第44話 ドロップ率が低い
月影の湖から浮かび上がった魔物は、湖面を覆うほどの巨体だった。
甲殻は黒く、ところどころに星空のような光が瞬いている。背中の突起は鉱石に似ているが、あれを壊しても星鉄は取れない。ゲームで何度も確認した情報だ。
「まず、背中の突起を三つ壊す」
クロウは短剣を構えながら言った。
「その後、胸の光が青くなった時だけ攻撃する。赤い時に殴ると反射される」
「戦う前に、覚えることが多いな」
レオンが盾を構える。
「覚えなくていい。俺が言うから、その通り動けばいい」
「それでは、いつまでも覚えられないのでは?」
セリアが杖を握り直した。
「何度かやれば覚えるだろ」
「何度もやるつもりなのですか?」
「星鉄が出るまで」
セリアは、湖から現れた魔物を見た。
現地の基準なら、一度倒すだけでも奇跡に近い。だがクロウは、最初から複数回の討伐を予定しているらしい。
湖の周囲には、かつて鉱石を運ぶために使われた小道が残っていた。道の脇には朽ちた標識が立ち、近くには古い焚き火の跡もある。誰かが昔、この湖へ来ていたのだろう。
それでも、星鉄を落とす魔物の存在を知る者はいなかった。
クロウは湖面と石碑を交互に見ながら、出現した魔物の位置を確認した。
「次は、あの岩場へ誘導する。水の中にいる間は動きが読みにくいけど、陸へ上がれば攻撃の種類が減る」
「最初からそこへ誘導できないのか?」
「出現直後は水中にいる。無理に引っ張ると、別の攻撃を使う」
「それもゲームで?」
「そう。攻略情報に書いてあった」
レオンは、もう質問するのをやめた。
魔物が水を巻き上げた。
「来るぞ!」
水の槍が湖面から次々と飛び出す。レオンが正面へ出て、盾で受け流す。セリアは魔力の流れを読み、槍の薄い場所を指示した。
「左へ三歩! その後、前へ出られます!」
「分かった!」
レオンが踏み込んだ。
クロウは魔物の背中へ回り、鉱石の突起へ刃を入れる。硬い。だが、突起の根元だけは甲殻より脆い。
一本目が砕けた。
「次、中央寄り!」
レオンが魔物の尾を避けながら、二本目の突起へ剣を叩き込む。セリアの魔法が魔物の動きを鈍らせ、クロウが三本目を破壊した。
胸の光が、赤から青へ変わる。
「今だ。全員で攻撃!」
三人の攻撃が胸の光へ集中した。
魔物が身をよじる。水面が大きく波打ち、湖畔の石碑が倒れかけた。セリアが魔力の盾を展開し、レオンが魔物の爪を受け止める。クロウは攻撃の瞬間を外さず、胸の光へ刃を入れた。
甲殻獣が大きく沈む。
「次の光が赤くなる。離れろ!」
クロウの声に合わせ、三人が距離を取った。直後、魔物の全身から光の刃が飛び散る。
攻撃が終わると、レオンが息を吐いた。
「これを、何度も倒すのか?」
「一回目は確認だ」
「今ので確認なのか」
クロウは魔物の消えた湖面を見た。魔石が一つと、甲殻の欠片がいくつか残っている。
星鉄はなかった。
「出ないか」
クロウが呟く。
「倒したのでは?」
「倒したけど、目的のアイテムが出てない」
「目的のアイテム以外は、すべて失敗なのですか?」
「経験値は入ったから、完全な失敗ではない」
クロウは魔石を拾い、周囲の状態を確認した。
ゲームなら、この魔物は一定時間が経つと再出現する。現実でも、湖の魔力が戻れば同じように現れる可能性がある。出現地点、時間、月の位置、湖へ流れ込む魔力。条件はすべて覚えている。
「ここで待つ」
「またですか?」
「次に出るまで、たぶん半日」
セリアは、深い息を吐いた。
クロウは湖畔に簡単な野営地を作り、待ち時間の間に周囲の魔物を狩った。湖の近くには、魔物を引き寄せる水草が生えている。ゲームではリポップ条件の一つだったが、現実では魔物の餌になっているらしい。
