第9話 妙な男
アルネを出て三日目。
俺は街道沿いの小さな町で朝食を取っていた。
名前はリグル。
ゲームでは地図上に名前だけ表示される程度の場所だった。宿屋と道具屋、それから簡単な依頼を受けられる冒険者組合の出張所があるくらいで、プレイヤーが長居する理由はほとんどない。
実際に来てみると、当然ながら普通に人が暮らしている。
農地があり、市場があり、朝から荷馬車が行き交っていた。
「こういう場所を見るのも悪くないな」
ゲームでは通過点だった。
だが今は急ぐ理由がない。
強くなること自体は楽しいが、最速攻略を競っているわけでもない。
今日は町を見てから南へ向かうつもりだった。
宿を出る。
市場を歩く。
野菜。
肉。
布。
陶器。
ゲームではアイテムとして存在しなかったものまで大量に売られている。
露店を眺めながら歩いていると、少し先で騒ぎが起きた。
「だから、今日中に払うと言っているだろう!」
男の声。
見る。
細身の青年が、二人の男に囲まれていた。
年齢は俺より少し若いくらいか。
服はそれなりに上等だが、かなり汚れている。
腰には剣。
ただし、鞘も柄も使い込まれていた。
「昨日もそう言ったよな?」
「事情が変わったんだ」
「こっちには関係ねえよ」
借金か。
面倒事なら関わらない方がいい。
そう思って通り過ぎようとした。
「なら、この剣を預ける」
「そんなボロ剣が金になるか」
「これはボロではない!」
青年が本気で怒った。
男の一人が笑う。
「じゃあ売って金にしてこいよ」
「これは売れない」
「だったら払えねえってことだろ」
どうでもいい。
俺はそのまま歩く。
だが、少し気になった。
剣だ。
見覚えがある。
「......あれ?」
立ち止まる。
青年の腰にある剣。
古びた黒い鞘。
柄頭に小さな赤い石。
ゲームに登場した装備に似ている。
ただし、かなり後半。
確か名前は《紅蓮王の剣》。
炎属性の強力な武器だった。
見た目は地味だが、特定の条件を満たすと本来の能力が解放される。
「まさかな」
同じデザインなだけかもしれない。
気になる。
俺は少し離れた場所から様子を見ることにした。
「金がないなら荷物でも置いていけ」
「だから剣以外に大したものはない」
「じゃあ剣だ」
「断る」
青年が剣へ手を置いた。
男たちも表情を変える。
まずい。
喧嘩になる。
「待った」
気づけば声をかけていた。
三人がこちらを見る。
「何だ、お前」
「いくら?」
「は?」
「こいつの借金」
男が俺を値踏みする。
「銀貨五枚だ」
「それだけ?」
「それだけとは何だ」
俺は収納鞄から銀貨を出した。
「はい」
男が受け取る。
本物か確認する。
「......確かに」
「じゃあ終わり?」
「ああ」
二人は青年を睨んでから去っていった。
青年が俺を見る。
「なぜ払った?」
「剣を見せてほしい」
「剣?」
「それ」
青年の警戒が強くなる。
「売らんぞ」
「いらないよ。ちょっと見たいだけ」
「......何者だ?」
「クロウ。冒険者」
青年が一瞬、妙な顔をした。
もう慣れた。
「クロウ......」
「変な名前なのは分かってる」
「いや、そういう意味では......」
「で、剣」
青年は迷ったあと、鞘ごと外した。
「抜くなよ」
「分かった」
受け取る。
重さ。
装飾。
やはり似ている。
柄頭の赤い石を見る。
石の中央に、炎のような模様がある。
「これ、どこで手に入れた?」
「家に伝わるものだ」
「家宝?」
「......そんなところだ」
やっぱり。
ゲームでは紅蓮王の剣を入手するクエストがあった。
没落した騎士家の末裔から依頼を受け、各地に散らばった素材を集めて封印を解除する。
その騎士の名前は――。
「名前、何?」
「人に借金を払わせておいて、今さら聞くのか」
「そういやそうだな」
青年は小さくため息をついた。
「レオンだ。レオン・アルディス」
俺は固まった。
「アルディス?」
「ああ」
当たりだ。
ゲームに登場したNPC。
レオン・アルディス。
後に《紅蓮の騎士》と呼ばれる人物。
