んだ。
「ベル、抜いてあげて! 優しくね!」
ベルは頷き、膝をついてテイルクラブの背中に手を添えた。
さっきの荒々しい動きが嘘のような、静かな手つき。
先ほど水晶採取で学んだ「壊さない」感覚を全神経に集中させ、肉を裂かないよう、ミリ単位の慎重さで突き刺さった巨大な水晶を掴む。
「……ふんっ」
滑らかな動作で水晶が引き抜かれた。
間髪入れず、私が傷口に高純度の回復ポーションを注ぎ込む。青白い光とともに、生々しかった傷跡はあっという間に塞がり、元の硬い甲殻へと戻っていった。
「…………?」
痛みが消えたことに気づいたのか、テイルクラブはきょとんとした顔でベルと私を見上げた。
しばらく不思議そうに首を傾げていたが、敵意がないことを理解したのか、感謝を伝えるように短く一度鳴くと、のっそりと洞窟の奥へと帰っていった。
「……ふぅ。作戦、大成功ね」
私は安堵してへなへなと座り込んだ。
隣では、ベルがボロボロになった服の袖を払っている。体中に打ち身の跡があるし、装備も傷だらけだ。
「……怪我はないか、レニー。テイルクラブの方は、上手くいったようだな」
「上手くいったのはいいけど、あんた、自分の体も大事にしなさいよ……」
私は呆れ半分、感心半分でため息をついた。
けれど、ボロボロになった彼の顔は、心なしか晴れやかだった。
ただ破壊するのではなく、守るために力を使う。
その難しさと、それ以上に得られる「何か」を、彼は今日、確かに掴んだようだった。
◆◆◆
テイルクラブを見送り、ひと心地ついたところで。
私は腰のポーチから、二股に分かれたフォークのような不思議な形の道具を取り出した。
「さて、本題の採取もパパッと終わらせちゃいましょうか」
そう言うや否や、私は岩肌に残った水晶の隙間にその道具を差し込み、手首を軽くスナップさせた。
「ヒョイ、ヒョイ、ヒョイ」
驚くほど軽快な音とともに、あれほどベルを苦戦させた水晶たちが、まるで熟した果実が落ちるように次々と私の掌に収まっていく。
それを見ていたベルは、まさに「鳩が豆鉄砲を食ったような顔」で固まっていた。
「……レニー。その、二叉の槍のようなものは何だ?」
「これ? 水晶採取専用のピンセットよ。テコの原理で、一番脆い根元にだけ力を集中させるの」
「……道具、あったのか」
ベルの声が、目に見えて落胆に染まっていく。
「あんなに大汗をかいて指先の特訓をしていたのは一体……」という心の声が漏れ聞こえてきそうなほど、彼はがっくりと肩を落とした。
「そりゃそうよ。全部手作業でつまんでたら、日が暮れちゃうじゃない」
私は少しイタズラな笑みを浮かべ、彼にその道具を差し出した。
「さ、ベルもこれを使って。さっさとノルマ終わらせちゃおう?」
「……わかった。これを使えば、俺でも……」
ベルは藁にもすがる思いで道具を受け取った。
さっきまでは「剥き出しの指」という凶器だったけれど、今は「知恵の道具」が手にある。これならいける。彼はそう確信したように、慎重に、慎重に水晶の根元にフォークを差し込み――
「パリンッ!!」
洞窟内に、これ以上ないほど乾いた破壊音が響き渡った。
道具を介したはずの力は、あえなく水晶を粉々に粉砕し、火花のような破片が地面を転がる。
「…………道具の問題でも、なかったな」
ベルが、深いため息とともに項垂れた。道具を持ったまま石像のように動かなくなったその背中は、先ほどのテイルクラブとの死闘よりもずっとダメージを受けているように見える。
「……ぷっ。……ふふっ、あはははは!」
「……レニー、笑いすぎだ」
「ごめん、ごめんって! でも、あんまりにもあんたが真剣なんだもん……!」
笑いを堪えるのに必死で、私はお腹を抱えて震えてしまった。
最強の戦士が、たった一本の採取道具に敗北する。
そんな奇妙で、なんだかとても平和な光景が、私はたまらなくおかしくて、愛おしかった。
「大丈夫よベル、残りは私がやるから! あんたは……そうね、その折れそうな心を『優しく』採取する練習でもしてなさい!」
そう言って、私はまた「ヒョイヒョイ」と水晶を収穫し始めた。
ボロボロの相棒と、山盛りの光る水晶。
今日の収支は、路銀よりもずっと価値のある「笑顔」で黒字になりそうだった。
「さあ、帰りましょうか。薬草で手当てしてあげるから!」
「ああ。……ありがとう、ボス」
泥だらけの二人の背中に、採取した水晶が淡く、温かな光を投げかけていた。




