第39話 そんな敵、まだ出ないはずだぞ
沈黙の地下神殿から戻った翌日、レオンとセリアのもとへ緊急の知らせが届いた。
遠方の町が、巨大な魔物に襲われている。
使者は泥と血にまみれていた。町の外壁が崩れ、住民は避難を始めている。騎士団も到着したが、正面から戦える状況ではないらしい。
「魔物の特徴は?」
セリアが尋ねた。
「空を覆うほどの翼。雲を食らうように消し、雷を吐く。地上へ降りると、周囲の魔力が吸われるそうです」
クロウは、手にしていた袋を落とした。
「……何だって?」
「空を覆う翼と、魔力を吸う巨体だそうです」
使者が繰り返す。
クロウの顔から、いつもの気楽さが消えた。
「いや、まだ出ないだろ」
レオンが彼を見る。
「知っている魔物なのか?」
「知ってる。天喰らい」
その名は、ゲームでは高レベル帯の大型魔物として知られていた。国家間の戦争が激化し、複数の地域イベントが終わった後に出現する。レベル七十台後半から八十台のプレイヤーが、ようやく討伐を考える敵だ。
今のクロウは、まだ七十にも届いていない。
「そんな敵、まだ出ないはずだぞ」
「ゲームの時系列が、もう通用しないということですね」
セリアが静かに言った。
クロウは地図を広げた。天喰らいが現れた町は、ゲームではまだ平穏な地域だった。敵が出現する条件も、国家間戦争が起きた後のはずだ。
現実では、国家同士の関係も、地域の歴史も変わっている。ゲームとは別の原因で、天喰らいが目覚めたのだろう。
その原因までは、クロウには分からない。
「まずい」
クロウが、低い声で言った。
レオンとセリアの表情が硬くなる。
これまで、クロウは危険なダンジョンを前にしても、どこか楽しそうだった。相手の弱点を知り、攻略手順を組み立て、経験値や報酬のことを考えていた。
今は違う。
「これ、かなり強いぞ」
「どれほどですか?」
セリアが尋ねた。
「適正なら、七十台後半くらい」
レオンは静かに剣へ手を置いた。
「では、逃げるべきではないか?」
「でも放っておくと、狩場ごと潰されるしな……」
「町ではなく、狩場の心配をしているのか?」
クロウはレオンを見た。
「町の人も助ける。そこは当然だろ。ただ、天喰らいが移動したら、周辺の魔物も増える。街道も鉱山も、全部使えなくなる」
クロウにとっては、世界の仕組みを守ることと、住民を助けることが別の話ではなかった。狩場が潰れれば困る。町が壊れれば、その周辺も危険になる。だから、倒す必要がある。
使者は、三人の話を聞きながら震えていた。
国家級の災害を前に、討伐を選ぶ者などほとんどいない。普通は避難し、魔物が通り過ぎるのを待つ。だが、目の前の男たちは、倒す方法を話している。
「クロウ」
セリアが呼んだ。
「地下神殿で手に入れた装備素材。あれは使えませんか?」
クロウは袋から、石像の胸にあった青い宝玉を取り出した。沈黙の地下神殿のボスから得た、魔力を遮断する特殊素材だ。
ゲームでは、天喰らいの特殊状態を一時的に解除するために使う。
「……使えるかもしれない」
クロウは宝玉を見つめた。
「本来なら、もっと後で手に入れるアイテムだけど、効果は同じはずだ」
「同じ、という保証は?」
「ない」
クロウは即答した。
「でも、試す価値はある」
天喰らいのいる町へ向かう準備が始まった。
レオンは峡谷と鉱山の見回り役へ連絡し、周辺の街道を閉じるよう指示した。セリアは避難先と物資の手配を進め、天喰らいの進路上にある町へ情報を送った。
クロウは、天喰らいの行動パターンと弱点を紙へ書き出していた。
翼を広げた直後の雷撃。地上へ降りた後の魔力吸収。左胸の鱗の下にある核。特殊状態へ移行する前の咆哮。
知識はある。
ただし、レベルが足りない。
ゲームの正規攻略なら、七十台後半のプレイヤーを集める。防御役、回復役、攻撃役。最低でも十人以上が必要だ。
今、ここにいるのは三人だけだった。
「クロウ、本当に勝算はあるのか?」
レオンが聞いた。
「正直に言うと、分からない」
クロウは地図から顔を上げた。
「でも、ゲームと違う時期に出るなら、待っていればもっと厄介になる。倒せる可能性があるなら、今やるしかない」
セリアはうなずいた。
町の外壁が見えてきた。遠くの空を、巨大な翼が覆っている。雲が引き裂かれ、雷が地面へ落ちた。
天喰らいが、こちらを見下ろした。
その存在だけで、周囲の魔力が薄くなっていく。
「行くぞ」
クロウは青い宝玉を握った。
「まず、翼を落とす。核が見えたら、セリアの合図で使う」
レオンが剣を抜く。
セリアが杖を構える。
国家級の災害を前に、三人は走り出した。




