第3話 最初の町
街道を歩き始めて一時間ほど経った頃、森の向こうに石壁が見えてきた。
「おお、本当にある」
アルネの町。
ゲームでは初心者が最初に立ち寄る地方都市の一つだ。王都ほど大きくはないが、冒険者向けの店や宿、鍛冶屋など一通りの施設が揃っている。
画面越しには何百回と見た町だった。
だが、実際に目の前にすると印象はまるで違う。
ゲームでは十数秒も走れば端から端まで移動できた町が、現実では立派な城壁に囲まれている。門の前には荷馬車が並び、農民らしい男たちが荷物を積み下ろしていた。城壁の上には槍を持った兵士までいる。
「そりゃそうか。実際に人が住んでるんだもんな」
ゲームでは建物の大半が入れない背景だった。
住民も決められた台詞を繰り返すだけ。
しかし、ここでは違う。
門の前で商人と兵士が何かを話している。荷馬車の御者が後ろの男に怒鳴り、その横を子供が走っていく。
ゲームのアルネを知っているからこそ、違和感が強かった。
似ている。
間違いなく似ている。
だが、ここはゲームではない。
俺は列の最後尾に並んだ。
そこで一つ問題に気づく。
「......金、持ってないな」
ゲーム開始時なら初期資金があった。
だが、今の俺の鞄に入っているのは森で採取した素材と、見つけたミドルポーションだけだ。
門を通るのに金が必要だったか。
ゲームでは当然そんなものはなかった。
前の人間を観察する。
農民らしい男は兵士に何かを見せ、そのまま通った。次の商人は小さな板のようなものを出している。
身分証か。
嫌な予感がする。
俺の番になった。
「身分証を」
予想通りだった。
「あー......持ってない」
兵士の眉が動いた。
「紛失したのか?」
「いや、最初からない」
「最初から?」
面倒なことになった。
どう説明する。
異世界から来ました、と言ったところで信じてもらえるとは思えない。
「田舎から出てきたんだ。かなり遠いところ」
「村の証明もないのか?」
「ない」
兵士が露骨に怪しむ。
まあ、当然だ。
俺だって門番なら怪しむ。
「名前は?」
「クロウ」
「......クロウ?」
兵士が妙な顔をした。
やはりハンドルネームは変だったらしい。
日本で「†漆黒の堕天使†」と名乗るほどではないと思いたいが、現地の人間からすれば似たようなものなのかもしれない。
「そう。クロウ」
「......家名は?」
「ない」
兵士はしばらく俺を見たあと、隣の兵士と顔を見合わせた。
何かまずいことを言っただろうか。
「冒険者か?」
「これからなる予定」
これは半分本当だ。
ゲームと同じなら、冒険者ギルドに登録すれば身分証代わりになる。
レベル上げや素材売却を考えても登録しておいて損はない。
「なら、入市税として銅貨三枚だ」
「金がない」
「......本当に何も持たずに来たのか?」
「売れそうな素材ならある」
鞄からブルーフラワーを出して見せる。
兵士はため息をついた。
「ここで物々交換はできん。あっちの買い取り所で換金してこい」
門の外側に小さな建物があった。
どうやら旅人向けに素材や簡単な品を買い取っているらしい。
「助かった」
「次からは銅貨くらい持って歩け」
「そうする」
俺は素直に礼を言って買い取り所へ向かった。
中にいた中年の男へ森で採った素材を見せると、全部で銅貨二十七枚になった。
相場が分からない。
ゲーム内の価格とは当然違う。
「これ、高いのか安いのか?」
「何がだ?」
「いや、こっちの話」
とりあえず町へ入れるなら十分だ。
銅貨三枚を支払い、門をくぐる。
そこで俺は足を止めた。
「......すげえな」
知っている町なのに、知らない町だった。
中央を大きな通りが走っている。
場所はゲームと同じだ。
正面へ進めば広場。
右へ曲がれば冒険者ギルド。
左側には道具屋と鍛冶屋。
建物の配置も、おおむね記憶通りだった。
しかし情報量がまるで違う。
パンを売る露店。
野菜を積んだ荷車。
店先で値段交渉する女。
荷物を運ぶ男。
路地裏から聞こえる怒鳴り声。
鼻をつく家畜の臭い。
焼いた肉の匂い。
ゲームには存在しなかった生活が、そこら中にある。
「なるほどなあ」
これは面白い。
ゲームを実際に歩けるようになった、というだけではない。
ゲームで省略されていた部分まで存在している。
俺はしばらく町を見て回ることにした。
まず道具屋。
位置は同じ。
店主は知らない男だった。
いや、ゲームの店主の顔など細かく覚えていないだけかもしれない。
並んでいる商品を見る。
回復薬。
毒消し。
松明。
ロープ。
保存食。
見覚えのあるものも多い。
ただし値段はゲームとはかなり違った。
次に鍛冶屋。
こちらも同じ場所にある。
武器を眺めていると、店主が声をかけてきた。
「何か探してるのか?」
「いや、相場を見てるだけ」
「買わねえなら触るなよ」
