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勝手な男とクソガキと

へたり込み、言葉を失った芳樹の前で鉄馬は呟き続ける。


「考えに迷いがある。だから動きがブレる。妙な気負いがある。だから無駄に力む。意思が散漫。だから動きに精彩を欠く。これだけ揃えばそちらの動きを制するなど容易いこと・・・少なくとも以前の芳樹さんの拳を受けたことがある俺にとっては・・・」


 鉄馬の呟きはその一つ一つが芳樹の中に刺さった。

 否定したくとも他ならぬ芳樹自身がそれらの言葉を認めてしまっていた。

 日々の鍛錬を怠けていたわけではない。しかしかつて鉄馬と交わした仕合の情景を思い返す。

 


 あの仕合の時、自分は何を考えていたか?

 何も考えてなどいなかった。

 あの時の自分は純粋に鉄馬と自身の腕を比べようと全身全霊で拳を交わしていた。

 迷いなどなかった。あの時の自分は相手に目掛け奔る拳そのものだった。

 気負いなどなかった。そもそも自分の中でけじめをつけるための仕合だったのだ。自分を出し切るのが目的だった。その結果が勝ちであれ負けであれ、それを心から認められた筈だ。

 意思の散漫さなど微塵も無かった。あの仕合は互いを比べあう結晶のように濃い時間だった。

 それに比べて今の自分はどうか?

 比べるまでも無い。迷い、気負い、意思は散漫。不純物が多すぎる。

 たとえ、身体と技は健在でも、心は鉛の如く重い。

 心と身体は不可分。

 これでは鉄馬から「弱くなった」と言われるのもっともな話だろう。


 芳樹は心中でそんなことを考える。

 しかし、一方でもう一人の芳樹が叫びをあげる。


 仕方が無かった。

 もう一度夢を・・・ボクサーとして歩むために仕方無かったのだ。

 田鍋の強引なやり口は入ってすぐに気が付いた。

 試合を盛り上げる為、芝居の如き試合を命じられた。

 田鍋の起こした興行は自分の思い描いていたそれとは大きく異なるものだった。

 それでも諦め切れなかった。

 いつまでも若いわけじゃない。

 チャンスがこの先も転がっている保障なんて無い。

 今はまっとうな興行でなくても、この先まっとうなボクシング興行に立ち戻る可能性だってある筈だ。

 そんな希望に縋って何が悪い。



 用心棒を辞め弱くなった自分と夢に縋る自分。

 それぞれの現実がかわるがわる芳樹の心を締め付ける。

 葛藤の中、身動きのとれぬ芳樹。そこに鉄馬は更に言葉を続けた。


「正直なことを言えば・・・別にどうでもいいんです。」


 人に聞かせるような声音ではない。どこか独り言染みた調子で吶々と・・・


「あなたがまっとうなボクサーを目指そうと、馴れ合いの試合で金を稼ごうと、・・・個人的には好みませんが人を脅して自分の利を得るというのも・・・まぁそれはそれでそういう生き方もあるでしょう。」


 葛藤し、俯いていた芳樹が思わず顔を上げる。

 それほどに驚いたのだ。

 およそ芳樹の知る鉄馬が言うような言葉ではなかった。

 芳樹の知る鉄馬は、貧乏長屋で雑用に勤しむ風変わりな用心棒で、仏頂面のクセに妙にお人好しで面倒見の良い男であった。

 芳樹もまたその風変わりな友人を好ましく思っていた。善人だと思っていた。

 間違っても他人を害することを良しとする男ではない。・・・そう思っていただけに鉄馬が放った言葉は芳樹に大きな衝撃を与えた。

 しばし、自身の葛藤すら忘れ、鉄馬の言葉に耳を傾ける。


「強くなりたい。いい暮らしがしたい。人を蹴落としてでも上に行きたい・・・ああどれも大変結構だ。どの道にも貴賤などない・・・その人が心底その道に邁進しているならば。」


 鉄馬の言葉は続く。

 芳樹のことも周囲の無頼漢たちのこともまるで全ていない者であるかのように言葉を続ける。

 どこまでも独り言のようなその言葉。

 しかし、鉄馬の表情だけがその言葉が独り言でないことを物語る。

 いつも気難しげなその顔に、普段よりいっそう深い皺が眉間に刻まれている。

 他の人間にはわからないであろう。

 しかし、それなりに付き合いの長い芳樹だけは気づいていた。

 そこに刻まれているのは確かな怒りであり苛立ちであった。

 それもそれまでの付き合いではお目にかかったことがないほどに強い。


「あの日・・・ボクサーに戻ると言ってあなたは俺たちと別れた。俺はそれが嬉しかった。しかし・・・それ以上に悔しく、そして羨ましかった。」


 鉄馬の目がようやく芳樹をとらえる。

 