ただし俺が知っているレオンは、もっと年上だった。
王国騎士団の一員で、いくつかのクエストに登場する。
強い。
NPCとしてはかなり上位。
そして紅蓮王の剣の本来の所有者でもある。
「お前、騎士?」
レオンの顔が曇った。
「......元だ」
「元?」
「今は違う」
なるほど。
ゲーム開始以前の時代なのかもしれない。
あるいは俺が知らなかった設定か。
「面白いな」
「何がだ」
「いや、こっちの話」
剣を返す。
レオンが受け取る。
「銀貨五枚は必ず返す」
「別にいいよ」
「よくない」
「じゃあ金ができたら返して」
「......分かった」
真面目な奴だ。
ゲームでもそんな性格だった気がする。
「ところで」
「何だ」
「その剣、使える?」
レオンの眉が動いた。
「どういう意味だ」
「本来の力、出てないだろ」
空気が変わった。
レオンが俺を睨む。
「なぜ、それを知っている」
「やっぱりそうなんだ」
「答えろ」
「知ってるから」
「何をだ」
「その剣のこと」
レオンが剣へ手をかける。
殺気。
気配感知を使うまでもない。
だが、不思議と怖くなかった。
ゲームでは強いNPCだった。
しかし今の俺から見ると、動きが遅い。
たぶん戦えば勝てる。
「別に盗む気はないって」
「では、なぜ知っている」
「説明が難しい」
ゲームで見た。
そんなことを言えるはずがない。
「その剣を直したいなら方法を知ってる」
「......何?」
「正確には直すんじゃない。封印を解除する」
レオンの目が見開かれた。
「封印......」
「知らなかった?」
「いや」
知っているらしい。
「なら話は早い」
「待て。なぜお前がアルディス家の秘伝を知っている」
「秘伝だったの?」
「......」
また余計なことを言ったらしい。
俺は少し考える。
「昔、聞いた」
「誰に」
「それは言えない」
実際、言いようがない。
攻略サイトの誰かだ。
「信用できないならそれでいい。俺は困らないし」
俺は歩き出した。
「待て」
「何?」
「方法を......知っていると言ったな」
「知ってる」
「教えてくれ」
必死な顔だった。
ゲームではクエストとして頼まれた。
今はまだ、そのクエストが始まる前なのだろう。
「いいよ」
「......条件は?」
「条件?」
「ただで教えるわけではないだろう」
「別にただでいいけど」
レオンが黙る。
「何?」
「お前は何が目的だ」
「特にない」
「銀貨五枚を突然払い、アルディス家の秘伝を知り、それを無償で教える人間がいるか」
「ここにいる」
「だから信用できないと言っている!」
面倒な奴だ。
「じゃあ、銀貨五枚返して。それでいい」
「それだけか?」
「それだけ」
「本当に?」
「しつこいな」
レオンは頭を抱えた。
ゲームではもっと落ち着いた騎士だった気がする。
若い頃はこんな感じだったのか。
「で、どうする?」
「......教えてくれ」
「分かった」
必要なものは三つ。
火精石。
赤竜草。
そして炎狼の核。
ゲームでは三地域を回るクエストだった。
ただし俺は近道を知っている。
「火精石ならここから南の洞窟。赤竜草はその近く。炎狼は......ちょっと遠いな」
「火精石がこの近くにあるのか?」
「あるよ」
「聞いたことがない」
「普通に行っても見つからない場所だから」
レオンがまた怪訝な顔をする。
「明日行くけど、来る?」
「お前も行くのか?」
「俺も欲しいものがある」
同じ洞窟に別のアイテムがある。
ついでだ。
「なら同行させてくれ」
「いいよ」
「......本当に何者なんだ、お前は」
「ただの冒険者」
「ただの冒険者はそんなことを知らん」
「細かいこと気にするなよ」
レオンは納得していない。
だが俺も説明できない。
こうして俺は、ゲームで知っていたNPCと行動することになった。
この時点では、それ以上の意味など考えていなかった。
面白い偶然。
その程度だ。
まさかこの男と、これから長い付き合いになるとは思ってもいなかった。