「分かった」
店主は少し意外そうな顔をした。
何だ。
触るなと言われたから触らないだけだ。
店を出る。
次は冒険者ギルド。
ゲームでは何度も出入りした建物だ。
木造の大きな建物へ入ると、十数人の男女がいた。
受付。
依頼が貼られた掲示板。
酒を飲んでいる冒険者。
装備を確認している一団。
ここも配置はゲームと似ている。
俺は受付へ向かった。
「登録したいんだけど」
「新規登録ですね。身分証はお持ちですか?」
「ない」
受付の女性は特に驚かなかった。
「では、こちらで簡易登録を行います。犯罪歴の照会ができませんので、最初の半年は仮登録になりますが、よろしいですか?」
「問題ない」
「お名前をお願いします」
「クロウ」
受付嬢の手が止まった。
「......クロウ、ですか?」
まただ。
「変な名前?」
「いえ、その......珍しいお名前ですね」
絶対に何かある。
だが、聞くほどのことでもない。
ゲームのハンドルネームなのだから、変なのは仕方ない。
「それでいい」
「承知しました。年齢は?」
「......二十代後半」
「正確には?」
「分からない」
転移した俺の身体が前世と同じ年齢なのか、そもそもこの世界の暦でどう数えるのか分からない。
受付嬢が困った顔をする。
「では二十八歳として登録しておきます」
「適当だな」
「本人が分からないと言うので」
「それもそうか」
その後、簡単な説明を受けた。
冒険者には等級がある。
依頼をこなせば昇格する。
危険な依頼は低位の冒険者には受けられない。
魔物の素材はギルドでも買い取る。
犯罪行為をすれば登録を停止されることがある。
だいたいゲームと同じだ。
細部は違う。
「登録料は銀貨一枚です」
「......銀貨?」
銅貨しかない。
俺は残金を見せた。
「足りない?」
「全然足りません」
「だよな」
受付嬢が呆れたように俺を見る。
初日から金がない。
これはまずい。
「素材で払える?」
「種類によります」
俺は少し考え、鞄からミドルポーションを出した。
「これは?」
受付嬢の目が変わった。
「どこでこれを?」
「拾った」
「拾った?」
「森で」
「......少々お待ちください」
受付嬢が奥へ消えた。
数分後、年配の男を連れて戻ってきた。
男は瓶を光に透かし、蓋を開けて匂いを確認する。
「中級治癒薬だな。品質も悪くない。売るなら銀貨十二枚で買い取る」
「そんなにするの?」
ゲームでは序盤にちょっと便利な消耗品だった。
俺としては登録料になれば十分だったのだが。
「売る」
「いいのか?」
「また手に入るし」
二人が黙った。
何か変なことを言ったらしい。
まあいい。
銀貨十二枚を受け取り、そこから一枚を登録料として支払う。
受付嬢から金属製の小さな札を渡された。
「こちらが仮冒険者証です。紛失しないようにしてください」
「ありがとう」
これで身分証と金を確保した。
初日の成果としては悪くない。
俺はギルドを出た。
残る問題は宿だ。
ゲームで使っていた宿屋へ行くと、本当に営業していた。
一泊、銅貨二十五枚。
食事付き。
今の所持金なら余裕だ。
部屋を取り、夕食を食べる。
硬いパン。
野菜と肉の煮込み。
薄い酒。
豪華ではない。
だが、森で野宿するより遥かにいい。
「さて」
食事を終え、部屋へ戻る。
ベッドへ腰を下ろして今日一日を整理した。
地形は同じ。
魔物も同じ。
隠しアイテムも同じ。
町の配置もほぼ同じ。
冒険者制度も似ている。
一方で、ゲームにはなかった税や身分証がある。
アイテムの価値も違う。
人々はNPCではなく、本当に生活している。
「ゲーム知識は使える。でもゲームだと思って動くと危ない、か」
それが今日分かった一番重要なことだろう。
知識は圧倒的な武器になる。
ただし、全部が同じだと思い込むべきではない。
俺はベッドへ横になった。
明日から何をするか。
まず金。
次に装備。
そしてレベル。
ゲームと同じなら、アルネ周辺には序盤を一気に抜けるための場所がいくつかある。
ただ、その前にもう少し確認したい。
この世界での自分の強さ。
ゲームのシステムがどこまで再現されているのか。
そして何より――死んだら終わりなのか。
「まあ、終わりだろうな」
試す気はない。
命は一つとして考えるべきだ。
ゲームなら死に戻り前提で突っ込めた。
ここでは慎重に行く。
知識があるからこそ、無駄な危険を冒す必要はない。
「好き勝手に生きるためにも、まず死なないことだな」
我ながら当たり前の結論だった。
窓の外から町の音が聞こえる。
人の声。
馬車の音。
どこかの店から漏れる笑い声。
ゲームでは夜になればBGMが変わるだけだった町に、人間の生活が続いている。
俺は目を閉じた。
異世界生活一日目。
思ったより、悪くない。
明日は少し、この世界の仕組みを試してみよう。