「だから今日・・・もし芳樹さんが心から納得して彼らに協力しているならこんなことを言うつもりはなかった。俺はただ用心棒として芳樹さんと雌雄を決すればいい。そのつもりだった。でも・・・」


 その瞳には怒りが。

 いっそ憎悪と言っても過言ではないほどの力が込められている。


「あなたは迷っていた。ボクサーとして納得してこの場にいるでもなく、悪党として納得して悪事を働くでもなく。どっちつかず、己の『道』も定まらぬ様で俺の前に現れた。今のあなたはせっかく見つけた『道』を進むでもなく、夢を諦め悪党として『道』をいくでもない。」


「・・・鉄さん・・・?」


「俺はそれが許せない。それが腹立たしい。あなたはあの日自分の『道』を進んだ筈だ。進むなら脇目を振らず突き進め。進まず諦めるなら潔く諦めろ。どっちつかずの今のあなたはあの日、ボクサーとして歩むことを決意した芳樹あなた自身に対する冒涜であり侮辱だ。」


 普段無口な鉄馬らしからず、彼は一息にて言葉を吐ききる。

 その言葉に芳樹は呆然とする。

 

 なんて勝手な男なのだ・・・と。


 まさしく鉄馬自身が最初に言ったとおりであった。

 これはまごうことなき八つ当たりである。

 芳樹はかつてギンを通して聞いたことがあった。鉄馬が用心棒を続ける理由をである。

 詳しいところまでは聞いていない、おそらくは聞いたとしても理解することは難しいかもしれない。

 しかし、鉄馬が己の武道に疑問を持っており、その答えを見出すために用心棒をやっている。

 それだけは理解した。

 そしてそれこそが鉄馬が歩む彼なりの目標・・・『道』であるということを。

 鉄馬の『道』はいまだ確かな答えを持っていない。暗中模索、いまだ探し続けているのだ。

 故に鉄馬にとっては眩しかった。自分の確かな『道』を見つけ歩んでいく芳樹の姿が。

 だからこそ鉄馬は芳樹を祝福し、そして羨んだ。

 いまだ『道』の定まらぬ己自身と引き比べ、その姿を尊び、心の底より羨んだのだ。

 だからこそ鉄馬は怒ったのだ。

 進み始めた筈の『道』を進むでもなく、戻るでもなく。納得しきらぬような様子のまま己の『道』に泥を被せ、緩やかに腐っていく芳樹の姿に心底怒ったのだ。

 自身が心底羨んだ尊いものをないがしろにしている芳樹に心底怒ったのだ。


 芳樹は重ねて思う。

 なんて勝手な男なのだ・・・と。


 もっと大人だと思っていた。

 もっと善人だと思っていた。

 しかし、違った。

 本当の鉄馬はどこまでも自分勝手な男であった。

 仮に軽蔑するというならまだいい。しかしこんな怒りを買う理由など本来芳樹にはない。

 鉄馬は芳樹が片棒を担ぐ悪事に怒っているのではない。

 芳樹の生き方が半端だと・・・そこに怒っているのだ。

 大きなお世話である。

 悪事に怒るならば道理であるが、生き方そのものに怒りを買う謂れなどないし、無論親兄弟でもない鉄馬にそんな権利があろう筈もなかった。

 そして芳樹はようやく悟った。

 もし人の性根というものに根源があるとすれば、本部 鉄馬と言う男の根源は『善』ではない。

 彼の根源はまさに『求道』なのだ。

 己の生き方、生き様を模索し、一度それが定まれば迷わずそれに突き進む。

 それこそが本部 鉄馬が良しとする生き方、彼が求める『道』というものなのだ。

 そして芳樹は鉄馬が良しとするそれから外れてしまった。

 故にこそ鉄馬は怒ったのだ。

 

 まさになんたる勝手。

 なんたる独善。

 なんたる八つ当たり

 そんなことで勝手に怒られた挙句、巻き込まれたとあってはまさに大迷惑。大きなお世話この上ない。

 大人どころか子供の駄々よりいっそう性質が悪い。


 ・・・しかし一方でその鉄馬の「八つ当たり」に奇妙な心地よさを感じたこともまた事実であった。

 芳樹の中にも同じような叫びを上げる自身がいたのだ。

 それは至極幼く。それ故に芳樹にとっての原点とも言うべき自分であった。


 何故ボクサーになりたい?

