第49話 そこ、経験値うまいんだよ
王国軍の第一陣が退いた翌朝、クロウは岩地の奥を見ていた。
地図に記された谷。そのさらに先に、灰色の大地が広がっている。ゲームでは、レベル八十台後半のプレイヤーがよく利用する狩場だった。
名前は、死灰の谷。
「次は、ここへ行く」
クロウが地図を示す。
「死灰の谷?」
セリアが名前を読み上げた。
「王国軍の進軍路のさらに奥だな」
レオンが地図を確認する。
「誰も通れないから、道として扱われていない」
「通れるよ?」
クロウは、さも当然のように答えた。
死灰の谷は、数百年前から魔物の巣になっていた。谷底にはアンデッドが群れ、夜になると灰色の霧が発生する。通常の冒険者なら、近づくだけで命を落としかねない場所だ。
だが、クロウは魔物の湧き位置を知っていた。
「谷の入口から入って、右側の壁沿いを進む。左の霧には触らない。あれは即死級の呪いが混じっている」
「先に言ってくれて助かる」
レオンが言った。
「奥の方に、鎧を着たアンデッドがいる。あいつは火属性に弱い。セリアの魔法なら、かなり早く倒せる」
「分かりました」
「ただし、倒す順番がある。先に鐘を持っている個体を倒すと、周囲の敵が起きる」
セリアは、谷へ続く道を見た。
「起きる、というのは?」
「地面から出てくる」
「それは、避けた方がよいのでは?」
「一気に倒せば、経験値がうまい」
レオンが首を振った。
「やはり、そうなるのか」
三人は死灰の谷へ入った。
谷の入口には、古い石碑が立っていた。王国の紋章が刻まれているが、表面は灰に覆われている。かつてここを通る道があり、何らかの理由で放棄されたのだろう。
谷の上空は暗い。昼間だというのに灰色の霧が漂い、遠くの景色がぼやけている。
「ここ、やっぱ経験値うまいな」
クロウが満足そうに言った。
「ここを『うまい』と言う人間は、初めて見た」
レオンが答えた。
最初のアンデッドが霧の中から現れた。錆びた鎧をまとい、手には折れた槍を持っている。さらに、その後ろから同じ姿の敵が何体も歩いてくる。
「まず、速い方を倒す。遅い方は後ろへ残す」
クロウの指示に、レオンが敵の一体へ踏み込んだ。槍を受け流し、鎧の隙間へ剣を入れる。倒れたアンデッドが霧へ戻る。
次の個体が来る。
「セリア、鐘を持っている敵を探してくれ」
「左の奥です。ほかの個体より魔力が濃い」
「そこへは行かない。周囲の敵を減らしてからだ」
クロウは、敵の群れが広がるのを待った。アンデッドは移動速度が遅い。一定の距離まで引き離せば、鐘を持つ個体からほかの敵を分断できる。
ゲームで何度も使った方法だった。
現実でも、魔物の習性が変わっていなければ成立する。
レオンが敵を引きつけ、セリアが霧の濃い場所を避ける。クロウは一体ずつ弱点を突き、魔石を拾っていく。
最初の群れを倒し終えると、谷の奥から地面を叩く音がした。
「次の湧きだ」
クロウが言った。
「湧く場所も分かるのか?」
「ほら、あの灰の山」
灰が盛り上がり、骨の手が突き出した。続けて、鎧をまとったアンデッドが立ち上がる。さらにその後ろから、弓を持つ個体が現れた。
「先に弓。レオンは前の鎧を止める。セリアは霧を薄くしてくれ」
セリアの魔法が谷へ広がり、灰色の霧が一時的に薄くなる。敵の位置が見えるようになり、レオンが鎧の攻撃を受け止めた。
クロウは弓兵へ走り、射られた矢を避けて接近する。弓兵の胸に刻まれた黒い紋様を切り裂くと、アンデッドは崩れた。
レオンが鎧の敵を押し返し、セリアの火属性魔法がその身体を包む。
「今だ。首の後ろ!」
レオンの剣が、鎧の継ぎ目へ入った。
敵が倒れる。
谷の魔物は、強い。しかし、出現位置と攻撃の癖を知っていれば、一度に相手をする数を減らせる。クロウは安全な場所へ戻り、次の出現時間を計算した。
「ここを何周するつもりですか?」
「九十になるまで」
「ここで、ですか?」
「効率がいいからな」
周回を続けるうちに、死灰の谷の魔物は目に見えて減っていった。谷底へ進む道が開き、灰の霧も薄くなっていく。
数百年間、誰も通れなかった谷が、少しずつ道へ戻っていた。
「このまま進めば、王国中央部への最短経路になります」
セリアが、谷の向こうに見える古い道を見つけた。
「そうなのか?」
「王国軍が大きく迂回している理由も分かります。ここが天然の防衛線だったのでしょう」
「じゃあ、便利になったな」
クロウは気楽に言った。
その一言を聞いたセリアは、谷の入口へ視線を戻した。
死灰の谷が通れるようになったことで、王国の中央部までの距離が大きく縮まった。レオンとセリアの勢力にとっては、軍事的にも商業的にも重大な変化だ。
王国側から見れば、天然の防衛線が突然消滅したことになる。
だがクロウは、そんなことを気にせず、最後の魔石を拾った。
大量の魔物を倒したことで、身体の奥に明確な変化が起きていた。
「九十になったな」
クロウは、レベル九十制限の装備を取り出した。黒い腕輪を身につけると、留め具が抵抗なく閉じる。
「九十。あと十か」
レオンが、しばらく黙った。
「まだ十もある、ではないのか?」
「ここからが長いんだよ」
「……そうか」
レオンは、それ以上聞かなかった。
谷の奥では、古い街道が王国中央部へ続いている。人の往来が戻り始めれば、商人も兵士も、やがてこの道を使うだろう。
クロウは地図を広げた。
「九十以降は、王墓地下迷宮へ行く」
セリアは、地図の一点を見て顔を上げた。
「王都です」
「そうだな」
「現在、私たちが戦っている王国の首都です」
「……面倒だな」
クロウは、ようやく少しだけ困った顔をした。
死灰の谷を抜けた先には、古い石造りの橋があった。橋の向こうは王国中央部へ続く道であり、以前なら兵士たちが厳重に守っていたはずの場所だ。
今は誰もいない。
「この先を通れば、王都までかなり近い」
セリアが地図を確認した。
「その代わり、王国の監視も強くなるでしょう」
「王墓地下迷宮へ行くなら、そこを通るしかない」
「本当に、目的が迷宮なのですね」
「もちろん。王国と戦うためじゃない」
クロウは橋の向こうを見た。
「ただ、向こうが道を塞ぐなら、また別の道を探す」
レオンは、谷の入口へ集まり始めた見回り役を見た。彼らは今や、ただの護衛ではない。複数の道と集落を守り、王国軍の動きを知らせる役割まで担っている。
そのすべてが、クロウのレベル上げの途中で生まれた。
「まずは、谷の入口を維持する人間を決める」
レオンが言った。
「私たちは、王都へ向かう準備をする」
セリアが続ける。
クロウは二人を見て、うなずいた。
「任せた。俺は王墓地下迷宮の情報を整理しておく」




