第2話 せっかくだから好き勝手に生きる
橋から南西へ。
街道を外れ、森の中を進む。
道はない。
当然だ。
俺が探しているのは、普通に歩いていればまず発見できない場所にある。
ゲームではこういう隠し要素が大量にあった。
怪しい壁を調べる。特定の時間にだけ出現する道を通る。一見すると何もない場所で特定のアイテムを使う。
サービス開始当初はプレイヤー同士で情報交換しながら探したものだが、何年も経てばほとんどが攻略サイトに載る。
俺自身も、かなりやり込んだ。
効率だけを求めていたわけではない。
むしろ、こういう無駄に凝った隠し要素を探すのが好きだった。
「確か、この辺に……」
木々を避けながら進む。
あった。
倒れた大木。
記憶にあるものより遥かに大きい。
ゲーム画面では単なる背景だったが、実物を前にすると幹の太さは俺の身長ほどもある。
表面は苔に覆われ、一部は朽ち始めていた。
「ここまで同じか」
大木を越える。
その先に岩壁があった。
これも記憶通りだ。
岩壁に沿って右へ進む。
しばらくすると、一面を蔦に覆われた場所へ出た。
俺は立ち止まる。
「……あるな」
蔦を掻き分けた。
その奥に、人一人がようやく通れる程度の隙間がある。
洞窟の入口だ。
ここまで来れば、偶然という言葉では片付けられない。
俺は短剣を抜いた。
ゲームでは洞窟内に敵はいなかった。
だが、ここはゲームそのものではない。
さっきのゴブリンも、倒しても消えなかった。
ならば洞窟の中に獣が住み着いている可能性くらいは考えておいた方がいい。
慎重に中へ入る。
数歩進んだところで暗くなった。
「そういや、ゲームだと普通に見えてたな」
画面なら暗い場所でも最低限の視界は確保される。
現実ではそうはいかない。
幸い、入口から差し込む光だけでも奥まで何とか見えた。
洞窟というより、岩の裂け目に近い。
十メートルも進まないうちに行き止まりになった。
そして、そこにあった。
古びた木製の箱。
「マジかよ」
思わず笑ってしまった。
形まで同じだ。
俺は周囲を確認してから箱へ近づいた。
罠はない。
少なくともゲームでは。
現実でも同じ保証はないので、少し離れた位置から短剣で蓋を押してみる。
何も起こらない。
ゆっくり開ける。
中には、小さな指輪が一つ入っていた。
銀色の輪に、青い石。
「蒼風の指輪……だよな、これ」
序盤の隠し装備。
敏捷性を上昇させ、風属性への耐性も少しだけ付与する。
ゲーム全体で見れば大した装備ではない。
中盤に入れば普通に交換する程度のものだ。
だが、序盤では破格だった。
何より重要なのは、性能ではない。
存在していることだ。
誰にも見つからない洞窟。
その奥の宝箱。
そして中身まで同じ。
「……決まりだな」
俺は指輪を摘み上げた。
これが偶然なら、もはや偶然という言葉の意味が分からなくなる。
ここは、俺が遊んでいたゲームと極めてよく似た世界だ。
同じ世界、と言い切っていいのかは分からない。
ゲームではゴブリンの死体は消えた。
川の魚がどう生活しているかなど設定されていなかったし、ブルーフラワーの葉を触った感触なんてものも存在しない。
何より、俺自身がゲームのキャラクターになった感覚がない。
画面もない。
メニューもない。
ログアウトボタンもない。
「異世界転移、ってやつか?」
口に出してみると、途端に馬鹿馬鹿しくなった。
小説や漫画なら珍しくもない話だ。
ある日突然、異世界へ飛ばされる。
そこがゲームの世界だった。
あるいはゲームによく似た世界だった。
何度も見た設定である。
だからといって、自分が実際に体験するとは思わない。
「普通、こういうのって神様とか出てこないか?」
少なくとも俺には出てこなかった。
気づいたら森にいた。
説明なし。
特典の説明もなし。
使命もなし。
魔王を倒せとも、世界を救えとも言われていない。
「雑だなあ」
誰に文句を言えばいいのかも分からない。
俺は蒼風の指輪を指にはめてみた。
その瞬間、身体がわずかに軽くなった。
「お?」
腕を動かす。
速い。
劇的な変化ではないが、明らかに違う。
その場で軽く跳ねてみても、身体がいつもより素早く反応する。
「効果もあるのか」
