融点36.5℃(後)
「ほら、いっぱいあるよ」
部屋の中に入ると、まるで冬のような寒さに包まれた。
腕をさすりながらユキの呼ぶほうへ行くと、見やすいように写真を一列に並べてくれていた。
「本当だ……」
そこには、ユキと思わしき赤ん坊の横に座るおじさんの写真から始まって、たくさんユキとおじさんの写真があった。
「あれ?この写真」
年代順に並べられた写真を順番に見ていると、はじめはおじさんとユキの間にはずいぶん空間が空いているのに、だんだんその空間はせまくなり、4枚目の三歳くらいの写真ではふたりは手をつないでいた。
「おじさん、ユキに触れたの?」
4枚目以降の写真はどれも手をつないでいて、最後の写真ではおじさんにおんぶしているユキが写っている。
「ああ、それ?ううん、全然」
「え?でも、触ってる……」
「うん。で、その度に触った部分が溶けちゃってね、大変だったの」
「このおんぶのやつは……」
「全身が溶ける一歩前くらいまで行って、お父さんが大泣きして、おばあちゃんが宥めてた」
「え……」
「この後くらいかな、なんか融点が上がっていったの。この写真とか、シャッター押すのがあと一瞬遅かったらすっごいホラーな出来だったと思うよ」
私はユキを見た。
ユキは例のおんぶの写真を見ながら、いやあ、消えてしまうかと思ったよー、なんて呟いている。
「なんで、そんなになってまでこんな写真を撮ってたの?」
「だって、いつ消えてしまうかわかんないと思ったから」
急に真面目な顔になって、ユキは答えた。
「小さい頃は、お父さんがそう思ってたらしくて、写真を残してくれてたんだけど、三歳の時に誰かの赤ちゃんがはいはいしながら部屋に入ってきててね。寒そうにしてたから外に出してあげようと思って触ったら、しゅわしゅわ~って溶けちゃって」
あわてて入ってきたおじさんがそれを見て、叫ぶように泣いたらしい。
ユキはそこで、自分が溶けて消えてしまうかも、と考え出したという。
「じゃあ、その前にお父さんに触っておきたいなぁっておもって。三日くらいで手が治った時にお願いしたんだ」
おじさんはすごく渋い顔をして、氷をつかんで冷たくした手でやっとユキと手をつないで、写真を撮ったのだそうだ。
「まあ、ユキより先にお父さんが死んじゃったけどね……」
「あ……」
私は何と声をかけていいか、見当もつかなかった。
少しの間、二人とも無言で最後の写真を見ていた。
「さて!」
急に今までの空気を取っ払うような明るい声でユキが言った。
「さっき言ってた、部屋に入ってきてた赤ちゃんのおかげでこの部屋には格子が付けられたわけだけど、ユキはその赤ちゃんの名前を知りませんでした」
「へ?」
「そして、その赤ちゃんが大きくなった今でも知りません」
「は?」
ユキは私の方を見てにっこりと笑った。
「君の名前は?」
何ということだろう。
私はもう二か月以上もユキといっしょにいるのに、名乗っていなかったようだ。
私はユキに名前を告げた。
「やっと名前が分かったよ。あの時の子の」
「ああ、やっぱり私なわけね?ごめんなさい」
「ううん?謝る必要はないよ?」
「へ?」
「今こうやって君に触れるのは、あの出来事があったからこそだしね?」
そう言って、この部屋でさらに冷えた平均体温35℃の私の手を、融点36.5℃のいとこは握った。




