第五話 歩き出すふたり
あの凄惨極まる「私刑」が終わり、ようやく冷静さを取り戻した頃。
私はキャンプサイトの隅にある簡易風呂(といっても魔力式の給湯樽だけど)の中で、真っ白な湯気に包まれていた。
「う、うううう……死にたい、恥ずかしすぎて死ねる……!!」
湯船の縁に頭を打ち付け、私は湯面に顔を沈めてゴボゴボと叫び声を飲み込んだ。
なによ、あの泣き落とし……どこぞの劇作家が書いた安っぽい三流悲恋物語のヒロインじゃないんだから! そもそも私、何歳よ!? 思春期の乙女かっての!
しかも、動揺しすぎて売り物の「最高級ローズ石鹸」をまるごと一個使い切っちゃったし。
卸値で大銅貨5枚はするのに! やばい、明日の帳簿、どの項目で経費落とせばいいのよ……。
(はああああん! もう無理、これからどんな顔してベルに会えばいいのよ……!)
羞恥心と赤字のダブルパンチに全力で悶絶しながら、私はようやく風呂を上がった。
タオルで濡れた髪を拭き、テントの隙間から「そーっ」と外の様子を覗いてみる。
……いた。
月明かりの下、ベルがテントの隅っこに膝を抱えて座り込んでいた。
あの「銀の眼」はどこへやら。今はもう、耳も尻尾も垂れ下がったまま雨に打たれている捨て犬にしか見えない。
「……ぷっ、ふふふっ」
あまりの「しょんぼり」っぷりに、こみ上げる笑いをこらえきれなかった。
さっきまで山賊をちぎっては投げしていた、あの無敵の兵器が。
今は「ごめんなさい……ごめんなさい……」というオーラを全身から発して、子犬みたいに縮こまってるなんて。
なんだかもう、さっきまで悶々としていたのが馬鹿らしくなってきた。
あんな情けない顔をされたら、怒ってる方が損だわ。
「……はぁ。まったく。ほんとに、手のかかる男なんだから」
私は小さく肩をすくめて息を吐いた。
少しだけ赤くなった頬を夜風にさらして、私は「師匠」らしい毅然とした態度を(一生懸命)作り直すと、しょんぼり沈殿している彼の隣へと歩き出した。
◆◆◆
「いい、ベル。今回は相手が指名手配同然の山賊だったからよかったけど……もしこれが、ただの喧嘩腰の酔っ払いとかだったら、今ごろあなたが指名手配の“お尋ね者”よ」
私の説教に、ベルは大型犬が雨に濡れたような顔で、いっそう肩を落とした。
「……すまなかった。元・魔王軍の兵士と聞くと、どうしても、かつての軍法や規律を汚されたような気がして、血が騒いでしまったんだ」
うん、その「元軍人」らしい真面目な正義感はわかる。わかるんだけど、だからって首を引っこ抜かなくてもいいでしょ……。
「今度からは、メンタルコントロールの方法をちゃんと見つけようね。深呼吸でも、百から逆に数えるカウントダウンでも、なんでもいいからさ」
「……レニーは、俺が……怖くないのか?」
ベルの声は、焚き火の消えかけた炭のように、どこか不安げで頼りなかった。
私は一瞬、答えに詰まった。
怖い。もちろん、本気で怖かった。あの時のベルは、感情の通わない冷徹な“兵器”そのものだったから。
けど、それ以上に——。
「……怖くないって言ったら、たぶん嘘になるかな。でもね、私はベルの“普段”を知ってる。薬草の種類を必死にメモしたり、新しい服を貰ってちょっと照れくさそうに笑ってた、あのベルをさ」
「レニー……」
「だから、次。同じようなことがあったら、今度は私がちゃんと指示を出すから。勝手に『スイッチ』を入れないこと! わかった?」
「……ああ、わかった。レニーの命令には、必ず従う」
ほらね。こういうところ、本当に素直なんだから。
兵士としての染み付いた習性なのか、それとも彼の優しい本質なのかは、まだ私にもわからない。でも、こうしてちゃんと私と向き合おうとしてくれているのは、痛いほど伝わってくる。
「よろしい! じゃあ、これからは“ボス”として厳しく指導するから、そのつもりでいてよね!」
