第三話 支度するふたり
リュミエール・ギルドを沸かせた鮮烈デビューから翌朝。
昨日あれだけ言い訳を並べ立てたというのに、噂の伝播は私の予想を遥かに超えていた。
ギルドの扉を開けた瞬間、突き刺さるような視線の束。「例のゴブリンジェノサイダーか?」「あの隣のチビが操ってるのか?」なんて囁き声が聞こえてくる。
受付のお姉さんに至っては、仕事中だというのに、獲物を狙うハンターのような熱を帯びた瞳でベルを凝視している。
(……わかる。わかるわよ、その気持ち)
無駄のない引き締まった体躯、影を宿した精悍な顔立ち、そしてあの圧倒的な戦果。ギルドの女性陣が色めき立つのも無理はないけれど、これじゃあ目立ちすぎて商売上がったりだ。
「いい、ベル。今日はまず、あなたの服を新調しに行くわよ」
「服? だが、俺にはこれがある」
ベルは戸惑ったように、いつもの煤けた軍服と、傷だらけの古い鎧を指差した。
「ダメよ。いつまでも敗残兵みたいな格好じゃ、まともな宿にも泊まれないわ。それに……見てなさいよ、その鎧。手入れもされてなくて、もうボロボロじゃない」
「……しかし、これは……」
ベルは鎧の胸当てにそっと手を置き、愛おしむように、そしてどこか遠くを追うように目を細めた。
言葉を失い、ただ無言で鋼の感触を確かめるその仕草に、私の胸がちくりと痛む。
(ああ、そうか。……私、間違えたわ)
商人の娘として「効率」や「外見」ばかりを優先してしまったけれど、彼にとってその鎧は、ただの防具じゃない。
地獄のような戦場を共に生き抜き、死んでいった戦友たちの想いが染み付いた、彼の「生きた証」そのものなんだ。
「……ごめん。思い入れがあるのを、分かってあげられなかった。無神経だったわ」
私は彼の隣に立ち、少しだけ声を和らげた。
「ねぇ、ベル。新しい服を買うのは中止にしないけれど、その代わりに、その鎧も一緒に持って行きましょう? 腕のいい職人に頼んで、修復してもらうの。……これからの新しい旅も、一緒に歩いていけるようにね」
ベルが、驚いたように私を見た。
その瞳に宿っていた暗い影が、朝の光に溶けるように、ほんの少しだけ和らいだ気がした。
「……ああ。そうだな。そうしてもらえると、助かる」
私たちは、街外れの古びた鍛冶屋へと足を向けた。
彼の旧き相棒に最高の敬意を払いながら、これからの未来を共に歩むための、新しい旅支度を整えるために。
◆◆◆
街外れに位置するその鍛冶屋は、心地よい金属の打撃音と、肺の奥を焦がすような焔の匂いに満ちていた。
「ふむ……この鎧をな……」
無精髭を蓄えた筋骨隆々の親方は、ベルが差し出した鎧を無造作に持ち上げた。
煤けて鈍色に沈んだ胸当て、幾多の剣戟を浴びて歪んだ肩当ての紋章。職人の鋭い眼光が、鋼に刻まれた戦歴をなぞる。
「……正直に言わせてもらえば、直すほどの代物じゃねぇ。ただの量産品の軍用鎧だ。しかも、とうに寿命が来ている」
「それでも、お願いします」
私は親方の言葉を遮るように、一歩前へ出た。
「彼にとっては、どんな名品よりも替えの効かない……命を共にしてきた相棒なんです」
「…………」
親方は無言でベルの顔を見つめ、それからニヤリと不敵に笑った。
「ま、鍛冶屋ってのはな、物に愛着を持つ奴に弱いんだよ。道具がどれだけ主に愛されているか、俺たちは匂いで分かっちまうからな」
親方はがっしりした腕で鎧を受け取ると、愛おしそうにその表面を叩いた。
「三日くれ。眠っちまった鋼の声を、もう一度叩き起こしてやる」
「感謝する、親方。頼んだ」
ベルは静かに、かつ深く頭を下げる。その礼節は、一介の兵士というよりは、高潔な武人のそれだった。
けれど、親方の視線は、すでに鎧から「その背後」へと吸い寄せられていた。
「……だがよ。ちと妙な気配がする。その背中の槍……微かに雷鳴の匂いがしやがる。まさか、お前……」
親方が言葉を言い切るより早かった。