指輪を外す。
身体が元に戻った。
もう一度つける。
軽くなる。
「……面白いな」
何度か試してしまった。
装備品の効果までゲームと同じらしい。
なら、かなり重要な情報だ。
俺は洞窟を出た。
外はまだ明るい。
時間は分からないが、太陽の位置を見る限り、日没までは余裕がありそうだ。
今度は別の場所を確認することにした。
隠しアイテムが一つ一致しただけでも十分ではある。
だが、できればもう一つくらい確証が欲しい。
幸い、この周辺にはもう一か所覚えている場所がある。
今いる洞窟から北へ向かい、小川を越えた先。
森の中に半分崩れた石造りの祠がある。
ゲームでは何の説明もない場所だったが、祠の裏側に小さな空洞があり、その中に薬が隠されている。
大したアイテムではない。
ただし、今の俺には有用だ。
ゲームと同じなら、通常の回復薬より効果が高い。
俺は記憶を頼りに森を歩いた。
途中で再びゴブリンらしき声が聞こえたが、今度は避けた。
倒せることは分かった。
だからといって、わざわざ戦う理由はない。
ゲームなら経験値のために片っ端から倒しただろう。
しかし現実では、刃物で生き物を刺す感触が手に残る。
「レベル上げは必要だろうけど、もう少し効率のいい方法があったはずだしな」
俺が知るゲームと同じなら、序盤のゴブリンを一匹ずつ狩るのは効率が悪い。
初心者ならともかく、知識があるならもっといい場所がある。
今は戦闘より情報確認を優先する。
しばらく歩くと、記憶通り石造りの祠が見つかった。
「はい、二つ目」
もはや驚きも薄い。
崩れかけた祠の裏へ回る。
草をどける。
小さな穴。
手を入れると、硬いものに触れた。
取り出す。
透明な瓶だった。
中には赤い液体が入っている。
「ハイポーション……ではないな。ミドルポーションか」
ゲームでの名前を思い出す。
これも一致している。
俺は瓶を鞄へ入れた。
これで十分だ。
少なくとも地形、魔物、植物、建造物、隠しアイテムの配置はゲーム知識が通用する。
装備品の効果まで同じ。
なら、他の知識も使える可能性が高い。
街の場所。
ダンジョン。
魔物の弱点。
効率のいい狩場。
特殊な職業への転職条件。
普通にプレイしていては見つからないスキル。
レア素材。
将来起きるイベント。
それどころか、後になって価値が跳ね上がる土地や資源まで知っている。
「……俺、かなり有利じゃないか?」
ようやく実感が湧いてきた。
知らない世界に放り出された。
その事実だけを考えれば、かなり危険な状況だ。
言葉が通じる保証もない。
社会制度も分からない。
金もない。
身分証明書など当然ない。
家も仕事もない。
普通なら途方に暮れるところだろう。
だが、この世界があのゲームに近いなら話は別だ。
俺は知っている。
少なくとも、この周辺で何をすれば生き延びられるかは知っている。
安全な町の場所も分かる。
金を稼ぐ方法もいくつか思いつく。
強くなる方法なら、それ以上に知っている。
そして何より。
「帰れるのかね、これ」
初めて、その問題を真面目に考えた。
元の世界へ帰る方法。
当然ながら分からない。
ゲームにもそんな設定はなかった。
転移してきたプレイヤーを元の世界へ戻すクエストなど存在しない。
仮に探すとしても、何の手掛かりもない状態ではどうしようもない。
俺は近くの岩に腰を下ろした。
家族。
友人。
仕事。
元の世界に残してきたものを考える。
もちろん、何も感じないわけではない。
突然すべてを失ったのだから、平気なはずがない。
ただ、ここで泣き続けても帰還方法が見つかるわけではない。
そして俺は、自分でも驚くほど現実的なことを考えていた。
「……まあ、生きるしかないか」
帰る方法が見つかれば、そのとき考えればいい。
見つからないなら、この世界で暮らすしかない。
幸い、生き残るための札は大量に持っている。
金。
装備。
レベル。
スキル。
アイテム。
知識さえ正しければ、手に入れる方法は分かっている。
そう考えると、不安とは別の感情が湧いてきた。
自由だ。
元の世界では、何をするにも色々なものがついて回った。
仕事をする。
金を稼ぐ。
税金を払う。
他人に迷惑をかけない。
法律を守る。
