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第35話 仕事、大きくなったな

四門迷宮から戻った翌日、クロウは宿の部屋で新しい装備を取り出した。


黒銀の胸当て。青い外套。細かな魔法陣が刻まれた腕輪。どれも四門迷宮の素材を使って作られた、中盤以降向けの装備だ。


その中に、一つだけレベル制限のついた指輪があった。


ゲームでは、装備可能レベルを確認するためだけに使っていた品だ。性能は低い。売っても大した価値はない。だが、装備できるかどうかで自分のレベル帯を確認できる。


クロウは指輪を右手の指へ通した。


淡い光が走る。


「よし、六十」


クロウは小さく拳を握った。


レオンが向かいの椅子から顔を上げる。


「とうとう、という感じか?」


「いや、思ったより早い。多人数コンテンツを三人で回せたのが大きいな」


「多人数向けだったのだろう?」


「普通はな。今回は変則攻略だけど」


セリアは窓の外を見た。


宿の前を、荷車が何台も通っている。四門迷宮の周囲から戻ってきた商人たちだ。迷宮の魔力が収まり、旧街道の魔物が減ったことで、これまで分断されていた二つの地方を直接結ぶ道が使えるようになった。


灰色峡谷の街道。鉱山。四門迷宮へ続く道。黒獣行軍の進路だった村々。


それぞれの場所で、レオンとセリアの人間が活動している。


街道を守る護衛。鉱山を管理する採掘担当。物資を運ぶ者。魔物の情報を集める者。商人と契約を結ぶ者。さらに、その現場を任される責任者。


以前のように、レオンとセリアが一人ずつ指示を出すことは、もうできなくなっていた。


「東の街道は、あの者に任せる」


レオンは、部屋の隅に積まれた報告書を見ながら言った。


「鉱山の防衛は別の者。峡谷の見回りは、先日の訓練を受けた者たちがまとめている」


「セレスと南の町の契約は、私が直接確認します。ただし、素材の受け渡しは担当者に任せるつもりです」


セリアは帳面を閉じた。


誰かへ仕事を任せ、その者がさらに何人かを動かす。そうしなければ、二人の手が足りないほど人が増えていた。


正式な名前も、立派な建物もない。


しかし、治安、護衛、街道、資源、物流、情報。そのどれかを必要とする者は、レオンかセリアへ相談するようになっている。


地域の有力者たちも、二人を無視して大きな商売を始めることはできなくなっていた。


クロウは、そんな変化を窓の外から眺めていた。


「二人とも、最近本当に忙しそうだな」


「誰のせいだと思っている」


レオンの返事に、クロウは少し考えた。


「仕事を増やしすぎなんじゃないか?」


セリアは何も言わなかった。


クロウは続ける。


「別に、無理して大きくしなくてもいいだろ。俺は今くらい暮らしやすければ十分だぞ」


「……」


レオンとセリアは顔を見合わせた。


クロウは、二人に働きすぎるなと言っているだけだ。自分の周囲へ集まり始めた人間を解散させろ、という意味でもない。まして、地方全体を支える勢力の規模を考えて言ったわけではない。


だが、二人には別の意味に聞こえた。


組織を大きくすること自体を目的にしてはいけない。


クロウが自由に暮らせる環境を守ることが目的だ。


それ以上でも、それ以下でもない。


「そうですね」


セリアは静かに答えた。


「必要以上に広げないようにします」


「必要以上って、もう十分広がってると思うけどな」


クロウは窓の外へ目を向けた。


宿の前を、鉱山の印をつけた荷車が通る。その後ろを、レオンの見回り役が歩いている。少し離れた場所では、商人がセリアの担当者と話していた。


クロウは、それを見て満足した。


「人が増えて、買い物も楽になった。道も安全になった。二人の仕事がうまくいってるなら、それでいいだろ」


レオンは頭を抱えた。


「それでいい、という範囲が広すぎる」


「そうか?」


その日の夕方、三人は久しぶりにゆっくりと食事をした。


最近は、レオンとセリアがそれぞれの仕事で席を外すことが多かった。クロウも攻略へ出る時間が増え、三人で食卓を囲むこと自体が少なくなっている。


「たまには、こういう時間も必要ですね」


セリアが言った。


「そうだな。明日からまた狩りだ」


「休む気はないのか?」


「六十から先は、もっと経験値が重いからな」


クロウは皿の肉を切り分けた。


「通常の狩場じゃ効率が悪い。次は地域イベントか、フィールドボスか、大型ダンジョンだな」


「また大きなものを攻略するつもりですか?」


「そうしないとレベルが上がらない」


クロウは地図を取り出した。そこには、まだ三人が訪れていない場所がいくつも記されている。


北の荒野。海沿いの巨大遺跡。王都の近くにある封鎖区域。


ゲーム時代の記憶をたどりながら、クロウは次に行く場所を探した。


「……あれ?」


ふと、指が止まった。


この時期なら、ゲーム内で一つの大きな出来事が起きていたはずだ。地域イベントの後に発生する連続クエスト。多くのプレイヤーが参加し、次の大型ダンジョンが開放されるきっかけになるイベント。


だが、セリアの帳面にも、町の掲示板にも、その話はなかった。


「どうした?」


レオンが尋ねる。


「いや。そろそろ、ある出来事が起きているはずなんだけどな」


「何か問題か?」


「まだ時期が違うのかもしれない」


クロウは地図へ視線を戻した。


記憶違いかもしれない。ゲームと現実では、時間の進み方が違うのかもしれない。そもそも、すべてが完全に同じだとは限らない。


しかし、その違和感を深く考えることはなかった。


「まあ、いいか。まずは次の装備を取りに行こう」


クロウは、次の攻略場所へ印をつけた。


レオンとセリアは、また始まる冒険を思いながら準備を始める。


その頃、二つの地方をつなぐ街道では、彼らの名を知らない人々が荷車を走らせていた。鉱山では採掘が続き、各地の護衛が交代し、商人たちは新しい取引を始めている。


レオンとセリアの周囲にできた集団は、もはや一つの地域だけを扱うものではない。


複数の町、街道、鉱山、交易路を支える地方勢力へと変わっていた。


ただし、その中心にいるクロウの認識は変わらない。


「二人とも仕事が大きくなったな」


そして本人は、次のレベルへ上がるための攻略準備を進めているだけだった。


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