ガタン! ズザザッ! と、作業場の影や床下から、まるで魔法のようにドワーフたちがワラワラと湧き出してきた。
「親方! 今『雷槍』って言ったか!?」
「リボルグか!? あの、空を裂くっていう伝説の魔槍か!?」
「おい見ろ、あの石突の造形……! 古代精霊工学の極致じゃねぇか!」
「ちょっと触らせろ! いや、匂いを嗅がせてくれぇ!」
一瞬にして、ベルは興奮状態で鼻息の荒い「髭のおじさん達」に包囲されてしまった。
「……レニー。これは、何か俺が不手際をしたのだろうか」
「ううん、ベル。あなたは何も悪くないわ。……ただ、あまりにも無造作に『伝説』を背負いすぎなだけ」
武器に魂を売った職人たちにとって、アーティファクトの魔力にあてられずに雷槍を背負う男は「歩く生きた伝説」そのものなのだ。
「こら、野郎ども! 汚い手で触るんじゃねぇ! 精霊の加護が曇ったらどうする!」
「親方だって、さっきから目が釘付けじゃねぇか!」
「いいから少し拝ませろ! 職人冥利に尽きるってもんだ!」
怒号と歓声が入り混じり、工房の熱気は溶鉱炉を上回る勢いで上昇していく。
私はこっそりとこめかみを押さえ、ため息を漏らした。
(……うん。この人たち、放っておいたら一晩中ベルを離さないわね)
商人の直感が告げている。ここは早めに退散しないと、明日には街中に「伝説の槍の持ち主が現れた」と瓦解するような噂が広まってしまう、と。
◆◆◆
鎧の打ち合わせを終え、発注書を握りしめた私は、その足でベルを街の衣料品店へと引っ張っていった。
というのも、鎧の下に着ている彼の軍服があまりにボロを出しすぎていたからだ。
「ベル、その制服……。いくら支給品だっていっても、もう限界よ。退役したんだから、そろそろ普通の服に着替えたらどうかしら?」
正直、街中では立派な鎧よりも、その薄汚れた軍服の方が悪い意味で目立っている。魔王軍として人々から多くの恨みも買っていることだろう。これから長く旅を続けるなら、見た目を整えるのは商売以前の基本だ。
「そうか……。そういうものなのか。俺は、軍から支給されたものしか着たことがないからな。自分で選ぶという発想がなかった」
ベルは、擦り切れた袖口を不思議そうに眺めながら呟いた。
「そうなの? ベルは今まで、どんな生活をしてきたのよ」
「そもそも、街で買い物をしたことすらない。軍のキャンプと戦場を往復する日々だった。俺は戦うことだけしか能がなかったからな」
「戦いだけで……生きていたの?」
「そうだ。俺はそのために『作られた』ようなものだからな」
――作られた。
その言葉の響きに、胸が締め付けられるような思いがした。彼のこれまでの人生は、自分の意志ではなく、ただ「兵士」という完成図に向かって用意されたものだったのだ。着るものも、食べるものも、居場所ですら、誰かにあてがわれた記号に過ぎなかった。
「……いい? これからは服も食べ物も、自分で選んで、自分で用意していかなくちゃならないんだから。まずはそこから覚えなきゃ。さあ、店に入るわよ」
「……そうだな。これからは、自分一人でそういうことも学んでいかなくてはならないのか」
ベルは少し不安そうに、けれどどこか真剣な面持ちで店先の生地を眺めている。
「そうよ。旅人として衛生観念は常に気にしなくちゃいけないんだから。不衛生だと、思わぬ病気になったりするんだからね。……まあ、ベルなら病気すらねじ伏せそうだけどさ」
私は努めて明るい声を出した。
彼の過去にあるのは、冷たい鋼と乾いた砂の匂いだけかもしれない。でも、これからは違う。私が選ぶこの新しい服の感触や、焼きたてのパンの匂い、そういった「戦い以外のすべて」を彼の記憶に書き込んでいってあげるのだ。
「ほら、見て! この麻のシャツ、あんたの体格ならきっと似合うわよ。ちょっと、鏡の前に立ってみなさい!」
戸惑うベルの手を引きながら、私は店員に鋭い視線を送った。
(最高の一着を選んであげる。……もちろん、値切り交渉は私の仕事だけどね!)