社会人として常識的に振る舞う。
別に、それが嫌だったわけではない。
普通に生きていくなら当然のことだと思っていた。
だが、ここには俺を知る人間が一人もいない。
過去もない。
肩書もない。
仕事もない。
明日会社へ行く必要もない。
しかも、世界について俺だけが知っている情報が山ほどある。
「だったら……」
俺は少し考えた。
この世界でも、真面目に働いて、慎ましく暮らす。
それも一つの選択だ。
だが、わざわざ異世界まで来て、それをやるのか。
ゲームなら、俺はもっと好き勝手にやっていた。
効率のいい狩場を独占した。
誰より先にレアアイテムを取った。
値上がりする素材を買い占めた。
強い装備があるなら取りに行った。
ゲームだから当然だ。
なら、ここでも同じようにしてみてもいいんじゃないか。
もちろん、人を殺して奪おうとは思わない。
そこまでやりたいわけではない。
だが、誰も知らない場所に高価なアイテムが落ちているなら、俺が取る。
将来値上がりする土地を知っているなら、先に買う。
珍しい素材の場所を知っているなら、他人に教えず自分で使う。
気に入らない奴に頭を下げる必要もない。
俺の邪魔をする奴がいるなら、多少強引に排除したっていい。
正義の味方になる必要もない。
困っている人間を見つけるたびに助けて回る義務もない。
俺は世界を救うために呼ばれた勇者ではない。
そもそも、誰にも呼ばれていない。
「いいな、それ」
口元が自然に緩んだ。
悪くない。
むしろ、かなり面白そうだ。
何ができるのか試してみたい。
ゲームでは画面越しにしか見られなかった場所へ、自分の足で行ってみたい。
ゲームで手に入れた装備を、本当に使ってみたい。
高レベルになれば、どれほど身体が動くのかも興味がある。
まだ見たことのないこの世界の景色も見たい。
俺は立ち上がった。
「よし、決めた」
帰還方法を必死に探し続けるのはやめる。
もちろん、情報が見つかれば調べる。
帰れる可能性を捨てる必要もない。
だが、それを人生の目的にはしない。
せっかく異世界へ来た。
しかも、俺が何年もやり込んだゲームとよく似た世界だ。
だったら。
「せっかくだから、俺は好き勝手に生きるぜ」
言ってみてから、少し恥ずかしくなった。
「……誰もいなくてよかった」
いい歳をした男が一人で言う台詞ではない。
俺は周囲を確認し、本当に誰もいないことに安心して歩き出した。
まずは町へ行こう。
この近くならアルネの町がある。
ゲームでは最序盤の拠点の一つだった。
そこでこの世界の金銭感覚や生活について調べる。
その後は装備を整える。
レベルも上げる。
ゲームと同じなら、序盤を一気に飛ばせる方法はいくつも知っている。
「最初は……あそこだな」
頭の中で攻略ルートを組み立てる。
初心者向けの狩場へ行く必要はない。
少し危険だが、条件さえ知っていればほとんど攻撃を受けずに倒せる魔物がいる。
その近くには特殊スキルの取得に必要なアイテムもある。
さらに数日後には、特定の場所で小規模なイベントが発生するはずだ。
ゲームと同じ時系列なのかは分からないが、確認する価値はある。
考え始めると、やりたいことが次々に出てくる。
いつの間にか、転移した直後の不安はかなり薄れていた。
森を抜ける。
街道へ出る。
そして遠くを見る。
記憶が正しければ、この道を進めばアルネの町だ。
その向こうには、俺が知っているより遥かに広い世界がある。
ゲームでは背景だった場所。
入れなかった建物。
名前しか設定されていなかった村。
NPCとしてしか見ていなかった人々。
それらすべてが、本当に存在するのかもしれない。
「面白くなってきたな」
俺は街道を歩き始めた。
このときの俺は、まだ知らなかった。
ゲームで「効率がいい」とされていた方法が、この世界ではどれほど異常なのか。
ゲームで「そこそこ強い」とされていた装備が、どれほど希少なのか。
そしてゲームで何千、何万というプレイヤーが到達していた領域に、この世界の人間がどれほど届いていないのか。
そんなことを知るはずもない俺は、とりあえず最初の町を目指した。
好き勝手に生きるために、まずは金と力がいる。
その程度の、ごく単純な理由で。




