第32話 最近この印よく見るな
黒獣行軍を終えた三人は、いったんセレスへ戻った。
クロウは次の攻略場所を探したかったが、レオンとセリアには処理すべき仕事が山ほどあった。
被害がなかった村への連絡。避難していた人々の帰還。街道の安全確認。魔物が残っていないかの調査。さらに、行軍の途中で落ちた素材の回収と、商人からの問い合わせ。
「今日は、二人とも忙しそうだな」
宿の部屋で、クロウが言った。
「あなたが黒獣行軍を止めたからです」
「イベントをクリアしただけだろ」
「そのイベントが、町を一つ二つ飲み込む規模だったのです」
セリアは書類をまとめた。
「私は、村と商人の調整に行きます。レオンは見回り役と街道を確認してください」
「分かった」
「俺は?」
「待っていてください」
「それは暇だな」
「では、一人で町を歩いていてください。変装は忘れずに」
クロウは外見変更具を身につけた。髪の色が少し明るくなり、顔立ちも印象が変わる。人混みへ出ても、知り合いに気づかれる可能性は低い。
「これなら大丈夫だろ」
「目立つ行動は避けてください」
「分かっている」
クロウは宿を出た。
セレスの町は、黒獣行軍の前よりも活気があった。街道が開き、鉱山が動き、峡谷を通る商人が増えたことで、人の流れが大きくなっている。今回の行軍を無事に乗り越えたことで、さらに多くの商人がこの地域へ戻り始めていた。
クロウは露店を眺めながら歩いた。
魔石。薬草。鉄器。どれも以前より種類が多い。攻略の結果として市場が変わったことは分かるが、クロウにとっては新しい店が増えた程度の認識だった。
角を曲がったところで、荷物を抱えた少年が別の男とぶつかった。
「何をする!」
男が少年の腕をつかむ。荷物が地面へ落ち、中から小瓶が転がった。
「盗んだのではありません。運んでいただけです」
「なら、なぜ俺の袋へぶつかった?」
男が少年を殴ろうとした。
クロウは、その手首をつかんだ。
「やめろ。話を聞けばいいだろ」
「何だ、お前は?」
「通りすがり」
男が腕を振りほどこうとする。クロウは力を込めていない。ただ、相手の動きを読んで、力の方向をずらしただけだった。
男はよろめき、尻餅をついた。
その時、道の向こうから数人の武装した人間が走ってきた。
「何があった?」
「そいつが、荷物を盗もうとしていた」
男が叫ぶ。
武装した一人が、地面へ落ちた小瓶を拾った。瓶の口は閉じられ、封印も破られていない。
「これは採掘所からの預かり物だ。数は合っている」
「なら、問題はないだろう」
男は舌打ちして立ち去った。
少年がクロウへ頭を下げた。
「助かりました」
「いや、彼らが来たからだろ」
クロウは武装した人間たちを見た。全員、胸元に小さな印をつけている。剣と鉱石を組み合わせたような、簡素な徽章だった。
「最近、この印をつけた奴をよく見るな」
「レオン様とセリア様のところで働く者です」
先頭の男が答えた。
「この辺りは、お二人の管理下にあります。妙な揉め事を起こせば、すぐに報告が行く」
「へえ。二人とも、手広くやってるんだな」
クロウは素直に感心した。
「お二人は、この地域を守るために力を尽くしておられます」
「そうなのか。最近仕事が増えたとは言ってたけど」
武装した男は、クロウをじっと見た。
目の前にいるのは、見知らぬ旅人だ。変装したクロウを、彼が知るはずもない。クロウの側も、男がレオンの下で働く見回り役だとは分からない。
「レオン様とセリア様の、さらに上に立つ方がいるという噂もあります」
別の男が、声を落として言った。
「へえ。二人にも上司がいるんだな」
クロウは特に疑問を持たなかった。
武装した男たちは互いに顔を見合わせた。何かを説明しようとしたが、先頭の男が首を横に振った。
「我々の仕事は、レオン様とセリア様から受けた指示を実行することです。余計な詮索はしません」
「真面目だな」
クロウはそう言って、少年へ落ちた荷物を渡した。
「じゃあ、俺は行く」
旅人の姿をしたクロウは、そのまま人混みの中へ消えた。
夕方、宿へ戻ると、レオンとセリアが待っていた。
「今日、お前らのところの人に会ったよ」
クロウが何気なく言った瞬間、二人の動きが止まった。
「……どこで?」
「町の通りで。荷物の揉め事を片づけてた。感じのいい奴らだったぞ」
セリアは詳しく尋ねた。クロウの姿、相手の人数、交わした会話。クロウは覚えている範囲で答えた。
話を聞き終えると、セリアは静かに息を吐いた。
「正体は、知られていませんね」
「何の正体だ?」
「いえ、こちらの話です」
レオンも、ようやく緊張を解いた。
一般の構成員にクロウの存在を知らせていないからこそ、接触しても問題は起きなかった。クロウの由来や攻略情報を、レオンとセリアを経由してしか受け取らない仕組みも機能している。
「今の方針でいいでしょう」
セリアが言った。
「クロウの存在を知らない者が多いほど、情報の出所をたどられにくい」
「俺のことは、これからも言わなくていいぞ」
クロウは椅子へ座った。
「目立つのは面倒だからな」
「分かっています」
セリアはうなずいた。
「では、クロウに直接つながらない連絡経路を整理しておきます」
「それは、俺に近づけないためか?」
「情報の出所をたどられないためです」
「なるほど」
クロウは納得した。
「それなら、次の攻略に集中できるな」
彼は地図を広げた。
「次は四門迷宮へ行く」
レオンが地図を見た。
「また、人数が必要な場所か?」
「本来は四パーティーくらい必要だな」
「足りないではないか」
「足りない。でも、三人で行ける方法を知っている」
クロウは楽しそうに、迷宮の位置を指で叩いた。
町の外では、彼の知らない人々が、彼の攻略によって生まれた仕事を続けている。
クロウはそれを知らないまま、次の攻略の準備を始めた。