◆◆◆
私たちが旅支度を始めて、三日が過ぎた。あとは鎧の完成を待つのみ。目指すは魔族領の端。
再び訪れた鍛冶屋の奥から、親方が恭しく運んできたのは、見違えるほどに精悍な輝きを取り戻した「あの鎧」だった。
「思い入れのありそうな深い傷は、あえて均さずに残しておいたぞ」
親方が太い指で指し示したのは、胸元に刻まれた一筋の引っかき傷。鏡のように磨き上げられた白銀の鋼の中で、そこだけが過ぎ去った激闘の記憶を、勲章のように宿していた。
「……ありがとう、親方。まるで、新しく命を吹き込まれたみたいだ」
ベルは慈しむように鎧を受け取り、一つひとつのパーツの重みを確かめながらゆっくりと身に纏う。鋼が重なり、カチリと噛み合う心地よい音。それは彼が、旧き戦友と再び手を取り合った瞬間だった。
「さぁ、感動の対面が終わったところで……はい、請求書な」
無骨な手で突き出された紙を覗き込んだ瞬間、私の喉から反射的に「ぐえっ」という奇声が漏れた。
「――10ギル!? 冗談でしょ親方、高すぎるわ!!」
10ギルも出せば、旅の準備の買い出し分を足せばゴブリン村討伐報酬が吹っ飛んでしまう。
「おいおい、これでも『友情価格』だぞ。魔法鋼の打ち直しまでしたんだ、新品を新調するよりずっと安上がりだろうが」
「うー……っ。じゃあ、おまけ! せめてもの気持ちとして、何かおまけを付けてちょうだい!」
「おい、こっちは慈善事業じゃないんだぞ……」
親方はしぶしぶといった様子で頭を掻き、棚の奥から小さな琥珀色の小瓶を一本取り出した。
「……じゃあ、修復と防錆に優れた最高級の手入れマジックオイルを一本、これで手を打て」
私はグッと二本指を親方の眼前に立てた。
「二本! 二本にして! 昨日のリボルグの『特別観覧料』、まだ請求してないんだから!」
「ぐっ……っ! この業突張りの小娘が……わかったわかった、持ってけ泥棒!」
親方が唸りながらもう一本の小瓶を放り出す。
ガシッと空中でそれをキャッチし、私は内心で快哉を叫んだ。
(勝った……! 完勝ね!)
「……レニーは、本当にしっかりしているな」
隣でその様子を眺めていたベルが、呆れを通り越して、どこか深い尊敬すら混じったような眼差しで私を見ていた。
「ふふん、それほどでもあるけどね。旅商人は、もらえるものは石ころ一つでも逃さないのが鉄則なのよ!」
私は親指を立て、今日の「商談」の勝利を噛み締めて小さくガッツポーズを決めた。
蘇った鎧を纏う元兵士と、オイル二本をせしめた誇らしげなハーフット。
夕暮れ時の街を歩く私たちの影は、昨日よりも少しだけ力強く、そして奇妙な一体感を帯びて重なっていた。