「はは……了解したよ、ボス」
そう言って、ベルがほんの少しだけ、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
私はその笑顔に、心の底から安心して、ふっと体の力を抜いた。
夜風が冷たくなってきたけれど、隣にいる彼の体温は、もうあの時の冷たい鉄のようじゃなかった。
◆◆◆
翌朝。惨状を見かけた冒険者が通報したのだろう。報告を受けてリュミエール・ギルドからやってきた十数人の調査班がキャンプ場に足を踏み入れた瞬間——その場の空気が、凍りついたように変わった。
ざぁ……と小雨が静かに降りしきる中、血に染まった土はぬかるみとなり、足を踏み出すたびに嫌な音を立てて広がる。テントの外壁や岩肌には、夜の闇では見えなかった暗赤色の飛沫が斑に残っていた。
それを見たギルド員の一人が、思わず口元を押さえて膝をついた。
「これが……全部、昨夜の出来事ですか……?」
その声は、ひどく掠れていた。自分の目が捉えている光景を、脳が拒絶しているかのような声。
「……生き残りは……こいつだけ、ですか?」
彼は、あの日陰で狂ったように笑い続けている男——昨夜唯一生き残ったあの山賊を指差した。私は沈痛な面持ちで、こくりと頷く。
「はい。そちらで引き取ってください。遺体は……ええ、十五。間違いありません」
誰かが、自分の靴の裏についた泥と血を見下ろして呻いた。
「……なあ、何があったんだ、ここは。これほどの惨劇、大物の魔物でも現れたのか……?」
「いや、見ろ。魔物の仕業じゃない……この切り口、正確すぎる。それにこの打撃痕、ただの筋力でやったのか?」
「……人間の手でやったのだとしたら、それこそが怪物だよ」
プロの冒険者である彼らが、視線を泳がせ、誰とも目を合わせようとしない。ある者はあまりの臭気に耐えかねて木陰で胃の中のものをぶちまけ、ある者は抜きかけた武器を握ったまま、石像のように固まっている。
「……レニーさん。失礼ですが、本当に……本当に、あなたともう一人だけで対処したのですか?」
責任者の男が、震える声で尋ねてきた。
「……ええ。ご覧の通りです」
あえて言葉に含みを持たせて返すと、ギルド員たちの視線が一斉にベルへと注がれた。ベルはと言えば、昨夜の暴虐をすべて自分の中に封じ込めたかのように、黙々と焚き火の跡を掃除している。その背中は、どこか遠い場所を追っているようで……けれど、彼の周囲だけは、誰も近づくことすら許さない、凍りついた結界のような静寂が横たわっていた。
——これ、絶対に変な噂が広まるやつだ。
私は内心で深く、深いため息をついた。彼のことを怪物だなんて思われたくないけれど、かといって正体をバラすわけにもいかない。もう少し、マイルドな言い訳を練っておくべきだった。
だって今、目の前の手練れたちが——まるで伝説級のSランクモンスターに、丸腰で出くわしたかのような顔でこちらを見ているのだから。
調査班が死体の数を数え、現場の惨状に顔を青くしている中。
一人の女性冒険者が、荷造りをしていた私をまじまじと見て、ポツリと呟いた。
「……ねえ。これだけの返り血を浴びて、どうしてそんなに綺麗になってるの? これだけの惨状だと、よほど大変だったでしょう」
――あ、来た。この流れ、待ってました。
私は内心でニヤリと笑い、顔を上げると同時に、さらりと髪をかき上げた。雨雲の切れ間から差し込んだ陽の光が、私の髪に反射して天使の輪を作る。
「興味、あります? ねえ、血とか泥とかって、一度髪につくとなっかなか落ちないですよね〜。ゴワゴワしちゃうし、匂いも残るし」
「え? あっ、うん! そう、そうなのよ! 宿に帰っても三回は洗わないと落ちなくて……」
食いついた。この食いつき、いただきました!