 金の為?

 それも無くはない。でも違う。それならばもっと効率の良いやり方などいくらでもある筈だ。


 自分に才能があるから?その才能で楽して甘い汁を吸いたいから?

 なるほど。自身の才能にはそれなりの自負はある。しかしそれは絶対ではないことも心得ている。

 それに甘い汁を吸いたいというならば、それこそ田鍋のやり方にむしろ嬉々として従ったことだろう。


 じゃあ何故?どうして?


 その問いに答えるのは芳樹の中に残された幼い・・・いやクソガキの自分だ。

 何故ボクサーになりたい?

 決まっている。強くなりたいからだ。

 何故強くなりたい?

 決まっている。『格好良い』からだ。


 芳樹は小さく笑う。

 なんてことだ・・・と。

 自身の心が出した答えに半ば呆れつつ笑う。

 子供なのは鉄馬ばかりではない。

 自分もまたそうだったのだ。

 金が欲しい。良い暮らしがしたい。それならばいくらでもやりようがある筈だ。ボクサーを選ぶ理由など微塵もない。

 要領よく生きたいというならそれもまた同じだ。恨みもない人間と殴り合いなんて要領の良さなどというものからはおよそ対極のものだ。

 結局、自身がボクサーになりたい理由など至極幼いものなのだ。

 幼い頃リングで戦うボクサーを見て憧れたのだ。

 あんな風に強くなりたい。

 あんな風に格好良くなりたい。

 あんな風に格好良く生きたい。

 それこそが始まり。

 歳を重ねるごとにもっともらしい理由や理屈は付け加えられていったが、結局根底にあるのは幾つになってもそんな感情だったのだ。

 もしそれを鉄馬風に言うのであれば、それこそが白井 芳樹という男の『道』だったのだ。

 そして我が身を振り返る。

 今の自分はどうか?

 己の定めた『道』に適っているか?

 ちゃんと『格好良く』生きているか?

 

 答えは無論決まっている。



 芳樹は立ち上がる。

 鉄馬の眼を真っ向から見据える。


「なあ、鉄さん。」


「はい。」


「俺は無様かい?」


「はい。少なくとも俺はそう感じています。」


「俺は弱いかい?」


「はい。あなたは以前より弱くなりました。」


「・・・そうかい・・・じゃあ」


 鉄馬の眼には芳樹の身体が一瞬液状になったように感じられた。

 脱力し余分な力が抜けたのだ。


「これならどうだい?」


 言うが早いか、芳樹は動き始める。

 いや、動き始めるというのは正確ではない。

 彼は動いていた。

 稲妻が音に先んじて天を切り裂くように。

 始まりを認識するより、なお速く。芳樹のそれは完遂されていた。

 打ち抜かれた右拳。

 全身の躍動を余すところなく伝えたそれはまさに野獣の如く。

 人の認識さえ置き去りにするその速さはまるで光の如く。

 まさに芸術の如く、美しく、そして速く、なにより強い拳であった。

 打ち抜くと同時に夜空を乾いた音が響く。

 眼前にいた鉄馬は微動だにしていない。

 受けることもかわすこともなくそこに。

 はたしてそれは動かなかったのか動けなかったのか。

 事実としていえるのは芳樹の拳は一切阻まれることなく打ち抜かれたということ。

 その狙いは鉄馬の顔面・・・よりやや横。

 頬をわずかに掠めるようにしてその拳は振りぬかれている。

 そしてその拳頭は過たずその目標を打ち抜く。

 鉄馬の後方。

 一人の男をその拳がとらえている。

 田鍋の手下の一人だった。

 おそらくは会話中の隙をついて鉄馬に襲い掛かる気だったのだろう。

 しかし、それは叶わなかった。

 稲妻の如き拳は彼にその認識すら与えぬままその意識を刈り取る。


 ほどなく男の身体が崩れ落ちる。

 無論、彼はそのことにもけっして気づくことはなかった。



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