第26話 全部教える必要はない
鉱山の管理が始まってからも、クロウの狩りは続いていた。
彼の次の目的は、灰色峡谷のさらに奥に出る高経験値モンスターだった。特殊な素材を持っていると出現率が上がる。ゲームでは、四十台後半のプレイヤーがよく利用する敵だ。
「今日は、これを使う」
クロウは袋から、黒い粉の入った小瓶を取り出した。
「何ですか、それは?」
「夜鳴き草を乾燥させた粉。指定の岩場に撒くと、夜に高経験値の魔物が出る」
セリアはすぐに帳面を開いた。
「その情報を、鉱山の見回り役にも教えれば、周辺警備に使えるのではありませんか?」
「教えてもいいけど」
クロウは少し考えた。
「危険な魔物が出る時間と場所が分かれば、逆に待ち伏せできる。見回りの経験値も稼げるだろ」
「出現条件と、効率のいい倒し方まで教えるつもりですか?」
「必要なら」
セリアは帳面を閉じた。
「どこまで教えるべきか、決める必要があります」
クロウは首をかしげた。
「全部教える必要はないんじゃないか?」
「……それは、あなたの考えですか?」
「ゲームでも、初心者に攻略情報を全部説明したりしないだろ。必要なところだけでいい」
レオンが腕を組んだ。
「必要なところ、というのは?」
「見回り役には、危険区域と逃げ道。あと、敵が出たら無理に戦わず知らせること。現場の責任者には、出現しやすい時間と弱点を一つか二つ」
「高効率の誘導方法は?」
「教えなくていい。俺たちが使えばいい」
セリアはしばらく考えてから、帳面に三つの印をつけた。
「全員が知ってよい情報。現場責任者まで伝える情報。そして、私たちだけが扱う情報。そう分けます」
「そこまで細かく分ける?」
「あなたに任せるより安全です」
「それはそう」
クロウはあっさり納得した。
その日の夕方、三人は峡谷深部の岩場へ向かった。鉱山の見回り役には、周囲で魔物が出る可能性があることだけを伝えてある。出現条件の詳細や、最も効率のよい攻略方法までは知らせていない。
クロウは岩場の中央へ歩き、黒い粉を撒いた。
「これで夜まで待つ」
「また待つのですか」
「特殊出現だからな」
レオンが岩に腰を下ろした。セリアは周囲の地形を確認しながら、近くにいた見回り役へ指示を出す。
「この先の道は、夜まで封鎖してください。魔物が出現した場合、こちらへ近づかず、鐘を鳴らして知らせること」
「分かりました」
見回り役は素直にうなずいた。
彼らが知っているのは、ここが危険区域になるということだけだ。どんな敵が出るのか、なぜクロウたちが待っているのかまでは知らない。
やがて日が落ちた。
峡谷に夜の闇が満ちる。風が止み、岩場の底から低い唸りが響いた。
「来る」
クロウが立ち上がった。
地面から黒い霧が噴き出した。霧の中で、四本の脚を持つ大型の獣が形を取る。頭部に目はなく、胸の中央だけが青く光っていた。
「夜喰らい。出現率を上げる条件は粉だけど、戦闘では光属性が弱点」
「見回り役には、そこまで教えていませんね」
「危ないからな」
夜喰らいが地面を蹴った。
クロウが正面から引きつけ、レオンが横へ回る。セリアは《戦場把握》で、霧の中に隠れた二つ目の気配を捉えた。
「右後方に、もう一体!」
「分かってる」
クロウは振り返らず、短剣を投げた。刃が二体目の胸へ刺さる。レオンが一体目の突進を受け流し、セリアが光の魔法を重ねた。
夜喰らいの姿が、光に照らされて揺らいだ。
「今、核が露出します!」
クロウとレオンが同時に踏み込む。
青い核へ攻撃が集中し、二体の魔物がほぼ同時に崩れた。
「いい経験値だ」
クロウは魔石を拾った。
少し離れた場所で、見回り役たちは鐘を手にしたまま、三人の戦いを見ていた。もし彼らが同じ敵を相手にすれば、出現条件も弱点も知らないまま、暗闇の中で戦うことになる。
だから、教えなかった。
セリアはその判断を、初めて明確な形で実感した。
情報は力だ。誰にでも同じように渡せばよいものではない。危険から身を守るために必要な知識と、敵を効率よく倒すための知識は、分けて扱うべきなのだ。
翌朝、セリアは帳面に情報を分類した。
危険区域と避難方法は、見回り役全員へ。
魔物の種類と基本的な弱点は、現場責任者まで。
出現条件と高効率の攻略法は、レオンとセリアだけ。
そして、クロウから得た将来予測や特殊な攻略情報は、外部へ出さない。
「ずいぶん細かく分けたな」
クロウが帳面をのぞき込んだ。
「必要なことです」
「まあ、セリアが管理するなら任せる」
「あなたに任せるより安全ですから」
「それは何度も聞いた」
レオンが笑った。
鉱山では、見回り役が夜喰らいの出現跡を確認していた。彼らは、魔物が出たことと、近づかずに知らせればよいことだけを知っている。
それでも、警備は以前より効率的になった。
誰もがすべてを知らなくても、必要な役割を果たせる。セリアが作り始めた情報の階層は、そうして実務の中へ入り込んでいった。
クロウは次の狩場を地図で確認した。
「次は、もっと経験値の高い敵を狙う」
「また特殊な条件ですか?」
「今度は三種類の素材が必要だな」
セリアは帳面を開きかけ、ふと手を止めた。
もう驚くことはない。
必要な情報だけを聞き、必要な人間だけへ渡す。クロウの攻略を邪魔せず、その副作用を処理するために、彼女が身につけつつある方法だった。
「では、素材の入手場所を教えてください」
「いいぞ。まずは――」
三人は次の攻略へ向かった。
その背後で、誰が何を知るべきかを区別する仕組みが、静かに形を整えていた。