「実はね、これを使ったんです」
私は懐から、小洒落たパッケージ入りの石鹸を取り出し、指先でくるくると回してみせた。
「特製マジックオイル配合! 毛穴の奥まで浸透して、こびりついた汚れをスッキリ。血痕も泥も、まるで魔法みたいにスルッとオフ。……ほら、この通り!」
再び髪をふわりと舞わせて、指通りの滑らかさをアピール。
「へぇ〜……そんな便利なものがあるんだ。どこで買えるの?」
よしよし、狙い通り。
「実はですね、これ……私のオリジナル商品なんです。旅の合間にね、ちょっと小商いをしてまして。ギルドへの協力感謝価格として、今なら特別に一個銀貨2枚!」
「ぎ、銀貨2枚……?」
たじろぐギルド員たち。
まぁ、そりゃそうよね。石鹸一個に銀貨2枚はなかなかの強気価格。ましてや、すぐそこに死体が転がっている血の海のキャンプ場で、笑顔でセールスしてるんだもの。
でも、ここからが商人の腕の見せ所。
「うーん、お悩みですね〜。……よし、特別! ギルド仲間価格ってことで、3個まとめてなら、なんと銀貨4枚でいいですよ!」
「マジか!? 二個分の値段で三個!?」
「……これ、さっきの男の返り血も落ちるんだよな?」
「みんなで分ければ一個あたりが安くなるんじゃねぇか!?」
「俺も、女房へのお土産に一個欲しい!」
「じゃあ俺二個!」
わらわらと群がるギルド員たち。さっきまでの恐怖による静寂はどこへやら。
私はちゃっかり商品を取り出し、代金を受け取りながら、心の中でガッツポーズを決めていた。
そんな喧騒を、少し離れたところで静かに見守っていたベルが、感心したようにポツリと言った。
「……しっかりしてるな、うちのボスは。さっきまでの涙はどこへ行ったんだ?」
「えへへ。ただじゃ転ばないのが、私のポリシーだからね!」
災難? トラブル? 大惨事? 上等よ。
だって私はレニー。あの大商人アーグと冒険者レーネの血を引く娘。
どんな修羅場の中だって、商機は逃さない。
――この世界を生き残るのは、強くて、図太くて、最高にちゃっかりした女なのだ!
◆◆◆
「撤収だ! 急げ! 記録を済ませたらすぐにここを離れるぞ!」
責任者の号令は、もはや悲鳴に近かった。彼らにとって、この場所はもはや単なる事件現場ではなく、理解不能な強者が踏み荒らした「不可侵領域」に変貌していたのだ。
「終わったぞ、レニー」
ベルが、煤けていない綺麗な薪を束ねて私の隣に立った。
その瞬間、調査班の面々が「ひっ」と短い息を呑み、示し合わせたように数歩後ずさった。
ベルは不思議そうに瞬きをしたが、すぐに悟ったように目を伏せた。
「……ええ、行こう。ベル」
私は彼の大きな手をそっと握り、逃げるようにその場を後にした。
後ろを振り返らなくてもわかる。彼らは私たちが森の霧に消えるまで、一歩も動けずにその背中を見送り続けるだろう。
「……ベルをあんなに怖がらなくてもいいじゃない」
「……気にするな。慣れている」
「熟練の冒険者をあんなにビビらせるなんて……やっぱり戦闘をわかる人にはわかるんだろうね。冒険者としては強者の気配を消すのも技術のうちよ。次の街ではその気配を消す特訓を徹底してやらないとね」
「……ああ。確かにそうだな。了解した、ボス」
いつもの穏やかな、少し頼りない声。
でも、私は知っている。今朝の出来事が、いずれ「リュミエールの惨劇」として、尾ひれをつけて語り継がれていくことを。
こうして、私たちの「エコーイング・ベルズ」の評判は、私の意図しない方向へと、爆速で駆け抜けていくのだった。