「この草を残すと、また魔物が集まる」
セリアが言った。
「全部刈るなよ。次の出現に必要だから」
「安全を確保するのか、魔物を呼ぶのか、どちらですか?」
「両方だな」
日が落ちる頃、湖面が再び揺れた。
「出た」
クロウは立ち上がった。
「二周目、行くぞ」
レオンは、すでに諦めた顔で剣を抜いた。
同じ魔物でも、二度目の戦いは一度目より速かった。レオンは突起の位置を覚え、セリアは水槍の予兆を読み、クロウは迷いなく弱点へ攻撃を入れる。
倒した。
星鉄は出なかった。
三周目も、出なかった。
「ドロップ率が低いな」
「何周するのですか?」
「出るまで」
四周目。五周目。
討伐のたびに、三人は少しずつ動きを変えた。
一周目は、レオンが水槍を受け流すのに時間がかかった。二周目には、攻撃の予兆を見て回避できるようになった。三周目には、セリアが魔物の胸の光の変化を先に読み、クロウが指示を出す前に二人が動き始めた。
「かなり安定してきたな」
「安定してきた、ということは、まだ続けるのですね」
「慣れた分だけ、倒す時間も短くなる」
「私たちが慣れることを、周回の効率として計算しているのですか?」
「パーティーなら普通だろ」
セリアは何も言わずに杖を構えた。
五周目の討伐が終わった時、空はすっかり暗くなっていた。湖畔の焚き火を囲み、三人は簡単な食事を取った。
「このまま夜明けまで続けるつもりか?」
レオンが尋ねる。
「再出現条件が昼夜をまたぐから、そこまでは待つ。睡眠は交代で取る」
「そこまでして、出るか分からない素材を?」
「出るまでやれば、いつか出る」
レオンは空を見上げた。
その理屈が正しいのかどうか、彼には判断できなかった。ただ、クロウがゲームで何度も同じことをしてきたのだろうということだけは分かった。
セリアは火の向こうで、クロウの袋を見た。魔石や甲殻の欠片が増えている。どれも売れば大きな金になるが、クロウは星鉄以外をほとんど気にしていない。
「星鉄が出なかった場合は、どうするのですか?」
「出るまで続ける」
「出現しなくなった場合は?」
「条件を確認する。餌が足りないか、時間がずれているか、周辺の魔物が減りすぎたか」
「現実の生態も考えるのですね」
「ゲームと違うところは、そうするしかないだろ」
クロウは、歴史や人間の行動は変わっていても、魔物の習性まで同じとは限らないことを理解していた。だからこそ、同じ戦いを繰り返すだけでなく、湖の水位や風向き、餌になる水草の状態まで確認している。
魔物を倒すたび、クロウのレベルは少しずつ上がった。レオンとセリアも成長しているが、七十前後へ届いたあたりから、以前ほど大きな変化は感じられなくなっている。
それでもクロウだけは、楽しそうに次の出現時間を計算していた。
「そろそろ出ると思う」
「その言葉を、今日だけで何度聞いたか分かりません」
六周目の討伐後、魔物の残した素材の中に、星の光を帯びた黒い金属片が混じっていた。
クロウの目が輝く。
「出た!」
天喰らいを倒した時よりも、四門迷宮を攻略した時よりも、明らかに嬉しそうだった。
レオンが魔物の消えた湖面を見た。
「お前の喜ぶ基準が分からん」
「これで八十用の装備が作れる。あと少しだな」
クロウは星鉄を大事そうに袋へしまった。
その頃、湖の近くを巡回していた王国兵は、何度も響いた戦闘音を記録していた。
王家直轄鉱山の近くで、レオンとセリアの勢力が高位魔物を繰り返し討伐している。
実際には、クロウが星鉄を数個欲しがっていただけだった。




