融点36.5℃(中)
変な顔をしていたらしい私に、面白そうにユキは続けた。
「雪が人間に恋をして、人の姿になったんだよ。そして、冬が終わるころに、この部屋で溶けたんだ」
私がまだ幼いころに亡くなった伯父は、写真を見る限りは平凡な感じの人間だったが、実はずいぶんと非凡な存在であったようだ。
というか、ユキの言葉の通りなら、ユキの部屋は母親の死んだ場所だということになるが。
「溶けた跡にいた赤ん坊が、ユキだよ」
「で、なんでずっとそこにいるの」
母親の死んだ場所なんて、居心地のいいものではないだろう。
「だって、赤ん坊のユキを誰も触れなかったんだ」
「なんで」
「その頃のユキの融点が人肌よりもずっと低かったから」
私は瞬きをした。
「融点?……って、あの個体の溶ける温度の…………」
「そう、融点。それよりも高い温度に触れたらユキは溶けてしまうよ」
私は少し腕を伸ばしてユキに触ってみた。
氷枕を触った時のような、ひんやりとした感覚が指の先に伝わる。
「ユキを溶かしてしまうつもり?」
くすくすとユキが笑う。
しかし、どこも溶けてなんかいない。
「溶けてないじゃない」
私が少しにらむと、ユキは笑い声をおさめて、しかし、顔には笑みを浮かべたまま、応えた。
「今のユキの融点は36.5℃なんだよ」
「上がってるわね」
「何度も溶けながら、ちょっとずつ上がったんだ」
「なんで、溶けたの?てか、なんで溶けたのに消えなかったの?」
「消えてほしかった?」
ユキが首を少し傾けた。
私はその言葉に少し怒りを覚えた。
「この格子が無ければ殴ってやるのに」
「それは勘弁」
また笑い声が出はじめた。
「それに、この格子はなぜついてるの」
「それは、小さい子供が入ってこないように」
「でも、あなたここから出てこれないじゃない」
「出る必要はないよ」
それに、カギはここにあるんだ。と、ユキは服の中から黒いカギを出して見せた。
「小さい子供の体温は高いから、触れたら溶けてしまうし、この部屋は一番居心地がいいんだ」
「なんで?お母さんの死んだところなんでしょう?」
私の言葉にユキは不思議そうな顔をした。
そして、すぐに何かに気づいたような表情に変わり、応えた。
「いや、死んではいないよ。この部屋中の空気にいまだに漂っている。……でも、そっかぁ、お母さんなのか」
「何かおかしいの?」
「いや、別に。確かにお父さんは男だから、雪は女なのかもね」
雪に性別はないから、お母さんとか考えたこともなかったよ。とユキはおかしそうに笑った。
そして、なつかしむように自分の部屋の奥のほうへ目をやった。
私もユキの目線を追ってみた。勉強机があって、その上に写真がいくつか立てかけてあるようだった。
「おじさんの写真?」
「そう。見る?」
私がうなづくと、ユキは「はい」とカギを差し出した。
どうしろというのだろうか。
「そこに鍵穴があるから」
ユキの指さすほうを見ると、確かに鍵穴があった。
外からかぎを差しいれながら「これだとカギを持っていても、ユキは外に出れないだろう」と思った。




